第六話 役は演者にふさわしくなければならない
あれ以来、部活の雰囲気がどこか、重い。
台詞も声も、みんな少しだけ遠回りしている気がする。
私のお芝居が、やっぱり駄目だったってこと?
やっと、スケ番役がつかめてきていると思っていたのに。
でも、それなら、もっと違う役にするはず。主役だなんて……
なぜ? どうして? 監督の考えが分からない。
このままじゃ、お芝居に集中できない。
考えが堂々巡りして、出口が見えない。
……もう、嫌だ。
練習が終わったあと。
舞台袖のモップを片づけながら、私は小さく息を吸った。
「監督……」
原野監督は、床に広げた台本をパタンと閉じた。
「どうしたんや?」
「……どうして、私がルルなんですか? スケ番役、続けちゃいけないんですか?」
「監督は、目を細めて、少しだけ間を置いてから口を開いた。
「……主役やるのが、怖いか?」
言われた瞬間、喉が詰まった。
心の奥に、何かが触れた気がした。
何も言えなかった。
「わしはな、ただ一番“向いとる”と思う子に、役つけとるだけじゃ。
上手い下手で役をつけとる訳やない」
「……」
「主役も脇役も関係ない。みんな、必要な役なんやけん」
私は、ただ、うなづくしかなかった。
監督はいつものやさしい声に戻って、
「変なこと考える暇あったらな、もっとしっかり練習せな」
と言い残して、体育館の出口へ向かった。
ひとり残った体育館の舞台。
……明日は、ちゃんと“ルル”になることだけを考えよう。
それだけで、きっと、前に進める。
***
衣装が完成した日、監督がみんなを集めた。
「今日は衣装つけて練習するぞ。舞台に立つなら、形からやけん」
舞台衣装とメイクをつけて、本番さながらの練習。
代々伝わってきた演劇部の衣装。
少し擦り切れてるけど、それを私たちが手を入れて、監督の奥さんが丁寧に手直ししてくれた。
スケ番衣装は今風にアレンジされてるけど、どこか昭和の匂いが残っていた。
まこと先輩が、それを着る。
学ランにロングスカート。
金のアクセサリー。
背中には、赤い手書きの文字で「疾風怒濤」。
啖呵を切るシーン。
先輩は、口を開いた。
「おら、泣いてんじゃねぇよ、あんた弱いんじゃなくて、まだ怒り方知らねぇだけじゃ!」
その声と立ち姿に、誰も言葉を発せなかった。
……すご。まこと先輩、迫力……いや、似合いすぎ。
私よりずっと背の高い先輩が、衣装とセリフをまとうと、まるで“本物”のスケ番だった。
みんなも、監督の視線の先にあったのが、これだったんだと納得していた。
うん、私も、そう思った。
何よりまこと先輩が、一番、輝いてた。
***
まこと先輩の輝きに負けないように、必死にルルを演じた。
衣装の襟を指先で整える、
そんな動作ひとつひとつにも、みんなの視線を感じる。
「逃げてばっかじゃ、なんも変わらへんよ。怖がらないで、前に進みな!」
「うち、怖いんじゃない。……ただ、悲しかっただけ」
そのセリフを言った瞬間、心の奥で何かが光った。
ああ、これだったんだ。
私の中に、ずっと眠ってた“何か”。
――私が、ルルになるんじゃなくって、ルルが私の中に入ってくるんだ。
スケ番役のときには届かなかった場所に、今、届いてる。
私がルルになり、ルルが私になった瞬間だった。
――そして、ルルは教えてくれた。あのときの本当の気持ちを。
「芝居なんかやめさせろ」
そう言われたとき、怖くなって、お芝居ができなくなったと思っていた。
でも、違った。
“ただ、悲しかっただけ”なんだ。
悲しくてお芝居ができなくなったんだ。
私は、今、舞台に立っている。
震えることなく、恐れることなく。
舞台の中心に、“居る”。
ここにいることで、あのときの悲しみを超える何かを感じる。
「まひる……ルル、やったな」
監督の声を聞いた瞬間、胸が熱くなった。
もう怖くない。
私は、舞台に立っていい。
その日の練習後、空気は変わった。
誰も何も言わないけど、明らかに変わっていた。
わだかまりが、嘘みたいに消えて。
全員が台詞と動きに、自然と気合を入れはじめた。
この作品に、賭けてみよう。
そんな気配が、舞台の端から端まで、広がっていた。