第三話 光が当たらないところでも劇は進む
夕日に染まる運動場の片隅で、声が響く。
「せーのっ、いち、にー、さん、しー!」
声を出しながら、校庭をぐるりとランニング。
腹筋、背筋、発声、早口言葉。
文化部なのに、やってることは、ほぼ運動部。そんな日々が続いていた。
「……過去に戻れたらな……」
すずが、息を切らせながら言う。
「え?」
「演劇が楽ちんとか言った自分、殴ってでも止めたい」
「そ、そんなに?」
「言った覚えあるもんな。しかも、わりと自信持って」
笑いながら水を飲む。
すずは、文句を言いながらも、淡々と腹筋を続ける。
愚痴はこぼす。でも、手は抜かない。それが、すずのスタイル。
演劇部は、驚くほど真面目だった。
三年の部長たちの本気に引きずられて、なんとか“ついて行っている”という感じ。
練習は、いよいよ台本の読み合わせに入った。
体育館の舞台。
全員が輪になって、台本を持ち、それぞれの役で声を出す。
その途中で、原野監督が言った。
「お前、声の筋肉、ちゃんとあるな。小田って言ったな」
「……」
「基礎がしっかりしてる。経験者か?」
原野監督は定年前で、白髪まじりの国語教師。演劇部は長いらしい。
普段は優しいけれど、演技指導はとても厳しい。そこを、皆、信頼しているみたい。
「……小学校のとき、ちょっとだけ……芸能スクールに通ってました」
一瞬、空気が止まる。
まこと先輩が台本をめくる手を止める。
美結先輩も、視線だけを動かす。
監督は、口元を引き締めながら言った。
「……どうりで。でも、ドラマと演劇は違うけんな。
舞台は“生”やけん。台詞は、魂込めて言わんと、届かんぞ」
その言葉に、こくんと頷く。
それ以上、何も言わなかった。
すずは、何も反応せず、次のセリフを黙々と読みはじめている。
風が、舞台袖から静かに流れてきた。
***
練習終わりの帰り道。
体育館裏を抜けて、すずといつもの川沿いの道を歩いていた。
靴の音だけが並んで響く。
すずは、いつものように右耳にだけイヤホン。
「……ごめん、今まで黙ってて」
すずは顔を横に向けることもなく、答えた。
「たぶん、そんな感じやと思ってた」
「え……?」
「動きとか、声の出し方とか」
「まひる、最初から“演劇の人”やったもん」
笑おうとして、うまくできなかった。
少し黙ったあと、口を開く。
「……それが理由で、うちの親、別居中。たぶん離婚するかも……」
すずは、歩みを止めずに、ただ言った。
「その話、重い? 無理して言わなくてもええよ」
「……ううん」
しばらく沈黙が続いた。
私は、独り言のように話しはじめる。
「幼稚園のとき、すごく人見知りで……」
「それで、ママが積極性つけたほうがいいって、芸能スクールに連れていったの」
「ほんの体験のつもりだったのに、ちょっとした役が決まったりして……うちの人も喜んでくれて」
「違う誰かになれるのも、嬉しかった」
「でも、ママがだんだん前のめりになってきて……」
「家事よりも、私のことばっかりになって……」
「パパ、それがすごく気に入らないらしくて喧嘩ばっかりになった」
「それで、お芝居のことも……嫌になってきて。人前でやるのが怖くなった」
「学校に行っても、芸能活動優先だったから……居場所なくて、ずっとぼっちで……」
「……不登校になった」
「医者の人が、“環境を変えた方がいい”って言ってくれて。
それで、引っ越したの。ママの実家、この町に」
それだけ言うと、すっと息を吐いた。
自分でも、話し切れたことが不思議なぐらいだった。
ずっと、誰かに聞いてほしかった話。
すずは、それまで一言も挟まずに聞いていた。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「今でも嫌、演劇のこと?」
「……」
「嫌なら、止めてもいいと思う……。
無責任には言えないけど、まひるといっしょに演劇するのは、私は好きだな」
「怖いかな、今でも。
練習では声を出せるけど、人に見られると思うと……」
消えそうな声で答えた。