Scene2『武装量子精霊』
尊はうんざりしながら、無制限会場のバルコニー近い壁に背を預けていた。
男性の利用者に声を掛ければ、
「なんでドレスを着てないんだ? 規約違反だろ?」
と言われ、女性の利用者に声を掛ければ、
「あら? ドレスの方が似合うのに、なんでわざわざそんな恰好をしているの?」
などと言われてしまう。
(別に規約違反でもないし、ドレスが似合うだなんてお母様みたいなことを言わないでよ)
と思いながら、深いため息を吐く。
(ここでもやっぱりからかわれる。からかわれないために、自分のことを誰も知らないVR空間を利用して、幼い容姿をからかわれるのを防ぐために、こうして秘匿性の高いサイトを利用しているっていうのに……なんでだろ?)
一ヵ月という仮想現実での同じような出来事に、流石の尊も違和を感じ始めている。
気付くのが遅過ぎるかもしれないが、それは彼の性格と今までが独りぼっちであったが故の不運なといえなくもない。
なんであれ、尊はじーっと周りを見回し、疑問の解を周りに求める。
明日がゴールデンウィーク初日ということも重なってか、人は溢れかえるほどいるので参考にする者には事欠かない。
白い仮面に、男性はタキシード、女性はカクテルドレス。
老若男女肌の分け隔てなく談笑を交わし、中央ではゆったりした音楽に合わせて踊り合っている。
「社交ダンスの練習をしたっていうのに、無駄になっちゃったな……」
それなりに真剣に練習した。といってもQNマイルームでできる個人レッスンプログラムでだが。ことが目の前の舞から連想され、どうにもため息が出てしまうが、それでも違いを探すことを止めない。
ここにいる者達は仮面で顔を隠しているとはいえ、肌の色や髪の色から様々な人種国籍であることが一目で窺い知れる。
そんな多国籍環境でも今の時代、現実世界でもリアルタイム自動翻訳システムが完成し使われているので、コミュニケーションを取るのにその程度は大して壁にはならず、ましてや世界中どこにいても瞬時に様々なサイトに訪れることができるVR空間であれば、さして珍しい光景でもない。
だからこそ、尊は当たり前のように様々な男女の違いをなんとなく確認し、暫く黙考してから結論を口にした。
「…………身長かな?」
いまいち納得できない自問回答に悩んでいると、ふと会場の一角が騒がしくなっていることに気付く。
なんとなしに視線を向けると、そこには黒いフード姿の自分より背の低い子供が走っていた。
全身をすっぽりと覆う格好であるため、性別はわからない。だが、明らかにドレスコードを無視した格好に、会場が騒がしくなる。
「なんだこれ? サプライズイベントか?」
「でも、イベント告知がないわ。サプライズでも、始めたらしなくちゃいけないんじゃなかったけ?」
「プログラム演出だったらな」
「ということは、あの子ナビかしら? 彼らだったら、そんなことをする必要はないでしょ」
「まあ、人間の劇団員とかだったらサイト規約に引っ掛かるからな」
などと言っているのが、近くのカップルから聞こえ、尊は疑問に思う。
(ナビ? こんなところに?)
ナビ達の個体数は、QNが世界中に普及した昨今でもそれほど多くなく、ほとんどが国仕えなので、一般的なサイトで見掛けることはまずない。というより必要ない。彼ら彼女ら一体で、同規模のサイトを数十、成長したナビなら数百も維持できるといわれているのだ。故に、ほとんどのVRサイトは直接的なナビの管理は行われておらず、ナビの手を借りただけのただのプログラムによって管理運営されている。
無論、個人でナビと契約することは可能だが、絶対数が少ない彼らを雇うには非常に高額な賃金が要求される。ほぼタダ同然の公共ナビの力を借りられるというのに、わざわざ個人契約するメリットはほぼなく、例え契約していたとしても、サイトを盛り上げるだけのイベントに個人ナビを使うなどという勿体無いことを普通はしないはずだった。
それ故に興味を覚えた尊は、走っているフードの子供を目で追ってしまう。
真っ直ぐこっちに向かって走ってきているが、向かう先は尊ではなくバルコニーのようだった。
(逃げている? 誰から?)
そう思った時、バルコニーに出ようとしたフードの子供が急停止した。
気になって外に目を向けると、そこにはサングラスを掛けた黒服の男女達が立ち塞がっており、続々とバルコニーから中へ入ってくる。
子供が現れた方向を見ると、やはり同じように黒服の男女がこちらに向かって迫っていた。
ローブの子供とは別の意味で異質さを持つ、新たなサイト規約違反者達の登場に周りは更に騒がしくなるが、当の本人達は一切構わず動き続ける。
バルコニーから入ってきた黒服達に追い詰められ、壁の方へとじりじりと後退する子供。
当然、壁に背を預けている尊の方へと近付いてくることになる。
(へ? ええ!? こっちにくるの!?)
これだけの騒ぎを起こせば、会場にいる全員の視線がフードの子供に注がれ、必然的に尊にも余剰が向けられていた。
まさかの事態に恥ずかしがり屋が発動した尊は、カーッと顔を赤くして顔を僅かに伏せて固まってしまう。
その間に、周りにいた他の利用者がすすっといなくなり、尊はフードの子供と一緒に黒服達に取り囲まれることになってしまった。
(あれ? え! あ、ど、どうしよう!)
完全に囲まれ剣呑な気配が漂い始めた時点で、ようやく自分が置かれている状況に気付いた尊だったが、どうしたらいいかわからずキョロキョロと周りを見回すしかできない。
黒服達はサングラスを掛けているため、表情はよくわからないが、少なくともナビではなく人間であるように見える。ただ、全員が統一した格好であるため、肌の色や髪の色が多種多様で随分多国籍なメンツだという以外、なにもわからない。
その周りにいる他の利用者達は、他人ごとになったせいか面白そうにこっちを見ているだけで、なにかをしようとする気はさらさらないようだった。
(なにも言わずに脇に移動したら通してくれるかな?)
そう思って壁伝いに移動しようとした時、その動きを制するようにフードの子供が尊の袖を掴んでしまう。
(完全にイベントにターゲットにされてるぅ!? どうしよう? というか、なんのイベントなのこれ!?)
こういうタイプのイベントを映像で見たことはあっても、自ら参加したことはなかった尊としては、あわあわするしない。
VRサイトでは、時折、利用者参加型のサプライズイベントが起きる。
これらのイベントは基本的に、サイトの主旨とは違う目的で起こされることが多い。
最も多いのが、他のサイトの告知。
VRはいわば直接体験が可能な疑似的空間。だとすれば、自らのサイトに利用者を呼び込むには、そのサイトでなにができるか、どんな雰囲気なのかなどを肌で感じて貰った方が人を呼び込める。というわけだ。
現実であれば酷く手間のかかる宣伝になるかもしれないが、VRであれば、一回プログラムを作ってしまえば、それを何度でも、どんなサイトでも使うことができる。
それ故に、サイト運営している企業は、より手の込んだ話題になるサプライズイベントを競い合うように作っているので、これほど派手で、不自然な所がいくつもあるこの出来事も、皆サプライズイベントだと思ってしまうのだ。
勿論、尊も。
「ね、ねえ、君」
思い切ってローブの子供に声を掛けてみると、その子は顔を尊の方へと向けてくれた。
ただし、その顔は影に隠れて見ることができない。
(こんな明るい場所で見えないってことは、そういう仕様なんだろうけど、ちょっと意味がわからないな……これも含めてなにも告知されていないし、ある程度のことは聞いてもいいよね?)
尊はそう思って、正直に聞いてみることにした。
「僕はなにをしたらいい?」
その問いに、ローブの子供は尊の方へと頭を向けた。
「「では、ここからの脱出を支援してください」」
そう言ったのは、子供の口からではない。いや、そもそも喋ってはおらず、その子の頭上に言葉の代わりに光の文字が現れたのだ。
これまた変な仕様だと思いながら、じりじりと迫る黒服達を見る尊。
「こ、この人達をやっつけろってこと? むっ無理だよ。僕、暴力とかそんなのからっきしで……」
「「VR体保護システムは有効機能しています」」
その文字に、なるほどっと気付いた。だとすれば、この場を確実に切り抜ける手段が一つある。
だが、そのためには、恥ずかしいことをしなくてはいけない。
尊の本心としては、できればそんなことをしたくないのだが、そもそもそんな風に恥ずかしがるのをなんとかするためにこの場にいるのだ。
そう覚悟を決めた、尊はスーハ―スーハーと深呼吸してから、大きく息を吸い込み、叫ぶ。
「みなさん! この子から助けを求められました。どうか力を貸してください!」
その呼び掛けに、黒服達は顔を見合わせる。
勿論、彼らに対して尊は呼び掛けたわけじゃない。その背後、他の利用者達に対してだ。
僅かな間の後、不意に黒服の一人が床に倒れる。
その背にはタキシード姿の男性が二人。
「なっ! 放せ!」「なんだと!?」「みんなやっちまえ!」「GOGO!」「ヒャッホーイ!」
驚きの声を上げる黒服達に、次々と正装した男女が楽しそうに飛び掛かる。
仮面舞踏会の一つの会場に入れる人数は、約百人。対する黒服達は二十人程度なので、全員で飛び掛かれば、取り押さえることなど造作もないのだ。
なにより、QN内での人間は、『VR体』という仮初の身体で動いている。
VR法により、遺伝子情報とログイン直前のスキャンデータを基に作られるこの身体は、殴られれば痛みを感じ、切られれば傷付く。ただし、あくまでできるというだけで、普通のサイトはそうなる現象からVR体を保護するシステムが働いている。そのため、例え物騒な出来事でも、VR空間内であれば現実以上に積極的に関わり易い傾向にあるのだ。
そもそも、これはサプライズイベントなのだ。乗らないなどというもったいないことはしたくない。というのがVR空間にログインした者達の当然の感覚といえるだろう。
そんなわけで、黒服達は正装姿の男女達に揉みくちゃにされ、その間に尊とローブ姿の子供は会場から逃げ出すことができたのだった。
ローブ姿の子供の手を取り、懸命に豪華絢爛な通路を走る尊。
あまりにも必死に走っていたせいか、顔に付けていた仮面が外れてしまう。
実はこのサイトに最初に訪れた時、支給される仮面の選択時に小顔でありながら大人の男性用を選択していたのだ。要するに、元々ちょっとサイズが合っていなかった。
タイル床に音を発てて仮面が落ちたことに気付く尊だが、特に規約違反の警告とかが出てこなかったので、無視してそのまま走り続けた。のだが、ちょっと疑問に思う。
(これからどうすればいいんだろう?)
尊としては、会場を出て直ぐに、次のアクションがあるのじゃないかと思っていた。が、特にそれらしいことはなく、走り続けることができてしまっている。
とはいえ、異変が無いわけではない。
仮面舞踏会はサイト全体が城のような形になっており、無駄に広大だ。
そのため、通路の中央に敷かれている赤い絨毯には、動く歩道機能が付いているのだが、今は動いていない。
体力がそんなにない尊としては、ちょっと困る異変なのだが、これもイベントの一環なのだろうと思い、頑張っている。が、段々と息を切らし始め、脇腹も痛くなってきた。
そんな矢先、不意にローブ姿の子供が尊の手を引き立ち止まる。
驚いて子供を見ると、その頭上に文字が出ていた。
「「一先ずの安全を確認しましたので、状況説明をします」」
「え? あ、はい。お願い」
「「私は、『武装量子精霊』。通称『武霊』と呼ばれている最新式のナビです」」
「武霊? 武霊って、もしかして、VRMMO『武装精霊』の?」
自らを武霊と名乗るローブ姿の子供に、尊は驚くしかなかった。
(仮想現実大規模多人数オンラインゲーム武装精霊。様々なVRゲームが作られ、多くの人にプレイされている今の時代の中でも、発売前から世界中で話題になって、サービス開始から一ヵ月経った今でもなにかと話題になっているVRゲーム……えっと、たしか、特に話題となったのは、QCを創り、QNを構築し、世界を三度救った現代量子技術が父・『天野 歌人』によって創られたゲームであることと、それに使われているのが『ティターニア』と名付けられている天野式QCを丸ごと一基使っているということの二つ。普通、天野式QCは国ごとに一基しかない。大国であるアメリカや中国などは複数持っていたりするけど、最初に天野式QCが作られた日本でさえ二基しかなかったはず。つまり、それだけ高価であり、作るのに色々な制約があるってことなんだと思う。だとすれば、とても個人・企業で、しかも、ゲームのためだけにQCを一基造るなどとできるはずもないし、他の大手ゲーム会社でも、本社がある国のQC領域を借りて創られているって話だったかな? ある意味、天野式QCの創造主であるからこその荒技と言えるけど……ん~まあ、その天野さんだって、最初からゲームためだけにQCティターニアを作ったってわけじゃないみたいだし……とにかく)
あれこれと思い出し考えた尊は、武霊だというナビの子供の説明に、一つの結論を付けた。
「つまり、その武装精霊のPRイベントなんだね?」
が、聞かれた武霊は無反応。
(イベント中だから、メタ的な発言には答えられないように制限を掛けているのかな?)
尊はそう判断し、だからこそ、少し間を置いて始まった次の説明に言動を合わせてしまう。
「「現在、QCティターニアは謎の集団によりクラッキングを受けています。QCの中核たる人格量子精霊は未だ防壁によって守られていますが、ほとんどの機能は乗っ取られ、QNからも通信機能などが限定的に断絶された状態にあります。目的は不明ですが、犯人達は武装精霊のために新たに追加された武装量子精霊生成システムを使用し、私を生成しました。ですが、QCティターニアは最後の抵抗として、誕生した私を逃がし、救援を呼ぶ使命を与えたのです」」
「ということは、君はここまで逃げて来て、犯人達に追い付かれたってこと?」
頷く武霊に首を傾げる尊。
「武霊もナビなんだよね? QNを通して逃げることも、助けを呼ぶこともできるんじゃないの?」
「「現在の私は、QCティターニアを仮の主とし、VR空間に存在しています。そのため、私の位置は彼女を通して簡単に特定され、また、通信も妨害されてしまうのです」」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「「他のQCによる管理を受けた情報体の協力があれば、救援を呼ぶことは可能です」」
「他のナビさんの所に行けばいいってこと?」
「「いいえ、VR体でもそれは可能です」」
「つまり、僕の協力があれば、なんとかなるってこと?」
「「はい。ただし、現在、このサイトは部分的に乗っ取られたQCティターニアによって管理領域をQCアマテラスから変更されています。あなたの協力があっても、このサイトから脱出しなければ、救援は呼べません」」
(あ~だから動く歩道が止まっているのか……うわー設定も凝ってて凄いイベントだな~)
と思った尊だが、それを口に出すことは止めた。
(考えてみると、サプライズイベントであるのなら、他の会場ではこっちの動きが映し出されているよね? ん~下手なことをしたら、折角のイベントを台無しにしてしまいかねないし、そんなことになったら、一生懸命にイベントを作った人達に申し訳ないや)
などとお人好しなことを思った尊は、武霊が語った設定に付き合うことにした。
「じゃあ、急いで脱出しなくちゃ」
繋いでいた手をしっかり繋ぎ直し、走り出そうとする尊だったが、何故か武霊は動かない。
どうやら話はまだ終わってなかったようだ。
先走った自分に思わず赤面しながら、改めて武霊の頭上を見ると、
「「現在の状態では、救援は呼べません。間接的に他のQCと繋がるために、契約をしていただけないでしょうか?」」
「え?」
驚くべきお願いをされていた。
ナビと契約するということは、その個体を雇うということを意味する。
つまり、今目の前にいる武霊が尊の個人ナビになるということだ。
だが、中学生である彼に個人ナビを雇用する財力などあるはずもない。
(武装精霊用に創られた新たなナビは、従来の個人ナビより賃金がかなり抑えられているって話だから、無理をすれば雇えなくもないだろうけど……)
戸惑った視線を武霊に向けるが、ローブに隠れて表情を窺い知ることはできない。
だが、代わりのように頭上に文字が現れる。
「「緊急事態であるため、公式的な契約ではありません。それ故に、通常の個人ナビ並びに武霊雇用とは違った形になることをご理解ください」」
(あ、つまり、イベント限定の仮契約か)
武霊の説明に、尊は納得し、同時に理解した。
(たしか、VRMMO武装精霊は、プレイするためにはゲームアカウントとセットで武装量子精霊を雇用する必要があるって話だったかな? だから通常のVRゲームより断然高くって……武霊がゲームシステムの中に組み込まれているから、それは仕方ないかもしれないけど、今の世の中、VRゲームの中にだって基本プレイ無料追加アイテム課金とかゲーム自体は完全無料だけどそれ以外のサービスが有料とか、色々なタダで遊べるゲームがあるから、僕みたいに無理をしてまで武装精霊をプレイして見ようって人は少ないんだよね。勿論、QNによって世界が一つに繋がっている以上は、そんなのでもプレイ人口は数十万人とサービス開始一ヵ月という期間のみで考えれば異例の多さらしいけど……ん~他のVRゲームの平均プレイヤー数が数百・数千万人単位であることを考えると、やっぱり少なく感じるかな? それに、ナビである武霊を手に入れるだけ手に入れてゲームはプレイしないって人が続出しているらしいから、プレイ人口は減る一方って話を聞いたこともあるし……天野歌人さんが作ったVRMMOだから、注目度と期待度は高かったんだろうけど、だからといって、それが面白さに繋がるかは別問題ってことかな? だから、このままでは開発費の回収すらできなくなる可能性がでてきて、なにかしらの対策、つまり、目玉の一つである武霊のデモンストレーションが企画されている噂はあった。というか、実際に今、それが目の前で、しかも僕に対して行われている)
そこまで考えて尊はふと思う。
(これって凄いチャンスだよね? だって、ただで新型のナビさんを体験できるわけだし……ううん。それだけじゃない、もしかしたら、みんなが注目しているこれをやり切ることで自分を変えられるかもしれない)
そんな現金で淡い希望が含んだ結論に後押しされ、じっと返事を待っていた武霊に対して尊は頷く。
「うん。わかったよ。僕は君と契約する」
「「ご協力に感謝いたします」」
了承に頭を下げる武霊の頭上に、直ぐに新たな文字が表示される。
「「それではこれより武霊生成システムを委託されたQCティターニア部分権限にて起動します」」
その瞬間、ローブの中から白い光が吹き出し、尊の周りを包み込んだ。