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第15章:封鎖線【前編】

――正しい壁は、間違いを作らない。

ただ、“外”を消す。


封鎖線は、音で分かる。


遠くで鳴る金属の擦れる音。

地面を削る杭打ち機の振動。

低い警告サイレン。


そして何より――

人の声が消えていく。


境界線の朝は、いつも薄暗い。

太陽があるのに、光が届かない。


監視ドームのせいだ。


空が“管理された色”になると、

世界から温度が抜ける。


シオンは瓦礫の丘の上に立ち、

その光景を見下ろしていた。


遠くで、一本の線が引かれている。


壁じゃない。


最初はただの“作業”。


鉄骨を運び、

基礎を打ち、

道を塞ぐ。


でもそれは確実に、

逃げ道を殺す形だった。


あの線が閉じたら、

境界線の外と内は繋がらない。


管理される未来と、管理されない未来は、

“接続”から“切断”に変わる。


アルトが残した余白が、

塞がれていく。


ミナトが隣で唾を吐いた。


「……最悪だな」

「こうなるって分かってたけどよ」


ノクスは双眼鏡を覗いたまま、短く言う。


「封鎖線は正論だ」

「だから止まらない」


セイルが後ろで低く笑った。


「止まらないなら、通るルートを作るだけだ」


ミサが端末を見ながら、眉をひそめている。


「封鎖の設計、これ……」

「救済帯域の拡張と同時に、情報遮断ラインが敷かれてる」


リリスが息を呑む。


「救済と封鎖がセット……」


「守るために閉じる」

それは優しい言葉に見える。


だが実際は、

外側の人間を“存在できなくする”やり方だ。


シオンは拳を握った。


「……正しいからこそ、怖い」


封鎖線の中心に、白いコートの女が立っていた。


カリナ。


距離があるのに分かる。


彼女は“正しさを着ている”。


兵もドローンも、

彼女の周りでは静かだ。


無駄がない。


最適化された動き。


彼女の声が、スピーカー越しに響く。


「境界封鎖区画、段階2へ移行します」


「救済対象の確保と、危険帯域の隔離を両立させます」


「保護のために必要な措置です」


保護。


隔離。


同じ言葉の裏表。


シオンは目を細めた。


(保護されるのは誰?)


(守られるのは命?)


(それとも、管理の形?)


「……来るぞ」


ノクスが低く言った。


双眼鏡の先。


封鎖線の作業員とは別に、

一つの小隊が動き出していた。


直線的に、

迷いなく、

こちらへ向かってくる。


追跡ではない。


“掃除”だ。


封鎖線の外側に残った異物を、

消す作業。


リリスが顔色を失う。


「……私たち、外側にいる」

「つまり、私たちが異物です」


ミナトが歯を剥く。


「ふざけんな」


セイルが外套の中で遺物を確認する。


「逃げ道は二つ」

「一つは谷へ戻る」

「もう一つは――封鎖の裏側に潜る」


ミサが目を見開く。


「潜る!?無理よ!」


セイルは即答した。


「無理じゃない」

「通す方法はある」


その言葉に、シオンは胸がざわついた。


通す。


逃げるではなく、通す。


それはユウのやり方だ。


ユウは戦わない。

革命しない。

でも道を繋いだ。


“拾えるなら拾う”という、

個人的な判断で。


「ミナト」


シオンは呼んだ。


ミナトが振り返る。


「お前、境界の案内人だろ」


ミナトは苦い顔をした。


「……昔な」

「今は逃げるだけだ」


シオンは首を振る。


「逃げるだけじゃ、封鎖で終わる」


「通す」

「ユウが残したルートの代わりを、今ここで作らないと」


ミナトは一瞬黙った。


そして、笑った。


「……あー、クソ」

「似てきたな、お前」


その“似てきた”が、胸に刺さった。


ユウに似てきた。


シオンはそれを誇りに思うべきか、恐れるべきか分からない。


でも決めるしかない。


小隊が近づいてくる。


視界の端で、

監視ドローンが光点を走らせている。


捕捉されれば終わりだ。


ノクスが短く言う。


「時間がない」


セイルが遺物部品を取り出した。


薄い金属片。


光を吸う、黒い欠片。


ミサがそれを見て、震える声で言う。


「また共鳴させるの……?」


セイルは頷いた。


「共鳴を使えば、監視ログに穴が開く」


リリスが呟く。


「……また“Δ”が増える」


セイルは淡々と返す。


「増える」

「でも、増やさないと死ぬ」


選択肢がない。


生存は、いつもそうだ。


レムがミナトの腕の中で震えながら言った。


「……やだ」

「また、あれ……出たら……」


シオンはレムの目を見た。


その目は、まだ子供だった。


世界に勝つ目じゃない。


それでも世界に触れてしまった目だ。


シオンは優しく言った。


「出てもいい」


レムが固まる。


シオンは続けた。


「あなたが悪いんじゃない」

「あなたは、ただ生きようとしてるだけ」


「それを消そうとする方が、間違ってる」


その瞬間、レムの呼吸が少しだけ落ち着いた。


ミナトが目を逸らす。


ノクスがほんの一瞬だけ、表情を緩めた。


セイルは何も言わない。


ただ、

その言葉を“拾った”。


「準備」


セイルが地面に部品を置き、接続する。


ミサが端末を噛ませる。


ノクスが周囲の影を読む。


ミナトがルートを思い出す。


リリスがログを切るタイミングを測る。


シオンが息を吸う。


そして――

封鎖線の裏側へ通す。


小隊が目前まで迫る。


機械の声が響く。


「保護対象を確認」

「危険因子を隔離します」


その言葉は優しい。


だからこそ、怖い。


セイルが短く言った。


「今だ」


部品が鳴った。


空気が歪む。


監視ログが一瞬だけ乱れる。


光点がズレる。


存在のフレームが、抜け落ちる。


その一瞬、ノクスが叫ぶ。


「走れ!」


BORDER REMAINSは動いた。


逃げるのではない。

通すために走る。


封鎖線の裏側。


作業の影。


鉄骨の隙間。


壁が閉じる前の、裂け目。


そこへ滑り込む。


背後で、カリナの声が響いた。


「……捕捉が逸れた」


「Δ反応、再確認」


彼女の声は怒りではない。


興味でもない。


ただの“処理”だった。


「封鎖線の優先度を上げる」


「境界線の余白を、閉じます」


余白が閉じる。


アルトが残したものが、潰れる。


ユウが拾ったものが、消える。


それでも――

シオンは走った。


残すために。


――道は、作られた瞬間に“敵”になる。

だから拾う者は、痕跡を残さない。


封鎖線の裏側は、静かすぎた。


壁の内側は、騒がしいはずなのに。

人の声があるはずなのに。


聞こえるのは――


機械の音だけ。


鉄骨を運ぶ軋み。

杭を打つ振動。

ドローンの羽音。


そして、

“呼吸”がない。


ここは街の裏側じゃない。

管理の裏側だ。


人を守るための場所ではなく、

“人を整えるための場所”。


整える――

つまり削る。


適正な形に直す。


正しい形に揃える。


それが管理の本質だった。


BORDER REMAINSは影を縫うように進み、

鉄骨の隙間に身を滑り込ませた。


ミナトが手を上げる。


止まれ、の合図。


ノクスが視線だけで返す。

彼は息を殺し、監視の死角を読む。


セイルは外套の中で遺物を押さえ、

ミサは端末を抱え込む。


リリスはもう、ほとんど震えていない。

代わりに目が乾いていた。


怖いのは変わらない。

ただ、泣いている暇が消えた。


シオンはレムの方を見る。


ミナトに抱えられたレムは、

目だけで周囲を追っていた。


怯えている。


でも、逃げていない。


その小さな耐え方に、シオンは胸が痛んだ。


やがて、鉄骨の壁の奥に、

“穴”が見えた。


穴と言っても、ただの隙間じゃない。


そこは、明らかに人が通った痕跡がある。


踏み固められた土。

擦れたコンクリ。

引きずられた布の跡。


ミナトが息を呑む。


「……このルート」

「まだ生きてたのか」


ノクスが言う。


「知ってるのか」


ミナトは唇を噛んだ。


「知ってるっていうか……」

「これ、“ユウの道”だ」


シオンの胸が跳ねた。


「ユウ……?」


ミナトは頷く。


「残骸の間を抜けるやり方」

「監視の視界を避ける角度」

「足音が響かない踏み方」


「全部、あいつの癖だ」


セイルが低く言った。


「本人は?」


ミナトは首を振る。


「いねぇ」


「でも……ここは確かに、あいつが作った」


ユウ本人は不在。

だが“拾い方”は残っている。


それがシリーズのルールだ。


英雄は消える。

方法だけが残る。


ルートの奥は、狭い地下へ続いていた。


鉄骨の下。

崩れた配管の隙間。

湿った空気。


そこに、古い光が灯っている。


薄い、温かい灯り。


管理の白光ではない。


生き延びるための灯り。


その灯りの前に、

一人の影が座っていた。


背は低い。

肩が丸い。

それでも視線だけが鋭い。


彼女はゆっくり顔を上げた。


「……誰だ」


声は枯れている。

でも芯は折れていない。


ミナトが息を止め、呟く。


「……ミオ」


その名前が落ちた瞬間、

シオンの中で何かが繋がった。


RUINS RAID。

ユウの部隊。

廃墟の偵察兵。


RRD-RUINS-002|廃墟の偵察兵・ミオ。


ユウの仲間。


ユウ本人ではない。

だがユウを知る者。


まさに、シオンが求めていた接触だった。


ミオはミナトを見て、目を細めた。


「……案内人か」


ミナトが乾いた笑いを漏らす。


「まだ覚えてんのかよ」


ミオは言った。


「忘れるわけない」

「生きるには、顔を覚えるのが一番早い」


その言い方が、ユウと同じだった。


拾う側の言葉だ。


ミオは視線をシオンへ滑らせる。


「監査官……?」

「その服、内側の匂いがする」


シオンは一歩進んだ。


「私は観測監査官・シオンです」


「救済帯域の調査で……」

「境界で、“記録がない救助”を見ました」


ミオの目が一瞬揺れた。


「……ああ」

「まだ、やってんのか」


シオンは喉が詰まった。


まだ、やってる。


誰が?


ユウが?


それとも――

ユウの残した誰かが?


ミオは続ける。


「記録がない救助」

「配られたのに台帳がない配給」

「ログに残らない生存」


「それ全部、拾う側の仕事だ」


ノクスが低く言う。


「拾う側の秩序か」


ミオは頷いた。


「秩序じゃない」

「癖だよ」


「生き残った者が、生き残るために身につけた癖」


言い換えればそれは、

管理に見えない生き方。


評価不能領域の呼吸。


シオンは思わず聞いていた。


「ユウは……」

「どこにいるんですか」


ミオは目を閉じた。


そして、短く言った。


「いない」


それは残酷な否定じゃなかった。


ただの事実。


ミオは目を開けて、淡々と続ける。


「姿を消した」

「生きてるか死んでるかも、知らない」


ミナトが舌打ちした。


「……あいつらしいな」


ミオは少しだけ笑った。


「そう」

「ユウは、“残さない”」


「残すと、追われるから」


シオンの胸が痛いほど理解した。


残すと追われる。


だからユウは姿を消した。


でもその代わりに、

ルートを残した。


癖を残した。


拾い方を残した。


世界を変えない代わりに、

世界を残す方法を増やした。


ミサが一歩前に出る。


「封鎖線が閉じます」

「このルートも、潰される」


ミオの目が冷えた。


「潰される」

「潰される前に、拾う」


セイルが言う。


「何をだ」


ミオは言った。


「人」

「物」

「情報」


「そして――」


ミオはシオンを見た。


「“余白”だ」


その言葉に、シオンの背筋が震えた。


余白。


アルトが残そうとしたもの。


ユウが増やしたもの。


そして今、

封鎖線が消そうとしているもの。


ミオは続けた。


「内側は、“救済”を作る」

「外側は、“生存”を拾う」


「どっちも正しい」

「でも両方を続けたら、ぶつかる」


ノクスが静かに言った。


「だから今、ぶつかってる」


ミオは頷く。


「そう」

「そしてその中心に、子供がいる」


視線がレムに向く。


レムは怯えたまま、ミオを見ていた。


ミオは言葉を柔らかくした。


「……お前、苦しいだろ」


レムは頷いた。


「……うん」


ミオは小さく息を吐く。


「苦しいのは、お前が弱いからじゃない」


「世界の方が、押しつぶしに来てるだけだ」


その言い方が、

ユウの仲間だと証明していた。


拾う側は、

弱さを責めない。


拾えるなら拾う。


それだけだ。


その瞬間、外で金属音が増えた。


壁が動く音。


封鎖が近い。


ノクスが耳を澄ませる。


「……追跡小隊が、こっちへ曲がってる」


リリスが顔を青くする。


「ここ、見つかります!」


セイルが遺物を握り直す。


「また穴を開ける」


ミオが即座に遮った。


「駄目だ」


セイルが眉をひそめる。


「死ぬぞ」


ミオは言い切った。


「穴を開けると、“ここが道だ”って教えることになる」


「管理は道を消すんじゃない」

「道がある場所ごと、消す」


その言葉が冷たく刺さった。


ノクスが理解した顔をする。


「痕跡は敵になる」


ミオは頷いた。


「そう」

「ユウが残さなかった理由だ」


シオンは喉の奥が乾いた。


善意で助けた痕跡が、

追跡の地図になる。


救済の記録が、

拘束の根拠になる。


だから、残せない。


けれど――

残さないと未来が消える。


矛盾が、世界の中心にある。


ミオが立ち上がった。


体は細い。

でも足取りは迷わない。


「こっち」


彼女は壁の奥へ進む。

そこにはさらに狭い隙間があった。


ミナトが驚く。


「……こんなの、知らねぇ」


ミオは短く言った。


「作ったんだ」

「ユウが」


「そして私が、延ばした」


延ばした。


拾う側の仕事。


道を繋げる仕事。


ミオは振り返らずに言った。


「ユウは残さない」

「でも残さないと死ぬ」


「だから仲間が残す」


シオンの心臓が強く打った。


ユウ本人がいなくても、

仲間が残す。


思想が継承される。


英雄じゃなく、方法が増殖する。


それが1作目から続く構造だった。


レムが小さく呟く。


「……わたしも、残していい?」


シオンは息を止めた。


その問いは、

“生きていい?”と同じだった。


シオンはすぐに答えた。


「いい」

「残していい」


「あなたが残ることで、誰かが助かる」


「それが、未来になる」


レムは涙をこぼした。

でも泣き声は出さなかった。


泣くと、見つかるから。


そんなことまで覚えてしまった子供を、

シオンは絶対に見捨てないと誓った。


ミオが隙間を抜ける。


その先は、さらに暗い通路だった。


外の音が遠ざかる。


封鎖線の裏側から、

境界の“さらに裏側”へ。


そこには管理の光が届かない。


代わりに――

生き残りの匂いがする。


ノクスが低く言った。


「ここは夜の領域だ」


ミオは小さく笑った。


「夜は、ずっと前からここにある」


「管理が作ったんじゃない」


「生存が作ったんだ」


そして、通路の奥に

小さな保管庫があった。


そこには、古い箱が積まれている。


配給品。

医療品。

簡易端末。

そして、紙の台帳。


紙の台帳。


シオンの目が釘付けになる。


「……これが」


ミオは言った。


「消えた配給台帳だよ」

「配られたのに記録がないやつ」


「ここにある」


シオンの喉が震える。


証拠だ。


“管理では拾われなかった未来”が、

現実に生きていた証拠。


ミオが続ける。


「これを持っていけば、お前は勝てる」


「管理局は矛盾を嫌う」


「矛盾を突けば、止まる……かもしれない」


シオンは台帳を見つめた。


それは武器になる。


でも――

武器になった瞬間、敵も使う。


善意が武器になる。


それが第2幕の地獄だった。


シオンは台帳に手を伸ばしかけて、止めた。


(これを持ち出したら)


(ここがバレる)


(ここにいる人が死ぬ)


ミオが静かに言った。


「悩むなら、お前はまだ人だ」


シオンは苦しく笑った。


「……人でいたいんです」


ミオは頷いた。


「なら選べ」


「拾うか」

「残すか」


「どっちも同じじゃない」


シオンの胸の奥で、

アルトの言葉が再生される。


“残せ。今度は、残す側が必要だ。”


残す側。


シオンは台帳を持ち上げなかった。


代わりに、台帳のページを一枚だけ破った。


必要な部分だけ。


“救われたのに記録がない”証拠。


それだけを拾う。


全部は拾わない。


全部を持ち出せば死ぬから。


拾う側のやり方だ。


ミオが目を細めた。


「……その拾い方」

「ユウに似てる」


シオンは息を吐いた。


「似たくないです」

「でも、そうしないと守れない」


ミオは小さく笑った。


「そうだよ」


外で、金属音が止まった。


追跡小隊が通り過ぎたのか、

それとも――

別の場所で何かが起きたのか。


セイルが耳を澄ませる。


「……捕捉は逸れてる」


ミサが端末を見て、青ざめる。


「でも、封鎖線が加速してる」

「カリナが……優先度を上げた」


ノクスが言った。


「時間がない」


シオンは破った一枚の紙を握り締める。


小さな証拠。


でも未来の分岐点。


そして今、彼女は理解していた。


善意は武器になる。


だから善意は、

“拾い方”を選ばないといけない。


――壁は、閉じる。

閉じた後に残るのは、「正しさ」ではなく「結果」だ。


通路の空気が変わった。


遠くで、何かが“決定”された音がする。


鋼鉄が噛み合う音。

巨大な扉が少しずつ閉じる時の、ゆっくりした圧力。


封鎖線が、動き始めた。


ミサが端末を握りしめたまま、声を絞り出す。


「……間に合わない」

「外側が切れる」


ノクスが壁の隙間を覗き、短く言った。


「追跡小隊が戻ってくる」

「逸れたんじゃない。巻き込みに切り替えた」


ミナトの顔が歪む。


「……このルート、潰す気だ」


セイルが息を吐く。


「道がある場所ごと、消す」


ミオの言葉を、セイルがなぞった。


その瞬間――

ミオが無言で立ち上がり、保管庫の奥へ歩いた。


そこには、布で覆われた箱が一つあった。


ミオは布を剥がす。


中身は――


古いビーコン。

型番の刻印が削られている。

ログ用の登録チップも抜かれている。


それは“記録がない救助”の核。


シオンの喉が鳴った。


「……これが、噂の」


ミオは頷く。


「型番欠落ビーコン」

「ログに残らない救助を可能にしたやつ」


リリスが小さく言った。


「そんなものが……本当に……」


ミオは目を細める。


「あるよ」

「必要だったから」


必要だったから、存在する。


それがこの世界のルールだ。


善悪ではなく、

生存の要求で物が生まれる。


ミオはビーコンをシオンに差し出した。


「持ってけ」


シオンは固まった。


「……私が?」

「これはあなたたちの――」


ミオは遮る。


「違う」

「これは、“ユウの癖”だ」


「癖は、次に渡すためにある」


その言葉が胸に突き刺さった。


ユウの癖。


ユウ本人は残らない。

でも癖は残る。


そして今、

その癖がシオンに渡されようとしている。


シオンの手が震えた。


(受け取ったら、私はもう戻れない)


(管理の視点だけでは、生きられない)


(救済だけでは、守れない)


ミオは静かに続ける。


「ユウはな」

「拾ったものを“武器”にしない」


「でも武器にしないと守れない時もある」


「その時は――」


ミオは一瞬だけ、息を止めた。


「……拾い方を変えるんだ」


拾い方を変える。


つまり、

“残し方”を選ぶ。


シオンはゆっくりビーコンを受け取った。


冷たい金属だった。


なのに、なぜか温度がある気がした。


外で爆発音が鳴った。


遠い。

でも確実に近づいてくる。


追跡小隊が道を潰しながら進んでいる。


封鎖線はただ閉じるだけじゃない。

“外側を掃除する”ための力を伴っている。


ノクスが言う。


「ここは持たない」

「出口は?」


ミオが顎で示した。


「奥」


「この先は、境界の“影”へ出る」


ミナトが眉をひそめる。


「影……?」


ミオは言った。


「ユウが最後に残した場所だ」

「誰にも見つからない」

「誰にも登録されない」


「でも――生きてる」


その言葉は矛盾していた。


登録されないのに、生きてる。


だがそれが、評価不能領域の実態だ。


BORDER REMAINSは動き出した。


暗い通路を走る。


ミナトが先導し、

ノクスが後衛で気配を切る。


セイルが遺物を抱え、

ミサが端末を守る。


リリスが息を殺し、

シオンはビーコンを抱えて走る。


そしてレムが――


突然、足を止めた。


「……っ」


ミナトが振り返る。


「レム!」


レムの身体が震えている。


さっきまでの怯えではない。


痛みに近い。


呼吸が乱れ、目が焦点を失いかけていた。


シオンが駆け寄る。


「レム、大丈夫――」


その瞬間、

空気が“割れた”。


音はしなかった。


でも確かに、

世界のどこかに小さなひびが入った。


視界の端で、金属片が浮いた。


釘。

ボルト。

小さな破片。


ふわりと宙に上がり、

まるで重力のルールが一瞬だけ変わったみたいに漂う。


ミサが息を呑む。


「……なに、これ……」


セイルの目が鋭くなる。


「共鳴じゃない」

「これは――」


ノクスが低く言った。


「現象そのものだ」


ミオが唇を噛んだ。


「……出たか」


レムは泣きそうな声で言う。


「ごめん……」

「わたし、また……」


シオンはレムの肩を掴んだ。


強くではない。

逃がさないように。


「謝らなくていい」


「あなたが壊してるんじゃない」


「世界があなたを押しつぶそうとしてるだけ」


レムの目に涙が溜まる。


その涙が落ちる前に――

さらに“歪み”が広がった。


通路の壁がミシッと鳴る。

鉄骨が、ねじれる。


ありえない角度で。


セイルが叫ぶ。


「来る!」


追跡小隊が通路の入口に現れた。


ライトが刺す。


白く、冷たい光。


兵ではない。

機械ユニットの影。


GENESIS CONTROLの保全警備オートマトンに近い型。


その背後に、人影が一つ。


白コート。

姿勢が真っ直ぐ。

視線が迷わない。


カリナだった。


彼女はこの地下を知っている。


追跡ではない。

潰しに来たのだ。


カリナの声が響く。


「発見しました」


「境界外の救済帯域に、非登録ルートを確認」


「保護対象と危険因子を回収します」


保護対象。


危険因子。


同じ場所にいる者を、

別の名前で分ける言葉。


カリナの目がシオンに向いた。


「観測監査官・シオン」


「あなたの記録が乱れています」


シオンの血が冷えた。


(私も……捕捉されている)


(善意が、ログに残ってしまった)


リリスが震える声で言う。


「……シオンさん、登録される……」


それは保護じゃない。


拘束だ。


制度の手が、握り潰す形の保護。


ミオが一歩前へ出た。


「ここは通さない」


カリナは淡々と言う。


「通す必要がありません」


「最適化された救済は、登録が前提です」


ミオが笑った。


乾いた笑いだ。


「救済じゃない」

「それは“収容”だ」


カリナの表情は変わらない。


「収容は、必要です」


「管理されない未来は、管理コストを増やす」


「あなたたちの存在は、誤差です」


誤差。


アルトが追っていた言葉。


アルトが残した“余白”は、

今、誤差として処理される。


シオンの喉が震える。


「……誤差は」

「生きていい」


カリナはシオンを見た。


「感情で言っていますね」

「それが危険です」


シオンは息を吸う。


「危険でもいい」


「危険を消したら、希望まで消える」


その瞬間、

カリナの目がほんの少しだけ揺れた。


“理解”ではない。

“計算不能”の揺れ。


セイルが遺物を構えた。


ミサが端末でログ干渉を試みる。


ノクスは影に溶け、背後へ回ろうとする。


ミナトはレムを抱えて後退する。


そしてシオンは――


ビーコンを握った。


型番欠落ビーコン。


記録が残らない救助の核。


でも今、

それを使えばこの場所が“道だ”と確定する。


使った瞬間、

この余白は消される。


ミオが叫んだ。


「使うな!」


シオンは歯を食いしばる。


(でも使わなきゃ、死ぬ)


(使えば、この場所が死ぬ)


選択。


拾うか。

残すか。


その矛盾が、喉元まで来る。


レムが叫んだ。


「やだ!!」


その声は小さな子供の叫びだった。

でも同時に、世界を裂く叫びだった。


空気が歪む。


熱が偏る。


金属が、浮く。


監視ライトが一瞬だけノイズを吐いた。


画面に“存在しないフレーム”が映る。


カリナの端末が警告を鳴らす。


「……未定義現象」


「反応値、上昇」


「記録形式が一致しない」


その瞬間――

カリナの口から、初めて“名前”が落ちた。


「……Δ」


その一文字だけが、通路に落ちる。


まだ公表されない名前。

まだ誰も理解していない現象名。


でも“管理の内部”では、

確かに記録され始めている。


ミサが呟く。


「デルタ……」


セイルが歯を噛む。


「確定しやがった」


ノクスが低く言った。


「4作目への扉だ」


ミオがレムを見て、苦しそうに言った。


「出るな、出るな……」


でも止まらない。


止められない。


世界が、ここで発火しようとしている。


シオンは決めた。


ビーコンを地面に置いた。


起動しない。

使わない。


代わりに――

ビーコンのカバーを外し、中の登録部品を抜き取る。


“救助”の機能だけ残し、

“痕跡”を残す部分を殺す。


そのやり方は、ユウの癖だった。


拾うが、残さない。


残すが、追わせない。


矛盾の中で、

生存の形だけを残す。


シオンは叫ぶ。


「通します!」


「でも、道は残さない!!」


ミオが目を見開いた。


ミナトが笑った。


「やるじゃねぇか……!」


セイルが低く言う。


「それでいい」


起動したビーコンが、

一瞬だけ空気を“折った”。


追跡小隊の捕捉がズレる。


ライトが揺れる。


その隙に、ノクスが動く。


影のように。


静かに。


一撃で、追跡ユニットの関節を潰す。


セイルが遺物で壁をこじ開け、

ミナトがレムを抱えて飛び込む。


ミサとリリスが続く。


シオンが最後に飛び込む直前、

カリナがこちらを見る。


「……あなたは、残す側になった」


その声は評価じゃない。

予測だった。


シオンは答える。


「違う」


「拾う側にもなる」


その言葉を残して、

彼女は影へ飛び込んだ。


背後で、壁が閉じる音がした。


封鎖線が完全に噛み合う。


二層世界が、切断される。


管理される未来と、管理されない未来は、

もう繋がらない。


だが――


切断されたからこそ、

残る未来もある。


影の中で、BORDER REMAINSは息を吐いた。


誰も死んでいない。


誰も捕まっていない。


だが戻れない。


それが勝利だった。


シオンは暗闇の中で、

自分の端末を見た。


ログが乱れている。


記録が変だ。


生体反応の波形が、

見たことのない形に変わっている。


そしてそこに――

一文字だけ残っていた。


Δ


シオンは静かに呟いた。


「……始まってしまった」


誰もまだ発動していない。


誰もまだ“異能”を扱っていない。


でも世界が、

その前兆を記録し始めた。


4作目の扉が、

薄く開いた。

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