第二十七話 無くしたもの、残されたもの(後編)
俺たちを見渡してから、エイラさんはゆっくりと話し始めた。
「あの頃私はまだ見習いでね」
「そうだな、君達よりも少し下の年頃だったかな」
遠くに視線を向けたその顔は、思い出を呼び起こしている様だった。
「あの頃の虹光旅団は、国内随一のギルドと呼ばれていて、人数もゆうに百を超える大所帯だった」
「請け負う仕事も、国家クラスの機密に関わるような重大な物ばかりだった、らしい」
当事者なのにらしいって? そう思った俺に気付いたのか。
「私はまだそんな仕事に関われていなかったから、伝聞でしかないのだけれどね」
自嘲する様に苦笑しながらそう補足してくれた。
「さて、前置きはこれくらいにして、本題に入ろうか」
「あの日のことですね」
サクラの顔が一層強張り、これから語られることの重大さを感じさせる。
「その前に、君達は闇の災厄についてどれくらいの知識を持っているのかな」
「俺は……正直全く」
「私も、物凄く強い魔物だったと言う事しか……」
サクラと顔を見合わせてからそれぞれ項垂れる。
こうも無知だとは、二人揃って情けない限りである。
「ふむ、ではそこから話そうか」
そんな俺たちに、呆れる様も見せずに淡々とエイラさんは話し続ける。
「闇の災厄、それはあくまで通称で、本来はもっと長ったらしい名前が付いていたらしい」
「あれがこの町にやってきたのは、最初は美術品としてだったんだ」
「美術品……」
美術品が何でそんなことに? と聞きたい気持ちもあったが、ここは黙って続きを待つことにした。
「元々はどこかの遺跡で発掘された物で、それが美術的価値を認められて、どこかのお金持ちに買い取られたそうだ」
「だがこの美術品、行く先々で次々と不幸が起こってね、呪いの宝石なんて呼ばれるようになったんだ」
「宝石ですか?」
今度はサクラが問いかけた。
「ああ、見るものを吸い込むような妖しい魅力を放つ黒い宝石、だったらしい」
そこまで話してから、エイラさんの表情が険しい物になり始める。
「その時点で誰かが気付いていれば良かったんだ、それが禍々しい災厄を封じている事に」
その声には、苛立ちとも後悔ともとれる苦々しい感情が篭っていた。
「その宝石は、まるで所有者の魂を吸うかの如く、持ち主を変える度にその輝きを増していった」
「そしてその輝きが最高潮に達した頃だった、この町にそれがやってきたのは」
「この街一番の美術館に保存されていたそれは、暫くは訪れた人々の目を楽しませるだけの存在だった」
次第に語る声に熱が入り、口調も早口になり始めた、その変化に自分でも気付いたのか。
エイラさんは一旦言葉を切り、少し目を閉じて気持ちを落ち着かせてから、また淡々と話し始めた。
「だが、前触れも無くその日はやって来た」
「長い時を経て開放された災厄は、瞬く間にこの街を覆い尽くした」
「町は惨憺たる状況だったよ、見たことも無い魔物が至る所を跋扈し、彼方此方から燃え盛る炎の手が上がり……」
惨事を語る口調はまだ冷静だったが、それが逆にエイラさんが体験した悲劇の大きさを物語っている、そんな気がした。
「混乱の中、オーランド団長各位はどうにか団員達を集め、住民の救出と魔物の撃破に動き出した」
「虹光旅団の精鋭たちを持ってしても苦戦する程敵は強大だった」
「一人、また一人と仲間が倒れる中、それでも団長達は諦めずに敵の中枢へ向かい、遂にあの災厄の下へと辿り着いた」
そして話は佳境へと向かう、虹光旅団団長の、サクラの父の死の瞬間へ。
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街の中心部、それが最初に目覚めた美術館は既に無く、ただまるでそこだけが夜になったかの如く、深い闇だけが辺り一面を包んでいた。
その闇の空間の直ぐ側で私達ギルドは最後の突入に向け、暫しの休息を取っていた。
「オーランド団長、あれが!」
「ああ、この事態を引き起こした原因……だろうな」
虚勢を張るが、震えを隠し切れない私に対し、団長の態度はいつもと変わらぬ落ち着き払ったものだった。
「奴とは俺達が決着を付ける、お前は下がれ」
「そんな、私も戦います!」
「その体でか? 見れば分かる、もう立っているのもやっとの筈だ」
全身至る所から血を流し、各部の骨も折れるかヒビが入った状態の私を見て、団長は告げる。
後から考えれば、自分でもどうやって戦う気力を保っていられるのか不思議な状態だった。
あの時はただ街を、ギルドを守りたい一心で、そんな事はまるで考えていなかったが。
「でも……!」
「お前には、別の任務を与える」
まだ引き下がる私に、団長は不意に優しい顔になって、私の頭を撫でながら穏やかに言った。
「生き残って、これからの虹光旅団を、サクラを守ってやってくれ」
「まさか、団長」
「そんな顔をするな、最初から死ぬ気で戦う奴なんか居ないさ」
そう告げ、団長達は深い闇の中へと消え――
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「それから少し経って、団長達の向かった方向から大きな衝撃音が聞こえたかと思った瞬間、激しい爆炎が辺りを包んだ」
「もう満身創痍だった私は、逃げ切れずその衝撃をまともに食らってね……」
エイラさんは、そう言って自身の義手と義眼を撫でた。
「そして病院のベッドで私が聞いたのは、団長達が全員死んだ事、それと引き換えに闇の災厄は倒された事だった」
「唯一つ残されたのは、団長の形見の大剣だけ……」
その言葉に、サクラが壁に立てかけた大剣をじっと見つめる。
「私が知っているのはここまでさ」
そこまで話して、エイラさんはコップの水を一口飲み、考え込むように目を閉じた。
長かった話が終わり、俺達は深い沈黙に包まれた。
その沈黙を破ったのは、サクラの透き通った声だった。
「エイラさん、ありがとうございました」
「別に礼を言われるほどの事では無いよ」
照れた様に首を振るエイラさんに、サクラは続ける。
「いえ、話をしてくれた事だけではなくて、あの……お父さんの約束を守ってくれて、私と旅団を……」
「それこそ礼を言われることじゃ無いな、私は別に、義務感でやった訳では無いからね」
「それは……?」
その問に、エイラさんは少し笑って付け加えた。
「団長に頼まれるまでも無く、私はこうしていたって事さ」
「私はあの頃からずっと虹光旅団が好きだ、そしてオーランド団長や、サクラ、君もね」
「エイラさん……」
サクラとエイラさんが見つめ合い、二人の間に穏やかな空気が流れ始めた、その時。
「サクラ! 大変よ!」
「シェリーちゃん、どうかしたんですか?」
玄関の扉が勢い良く開け放たれ、慌てた様子のシェリーが飛び込んで来たのだ。
「何呑気な事言ってるのよ! 兎に角一緒に来て、今すぐ!」
「ち、ちょっと待って!?」
「ほら、ヒカルも行くわよ!」
戸惑うサクラの右手を引き、そのまま全速力で駆け出すシェリー。
何が何だか分からないが、俺も付いて行ったほうが良さそうだ。
「エイラさん、ありがとうございました」
「礼はいいさ、それより早く行った方が良いんじゃないか」
「はい!」
そう礼を告げ、手早く準備を済ませると、俺もシェリーの後を追って走りだした。
ヒカルが去ったリビング、テーブルに深く腰掛けたエイラは、天井を見上げながら誰ともなく呟やく。
「もし今起こっている事件が、私の予想通りなら……」
「あの時の後悔に、決着を付ける時が来るのかもしれないな」
エイラが首を下した視線の先には、暫く放置され、もはや家具の一部となっている古めかしい大斧が立て掛けられていた。




