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第13章:監視ドーム

――空は透明な檻になる。

救済は“守る光”に見えて、逃げ道を奪う光でもある。


境界線の夜明けは、灰色だった。


太陽が昇っているのに、

世界が明るくならない。


崩壊都市の上に、薄い膜が張り付いたままだからだ。


見えない。

だが、確実に“ある”。


空気が硬い。

音が遠い。

光が均一すぎる。


それは天候ではなく、

“管理”の質感だった。


ノクスは高い場所で足を止め、

空を見上げた。


「……来たな」


ミナトが息を吐く。


「これが、監視ドーム?」


リリスは顔色が悪いまま頷いた。


「正式名称は“救済帯域監視膜”」

「空域を一定範囲で覆って……観測精度を上げるためのものです」


シオンは喉が乾く。


観測精度。

それは“救済の精度”でもある。


救済が増える。

救済対象を取りこぼさない。


そのために――

空を閉じる。


彼らが辿り着いたのは、境界の外縁にある廃工場だ。


壁は半分崩れ、

天井から鉄骨が垂れている。


でもここは、まだ“外”だ。


管理の内側ではない。

だけど管理が押し寄せてくる場所。


まさに境界。


ノクスが言った。


「ここが今夜の足場だ」


ミナトが眉をひそめる。


「足場? 拠点じゃないのか」


ノクスは首を振る。


「固定したら終わりだ」

「固定した瞬間、ログに捕まる」


シオンは理解する。


固定=住所。

住所=回収対象。

回収対象=封鎖。


だから夜は、留まらない。


ユウの痕跡も、きっとそうやって残った。

残さないことで残す。


矛盾みたいな生存。


レムは工場の隅で座り込み、

膝を抱えて震えていた。


シオンは近づき、しゃがむ。


「痛い?」


レムは小さく頷いた。


「……空が」

「うるさい」


空がうるさい。


その言葉に、シオンは背筋が寒くなる。


空は本来、

何も言わない。


でも監視ドームは、

空に“視線”を貼り付ける。


視線は、音になる。

評価は、圧になる。


レムみたいな“評価不能領域の子”には、

その圧が直接刺さる。


つまり――


監視ドームは、

Δを呼ぶ。


リリスが端末を操作していた。


彼女は突然、息を呑む。


「……救済帯域の定義が更新されてる」


ノクスが目を細める。


「どう変わった」


リリスの声が震える。


「“救済対象”が」

「“救済資産”として扱われてます」


ミナトが吐き捨てる。


「資産?」


リリスは画面を見せた。


そこには淡々と書かれていた。


救済資産:帯域内の生存者を将来価値として管理する

救済資産の損失は救済負債として計上する


シオンは唇を噛む。


救済対象が“人”ではなく、

“資産”になる。


それが制度化の第二段階。


善意の言葉のまま、

人間が物になる。


ミナトが苛立って床を蹴った。


「結局、こうなるんだよ!」

「助けた分だけ、値札が付く!」


シオンは言葉を探す。


何か言いたい。

止めたい。

でも、止める言葉がない。


ノクスが言った。


「怒るな」

「怒りは、拾う未来を燃やす」


ミナトが食ってかかる。


「拾うって何だよ!」

「拾ったら回収される!」

「救ったら閉じる!」

「……じゃあどうすりゃいい!」


シオンの胸が痛む。


ミナトの問いは、読者の問いだ。


この世界の根幹。


希望は、設計できない。

救済は、制度になる。

管理は、善意で人を切る。


だからこそ――

第三の形が必要になる。


管理でも無秩序でもない形。


BORDER REMAINS。


でもまだ、

その名前を口にするには早い。


その時、遠くで空が鳴った。


低い音。


雷ではない。

爆発でもない。


空の膜が、微かに震える音だ。


シオンは顔を上げた。


見えないはずの監視ドームが、

一瞬だけ“光”として浮かぶ。


薄い青。


次に、細い線が走る。

虹のような筋。


そして、消える。


ミナトが固まった。


「……今、見えたか?」


ノクスが頷く。


「見えた」

「“補修”だ」


リリスが震える。


「監視膜は、常に自己修復します」

「だから破れない……」


破れない。

つまり、逃げられない。


シオンの喉が乾いた。


(空が檻になる)


(檻の中で救済される)


(救済されるほど、外へ出られない)


その時、工場の外から足音がした。


一人ではない。

複数。


慎重な足音。

だが、治安維持隊ほど規則的ではない。


ノクスが手を挙げる。


「伏せろ」


全員が影に溶ける。


足音が近づき、

崩れた壁の隙間から人影が入ってくる。


数人。

軽装。

武装はしているが、軍ではない。


夜の連合――NIGHT UNIONの者たちだ。


先頭の男が低い声で言った。


「ノクス」

「まだ生きてたか」


ノクスが静かに出ていく。


「生きてる」

「お前もな」


男はシオンを見た。


「……観測監査官」

「噂の」


シオンは一歩出る。


「助けを求めてるわけじゃない」

「情報が欲しい」


男は笑った。


「同じだ」

「この世界じゃ、情報が一番の救済だ」


NIGHT UNIONの男は言った。


「封鎖線が、今日中に動く」

「監視ドームの範囲が広がる」


ミナトが低く唸る。


「またかよ」


男は続けた。


「そして、“救済帯域”の中にいた奴は」

「帯域外へ出られなくなる」


シオンの胸が締め付けられた。


救済帯域の中にいる者は、

保護される。


でも保護は、外へ出られない。


それは、牢だ。


男が最後に言った。


「最適化局が動いてる」

「カリナという女だ」


シオンの目が細くなる。


「……カリナ」


男は頷く。


「救済の顔をした、封鎖の設計者だ」


レムが突然、耳を塞いだ。


「……くる」


その声と同時に、

空がもう一度震えた。


そして工場の天井の穴から、

青い光が差し込んだ。


それは太陽光じゃない。

監視ドームの“観測光”。


照らされた場所だけ、空気が変わる。


薄く、冷たく、硬くなる。


リリスが息を呑む。


「……スキャン」

「救済帯域の広域スキャンです!」


ノクスが即座に言った。


「動くぞ」


ミナトが叫ぶ。


「今ここで!?」

「外は全部、光だ!」


ノクスの声は冷たい。


「だから動く」

「光の外へ逃げる」


シオンは理解する。


監視光が来た瞬間、

“ここにいる”というログが確定する。


確定した瞬間、回収が始まる。


シオンはレムの手を取った。


レムの手が異常に冷たい。


そして――小さく震えている。


空気が沈む。


音が、歪む。


また、あの“無”が来る。


Δの前兆。


まだ発動じゃない。

でも、レムは確実に“引き金”になっている。


そしてその時。


工場の床に落ちていた古い鉄片が、

カタ、と動いた。


誰も触れていないのに。


次に、

鉄骨の端が、ギリ、と歪んだ。


ミナトが呟く。


「……冗談だろ」


リリスの端末が震える。


画面に黒い滲み。

ログが欠ける。


そして、最後の文字列が一瞬だけ走った。


Δ: SIGNAL DETECTED


シオンは息を止めた。


世界が名前を呼び始めている。


――光が来る。

救済の光は、逃走経路を“照らして消す”。


監視光は、やさしい色をしていた。


青白く、均一で、目に痛くない。

まるで医療灯のように。


けれどそれは、

“治す光”ではなかった。


“特定する光”だった。


光が当たった場所の空気だけが硬くなる。

呼吸が浅くなる。

皮膚が薄くなる。


そこに「いる」という事実が、

世界に刻まれていく。


リリスが声を震わせた。


「帯域スキャン……」

「この光の中に居続けると、識別が完了します」


ミナトが吐き捨てる。


「識別って言えよ」

「捕まえる準備じゃねぇか」


ノクスは即答した。


「走る」

「ここは終わった」


NIGHT UNIONの男が片手で合図する。


「こっちだ」

「夜の道を知ってる」


シオンは一瞬だけ迷った。


夜の連合は味方ではない。

正義でもない。


でも、敵でもない。


この世界の“管理外の秩序”。


そして今、

生き残るために必要な秩序だった。


廃工場の裏手、崩れた配管群の隙間。


男が地面の鉄板を持ち上げる。


その下に、穴が開いていた。


古い地下管路の入口。


湿気と鉄錆の匂いが吹き上がる。


男が言う。


「入れ」

「空は閉じた。地はまだ残ってる」


ミナトが顔を歪める。


「地面まで管理されたら終わりだな」


ノクスが淡々と返す。


「終わる」

「だから今は、地を使う」


彼らは穴へ滑り込んだ。


最後にシオンが入る瞬間、

背後の空がもう一度震えた。


監視膜が“近い”。


上空にあるはずのものが、

体の上に落ちてくるような圧迫感。


レムが呻く。


「……うるさい」


シオンが耳を澄ます。


たしかに、音がある。


空が鳴っている。


光が、呼吸している。


まるで巨大な生き物だ。


そして――

それが“誰かを探している”。


地下管路は狭く、

水が足首まで溜まっていた。


走れない。

歩くしかない。


だから焦る。


焦れば息が荒くなり、

息が荒くなれば音が増える。


音が増えれば――

管理は見つける。


シオンは唇を噛んだ。


(救済の光が)

(地下まで届くのか)


リリスが小さく言う。


「……届きます」

「照射は直接じゃなくても、反射で拾われます」


ミナトが舌打ちした。


「最悪だ」


最悪。


でもまだ“終わり”じゃない。


終わりは、

“救えたはずの命”が消える瞬間。


その瞬間に比べたら、

ここはまだ途中だ。


ノクスが先へ進み、合図する。


「止まれ」


全員が立ち止まる。


前方、管路の天井に

薄い光が滲んでいた。


青白い光が、

コンクリの隙間から漏れている。


上の地上で、スキャンが走っている。


NIGHT UNIONの男が低く言う。


「通ると拾われる」


ミナトが苛立つ。


「じゃあどうする」


男は笑う。


「通る」


「ただし――」


彼は壁を叩いた。

コンクリの側面。

薄い亀裂。


「ここは崩せる」

「崩して横へ逃げる」


ミナトが眉をひそめた。


「誰が崩す」


男が肩をすくめた。


「腕力がある奴」


ミナトが前へ出た。


「俺だな」


その瞬間、レムが小さく首を振った。


「……だめ」


シオンが目を見開く。


「レム?」


レムは胸を押さえている。

まるで息が詰まっているみたいに。


「壊すと……響く」

「光が、もっと近づく」


リリスが呟く。


「……音で拾われる」


シオンは理解する。


この世界はもう、

“行動”がログになる。


壊す、走る、叫ぶ。

全部、救済の素材にされる。


ノクスが短く言う。


「俺がやる」


ミナトが反発する。


「お前が何を――」


ノクスは振り返りもしない。


「Showing(見せる)だけでいい」

「壊すのは、音じゃない」


ミナトが言葉を失った。


ノクスは壁に手を置く。

そして息を吐く。


その瞬間、

管路の水面が揺れた。


小さく。


波紋が広がり、

コンクリの亀裂が、ミシ、と開く。


誰も殴っていない。

爆薬もない。


“圧”だけで、割れる。


シオンは目を見開く。


(……何?)


ノクスは静かに言った。


「崩すんじゃない」

「“すでに崩れてる”ことにする」


意味が分からないはずなのに、

感覚が理解した。


この男は、

夜の秩序を使っている。


ログに残らない崩し方。


存在しない崩壊。


そして壁が、音もなく崩れた。


穴が開く。


向こうはさらに狭い横道。

暗い。

でも光が届かない。


NIGHT UNIONの男が笑った。


「さすがだ、ノクス」


ノクスは答えない。


シオンは震えながら言った。


「……今の、どうやったの?」


ノクスは一秒だけ目を細める。


「説明できるなら、ログにされる」


それが答えだった。


“説明できないこと”こそが、

彼らの生存ルート。


ユウの残した誤差と同じ。


横道に入った瞬間、

上の光が遠ざかる。


息が戻る。


シオンは深く吸い込んだ。


でもその安心は、すぐに壊れた。


リリスの端末がまた震える。


画面に赤い警告。


救済監査補助官 権限照合中


シオンが凍る。


「……私の権限が」


リリスが顔を上げる。


「シオンさんの権限が、追跡精度を上げてます」

「照合信号が、あなたを“灯台”みたいに使ってる」


ミナトが怒鳴った。


「ふざけんな!!」

「じゃあお前がいる限り、こっちは――!」


言いかけて止まる。


それは言ってはいけない言葉だ。


“あなたのせいで”

“あなたがいると”

その言葉は、救済を切り捨てる論理に変わる。


シオンが小さく言った。


「……私が、足枷?」


ノクスが即答する。


「違う」

「お前が鍵だ」


「鍵?」


ノクスは淡々と続ける。


「鍵は、閉じるためにも開けるためにも使える」


シオンの胸が痛む。


救済の鍵。

封鎖の鍵。

同じ形。


使い方だけが違う。


その時、レムが足を止めた。


急に。

まるで何かに引っ張られたように。


「……だめ」


「上」


「上が……泣いてる」


シオンが息を止める。


上が泣いてる。

空が泣いてる。


監視ドームのことだ。


そして――

レムの周りの鉄くずが、浮いた。


小さな釘。

破片。

錆びたボルト。


ふわり、と。


重力が乱れる。


違う。

重力じゃない。


“存在の優先度”が変わる。


世界が「鉄を動かす」方を選ぶ。


Δ。


まだ完全な発動じゃない。

でも、明確な異常。


ミナトが呟く。


「……やべぇ」


リリスが震えた声で言う。


「ログが……追いついてない」

「記録が欠ける……」


そして端末画面に、黒い滲み。

“存在しないフレーム”が一瞬だけ映る。


白い文字列だけが残る。


Δ / UNDEFINED / PRIORITY SHIFT


シオンはレムを抱き寄せた。


「レム、聞いて」

「怖くない。大丈夫」


レムは泣きながら首を振った。


「怖い」

「怖いけど……」

「みんなが、いなくなる方がもっと怖い」


その言葉が、

シオンの胸を撃ち抜く。


いなくなる。


登録された瞬間に消える。


第12章で起きた現象の核心。


それが今ここで、

“理由”を持って姿を見せ始めている。


遠くで、音がした。


金属が擦れる音。


管路の奥。


規則的な足音。


追手は、地下にも入ってきている。


ミナトが歯を食いしばる。


「来たぞ」


ノクスが即座に言う。


「分岐だ」


NIGHT UNIONの男が言う。


「ここから先は俺たちの道じゃない」


シオンが息を呑む。


「……ここで別れるの?」


男は頷いた。


「俺たちは“夜の秩序”だ」

「お前たちは……」

「境界の“誤差”になる」


誤差になる。


それは、

ユウが増殖させたもの。


アルトが残したもの。


そして今、

シオンが引き受け始めたもの。


男が最後に言った。


「上に出たら、空を見ろ」

「光が均一なら、そこはもう檻だ」


そして、ノクスに視線を投げる。


「ノクス」

「……そいつらを守れ」


ノクスは短く答えた。


「守る」


ミナトが小さく笑った。


「お前が守るって言葉使うの、珍しいな」


ノクスは言った。


「拾うために守る」


その一言で、

シオンの中で繋がった。


拾う=守る。

守る=残す。

残す=未来。


ユウの思想は、

こういう形で受け継がれる。


本人がいなくても。


――救済の光が、暴力になる瞬間。

“守るための鍵”は、使い方を間違えれば――檻の鍵になる。


地下管路は、終点に近づくほど狭くなった。


コンクリは湿り、

空気は重く、

息が肺の底に沈んでいく。


その先に、梯子があった。


古い非常用昇降口。

上は地上へ抜ける。


ノクスが耳を澄ませる。


「……静かだ」


ミナトが顔を上げる。


「追手は?」


ノクスは答えない。

ただ、目が鋭くなった。


静かすぎる。


それはつまり――

追っていないのではない。

“待っている”。


リリスが端末を見た瞬間、顔が真っ白になる。


「……外」

「救済帯域の補足範囲、更新されてます」


シオンが喉を鳴らす。


「ここも?」


リリスは震えながら頷く。


「もう、境界の外側まで」

「ドームが……“広がる”」


広がる。


救済は拡大する。

だから誰も反対できない。


救済が増えるほど、

自由は減る。


世界の正論が、

人間の逃げ道を消していく。


ノクスが短く言った。


「出る」


ミナトが睨む。


「出たら光の中だろ」


ノクスは淡々と返す。


「ここにいれば、追い詰められる」

「上に出れば、選べる」


選べる。


その言葉が、シオンの胸に刺さった。


管理は選ばせない。

救済は選択肢を減らす。


でも、夜は違う。


夜は残す。

選べる余白を残す。


それが“管理されない未来”。


梯子を上る。


鉄が冷たい。

レムの手を支えながら、シオンはゆっくり進む。


最後に地上へ出た瞬間、

空気が変わった。


冷たいのではない。

薄い。


まるで世界が膜越しになったみたいに。

息を吸っても、肺に届かない。


視界が均一すぎる。


そして――光。


青白い監視光が、空から落ちていた。


逃げ道が、ない。


上を見上げれば、

見えないはずの監視膜が“輪郭”を持っている。


透明な曲面。


巨大な球。


空が、覆われている。


檻だ。


ミナトが歯噛みする。


「……これが監視ドーム」


リリスが呟いた。


「救済帯域は、もう“施設”になりました」

「人を守るための施設……」

「でも、出られない施設」


それを、人は何と呼ぶ?


――収容。

――隔離。

――選別。


シオンは胸の奥が凍っていくのを感じた。


自分がやろうとしていた“救済”が、

こういう形になる。


しかも正しい顔のまま。


その時、空の光が一段階明るくなった。


スキャンの密度が上がる。

青白い粒が、目に刺さる。


リリスが叫ぶ。


「識別開始!」

「今ここでログが確定します!」


ミナトが叫び返す。


「走れ!!」


全員が動き出す――その瞬間。


シオンの端末が勝手に起動した。


いや、端末じゃない。


“権限”が起動した。


冷たい音声が、耳の奥で鳴った。


救済監査補助官:権限照合完了

救済対象候補:捕捉


捕捉。


捕まえた。


シオンの背筋が凍る。


(私が……照準になってる)


そして、上空から静かな声が降ってきた。


スピーカーでも、通信でもない。

空全体が喋るような声。


「――救済帯域内の住民へ通達」


「未登録者は、保護のために登録が必要です」


「抵抗は危険行動として記録されます」


その声には怒りがない。

罵倒もない。

命令というより“案内”だ。


優しい案内。


だからこそ怖い。


ミナトが吐き捨てる。


「クソが……」


ノクスは走りながら言った。


「止まるな」


レムがふらつく。


シオンが支える。


レムの目が、空を見て震えている。


「……空が」

「怒ってる」


怒ってるんじゃない。

探してる。


管理は怒らない。

ただ最適化する。


最適化は感情を持たないまま、

人間を削る。


その時。


地面が白く光った。


光の線。

円形。


足元に、薄い“境界線”が浮かぶ。


逃げ道を区切るための線。


封鎖線の可視化。


リリスが絶望した声で言う。


「……誘導ライン」

「逃げ道を管理局が“設計”してます」


逃げ道が設計される。

それは逃げ道じゃない。


追い込み道だ。


――視点が変わる。


彼女は高い場所にいた。


監視塔ではない。

監視ドームの内部、管理者用観測室。


透明なスクリーン越しに、境界線が見える。


その中央を走る点が三つ。


シオン、ミナト、ノクス。

そして、異常値を持つ子供、レム。


カリナは静かに記録を見た。


「救済資産、捕捉」


「逃走ルートを誘導」

「損失率を最小化」

「回収コストを最適化」


彼女の目には迷いがない。


これは善意だ。

救うためだ。

救えない未来を減らすためだ。


だから、閉じる。


カリナは淡々と呟く。


「救済は、制度にならなければ無意味」

「制度は、例外を許せない」


彼女は悪ではない。

正しい。


正しいからこそ、止まらない。


シオンたちは走っていた。


光が背中を追い詰める。


そして――空気が薄くなる。


息が浅くなる。


レムが倒れそうになる。


シオンが叫ぶ。


「レム!!」


レムは泣きながら言った。


「……いやだ」

「いなくなるの、いやだ」


リリスが息を呑む。


「……登録された瞬間に消えた人たち」

「この帯域のどこかに……!」


シオンは痛みで顔が歪んだ。


救済が、消失を生む。

保護が、消える。


それが制度の裏側。


そして、レムの異常が跳ね上がる。


周囲の金属片が浮き、

回転し、

空気を裂くような音を立てる。


ミナトが叫ぶ。


「やめろ!危ねぇ!」


レムは震えながら泣いた。


「止めたいのに……止まらない!」


その瞬間、空の光が一斉に“濃く”なる。


まるでレムを見つけたみたいに。


“異常値”は救済の目を引く。


異常は管理の獲物だ。


ノクスが立ち止まった。


一瞬だけ。


彼は空を見上げ、

光の密度を読み取る。


そして言った。


「シオン」

「鍵を使え」


シオンは叫び返す。


「私の権限は追跡になる!」


ノクスの声が低い。


「追跡を“誤誘導”に変えろ」


誤誘導。


シオンの脳が焼ける。


そんなことができるのか?


でも、鍵は閉じるためだけじゃない。

開くためにも使える。


アルトが言っていた言葉が、脳裏に刺さる。


――“残す判断”。


残す判断は、制度化されれば檻になる。

でも、運用次第で余白になる。


シオンは端末を握り締めた。


指が震える。


リリスが叫ぶ。


「シオンさん、無理です!」

「照合は自動で――」


シオンは息を吸い込んだ。


「……いいえ」


「私は監査官です」

「監査官は、照合を疑う権限がある」


その瞬間。


端末の画面が変わった。


監査権限メニュー。


“救済対象照合:再確認”

“誘導ライン:修正”

“捕捉ログ:一時保留”


リリスが息を止める。


「……できる」


シオンは手を震わせながら操作した。


“捕捉ログ:一時保留”


――決定。


空が、一瞬だけ沈黙した。


監視ドームが、迷う。


迷いは本来ない。

でも監査権限は、迷いを“制度として”差し込める。


管理の中で許された誤差。


アルトが残した穴。


その穴に、シオンが手を突っ込む。


スキャン光が、わずかに逸れた。


誘導ラインが揺らぐ。

封鎖線がズレる。


一秒だけ。


だがその一秒が、命になる。


ノクスが叫ぶ。


「今だ!」


ミナトがレムを抱え上げる。


「走れええ!!」


彼らは光の隙間へ飛び込んだ。


世界が“ここに居る”と確定する前に、

境界の外へ滑り込む。


だが、その代償が来た。


レムの体が、限界を超えた。


「……あ……」


小さな声。


次の瞬間、

空気が割れた。


音が消える。

色が薄れる。


世界の輪郭が、外れる。


そして金属が、意思を持つ。


鉄骨が曲がり、

瓦礫が浮き、

監視光の粒が一瞬だけ“歪む”。


監視ドームのログに、黒い欠損が走った。


そこに、初めて“名前”が刻まれる。


Δ


短い。

冷たい。

記号。


まだ公表されない。

まだ誰も理解しない。


だが世界が、

異常を“現象名”として登録した。


シオンは息を止めた。


(これが……)


(4作目の扉)


彼らは逃げ切った。


逃げ切ったはずだった。


だが空を見上げると、

監視ドームはまだそこにある。


境界を越えても、

空は閉じたままだ。


ミナトが荒い息で言った。


「……勝ったのか?」


ノクスが答える。


「勝ってない」

「まだ始まっただけだ」


リリスが震える声で言う。


「でも……ログは一時保留にできた」

「シオンさんの判断で……救済が止まった」


シオンは端末を見つめた。


救済を止める。

それは救うために必要な瞬間がある。


矛盾。

だけど、この矛盾の中でしか未来は残らない。


シオンは静かに言った。


「……私たちは」

「境界に残る」


ノクスが頷く。


ミナトが苦い笑いを浮かべる。


「じゃあ、俺たちの居場所の名前は?」


シオンは答えた。


「BORDER REMAINS」


境界に残る者たち。


拾われなかった未来を、

残す側。


空の向こうで、

監視ドームが微かに震えた。


まるで怒りではなく、

“発火寸前”の呼吸のように。


そしてどこかで、

軌道遺物が反応する予兆が走る。


セイルの世界が、近づいている。


ORBIT RELIC。


Δを増幅する“部品”。


それを拾う者。


次章で、彼らはその影を掴む。

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