Scene10『脱出』
VRMMO武装精霊は、天野歌人が以前に行っていたプロジェクト『異世界疑似創造計画』によって作り出された仮想異世界ティターニアワールドを舞台にしている。
現在はそのプロジェクトは凍結され、使われた予算の回収と別のプロジェクト(・・・・・・・・)のために、VRMMO化し、ほんの一ヵ月前から本格サービスが開始されていた。
サービス発売前まで、舞台となる世界のことはただシミュレートされた異世界であることと、専用のナビ・武装量子精霊をプレイ権限と一緒に購入しなくてはいけない。という以外は明らかにされておらず、始まって一ヵ月経った後でも、運営側からの情報公開は一切なかった。
つまり、情報上に構築された異世界を自分達の力だけで探索・開拓・解明せよ。というのがVRMMO武装精霊の主なゲーム目的。なのだろうと、現在のプレイ中の者達は解釈している。
その証拠に、遭遇する魔物や、発見する動植物やらには名前が付いておらず、最初に遭遇・発見したプレイヤーに命名権が与えられるのだ。
なので、リビングストーンという名前も、プレイヤーが付けた名前であり、後に同じような性質、特定の物質を自らの周りに纏わせ集める習性がある同種の魔物が発見されたため、それらのことを総じて『リビング系』と呼ぶようになった。
リビング系の生態系は単純だ。
自らの本体である直径十センチメートルのコアを守るために、周囲の環境の中で守ることに適した、もしくは、自らが集めやすい物質を集め、どんどん球体状に大きくなり、一定以上の大きさになると分裂し、増える。
一種の単細胞生物のような魔法生物が、リビング系であり、ファンタジーRPGなどでよく見られるスライムのような存在だと多くのプレイヤーは思う。
だが、そうやって普通のゲームのように雑魚敵だと思って油断していると、大抵のプレイヤーは狭間の森で痛い目を見る。
何故なら、ここは異世界としてシミュレートされてはいても、魔法という法則をプラスしただけの物理法則がベースとなっている場所。
構成しているのが情報のみであろうと、もう一つの現実といっても過言ではない以上、魔物一つとっても、プログラムされた動きをする訳ではなく、個体個体にそれぞれ独自の思考と感情があり、現実の動物と同じようになにをするかわからず危険なのだ。
走る尊に、前から、後ろから、左横から、次々とリビングストーンが迫っていることをVRA地図が知らせる。
「どうして!?」
しかも、事態はそれだけでは収まらなかった。
視界に映し出している簡易地図の情報が正しいとするのなら、迫る三体以外にも続々と尊の下へと集まっているのだ。
画面外から続々と赤い光点が現れる状況は、尊の顔を青ざめさせるには十分過ぎる。
「推測します。一体倒したことにより、それが呼び水になった可能性があります」
そう言ってカナタが表示したのは、リビング系の生態調査報告書だった。
大量の文字の中に、カナタが付けたのか赤いマーカーが引かれており、それには、『一体倒すとそれが保有していた物質を求めて周囲の同個体が集まる』と書かれていた。
短時間で情報を集めて倒すことだけに集中したために、その後のことを蔑ろにしていたようだった。
迂闊だったとしかいえないが、今それを後悔しても仕方がない。
(ただでさえ時間がないのにっ!)
歯を音がなるほど強く噛む尊。
リビングストーンを倒せることが確認できたとはいえ、それは一対一で、しかも、立ち止まって迎え撃った場合だ。
こちらから向かう、移動しながら振るう。そんなことをできるかどうか、もしかしたらできるかもしれないが、それを試すほどの時間的余裕もなく、当然、同時に複数の個体を相手にできるはずもない。
だが、脇腹を痛めながら走り続けたおかげで、残り十分を切る前に、なんとか後もう少しというところまできていた。
その証拠のように、進む先にある右側の木々の隙間から、薄暗い森の中を切り開くように白い光が漏れている。
「説明します。転送ゲートの光です」
カナタの説明で顔を輝かせる尊だったが、その視界に新たに現れたリビングストーンの姿が入る。
悪いことは更に重なる。
尊の視界に、新たなVRA画面が展開された。
嫌な予感に襲われ、尊の顔が一気に曇る。
画面に表示されたのは、案の定、ギルバートだった。
「予定よりはよおござんすが、皆様方の奮闘にお応えして、今から狭間の森を閉じやす」
その言葉を聞きながら尊は走り続ける。
前方のリビングストーンも迫ってくるため、一気に間合いが縮まるが、それでも速度を落とさない。
尊の視界に映る精霊力ゲージは、赤ゲージのまま一切回復しておらず、後一撃体当たりを喰らうだけで強制転送されてしまう。
そうなれば、最早、狭間の森を抜け出すことは叶わない。
(間に合って!)
必死な表情で前へ前へと駆け、木の幹に手を掛けて強引に曲がると同時に、岩の塊が直前までいた場所を通り抜けた。
木の根を砕く音と、土を潰す音が急激に小さくなるのを尊の耳は捉える。
カナタが表示するVRA地図にも、中心から離れている赤い点が止まり、こっちに向かって進み出すのを確認。
(でも、出口は目の前だ)
そう思って、前を見た尊の目に入ったのは、白く輝き宙に浮く球体。
一瞬、丸いことにリビングストーンを連想し、ドキリとした尊だったが、その大きさが倍以上ある。
尊とほぼ同じ大きさのそれに、VRAの矢印が現れ、『転送ゲート』と表示された。
確証を得たことで、更に近付こうとするが、正面、左前、右前の木々と木々の間から次々とリビングストーンが飛び出し、迫ってくる。
ギルバートの宣告通り、転送ゲートの輝きが徐々に失われ始めている。このままでは間もなく狭間の森は隔離されてしまう。だが、接近するリビングストーン達との距離は微妙だった。
(間に合う? ううん、間に合わせる!)
もはや身体は限界であり、足を一歩前に進めるだけで脇腹に激痛を感じ、その速度は気持ちに反して非常に遅くなってしまう。
(どうして! 動け! 動け僕の身体!)
現実の貧弱な身体を忠実に再現している尊のVR体では、むしろ今までよくリビングストーン達に捕捉されずにここまで来られたといえる。
気持ちだけで状況を好転させられるほど、このVR空間は架空的ではないのだ。
(駄目だ……間に合わない!)
あと数歩。あと数歩というところまで転送ゲートに近付けた。
だが、その時にはリビングストーン達は、尊の歩数で一歩二歩のところまで接近・密集しており、距離的に避けることもできない。
気持ちが折れ、あと数歩の口惜しさに顔を歪ませ、下唇を噛み締める尊。
「「それでは脱出できなかった皆さま。残念でございやした」」
ギルバートの嘲り笑う声が聞こえた気がした。
その瞬間、
「アイヴィーチェーン!」
太い男性の声が聞こえ、転送ゲートの球体から緑色の植物でできた鎖が飛び出し、尊の腰に巻き付いた。
「えっ?」
驚きの声を上げると同時に、一気に引き上げられ、視界が白に染まった。
固いなにかに着地する感覚と共に、尊の視界は元に戻ったが、目の前に広がったのは、森ではなく廃墟だった。
「えっと……ここって?」
思わず戸惑いの言葉が口から出る。
そこは円形広場のような場所だった。
中央には噴水などの代わりのように、狭間の森にもあった転送ゲートの球体が輝きを失って存在しており、周囲は白い外壁のビル群が取り囲んでおり、その全てが二十階建て以上の建築物だった。
しかし、目に映るどれもがひび割れ、一部の壁が崩れ落ちており、窓らしき場所にはなにもない。オマケに植物の蔦やらが壁を這い回っていたりするので、使われなくなってからかなりの年月が経っているのを窺わせた。
足元も同様にぼろぼろになっており、三角や四角・丸と形を整えられひかれた白と黒の石畳がなにかしらの模様を描いているようだったが、砕けひびが入っているどころか多くある上に、それによってできた隙間から背の低い草木が顔を覗かせているため全容が掴めない。
総じて、まさにどこぞの漫画やらアニメで見たことがあるような廃墟都市といった感じだった。
そんな光景の中に、一つ、違和感を覚える物がある。
尊の真正面。そこに真新しい鎧甲冑があった。
中世ヨーロッパで使われていたような白銀の西洋甲冑。
尊が見上げるほどであり、思考を読んだカナタによって表示されるVRA情報によると、丁度二メートルほどあるそれは、前に持っていけばすっぽりとその姿が隠れるほど大きな大盾を持っていた。
凝ったライオンの意匠が入ったそれに、思わずそれを注視していると、視界の中に追加情報が表示される。
(え!? 武霊?)
矢印と共に現れた文字は、尊は軽く驚いた。
(武装化なのに、防具? ううん。そんなことより、つまり、この西洋甲冑の中には人がいるってこと?)
微動だにしない全身甲冑に尊は困って視線を彷徨わせると、その人物の大盾を持ってない方の右手に、緑の植物でできた鎖が握れていることに気付き、それが自分の腰に繋がっているのを確認する。
(じゃあ、この人が助けてくれたのかな?)
そう思った尊だったが、全身甲冑を改めて見上げて、困ってしまう。
生来の恥ずかしがり屋な性格が発動したというのもあるが、向こうが何故か一言も喋らないからだ。
せめて話し掛けてくれれば、厄介な性格が表に出る前に対応できたのだが、こうも沈黙が続いてしまうと、最早駄目だった。
(ど、どうしよう……うぅ~)
かーっと顔を赤くし、俯いてしまう尊。
「警告します。体温の急激上昇を感知しました」
「あ、いや、なんでもないよカナタ。い、いつものことだから」
「了解しました」
まだ尊のことをわかっていないカナタの心配に、慌ててなんともないことを伝えると、それが合図のように植物の鎖が霧のようになって消えた。
「危なかったな」
と言ったのは、尊の目の前の全身甲冑。
助け出される前に聞いた太い男性の声に、尊は少しホッとする。
やっぱりこの人が助けてくれたのだということと、相手が同性で、しかも見るからに年上であることに多少なりとも安心感を与えていた。要するに尊が一番苦手としているのは、同じ年というわけだ。
「は、はい。助けて頂いて、ありがとうございました」
尊が頭を深々と下げると、全身甲冑は僅かに体を震わした。
「それが私の役割だ。礼を言う必要はない」
役割。つまり、万が一にも狭間の森に閉じ込められる者がいる可能性を考えたプレイヤーがいるということなのだろう。
その人物が目の前にいる人なのかまでは今の尊にはわかりかねるが、少なくとも明確な味方であることは間違いないようだった。
増々安堵感を覚える尊だったが、僅かに彼の顔が上下に動いていることに気付き、赤面を強めてしまう。
考えてみると、今の尊の格好は仮面舞踏会指定のタキシードのままだ。場違いにも程がある。
「見た所、今日始めたばかりのようだが……とんでもない日に始めてしまったものだね」
とりあえず格好に関しては突っ込まれなかった。考えてみれば、そんなことより重大な事件が現在進行形で起きているのだ。細かいことを気にしている余裕はない。
改めて自体の深刻さを自覚した尊の心臓が再び高まり出す。
ギルバートやフェンリルのことなど重要なことを伝えなくてはいけないのだ。
しかし、恥ずかしがり屋を発動してしまっている尊にとって、それがいかに勇気がいることか、あるいはリビングストーンと対峙した時以上の恐怖を感じながら、それでも、
「あ、あの!」
意を決して、全身甲冑に声を掛けようとした。
その瞬間、転送球の輝きが唐突に戻り、更にVRA画面が尊の前に展開された。
当然、そんなものに映っているのは、
「やあやあ皆様方。いかがお過ごしでございやしょう?」
ギルバートだった。




