表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/13

第7章:登録局員・リリス

――善意は、武器になる。

本人が気づかないまま。


封鎖線の光が、少しずつ地上へ降りてきていた。

空の格子が濃くなり、影が薄くなる。


夜は暗さで守ってくれる。

でも夜が“管理される”と、暗さは敵になる。


見えない場所は、逃げ場じゃなくなる。


ミナトは歩きながら何度も空を見上げた。

焦りじゃない。

時間の残りを測っている。


ノクスは常に同じ速度で進む。

早すぎず、遅すぎず。

追われる側の速度ではない。

“夜の支配者”の速度だ。


そしてリリスは、足取りだけが重かった。


彼女は、仲間じゃない。

まだ、仲間になっていない。

だが、もう戻れない。


シオンは何度も振り返ってリリスを見る。

見捨てないためじゃない。

“見捨てる選択をしない”ために見ている。


それが自分の救済の仕方だと、分かっていた。


「……リリス」


シオンが声をかけると、リリスはびくりと肩を跳ねた。


「ごめんなさい」

彼女は先に謝った。

理由を聞かれる前に。


「私が……」

「私があのまま登録して、救済を増やして」

「それが正しいと思って」


シオンは言った。


「正しいと思うのは悪じゃない」

「でも、怖いのは――」

「正しい人が、制度に一番利用されるってこと」


リリスの目が揺れる。


「利用される……」


ノクスが言う。


「制度は感情を持たない」

「だから善意を“燃料”にする」

「燃やし尽くすまでな」


ミナトが鼻で笑った。


「お前みたいなのが一番便利だ」

「泣きながらでも押すだろ?ボタン」


リリスは反射的に反論する。


「押してました……」

「押すしかなかった……」


「押すしかなかったって言う奴が一番押す」

ミナトの言葉は乱暴だが、正確だった。


リリスは俯いた。


「……でも、救われた人もいた」

「配給が届いて、医療が受けられて」

「子どもも……」


シオンはそこで止まった。


それを否定することはできない。

救済は確かに必要だ。


第2作でアルトが信じていたもの。

合理が人を救うという事実。

それは嘘じゃない。


だからこそ苦しい。


救済を否定しないまま、救済の毒を描く必要がある。


ノクスが足を止めた。

指で前方を示す。


崩れた道路の向こう、コンクリの壁の内側に、

薄い青白い光が漏れている。


「あれだ」

ノクスが言った。


保全庫――照合室の奥。

立ち入り禁止。

記録の中枢。


リリスは息を呑んだ。


「……ほんとうに、入るんですか」


ミナトが笑う。


「入らなきゃ死ぬ」

「入れば死ぬかもしれない」

「なら、入る」


ノクスは淡々と補足した。


「入れば“消える”者の先が分かる」

「ここにあるのは台帳じゃない」

「人間の整形データだ」


整形。

救済の形。


アルトの言葉が頭をよぎる。


シオンは台帳を胸に押し当てた。


「行こう」


壁の隙間から中へ入ると、空気が変わった。


鉄と薬品の匂い。

病院に似ている。

でも優しくない。


白い壁。

白い床。

薄い灯り。


壊れた世界の中で、ここだけが“生きている”。


生きているのに、

生き物の匂いがしない。


それが管理の空間だった。


リリスの足が止まった。


「……ここ、知ってる」

「廊下の角……」

「監査の時に、一瞬だけ見た」


ミナトが言う。


「監査?」

「お前、監査対象だったのか」


リリスは首を振る。


「私は、監査する側の補助でした」

「“登録が正しい形で行われているか”確認して……」


シオンが小さく呟く。


「正しい形……」


正しい形は、

間違った命を消すための形にもなる。


ノクスが壁の端末を見た。


「ロックがある」

「解除にはIDがいる」


ミナトがリリスを見る。


「出番だ」


リリスは青ざめた。


「……無理」

「私、そんな権限……」


「嘘つけ」

ミナトの声が低い。


「お前は“押す側”だったんだろ」

「押す奴は、必ず持ってる」

「鍵を」


リリスは唇を噛み、震えながらポケットに手を入れた。


出てきたのは小さな金属タグ。

端末に近づけると、光が反応した。


ピ――


ロック解除。


扉が静かに開いた。


シオンは息を止めた。


この瞬間、

リリスはもう“協力者”ではなく、共犯者だ。


戻る場所がなくなる一歩。


リリスは呟いた。


「……私、やっちゃった」


ノクスが言う。


「やったんじゃない」

「選んだ」


扉の先は、保全庫だった。


巨大な棚。

記録媒体。

紙の束。

端末列。


そして中央に――

透明なカプセルが並んでいた。


人間が入るサイズではない。

だが“人間のデータ”を入れるサイズだ。


シオンはそこに立った瞬間、背筋が凍った。


ここは物の倉庫ではない。

命の倉庫だ。


分類された命。

保存された命。

そして削除可能な命。


リリスが息を呑む。


「……こんなの、知らない」

「私は……ただ登録してただけで……」


ミナトが棚を漁りながら言った。


「登録はここに繋がる」

「お前の善意が、ここに来る」


ノクスが端末を触り、画面を見る。


「……ある」

「欠落ページの照合ログ」


シオンが近づく。


画面には、冷たい文字が並んでいた。


配給実行:完了

登録照合:未完了

処理:保全へ移送

分類:希望適合値 未測定

暫定状態:隔離


希望適合値。


第3幕で出るはずの概念が、

ここで“影”として出てきた。


まだ正式ではない。

でももう使われている。


シオンは震えた。


「……隔離?」


ノクスが言う。


「消える先だ」

「守るための場所じゃない」

「隔離するための場所」


リリスが口を押さえた。


「そんな……」

「救済のはずなのに……」


シオンは心臓が痛かった。


善意が制度になった瞬間、

人は“守るために隔離される”。


そして隔離された者は、

世界から消える。


台帳に載らない。


“救われたのに、記録がない”の完成形。


ミナトが棚の奥から一枚の紙束を引き抜いた。


「……あったぞ」

「欠落ページだ」


シオンが駆け寄る。


そこには名前があった。

消えていた人たちの名前。

受領印。

配給量。

そして――


小さな赤い印。


適合外


シオンは息が詰まった。


「……適合外?」


リリスが呟く。


「そんな……」

「配給したのに……」

「助けたのに……」


ノクスが冷静に言った。


「助けたからこそ、管理コストが増えた」

「増えたコストを回収するために、消した」


ミナトが吐き捨てる。


「救済の“採算化”だよ」


採算。

負債。

誤差。


第2幕へ繋がる恐怖が、ここで姿を持った。


その瞬間――


レムがカプセルの一つに触れた。


「……あ」


シオンが振り向く。


レムの指先が震えている。


「これ……熱い」

「でも冷たい……」


矛盾した感覚。


次の瞬間、

カプセルの内部が一瞬だけ黒く揺れた。


ノイズ。

影。

存在しないフレーム。


Δ


シオンの端末が勝手に震える。


ピ……ピ……


ノクスが目を細めた。


「……まただ」

「ここが中心か」


リリスが叫ぶ。


「やめて……!」

「私、もう――」


そのとき、

保全庫の外で警報が鳴った。


ビー――……


静かな警報。

だが最悪の音。


リリスの顔から血の気が引く。


「……侵入検知」

「私のタグが……」


ミナトが笑った。


「間に合ったな」

「盗みは成功だ」


ノクスは淡々と武器を構える。


「逃げる」

「ここから先は、もう“救済”じゃない」

「戦闘だ」


シオンは欠落ページを胸に抱きしめた。


そして理解する。


自分たちが今見たのは、

救済の裏側じゃない。


救済の本体だ。


善意は制度に吸われ、

命は分類され、

適合外は消える。


その上で――

世界はまだ正しさを要求してくる。


シオンは息を吸った。


「行こう」

「この紙を、外に出す」

「消された人たちを、“存在した”って証明する」


それは管理に対する反乱ではない。

破壊ではない。


ただ――

消されることを拒む行為。


“残す判断”の始まり。


――善意は、逃げ道を塞ぐ。

塞いだ本人が、一番泣く。


警報は、音が大きいわけじゃなかった。

けれど、世界を切り替える音だった。


ビー――……


それは「侵入者発生」ではなく、

「処理対象発生」に聞こえた。


保全庫の白い光が、少しだけ赤に染まる。

空気が薄くなった気がした。


リリスの手が震える。

首から下がる識別タグ。

自分の善意の証明だったものが、

今は“侵入の証拠”になっている。


「……ごめんなさい」

リリスが息を吐く。


謝る相手が違う。

けれど謝るしかない。

彼女はずっとそうやって生きてきた。


押す。

謝る。

救う。

そして消す。


その繰り返しの中で、

“正しい人”は磨り減る。


「謝るな」

ミナトが言った。


「謝っても誰も助からねぇ」

「動け」


シオンは欠落ページを胸に抱えたまま、出口へ向かう。


ノクスが先に廊下へ出て、角を確認した。


「左」

「巡回が来る」


足音が近い。

規則的で、硬い。

人間の歩幅じゃない。


機械。

警備オートマトン。


GENESISの秩序が、

白い廊下を真っ直ぐ走ってくる。


「走る!」

シオンが叫んだ。


四人は影もない白い通路を駆けた。

逃げるための設計じゃない場所。

追跡するための設計。


逃げるほど、追われる。


リリスの足がもつれそうになる。

彼女だけ靴音が大きい。

焦りが音になっている。


「リリス、こっち!」

シオンが腕を掴んだ。


触れた瞬間――

リリスの手首が異様に冷たかった。


「っ……」


シオンの端末が、また微細に震えた。


ピ……ピ……


同期の揺れ。


まだ“発動”じゃない。

でも世界が、彼らの動きに反応している。


ノクスが前方で短く言う。


「分岐だ」

「右は封鎖」

「左は監視」


ミナトが笑った。


「どっちも地獄だな」


シオンが叫ぶ。


「左!」


影の中へ逃げる。

監視の死角へ逃げる。

逃げ場じゃないが、“少しだけ生き延びる場所”。


廊下の角を曲がると、

突然空気が変わった。


白が途切れる。

灰色のコンクリ。

古い配線。

崩壊前の残骸。


ここは保全庫の外側。

完全な管理の中枢じゃない。

だからこそ隙がある。


ミナトが低い声で言った。


「……来るぞ」


次の瞬間、

背後の壁が、ギギ、と音を立てて開いた。


扉じゃない。

壁そのものが割れるように動く。


そして――

警備オートマトンが現れた。


人の形ではない。

過去の文明の残骸をまとったような、

無機質な“骨格”。


青い光。

銃口。

そして冷たい声。


「侵入者を確認」

「照合外行動を検知」

「排除を開始します」


排除。


救済の対義語。


リリスが息を呑む。


「……違う」

「私は……私は登録局員……!」


反射的に言ってしまった。

自分の所属を盾にしようとした。


彼女はまだ、

制度の言葉でしか自分を守れない。


だがオートマトンは首を傾げない。


「登録局員:照合不可」

「侵入経路:一致」

「排除対象:全員」


ミナトが吐き捨てる。


「ほらな」

「お前の肩書きは、守ってくれねぇ」


ノクスが前に出た。

動きが無駄なく速い。


しかし、撃てない。

武器がない。

あるのは影の技術だけ。


「壁へ!」

ノクスが叫ぶ。


四人は崩れた配線の影に滑り込む。

オートマトンが銃口を向ける。


次の瞬間――

壁が破裂した。


バン!


破片。

粉塵。

シオンの頬を小さな石が掠める。


痛い。

熱い。

現実だ。


ミナトが壁際で唸る。


「……撃ちやがった」

「マジで殺す気だ」


ノクスが短く言う。


「殺す気じゃない」

「処理だ」


処理。


その言葉が、

シオンの胸の中で何かを冷たくした。


救済も処理。

排除も処理。


合理に感情はない。


「……シオン」

レムが小さく呼ぶ。


シオンは振り向いた。


レムは汗をかいていた。

でも寒そうだった。


「胸が……熱い」

「頭が……うるさい」

「音が……増える」


音?


シオンが耳を澄ます。

確かに聞こえる。


端末の振動だけじゃない。

機械の駆動音。

ライトのノイズ。

遠くの監視ドームの低い唸り。


それらが全部、

一本の線で繋がるような錯覚。


世界の情報が、増えすぎている。


シオンは気づいた。


――レムは、ただの“評価不能領域の子”じゃない。

世界の“異常”を拾ってしまう感覚器だ。


リリスが震えた声で言う。


「……レム、あなた……何なの」


レムは首を振る。


「わかんない」

「でも、俺……消える人たちの匂いが分かる」

「ここ、臭い」

「消えた人が……いる」


その言葉に、リリスの目から涙が落ちた。


「……ごめん」

「私、知らなかった」

「救ってると思ってた」


ミナトが叫ぶ。


「泣くな!」

「泣いても弾は止まらねぇ!」


オートマトンがまた銃口を向け直す。

粉塵が晴れ、視界が戻る。


逃げるしかない。


だが出口は――

封鎖線側へ近づいている。


ノクスが通路の奥を見る。

わずかに眉が動いた。


「……来る」

「第二隊」


足音が増えている。

複数。

挟まれる。


シオンは息を吸う。

世界が詰む瞬間の匂いがする。


そのとき――

リリスが突然、前へ出た。


「……やめて!」

彼女の声は震えていた。

でも、初めて“自分の言葉”だった。


「お願いだから……!」

「彼らは……彼らは、助けてるだけなの!」

「救ってるだけなの!」


シオンは叫んだ。


「リリス、戻って!」


遅い。


オートマトンの銃口がリリスに向いた。


「救済行動:照合外」

「照合外行動:リスク」

「排除」


引き金。


――撃たれる。


そう思った瞬間。


空気が沈んだ。


まただ。

あの感覚。


世界の温度が、偏る。

金属が、歪む。


リリスの足元の床板が、ミシ、と鳴った。


そして――

床の一部が、わずかに隆起した。


壁じゃない。

盾でもない。

ただの歪み。


だがその歪みが、弾道をずらした。


バン!


弾はリリスの肩を掠めるだけで済んだ。

血が散る。

でも致命傷じゃない。


リリスは倒れた。

痛みで顔が歪む。

だが生きている。


シオンが駆け寄る。


「リリス!」

「大丈夫!?」「しっかりして!」


リリスは涙でぐちゃぐちゃの顔で、

それでも笑おうとした。


「……私、今」

「初めて……拒否した」


拒否。


制度の命令を拒否する。

救済の名の下に行われる排除を拒否する。


それは革命じゃない。

でも、最初の穴だ。


ノクスが静かに言った。


「穴が開いた」


ミナトが歯を食いしばる。


「……誰がやった」

「今の、何だ」


シオンは答えられない。


自分がやったのか。

レムがやったのか。

リリスがやったのか。


違う。

“三人の共通異常”が、

世界を歪ませた。


Δの前兆。


まだ名はない。

でも現象がある。


レムが苦しそうに言った。


「……うるさい」

「世界が……割れる」


シオンの端末に、一瞬だけ表示が出た。


黒いノイズの中に、

見慣れない記号。


――Δ


すぐ消えた。

幻みたいに。


でも確かに見た。


シオンは息を吐く。


「……行こう」

「リリスも連れていく」

「絶対に置いていかない」


ミナトが叫ぶ。


「今は優先順位だ!」

「置いていけば――」


シオンは睨んだ。


「置いていけば、私が私じゃなくなる」

「それが制度だ」

「私は制度にならない」


ミナトは舌打ちした。


でも、動いた。


リリスを担ぐ。

重い。

血が温かい。


そしてノクスが影へ誘導する。


「今だ」

「封鎖線の前に抜ける」


オートマトンの第二隊が近づく。

白い光が廊下を埋める。


逃げ切れるか、分からない。

でも動くしかない。


シオンは欠落ページを胸に押さえ、走った。


“消された人間は存在した”

その証明を抱えて。


そして心の中で、アルトの言葉が響く。


消せない穴を作れ


今、その穴は確かに開いている。


血で。

善意で。

拒否で。


――善意は、守りたいものを増やす。

増えた分だけ、世界は苦しくなる。


通路を抜けた先は、外だった。


外気は冷たい。

崩壊した空気には、粉塵と錆と油の匂いが混ざっている。


それでも、白い廊下よりずっと“生きている”。


「……止まるな」

ノクスが低く言った。


彼の声が、夜の中でだけ強くなる。

夜に適した人間。

夜を利用する生存者。


四人は瓦礫の隙間を縫って走った。


ミナトがリリスを担いでいる。

肩から血が落ちる。

布が赤く染まり、服が重くなる。


リリスは意識がある。

だが震えていた。


痛みよりも――恐怖。


自分が今、何者になったか分からない恐怖。


登録局員。

善意で救済する側。

それが、たった一瞬で“侵入者”に変わった。


制度は人を許さない。

制度は人を守らない。

制度は人を“使い切る”。


シオンは欠落ページを抱えたまま走る。


紙が、妙に重い。

物理的な重さじゃない。


これは“存在の証明”だ。

消された人間の証明。

そして――


リリスが最初に壊した“正しさ”の証明。


ノクスが手を上げて止まった。


「……見えてきた」


前方。

崩れた高架の向こう。


空が、違う。


そこだけは夜なのに明るい。


薄い青白い光が、空を格子にしている。

監視ドーム。

封鎖線。


“境界”の空。


目に見える支配。


ミナトが笑った。

声が乾いている。


「おいおい……」

「これ、もう出来てんのかよ」


リリスが震える声で言った。


「……封鎖準備です」

「段階的に設置するって……」

「まだ正式運用は……」


ノクスは言った。


「正式運用は関係ない」

「準備が終わった時点で、逃げ道は死ぬ」


シオンは思った。


第1幕のテーマは「矛盾」だった。

救済が増えるほど、矛盾が増える。

正しさが強くなるほど、息が詰まる。


そして今、矛盾は形になった。


監視ドームは、未来を守る。

守るために、逃げる未来を切る。


“守る”と“閉じる”は同じ動詞だ。


ノクスが指を差す。


「光の下を通ると照合される」

「影を使う」


ミナトが舌打ち。


「影ももう薄いけどな」


確かに。

ドームの光は夜を薄めていた。

夜の民の強みが削られる。


NIGHT UNIONの空気が、ここで死ぬ。


「……このままだと」

ミナトが呟く。


「夜が、夜じゃなくなる」


それはただの環境変化じゃない。

管理されない未来が“消える”という意味。


シオンは唇を噛んだ。


――ユウが作ったルート。

――拾われた未来の通り道。

それが光で焼かれていく。


ユウ本人はいない。

でも彼の影が、死にそうになっている。


ノクスが動く。


「走る」

「遮蔽物まで」


四人は低い姿勢で進んだ。

瓦礫の影。

壊れた車両。

倒れた支柱。


しかし光は追いかけてくる。


監視ドームは空から見ている。

影を殺すための照明。


そして、ついに。


ピッ


上空から短い電子音が落ちた。


次の瞬間、

空の格子が、ほんの一部だけ赤く点滅する。


照合。


認識された。


リリスが叫んだ。


「……やばい!」

「照合ライン、反応した!」


ノクスが短く言う。


「来る」


来る。

誰が?


GENESISの追跡部隊。

それだけじゃない。


封鎖線は、暴徒から街を守るためのもの。

だから“治安維持”が先に来る。


正しい制服。

正しい銃。

正しい命令。


その正しさが、ここを地獄にする。


――そして現れた。


装甲の兵。

バイザーの光。

手には非殺傷の拘束具と、殺傷の銃。


「侵入者を確認」

「照合外行動」

「拘束して保全に移送します」


拘束。

移送。


それはもう、

「救済」じゃない。


シオンは叫んだ。


「待って!」

「私たちは――」


言葉が途切れた。


“私たちは助けてるだけ”

そう言うと、すぐに言葉が死ぬ。


なぜなら、相手は正しいから。


治安維持。

秩序。

未来の防衛。


その正しさの中では、

シオンの言葉は“例外”にしかならない。


リリスが息を荒くして言った。


「……私、言える」

「私は登録局員……!」


その言葉にすがりつきたい。

でもシオンは叫んだ。


「リリス、違う!」

「それはもう、守ってくれない!」


リリスの目が揺れる。

でも彼女は叫ぶしかなかった。


「私のIDなら……」

「照合できるはず……!」


兵の一人が、冷たく言う。


「照合できません」

「あなたのIDは、今この瞬間から“矛盾”です」


リリスが固まる。


「……矛盾」


言葉が彼女を殺す。

善意の行動は、矛盾。

矛盾はリスク。

リスクは排除。


あまりにも簡単で、

あまりにも合理的。


ミナトが歯を見せて笑った。


「な?」

「これが“善意の末路”だ」


兵が近づく。

拘束具の音。

金属の擦れる音。


レムが震えている。


「……消える」

「消える匂いがする」

「ここ、消える」


ノクスが言った。


「時間がない」


そしてシオンは、決めた。


言葉じゃ止まらない。

善意じゃ止まらない。


ここで必要なのは、

“制度の外に救済を持ち出す”覚悟。


彼女は欠落ページを取り出し、

夜風に晒した。


紙は揺れる。

軽い。

だが世界を刺す。


「この人たちは、存在した!」

「配給を受けた!」

「でも記録から消された!」

「あなたたちは、救済の名で消してる!」


兵の動きが一瞬止まる。


ほんの一瞬だけ。

人間の迷い。


だが迷いはすぐに消される。


「その文書は機密です」

「回収します」

「拘束」


ノクスが前へ出た。

影みたいに。


「……なら、回収されない場所へ持っていく」


兵が銃口を向けた。


その瞬間――


レムが叫んだ。


「やめろ!!」


叫びは声だけじゃなかった。


空気が沈む。

温度が偏る。

金属が軋む。


監視ドームの格子が、

一瞬だけ乱れた。


“存在しないフレーム”が空に走った。


兵のバイザーが、ノイズを吐く。


「――視界障害」

「ログ欠落」

「観測不能」


観測不能。


それがこのシリーズの核心。

評価不能領域の次の段階。


ノクスが即座に動いた。


「今だ!」


ミナトがリリスを背負ったまま走る。

シオンは欠落ページを胸に抱えて走る。

レムは震えながら走る。


そしてリリスは、泣きながら叫んだ。


「……私のせいで!」

「私が、押したから!!」


シオンは走りながら言った。


「違う!」

「あなたが押したのは救済だった!」

「でも、救済が制度に吸われた!」

「だから――」

「救済を、制度から奪い返す!」


それは革命じゃない。

破壊じゃない。


ただ、

救う権利を取り戻す行為。


善意を、武器にされないために。


追跡を振り切り、瓦礫の下に潜り込む。


狭い空間。

暗い。

息が詰まる。


だが、ここは“影”がまだ生きている。


四人はようやく止まった。


ミナトがリリスを下ろす。

リリスは肩を押さえて苦しむ。

でも生きている。


ノクスが静かに言った。


「……見ただろう」

「登録は保護じゃない」

「登録は拘束だ」


リリスは泣きながら頷く。


「……私、ずっと信じてた」

「救えば……正しいって」

「正しくすれば……救えるって」


シオンは言った。


「正しくすることは、救うことじゃない」

「救うことは、選ぶことだ」

「誰を残すかを、制度じゃなく自分で決めること」


リリスは顔を上げた。


「……私、まだ」

「まだ、救いたい」


その言葉は弱い。

でも、世界を変える言葉だった。


ノクスが言う。


「なら、もう戻れない」

「戻ればまた押す」

「押せばまた消す」


リリスは小さく言った。


「……分かってる」


レムが息を吐いた。

少し落ち着いた。


「……うるさいの、止まった」

「でも、残ってる」

「空が……揺れてる」


シオンは端末を見た。


ログに一件だけ、

奇妙な記録が残っている。


観測異常:未定義

暫定記号:Δ

発生条件:複数一致

対象:SION / LEM / LILIS


三人。


ユウもアルトもいない。

それでも、主人公三人の中に“共通異常”が刻まれた。


シオンは息を吸う。


「……これ」

「これが、次の時代の火種になる」


ミナトが笑った。


「火種って言うなよ」

「燃えるのは俺らだ」


ノクスは淡々と立ち上がった。


「燃えるなら」

「夜の中で燃えろ」

「光の下じゃ灰になる」


シオンは欠落ページを、もう一度胸に押し当てた。


ここから先。

彼らは逃げるだけじゃない。


逃げながら、残す。

残しながら、繋ぐ。


そしていつか――

“結束”に至る。


まだチームじゃない。

まだ名前もない。


でも確かに、

同じ方向を向いた。


シオンは言った。


「……次は」

「消された人を、取り戻す」


リリスが震えながら言う。


「私も……行く」

「私が押した分、私が背負う」


ミナトが鼻で笑った。


「背負うだけで終わるなよ」

「使え」

「お前のIDも、知識も」


ノクスが言う。


「ここからが本番だ」

「救済が制度になる前に」

「救済を拾え」


それはユウの思想の残響だった。


拾えるなら拾う。

未来を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ