第二十一話 見えない脅威、深淵より
俺が廃倉庫でローブの少女と戦ってから一夜明けた朝。
いつものように開店した定食屋ノーブル、だがそこはいつもと違った様相を呈していた。
「いらっしゃいませご主人様!」「いらっしゃいませなのじゃ!」
メイド服姿のサクラとアイリスがお客を出迎え、注文を取って行く。
まだ働ける状態ではないシェリーの代わりに、俺達が店の手伝いを買って出たのだった。
皆慣れない業務を懸命にこなしており、今の所大きな問題も無く営業を続けらていた。
俺も厨房でおやじさんの手伝いに汗を流していたが、働いてる皆を見て一つ疑問に思う事があった。
「何でみんなメイド服なんだ……?」
何故かサクラ達はいつかナタリア邸で見たメイド服に身を包んでいた、あの時は一着しかないと思っていたけど、実は結構数があるんだろうか。
「似合っておるじゃろう?」
不思議そうな顔をしていた俺にアイリスが問いかけて来た。
「いや、似合ってるけど」
「そうじゃろうそうじゃろう!」
俺の答えに満面の笑みで胸を張って去っていくアイリス。
もしかして、あの時メイド服を大層気に入ったりでもしたのか?
そんな時、突如足元が激しく揺れ、サクラが手に持っていた空き皿を取りこぼしてしまった。
「わっ!?」「危なっ!?」
咄嗟にスライディングの要領で滑り込み右手を伸ばす、地面まであと数センチというところでどうにか受け止めることができた。
「ギリギリセーフ……かな」
ハーミルと一緒に皿洗いをしながら、話題は自然に先ほどの地震の事になった。
「本当に地震増えましたね」
「こんなに続くのは珍しいの?」
「元々、ここは殆ど地震なんて無かった筈なんですけど……」
そう言って、ハーミルは首を傾げていた。
それから暫くして、買い出しに出かけ大通りを歩いていた俺の耳に、激しく口論している男女の声が入ってきた。
聞き覚えのある女の声にそちらに行ってみると、そこではナタリアがイーレン行政局の職員と、何事か言い争っていた。
「……だから言ってるだろう! 早く皆を避難させないと!」
「いやお嬢ちゃん、いきなりそんな事言われてもね」
「ええいお前じゃ話にならん、上司を出せ!」
「あのねぇ、いくら子供だからって、言って良いことと悪い事が……」
ナタリアは職員の聞き耳を持たない様子に次第に腹を立てているかに見え。
「子供だとぉ!」
その職員の何気ない言葉に、完全に激昂してしまった様だ。
「そこまで!」
「なっ、ヒカル!?」
「どーもすいませんでしたー!」
「待てヒカル! 離せ、はーなーせー!」
ナタリアが杖に手を伸ばした時点で止めに入り、両脇を抱えてそのまま退散した。
職員は突然現れた俺に、呆気に取られた表情をしていた。
暫く走ったところでナタリアを降ろし、怒りを落ち着かせる。
「どうしたのさ、ナタリアらしくも無い」
「一刻を争う自体なのだというのに、どうしてあいつらは……」
次第に怒りも治まってきたようで、その声はいつもの冷静さを取り戻していた。
「そんなに不味い事が起こってるのか?」
ナタリアの言葉から何か只事ではない気配を感じ取り、俺は取り敢えず事情を聞いてみることにした。
「ああ、このままだと……イーレンは滅亡する!」
「な、何だって!?」
そして、俺の耳を疑うような言葉が告げられたのだった。
ナタリア邸の一角、ナタリアの研究室。
そこは乱雑に置かれた書類の束や、何かの実験に使うであろう試験管などで床まで埋め尽くされており、足の踏み場もない状況だった。
勝手知ったるなんとやら、ナタリアは迷いなくその混沌の中を進み、俺の前にびっしり文字で埋め尽くされた両手を広げたほどの大きな紙を持ってきた。
俺の目には一見何が書いてあるか分かりにくかったが、それはこのイーレンの地図のように見えた。
「最近起こっている地震、あれが気になってな」
その地図を広げてテーブルに置き、ナタリアは説明を始めた。
「この街の図書館で調べたのだが、イーレンでは記録上大きな地震に見舞われた事実が無い」
その口調はどこか焦っているようで、俺にはいつもより早口になっている風に感じられた。
「それだけではない、あの地震が起き始めた時期と、ある事件が起こり始めた時期が一致するんだ」
最近起こり始めた事件って言えば……
「もしかして、魔人?」
「……流石ヒカルだな、その通りだ」
俺の推測に、大きく頷くナタリア。
「そして、地震の発生地点を私なりに調べたのだが」
「そんな事が出来るのか……」
「探知魔法のちょっとした応用だ、難しい事ではないさ」
感心した俺の言葉にまるでなんでもない事のように答えたナタリア。
だが実際は少し照れ臭かったようで、頬が少しだけ赤く染まっていた。
「コホン、その地図が……これだ」
「これって……!?」
一回大げさに咳払いをしてから、ナタリアが何事か呪文を呟くと、地図上に赤い光点がいくつも浮かび上がったのだった。
少し後、ヒカルによってナタリア邸に集められた旅団の面々も、その地図を囲むように眺めていた。
「まるで円を描いてるみたいですね……」
地震の発生地点は、何者かの意図が入ったかのごとく機械的に増加していき、その発生間隔や互いの距離も不気味な程統一感のあるものだった。
「みたいでは無い、このイーレンを丸ごと囲むように地震が起こっているんだ」
「しかも、だんだん間隔が狭まってきてます」
水面に波紋が落ちる様子を逆再生したかの如く、地震の発生地点は同心円状に次第に町の中心部に迫っていた。
「……私、物凄く馬鹿馬鹿しい想像が浮かんじゃったんですけど」
黙って話を聞いていたハーミルが、遠慮がちに話し始めた。
「ハーミル?」
「超大きな落とし穴にこの街を丸ごと沈める……みたいな」
小さな穴を連続して掘り、それを一斉に繋げることで一気に地盤を崩し、この街はそのまま地面の底へ……
そんな想像が一瞬で浮かんだ、まるであっちの世界の派手なパニック映画だが、実際に沈む方からすれば溜まったものではないな。
「ほう、この時点でそれに気付くとは、中々優秀じゃないか」
「正解なんですか!?」
ナタリアの言葉に驚くハーミル。
「ああ、恐らく最近頻発している地震は、街の地下で穴を開けているのが原因だろう」
「そんな、まさか……」
サクラの反応も最もだろう、こんな荒唐無稽な話、すぐに信じろという方が無茶だ。
「そう思ってしまっては、敵の思惑通りさ」
そう言って、腕組みするナタリア。
「でも、それだけ大規模な作業をしていたら、流石に誰か気付くんじゃ……」
「私の探知魔法でも地下の空洞までは感知できなかった、恐らく敵は相当な深度を掘り進んでいるのだろう」
ナタリアの話では恐らく百メートル以上は深い場所で作業を行っている、とのことだった。
「みんな只の地震だと思ってますからね」
「一刻も早く止めないと……!」
このまま手をこまねいていたら、一週間もしない内に確実に街は地の底だ。
「でもこの広さですよ、他のギルドにも協力してもらったほうが良いんじゃ……」
自身の及んでいる場所はイーレン全体に及んでいる、その全てを調べるのに、俺達では明らかに人数が足りていなかった。
「そう思って色々な所に話を持ちかけたのだが、何処も聞く耳を持たなかったさ」
最後の望みを掛けて行政局に掛け合ったのだが、結局信じてもらえなかったのが昼間の光景だったらしい。
今までに無い程の困難な状況に、俺達全員の間に重苦しい沈黙が流れる。
そのまま暫しの時間が流れ、ただ正確に時を刻む柱時計の規則的な音だけが、その場を支配していた。
その時。
「止めましょう、私達だけでも」
不意に放たれたサクラの力強い言葉に、俺達全員の視線が集まる。
「私はこの街が好きです、この街に住んでいるみんなも好きです、だから……」
絞りだすように言葉を紡ぐサクラ、その飾り気のない言葉から、ただ街を守りたいというサクラのまっすぐな思いが伝わって来る。
「俺も同じだよ、サクラ」
その言葉に俺はゆっくりと頷き、サクラの顔を見つめ返す。
「わ、私も頑張りますよ!」
ハーミルも体の前で両拳をぐっと握り、全身で決意を表明した。
「フッ、腕の見せ所だな」
ナタリアは白衣の袖を捲り、気合を入れ治す。
「何がなんだか分からんが……どうやら、わらわの本気を見せる時が来たようじゃの!」
この状況を理解しているのかいないのかは分からなかったが、アイリスも自分の力を出し切る事を決めた様だった。
そして……
僅かな光も差さない暗闇の中、キュウキは一人佇んでいた。
その目には暗い輝きが一層集まり、どことなく顔には喜色が浮かんでいた。
「後僅か……」
キュウキの背後から、闇の中を胎動する何かの振動が響く。
その音は、まるで激しい豪雨の様に、幾つもの物体が激しく動きまわっている物だった。
「全てが終わり、そして始まる」
誰に聞かせるでも無い呟きとともに、キュウキは背後から現れたおびただしい数の黒い影の中に消えていったのだった。




