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国家を超える個人  作者: 福鳥シン
第1章:魔素噴火編
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第7話:存在と法(前)

精神と肉体は不可分であるか?

その問いは、古代の昔より数多の知性を悩ませてきた。


二元論者たちの主張によれば、精神と肉体が分けられないなら、地上に肉体を残しては死後の世界に行けないことになる。


一方、近代以降に優勢となった心身一元論の支持者たちは、そもそも脳が無ければ記憶を辿る事も、考える事もできないだろうと、生理医学的事実を援用することで自身の論拠とした。


この未決着の哲学的命題に対して、そのどちらの言い分にも頷ける部分があると考えていたシュウジ。その判断の天秤は、しかし自分の顔を見た瞬間に振り切れた。


ピッ、ピッ、ピッ――


覚醒は、断続的なバイタルメーターの音と瞼の裏を透す白い光から始まった。

微睡みから目覚め始めた意識は、まず口内と喉の強烈な乾燥、それから身体から伸びるチューブとコードを知覚した。


――水


そう思ってあたりを見渡すと、ベッド横の小型冷蔵庫が目に入った。

身体を半分起こしてから開けると、中には飲料水の入ったボトルが1本。


口をつけて一気に飲み干し、喉の内側にこびりついた灼け付きを洗い流した。

そうしてようやく人心地つくことが出来たシュウジは、改めて自分の置かれている状況を確認した。


ふかふかのベッドと真っ白なシーツ、それに鼻腔をつくオゾン臭。

室内は10畳くらいの広さで、病院の個室としてはやや広い。窓際に垂れた遮光レース越しには秋の陽射しが薄く差し込んでいた。


――きっとここまで自衛隊が保護して運んでくれたんだろう。マシロのヤツ、約束は守ってくれたんだな


自分の置かれている状況を大方理解したシュウジは、再び身体を横たえた。

枕元を見ればナースコールのボタン。しかし、人が来ればすぐに尋問が始まるかもしれない。

その前に考えを纏めておきたかった。


――まず、何から考える?


マシロ――あの超常の存在――は「魔素に適応できる身体にしてやる」と言っていた。


それが本当であれば、シュウジの身体には常人離れした魔素耐性が備わっていることになる。その事が露見すれば、研究素材として身体中を調べ尽くされかねない。


――そもそも、なぜぼくは生きている?


魔素の問題を無視したとしても、何日も飲まず食わずで生存していること自体が異常だ。


――食べ物はまだしも飲み物は?まさかあのお茶もどきのお陰?……それに、今日は何月何日だ?


続けざまに疑問が浮かぶ。

ベッド横の棚にテレビが置かれている。

その事に気付いたシュウジは、ふと液晶モニターに目を遣った。


見知らぬ顔。

彼、もしくは彼女と目が合った。

シュウジが顔をしかめる。画面の中のそれも、同じように歪む。


――誰だ、これ?


映っていたのは、シュウジの知る自分とは似ても似つかない綺麗な顔だった。

面影は、確かにある。

だがそれは、言われてようやく気付く程度のもの。

腫れぼったかった目はすっきりした末広型の二重、立体感がイマイチだった鼻と顎のラインは随分とシャープなものになり、顔の骨格からして変わっている。


シュウジが頬をつねると、モニターの中の美少年も、やはり頬をつねった。


「人は自分の都合で真実を隠蔽する」


脳裏に、あの和装の美少女の言葉が蘇る。


「人間を惹きつけるには見た目のインパクトとワクワク感」


――最初にそう言ったのはぼくだけど……でもコレ、本当に自分って言えるのか?


マシロに会う前と会った後の自分。

その両者が共有しているものは、過去10余年の記憶だけである。となれば、オリジナルは既に亡くなっていて、今シュウジを自認している存在は、記憶を移植された別の肉体という可能性だってある。

SFのような話だが、理外の存在であるマシロであれば不可能とは言い切れない。


自己の同一性に急に自信が持てなくなったシュウジの心中に、今度は別の心配事が頭をもたげた。


――そもそもぼく、男だよな


女の子のような顔のせいで、急に不安が押し寄せてきた。

布団に手を差し入れる。


――ある


安堵したのも束の間、違和感が残った。

サイズがおかしい。


顔はだいぶ女性的になった一方、触診したソレは逆に男性的な方向に進化していたのだ。


――なんで?と言うか、他にも身体の感覚がいろいろおかしい気が……


一度立ち上がっていろいろ確かめたかったが、身体に巻き付いているコードが邪魔だ。

どうしようかと思案していたところ、不意に部屋の扉が開かれた。


「目を覚ましたようですね」


入ってくるなりそう言ったのは、170cmを超える長身の女性だった。

髪はショートカットで、切れ長の目。黒いジャケットにパンツスタイルという出で立ちで、少なくとも看護婦には見えない。

化粧は薄いが顔立ちは凛々しく、どちらかと言うと仕事の出来るキャリアウーマンみたいだなというのが、シュウジの抱いた感想である。


「わたしは亜空間庁長官、今出川タカシの部下で一ノ瀬キョウコと申します。以後、お見知りおきを」


女性は抑揚の乏しい声でそう言うと、名刺をベッド横の棚の上に置いた。

シュウジが背中を壁に預けて半身を起こすと、キョウコは続けて言葉を発した。


「気分はいかがですか?」

「……良くはないですね」

「なるほど。良くもないが、特別悪くもないということで理解しました」


そんなことは言っていないが、反論する気も起きなかった。


「覚えてますか?あなたは昨日、ダンジョンに突入した自衛隊に保護されて、この施設に搬送されました」

「……そうようですね」

「この後、長官がこちらに来て話をされることになるはずですが、その前にわたしの方からいくつか質問させて頂いてもよろしいですか?」

「……すみません、その前にトイレに行かせて貰えますか?」


キョウコの言葉遣いは非常に丁寧だったが、同時に冷たい圧力を孕んでいた。

気圧されたシュウジは、咄嗟の機転で場を仕切りなおそうと試みた。


「起きたばかりですものね……いいでしょう」


そう言うキョウコは身体に繋がっていたセンサー類を外してくれたが、点滴は「このままで」との事だった。


廊下に出ると、その先にはがっちりとした体躯の黒服がふたり、こちらに視線を向けて佇んでいた。


「彼らは万が一の備えですから、気にせず」


そうは言われたが、シュウジの心中にはザワリとしたものが残った。

点滴スタンドのキャスターを転がしながら、リノリウムの廊下を進んだ。その後ろを、キョウコはピッタリと付いて来る。

そうしてそのまま平然とした様子で男子トイレの中まで入ってきたものだから、シュウジは慌てた。


「ちょっと――」

「あなたの安全を確保することが私の仕事です」


被せるように、キョウコは表情を崩さず言った。

トイレの中にどんな危険があるんだと思ったが、キョウコの感情の見えない表情を前に反論の言葉は出てこず、受け入れざるを得なかった。


洗面台前の鏡を見て、シュウジは改めて別物になった自分の顔を凝視した。造形の違いは先程見た通りだが、もともと浅黒かった肌の色が、透明感のある白になっていたのには今になって知った。


それに、なんとなく気付いていたが、変わっているのは顔だけでは無いのだ。つま先から身体のてっぺんまで、全体の骨格が元の身体とは異なっている。

つまり、頭は小さく手足は長くなって、その分だけ胴が短くなっている。唯一、元より年齢相応だった身長だけはそのままだった。


「オシッコはこちらにお願いします」


差し出された紙コップを受け取り、キョウコの視線を避けるように個室に入った。

下着を下ろすと、前屈みになった視線の先に、過去の自分のものとは似ても似つかない股間の付属物が現れた。


――コレもぼくが望んだことなのか?全然そんなつもりはなかったけど……


……いや、男性器は大きければ大きいほどいい。

自己欺瞞に満ちた内省を打ち切り、シュウジは自分の本心を認めた。大浴場で湯浴みをする施設住まいの子供たちにとって、大きなイチモツを持っていればそれだけで一目置かれるからだ。


――シュウちゃんって、チンコだけなら女の子みたいだね


かつてホムラに言われた屈辱的なセリフが、脳裏を掠めた。


「女の子みたいなチンコってどんなだよ」


扉の外に女性がいるのも忘れて、シュウジの口からはそんな呟きが漏れていた。




部屋に戻ってベッドに腰掛けると、キョウコは背もたれの無い丸椅子に座り早速と尋問を始めた。


「まず、あなたの名前を教えてください」

「間宮ケン……と仕事仲間からは呼ばれていました」


探るような、偽証を咎めるような視線を感じて、シュウジは自分の言葉を補足した。

それに対して、キョウコは短く息を漏らした。


「もう一度質問します。あなたの名前はなんですか?」


部屋の中を沈黙が支配した。

間宮ケンが生きていることなんて、調べればすぐにわかる。そしてケンからシュウジに辿り着くことは難しくない。


――いや、この人はぼくがシュウジだと確信して訊いているのか?でもシュウジだと名乗ったら、今度はなぜ外見が変わったのかって話になる


「マシロのせいです」と言えれば簡単だ。

だが、ヤツの話が本当なら、政府はあの黄色い石が何かを知りながら隠していたことになる。

となれば最悪の場合、秘密を知る存在は口封じされかねない。


「……自己紹介の前に、ぼくから質問してもいいですか?」


キョウコの表情は拒否を表明していたが、構わずシュウジは言葉を重ねた。


「ぼくはいつ頃ここを出られるんですか?」

「わかりません」

「わからないって……」


キョウコの眉ひとつ動かさない即答に、シュウジは戸惑った。


「わたしにはわかりません。それは長官がお決めになることですから」

「魔素が充満するダンジョンに何日も閉じ込められて生還したぼくって、少し特殊なケースなのかなって思うんですけど……いや、杞憂だったらいいんですけど、もしかしてぼく、このまま病院から出られず、モルモットみたいな扱いを受けたりする可能性もあったりするんですか?」

「わかりません。それも長官がお決めになることですから」


その言葉の冷徹な響きに、思わずシュウジは天を仰いだ。

白い蛍光灯が並ぶ、知らない天井だった。

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