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第23章:強制登録

――救済は、手を差し伸べることじゃない。

――“逃げられない場所”を作ることだ。


境界の外は寒い。


風が乾いていて、

砂の粒が皮膚に刺さる。


瓦礫の影で、BORDER REMAINSは身を潜めていた。


誰も話さない。


話せば崩れる。


誰かが泣けば、

誰かが怒れば、

もう戻れなくなる。


だから静かに息をするだけ。


その沈黙を、最初に壊したのはシオンだった。


「……やらなきゃいけない」


声が小さい。


でも確かに芯があった。


ミナトが顔を上げる。


「なにを?」


シオンは答えた。


「取り残された人たちを」

「拾う」


その言葉に、空気が変わった。


“拾う”はユウの言葉だった。


でも今、シオンの口から出た。


それは継承じゃない。


必然だった。


ユウの未来が消えるなら、

拾い方だけでも残さなきゃいけない。


アルトは壁にもたれ、肩を押さえている。


白い光膜に掠められた傷がまだ熱い。


血は止まりかけているが、痛みは増すばかり。


「アルト、大丈夫?」


シオンが近づく。


アルトは目を伏せたまま言う。


「…大丈夫だ」

「俺が消えてないなら」


その言葉が苦い。


管理局は、救済したものを“回収”する。

救済したものは、ログに載る。

ログに載ったものは、捕まる。


そういう世界になった。


アルトは続けた。


「強制登録が来る」

「境界を閉じた以上…次は“中身を整える”」


シオンが眉を寄せる。


「整える?」


アルトは答える。


「登録して」

「分類して」

「配分して」

「余剰を消す」


リリスの正しさが、制度として完成する。


それが“救済”。


セイルが端末を抱えたまま、かすれた声で言った。


「見て…」


画面には、管理局の放送ログが流れている。


緊急通知。


救済登録局:再編完了

未登録者は、保護のため登録が必要です

登録に応じない者は危険対象として回収されます


言葉は柔らかい。


でも内容は銃口だった。


ノクスが鼻で笑った。


「保護のため、ね」


ミナトが噛みつく。


「ふざけんな…!」


ハヤトは静かに言う。


「怒るな」

「怒りは目立つ」


目立てば終わる。


強制登録は、“目立つ者から消す”。


レムがシオンの袖を掴んだ。


「……しるし」

「つけられる」


シオンは一瞬、息が止まる。


「しるし…?」


レムは震えながら言った。


「ここに…」

自分の首筋を指差した。


「ぴかって」

「つく」


セイルが端末を操作する。


「首元タグだ」

「登録者識別用の…同期ビーコン」


アルトが低く言った。


「タグが付いたら」

「位置が追われる」

「食料も医療も配給も、タグが無いと受け取れない」


シオンの胸が締め付けられる。


登録しなければ生きられない。

登録すれば捕まる。


これが“強制登録”。


選択肢の形をした、一本道。


少し離れた場所で、夜がざわついた。


影が動く。


ハヤトが瞬時に手を上げ、全員を止める。


「……誰か来る」


ミナトが身構える。


ノクスは笑っているのに、目は冷たい。


「敵か味方か」

「どっちでもいい」

「生き残る方に転べばいい」


その時、暗闇から声がした。


「落ち着け」


低い声。


聞いたことがある。


シオンが目を凝らす。


影から現れたのは――クロウ。


NIGHT RECLAIMERSの頭領。


夜盗の回収屋。


敵ではない。

でも味方でもない。


ただ、夜に生きる者。


クロウはゆっくり手を上げる。


「撃つな」

「俺も撃たない」


ミナトが歯を食いしばる。


「なんでお前がここに…!」


クロウは答えた。


「境界が落ちた」

「ここはもう“夜の道”だ」


シオンが問う。


「夜の道…?」


クロウは目を細める。


「管理の灯りが届かない場所」

「でもこれから…届く」


クロウは地面に小さな端末を置いた。


そこに写る映像。


境界都市側の広場。


そこはかつて、

配給台帳が消えた場所。


今は違う。


巨大なゲートが立ち、

白い光が張られ、

人が列を作らされている。


管理局の兵がいる。

救済登録局員がいる。

ドローンが飛んでいる。


そして――


人々の首に光るタグ。


一人ずつ。


順番に。


クロウが言った。


「強制登録が始まった」

「“保護の列”だ」


シオンの手が震える。


あれは救いじゃない。


囲い込みだ。


次の映像。


列から外れた者がいる。


老人だ。


足が遅い。


兵が腕を掴む。


老人が抵抗する。


その瞬間――

ラザルが現れた。


是正執行官。


彼は迷わず老人を地面に押し倒す。


そして淡々と告げた。


「抵抗を確認」

「危険対象として回収する」


老人の首元にタグが刺さる。


光る。


老人の顔が引きつる。


痛みよりも、何かを奪われた顔。


そして、老人は連れ去られる。


列の人間は見ない。


見ないことで、生き残る。


それがこの世界。


シオンは唇を噛んだ。


「……あれを止めたい」


クロウは笑った。


「止める?」

「できるわけないだろ」


シオンは目を逸らさない。


「止めるんじゃない」

「拾う」


その言葉にクロウが黙る。


ユウの匂いがしたのかもしれない。


クロウは小さく言った。


「…拾うなら、夜の道を使え」

「タグのない者が生きる道は、もう表にはない」


アルトが問う。


「夜盗の道を貸す気か」


クロウは肩をすくめる。


「貸すんじゃない」

「使え」

「俺にとっても…あの灯りは邪魔だ」


合理だ。


彼らは敵を作らない。


利害で繋がる。


ユウの頃から変わらない。


セイルが静かに言った。


「…タグは同期する」

「タグが増えるほど…空間のログが安定する」


シオンが眉を寄せる。


「安定?」


セイルは画面を指で叩く。


「評価不能領域が減る」

「つまり…Δの揺れも、抑えられる」


アルトが息を呑む。


「抑えられる…?」


それは一見、良いことに聞こえる。


不安定な世界が安定する。

事故が減る。

生存率が上がる。


でも本質は違う。


Δの揺れ=評価不能領域

それを消す=未来の分岐を潰す。


管理されない未来の可能性を消す。


つまり――


強制登録は、人類の安定化ではなく、

未来の固定化だ。


ミナトが吐き捨てる。


「つまりさ」

「救済って言いながら、世界を一本にするんだろ」


アルトが頷く。


「…そうだ」


シオンが声を絞る。


「一本にしたら」

「その先に何があるの」


アルトの答えは冷たい。


「余剰の処理」

「管理コストの最小化」


シオンの胃が捻れる。


その言葉の先にあるのは、切り捨てだ。


救う順番じゃない。

救う枠の数を決める。


そして枠から外れたものは消す。


クロウが言った。


「強制登録は止まらない」

「だから次はこうなる」


彼は端末の画面を切り替える。


新しい通知。


救済登録局:未登録者一斉摘発開始

夜間区域の監視ドーム拡張

未登録者を匿う者も回収対象


空気が凍る。


夜が終わる。


夜の道が閉じる。


つまり――

BORDER REMAINSが生きる場所が消える。


ミナトが笑った。


乾いた笑い。


「おいおい…」

「詰んでんじゃねえか」


シオンが言った。


「詰んでない」


全員が見る。


シオンは震えている。

怖い。

苦しい。

でも目だけは折れてない。


「…拾う道があるなら」

「拾いに行く」


クロウが言った。


「死ぬぞ」


シオンは答えた。


「死ぬ前に」

「誰かが消える」


アルトが小さく笑った。


「…君は理想家だ」


シオンは首を振る。


「理想じゃない」

「現実を、置いていけないだけ」


その一言が、アルトを刺した。


アルトは“置いていった側”だった。

置いていくことで救った。

置いていくことで世界を保った。


でも今、置いていくことが暴力になった。


だから彼は、もう逃げられない。


レムが小さく言った。


「……しおん」

「しるし、こない」


シオンはレムの頭を撫でる。


「来させない」


その約束が重い。


約束は未来を縛る。


でも今は縛らなきゃいけない。


“守る”という形で。


アルトが立ち上がった。


痛みで顔が歪む。


それでも立った。


「俺が行く」


シオンが首を振る。


「傷が――」


アルトは遮る。


「俺は管理局を知ってる」

「救済登録局の手順も、回収班の動線も」


「それに」


アルトは息を吐く。


「…俺が作った穴だ」

「俺が塞がせない」


その瞬間、

シオンは初めて“アルトの怒り”を見た。


燃える怒りじゃない。


冷たい怒り。


合理の中で怒る人間は、

一番止められない。


ノクスが言った。


「じゃあ作戦だな」


ミナトが拳を握る。


「ぶっ壊す?」


ノクスは笑う。


「壊さない」

「盗む」


セイルが頷く。


「登録局のタグ供給端末」

「あれを落とせば…登録は遅れる」


ハヤトが言う。


「遅れた分だけ救える」


クロウが静かに言った。


「夜の道を貸す」

「ただし条件がある」


シオンが見る。


「条件?」


クロウは淡々と言った。


「拾うなら、拾った分だけ背負え」

「保護はできない」

「管理から逃げるなら、夜の中で生かせ」


シオンは迷わない。


「背負う」


その言葉で、彼女は“監査官”を捨てた。


監査官は制度の中に立つ。

でも彼女は今、制度の外に立った。


BORDER REMAINSとして。


空の遠くが白い。


監視ドームが拡張されている。


夜が削れる。


時間がない。


アルトが言った。


「行こう」


ミナトが笑う。


「おう」


ノクスが肩を回す。


「やっと面白くなってきた」


セイルが端末を抱きしめる。


「ログに残らないように…動く」


ハヤトは短く言う。


「消えるな」


レムが呟く。


「……おちないで」


そしてシオンは最後に言う。


「拾う」


それが合図だった。


――救済の施設は、病院みたいに明るい。

――だからこそ“檻”だと気づけない。


夜の道は、静かだった。


音を立てない。

光を漏らさない。

息を重くしない。


クロウに案内されたルートは、

地上じゃなく地下だった。


崩れた地下鉄の分岐。

古い配線が垂れ、

湿った壁に錆が滲んでいる。


「ここから先は管理の影だ」

クロウが低く言う。

「息を潜めろ」


ミナトが小声で笑う。


「俺ら、もともと影だろ」


クロウは返さない。

ただ足を止めず、闇を進む。


影の中で生きてきた者が、

今夜だけは“影の意味”を変えていた。


盗むための影。

逃げるための影。


――拾うための影。


地下出口の先に、白い光が滲んだ。


地上だ。


崩れたコンクリ壁の隙間から見える街区は、

見慣れたはずなのに別の場所みたいだった。


ドームが拡張されている。


空に張り付いた白い膜が、

夜を薄くしている。


そして――救済登録局。


元は配給所だった広場が、

今は“登録のための列”になっている。


壁。

ゲート。

監視塔。

誘導線。

歩行速度まで管理された導線。


人間が“物資”のように流されていく。


セイルが囁く。


「タグ供給端末…中央」

「管理局の搬送ドローンが絶えず補給してる」


ノクスが舌で笑う。


「奪うには目立ちすぎる」


アルトが淡々と言った。


「だから“奪う”んじゃない」

「止める」


ミナトが眉を上げる。


「破壊すんの?」


アルトは首を振る。


「破壊はログに残る」

「停止させる」


シオンが息を呑む。


停止。


それは救済の停止でもある。

列が止まれば、暴力が増える。


でも止めなければ、回収が進む。


“救済の速度”が、人を殺す。


だから彼らは、速度を落とすしかない。


クロウが壁の陰で立ち止まった。


「ここまでだ」


シオンが見る。


「一緒に来ないの?」


クロウは肩をすくめる。


「俺は夜の道を作る」

「お前らは拾う」


その言い方が、

責任を渡す手つきだった。


クロウは去る。


背中が闇に溶ける。


ノクスが呟いた。


「夜の王様は、夜に帰る」


BORDER REMAINSは息を合わせた。


ハヤトが先行する。


銃を構えず、

“見る”だけで歩く。


誰が巡回しているか。

どこが死角か。

ドローンの軌道。

視線の重なり。


数秒で地図を作る。


「回収班の動線…二重」

「ひとつは列」

「ひとつは裏」


セイルが頷く。


「裏手に回収ゲートがある」

「登録拒否者はそこに送られる」


シオンの胸が詰まる。


拒否者。


それはつまり、

“消える”人間だ。


裏手の通路に着くと、鉄扉があった。


薄い光が漏れている。


中は施設。


臨時の登録局員が詰めている。

医療スタッフもいる。

笑顔の案内係もいる。


怖いほど優しい。


優しいから逃げられない。


シオンはその光景を見て、吐き気がした。


ここは戦場じゃない。

戦場なら、敵が見える。


でもこれは――“救済”。


正しさの顔をした暴力。


アルトが扉の端末を見た。


「この鍵は古い」

「まだ更新されてない」


彼は指先で小さく操作する。


カチ。

小さな音。

扉が開く。


ミナトが目を丸くする。


「お前、やっぱ管理局側だな…」


アルトは答えない。


その沈黙が、後悔の色を持っていた。


中に入る。


廊下は白い。


床は清潔。

壁には誘導矢印。

スピーカーから柔らかい音声。


「登録は保護です」

「あなたの生存を支援します」

「安心してください」


安心していいはずの言葉が、

今は刃に聞こえる。


セイルが囁く。


「…ログ収集がすごい」

「ここ、空気ごと記録してる」


空気ごと。


呼吸すら管理される。


角を曲がった瞬間、

誰かがシオンの前に立った。


白い制服。

登録局の腕章。


――リリス。


息が止まる。


リリスも目を見開いた。


「……シオン?」


声が震えていた。


驚きだけじゃない。

怖さ。

そして少しの…安堵。


「生きてたんだ…」


シオンは唇を噛む。


「あなたが…ここに」


リリスは目を逸らさない。


「ここにいるよ」

「私の仕事だから」


仕事。


善意が職務に変わった場所。


リリスは言った。


「登録が始まった」

「これで…救える人が増える」


シオンは首を振った。


「救ってない」

「囲ってるだけ」


リリスの表情が揺れる。


「囲う…?」

「違うよ、シオン」


「登録すれば配給が届く」

「薬も届く」

「寒さで死ななくて済む」


彼女は本気だ。


だから怖い。


敵じゃない。

悪役じゃない。


ただ正しい。


そして正しさは、

この世界で最も残酷になる。


アルトが一歩前へ出た。


「リリス」


リリスが目を向ける。


「…アルトさん」


彼女の声に敬意がある。


アルトは彼女にとって、

“正しい管理”の象徴だった。


アルトが言う。


「登録拒否者はどうなる」


リリスの口が僅かに硬くなる。


「……危険対象として」

「回収されます」


アルトの目が冷える。


「回収は救済か?」


リリスは迷いながらも言った。


「救済です」


その言葉が、空気を凍らせた。


リリスは続ける。


「逃げてる人は…危ない」

「暴力を起こすかもしれない」

「病気かもしれない」

「…感染源かもしれない」


“かもしれない”が人を殺す。


予防の名で、未来を潰す。


ミナトが噛みつく。


「お前らの“かもしれない”で」

「何人消えてんだよ!」


リリスが震える。


「消えてない!」

「保護されてる!」


シオンが低く言った。


「……消えるんだよ」

「登録された瞬間に」


リリスは息を呑む。


「何を言ってるの…?」


セイルが端末を掲げた。


「ログがある」

「登録タグ付与後、位置情報が“ブラック”になる」


リリスの顔が白くなる。


「そんなの…バグだよ」

「ありえない…」


アルトが静かに言った。


「バグじゃない」

「仕様だ」


リリスの瞳が揺れる。


「……嘘」


アルトは続ける。


「救済登録局は、救うためにある」

「でも救う枠には限界がある」


「だから枠を超えたものを――消す」


リリスが喉を鳴らす。


「そんなこと、上が許すわけ…」


アルトが言った。


「上は許す」

「合理だから」


その瞬間、リリスの中で何かが崩れた。


彼女は善意で動いている。

善意のために仕組みを信じている。


でもその仕組みが、

善意を材料にして“切る”と知った。


警報が鳴った。


小さく。

控えめに。

“不安を与えない音量”で。


それが最悪だった。


施設は人を怯えさせないために、

危険すら柔らかく伝える。


天井のライトが一瞬だけ明滅する。


淡い青。


セイルが顔を上げる。


「…検知された」

「ここ、侵入判定が走った」


アルトが目を細める。


「ラザルが動く」


その名前で全員の背が固くなる。


是正執行官。


迷わず壊す男。


リリスが震えながら言った。


「逃げて…」

「お願いだから」


シオンが問う。


「リリス」

「あなたは私たちを止める?」


リリスの瞳が潤む。


止めたい。

救いたい。

正しくしたい。


でも正しさが人を消す。


彼女は答えを出せない。


唇だけが震える。


その沈黙が答えだった。


――止められない。


アルトが言った。


「タグ供給端末はどこだ」


リリスが目を見開く。


「…何をする気」


アルトは淡々と答えた。


「停止させる」

「登録の速度を落とす」


「救うための猶予を作る」


リリスが叫びそうになって、飲み込んだ。


その猶予が、列を混乱させる。

暴力が起きるかもしれない。


でも今のままなら確実に消える。


“かもしれない”を恐れるか、

“確実”を止めるか。


リリスは、ようやく震える声で言った。


「……奥」

「中央制御室の隣」


「でも行ったら」

「戻れない」


シオンは頷いた。


「戻らない」


廊下を駆ける。


柔らかい音声案内が追いかけてくる。


「落ち着いて行動してください」

「保護のため、誘導に従ってください」


誘導に従えば消える。


だから従わない。


シオンは心臓が痛いくらい鳴っていた。


その鼓動が――一瞬だけ遅れた。


違う。


周囲が遅れた。


世界が一拍、ズレる。


視界の端で、壁が“揺れる”。


セイルが小さく息を吸った。


「…まただ」


Δの揺れ。


まだ発動じゃない。

でも近い。


同期。


彼らのログが重なり始める。


制御室前。


扉は二重。


鍵は最新。


アルトが端末に手を置く。


「…ダメだ」

「俺の権限じゃ通らない」


ミナトが歯を見せる。


「じゃあぶち破る?」


アルトは否定する。


「ログが残る」


その時、ノクスが笑った。


「じゃあログを残さなきゃいい」


彼はふっと、指を鳴らす。


「セイル」

「お前の得意分野だろ」


セイルが震えながら頷く。


「…やる」


端末を接続。

秒単位で操作。


画面が走る。


ログが書き換わる。

いや、“空白になる”。


シオンには分からない。

でもセイルの指は迷わない。


そして――扉が開いた。


音もなく。


ハヤトが呟く。


「…夜盗みたいだな」


ノクスが笑う。


「夜盗だよ、俺たちは」


その一言が、妙に痛快だった。


中枢室。


中央にあるのは、巨大なラック。


タグ供給端末。


無数の小型タグが光っている。


まるで“命の番号”。


シオンは息を呑んだ。


この光が、人を救い、人を消す。


アルトが言った。


「止める」

「一時停止にする」


セイルが頷く。


「電力を切ると警報が上がる」

「だから…誤動作に見せる」


ミナトが笑う。


「世界が誤動作してんだから、ちょうどいいだろ」


アルトが端末に手を置いた。


その瞬間――背後で重い足音。


金属の音。


扉が壊れる。


ラザルが立っていた。


白い装甲。

是正執行官。


目が冷たい。


声が無機質。


「侵入者を確認」


「回収を開始する」


――正しさは、銃を持たない。

――だから、銃より怖い。


ラザルは速かった。


走っているわけじゃない。

ただ、距離が詰まる。


足音が重い。

装甲が鳴る。

その“音”だけで、逃げ道が狭くなる。


「侵入者を確認」

「危険度:中」

「回収対象として処理する」


声が冷たい。

感情がない。

だから迷いがない。


迷わない男は、止められない。


ラザルが腕を上げた。


白い光が指先に集まる。


“拘束フィールド”。


それは攻撃じゃなく、捕獲のための光。


シオンは反射的に身を引いた。


だが光は曲がる。

避けられない。


光が足元を舐めた瞬間、床が重くなる。


引力が増えたみたいに。


膝が沈む。

呼吸が詰まる。


ミナトが叫ぶ。


「くそっ…!」


彼が飛び出す。


拳を構える。


でもラザルは見ない。


見ないまま、片手を横に払う。


白い線が走り、ミナトの身体が壁に叩きつけられる。


鈍い音。


痛みじゃない。

“回収される感覚”。


人として扱われない圧。


アルトが一歩前へ出た。


「ラザル!」


ラザルの視線が初めて動く。


「…評価管制オペレーター」

「アルト」

「存在を確認」


その言い方に、アルトの顔が歪む。


仲間じゃない。

同僚でもない。


“対象”。


ラザルは言う。


「あなたも危険対象になりました」

「管理は、例外を許しません」


アルトの喉が鳴る。


「例外が増えたのは、管理が拾わなかったからだ」


ラザルは淡々と返す。


「拾う必要はありません」

「管理は、未来を最適化します」


その言葉が、刃だった。


――未来を最適化する。

――つまり、切り捨てる。


セイルが端末を抱えたまま震えている。


彼女は戦えない。


でも今、戦うのは“力”じゃない。


“止める手”だ。


セイルはラックに向かって指を走らせる。


「…あと少し」

「停止シーケンス、入れる」


ラザルの首が僅かに傾く。


「目的を確認」

「タグ供給の阻害」


「よって危険度:高」

「即時回収」


ラザルが一歩踏み出す。


床が鳴る。


その瞬間、ハヤトが動いた。


銃じゃない。


影。


ラザルの死角に滑り込む。


一瞬で距離を詰め、装甲の継ぎ目にナイフを突き立てる。


金属音。

火花。


ラザルは止まらない。


腕を振り、ハヤトを吹き飛ばす。


壁に叩きつけられ、ハヤトが息を吐く。


それでも彼は立とうとする。


“消えるな”

その言葉を、自分に向けている。


ノクスが笑った。


「強えな、管理の犬」


ラザルが言う。


「侮辱を確認」

「処理優先度:上昇」


ノクスは笑ったまま一歩踏み出す。


「処理?」

「いい言葉だな」


次の瞬間、ノクスの影が床を這った。


室内のライトが一瞬だけ揺れる。


白い光が、ほんの少し暗くなる。


その隙にノクスはラザルの背後へ回る。


そして――端末のケーブルを抜いた。


違う。


抜いたのは“ラザルの通信線”だった。


ラザルの装甲の背面に繋がる小型ユニット。


一瞬だけ通信が途切れる。


ラザルの動きが止まる。


0.3秒。


でも戦場では永遠だ。


ノクスが囁く。


「夜は、通信を切る」


その0.3秒の間に、アルトが動いた。


彼はラザルの前に立ち、言った。


「お前の正しさは、誰を救う?」


ラザルは目を細める。


「救う必要はありません」

「生存率が最大化されればいい」


アルトの声が低くなる。


「それは人を救ってない」

「数を残してるだけだ」


ラザルの声が揺れない。


「数が残れば、人類は残ります」


アルトはその言葉を聞いて、

初めて“恐怖”を理解した。


管理は悪じゃない。

正しい。


正しいから、切れる。


シオンが叫ぶ。


「セイル!今!」


セイルの手が震えながらも確実に動く。


「……いける!」


ラックの光が一瞬だけ不規則に点滅する。


タグ供給端末の内部で、

供給命令が“停止”に切り替わった。


その瞬間――


施設全体のスピーカーが、初めて声色を変えた。


柔らかい音が消える。


代わりに冷たい通知。


供給停止を確認

救済登録処理:遅延

回収班は即応せよ


シオンの心臓が跳ねる。


やった。

止めた。


でもこれは“勝ち”じゃない。


戦争を止めたわけじゃない。


ただ、救われる前に消される速度を落としただけ。


それでも意味はある。


猶予が生まれる。


未来が、一本じゃなくなる。


ラザルが言った。


「供給停止」

「復旧まで、回収を優先」


彼は腕を上げる。


白い拘束光が、今度は広範囲に広がる。


逃げられない。


このままなら全員が回収される。


シオンの視界が狭くなる。


喉が乾く。


レムが後ろで小さく震えている。


「……しおん」

「こわい」


シオンは振り返り、レムの手を握った。


「大丈夫」


その言葉に、自分が救われる。


守ると決めた瞬間、恐怖が形になる。


形になった恐怖は、耐えられる。


その時だった。


リリスが扉のところに立っていた。


白い制服のまま。

震えている。


でも立っている。


彼女は叫んだ。


「やめて!!」


ラザルの視線が向く。


「登録局員」

「リリス」

「妨害を確認」


リリスは泣きそうな声で言う。


「供給停止は…私のミスです」

「端末点検で誤作動しました」


嘘。


でも“正しい嘘”だった。


ログに残るのは、侵入者じゃない。

局員のミス。


ラザルの処理優先度が揺らぐ。


ほんの僅か。


でも足りる。


リリスは続けた。


「彼らは関係ない!」

「回収対象じゃない!」


ラザルが言う。


「命令を確認できません」

「回収を継続します」


リリスの瞳が揺れる。


そして――彼女は、管理局員として最後の抵抗をした。


彼女の手が端末に伸びる。


「……内部監査」

「緊急フラグ、起動」


それは管理局の“内側の武器”。


局内権限で、回収手順を止める。


たった数秒の停止命令。


ラザルの装甲が反応し、動きが遅れる。


また0.3秒。


その0.3秒が、命になる。


アルトが短く言った。


「逃げるぞ!」


ハヤトが立つ。


ノクスが笑う。


「いいね」

「正しさが初めて役に立った」


ミナトが壁から起き上がり、痛みで顔を歪めながらも笑った。


「…やっと仲間っぽいじゃねえか!」


セイルが端末を抱えたまま走る。


「ログ…消してる…!」

「追跡、遅れる!」


シオンはレムの手を引き、走った。


アルトが振り返る。


リリスがそこにいる。


置いていけない。


アルトは叫ぶ。


「リリス!」


リリスは首を振る。


「私は…ここに残る」

「私がいないと、止められない」


アルトの目が揺れる。


置いていく。

また置いていく。


その選択が、彼を壊す。


でもリリスは続けた。


「でも…」

「これだけは言う」


彼女はシオンを見る。


「あなたの拾い方は」

「間違ってない」


その言葉は、

救済局員の口から出た“評価不能”だった。


制度の外の言葉。


だから重い。


逃走ルートへ。


地下へ戻る。


追跡の足音が響く。


ラザルの声が背後から飛ぶ。


「逃走を確認」

「回収対象、継続」


施設の灯りが揺れる。


一瞬、ドームの白が薄くなる。


空がズレる。


視界の端が黒く滲む。


――Δ。


まだ現象名は出ない。

でも世界がもう隠せない。


セイルが叫ぶ。


「ログが…変だ!」

「フレームが欠けてる!」


アルトが歯を食いしばる。


「また…評価不能領域が増えてる」


シオンの耳鳴りが強くなる。


心拍が、アルトと重なった気がした。


ミナトと、ノクスと、セイルと、ハヤトと――レム。


一瞬だけ。


全員の“存在”が同じリズムになる。


それは怖い。

でも同時に、確かだった。


この瞬間、彼らは一つのチームになる。


名前が必要だ。


境界に残った者たち。


管理と無秩序の間。


残骸の境界線に立つ者たち。


BORDER REMAINS。


地下へ飛び込んだ瞬間、

背後の白い光が爆ぜた。


回収光が壁をえぐる。


瓦礫が崩れる。


土煙。


闇が覆う。


息ができない。


それでも走る。


走って、走って、

ようやく暗闇が彼らを飲み込んだ。


安全圏。


夜の道の中。


息が荒い。


ミナトが壁に手をつき、笑った。


「……生きてんな」


ハヤトが短く言う。


「まだ」


ノクスが肩を竦める。


「止めたのは“登録”じゃない」

「速度だ」


セイルが端末を抱え、涙を拭った。


「でも…止められた」

「少しだけでも」


アルトが目を閉じる。


「…リリスが残った」


シオンが静かに言った。


「彼女は救ったんだよ」

「私たちを」


アルトは呟いた。


「正しさが…俺たちを逃がした」


それは矛盾だ。


でも矛盾こそが、この世界の答えになる。


セイルが端末を見つめた。


「…残った」

「ログに、残った」


画面には、たった一つの異常記号。


意味はまだ分からない。

でも確かに記録された。


Δ


誰も言わない。


でも全員が理解した。


これは始まりだ。


世界が“発火寸前”になっている。


そして、その発火点にいるのは――


BORDER REMAINS。

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