バースデーには百合色リングを
三月下旬。卒業式も終わり、ぼくらに退寮の日がやってきた。
「茉莉花、まだそんなに荷物あんの? こーゆー時こそ思い切りが肝心なのに」
「よくゆーよ。汐音なんて片付けるどころか散らかしてんじゃんか」
「散らかしてるー? どう見ても片付けてるでしょーが!」
「片付けるってのは、いらない物を捨ててこそだろ? 汐音のゴミ箱、ほとんど空じゃんか」
「そっちのゴミ箱だって、教科書ばっかりじゃなーい」
「しょーがないだろ? 服飾科は普通科の生徒よりも荷物が多くて当然なんだから」
三年間を過ごした部屋は、こんなにも物で溢れていたのかと驚愕させられた。三学期に入ってから少しずつ処分してきたつもりなのだが、どうやら全く追いついていなかったようだ。
それでも、ぼくたちときたらギリギリまで『なんとかなる』と思い込んでいた。まさか退寮日当日までばたばたするとは……。
同時に、はぁーっとため息をついた。お互いに先の見えない引っ越しにイラついているようだ。箱詰めしていた手を止め、ぼくは固まった腰を伸ばす。教科書やノートは躊躇いも泣く捨てられたのだが、持って帰る物が多すぎて段ボールが全く足りない。
すでに梱包してあるのは、実家から持ってきたコンポとヘッドフォン。それとお気に入りの洋服たちと、アクセサリーボックスと愛用のミシン。……それだけ。
悩ましいのは製作課題で作成した服や小物たち。おねだりしてきたファンの子たちにほとんどあげたのだが、これは自分で着るかな? これは自分で使うかな? と残しておいた物が意外と多かった……。
彼女のほうをちらりと見た。床が見えないほどに散らかっている。物たちに囲まれ、真剣な表情で、花占いのようにぶつぶつ呟いている。
「いる、いる、いらない、いる、いる、いる、いらな……いる」
彼女から見て左側が『いらない』、右側に『いる』物と分けているようなのだが、いらない物に比べ、いる物がおよそ九割。まるでフリーマーケットのようだ。
ベッドの上にはぐちゃぐちゃのままの洋服が寝転がっている。
「……何?」
ぼくの視線に気付いた彼女がじろりと見返してきた。
「いや、別にぃ。……あーぁ、疲れたからちょっくら休憩してジュースでも飲もっか。ジンジャーでいい?」
「ありがと。はぁ……足しびれたぁ」
こてん、と尻餅をつく彼女を背に、「んじゃ行ってくんね」と扉を閉めた。首を左右に傾けたら、パキパキ音がした。
ジンジャーエールを二本買って戻ると、彼女の隣でしゃがむ、もう一つの背が見えた。扉を閉めた音で気付いたらしく、まん丸い顔が振り返った。
「おっ、夏音。手伝いに来たのか?」
ぼくが問いかけると、彼女の妹は「まぁね」と得意気に口角を上げた。
「お姉ちゃんのことだから、きっと手間取ってるだろうなーって思って」
「偉い偉い。汐音は服畳むの苦手だから、まずはそっちの段ボールに服詰めてやってよ」
「言われなくてもそのつもり。ねー、お姉ちゃーん」
夏音がにこにこ同意を求めたが、彼女はぼくに「殴るわよ?」と鋭い睨みを効かせてきた。
「余計なお世話だっつーの! 片付けくらい一人でできるわよ。……夏音、荷造りはいいから運び出しの時はお願いするわ」
「えー、でもぉ……」
お姉ちゃん大好きっ子の妹が、ぽってりとした唇を尖らせた。離れるのが寂しいから、少しでも一緒にいたいという気持ちは痛いほど分かるが、なにせ足の踏み場もない。
黙々と仕分け作業を再開した彼女をしょんぼり見つめる夏音。ぼくの余計な一言でとばっちりを与えてしまったのを申し訳なく思い、服飾科の後輩でもある夏音に裁縫箱を差し出した。
「夏音にあげるよ。三年になると課題も複雑になってくるし、結構使えるの入ってるから」
その中には製作に使用した道具や余り布、糸、ボタン塁などなどがたんまり入っている。課題以外にもフリマアプリでお小遣い稼ぎの物作りをしている夏音のくりくりお目々が輝いた。
「えっ、いいの? やったぁ! お姉ちゃん、じゃあ後で呼んでねー」
道具箱を頭に乗せ、夏音はるんるんで出て行った。扉の閉まる音と同時に、彼女と目が合う。
「悪かったわね、畳むの苦手で」
「素直じゃないなぁ。普通に手伝ってもらえばいいのに……。ほいよっ」
溢れ返った物たちに行く手を阻まれているので、ぼくはジンジャーエールをぽいっと投げた。彼女は小さく「ありがと」と言ってキャッチする。
退寮後、ぼくは実家に戻る。一方、彼女は実家には戻らず、少しの間お姉さんのアパートに転がり込むことになっている。少しの間とはいえ、独身向けのアパートに二人で住むのは窮屈だ。それを分かっていても、彼女の貧乏性が取捨選択と戦わせているのだろう。
「お姉さん、何時に迎えに来るんだっけ?」
ぼくはフレームのみになったベッドに腰かけ、ジンジャーエールを半分ほど飲んだところで尋ねた。彼女もプシュッとキャップをひねる。
「五時。仕事早退して、知り合いに車借りてから来てくれる予定」
「そっか。んじゃぼくのほうが後だな。うちの兄ちゃんも仕事終わってからって言ってたけど、時間は当てにならないからなぁ」
「まぁ来てくれるだけありがたいと思わなきゃね。迎えに来てもらえない子たちは宅急便で送るみたいだし」
放置された服が散乱するベッドにもたれ、彼女もジンジャーエールを口にする。上下する喉を見つめながら、この三年間でちょっと丸くなったなぁ……なんて口にはできないことを考えていた。
ふと、彼女の脇に置かれたお菓子の空き缶が目に入った。彼女は太りにくい体質のぼくに『茉莉花は太らなくてずるい』といつも言っていた。ちょっと丸いほうがかわいいじゃんと返しても、乙女心には響かなかったらしい。
「今、また太ったなって思ってたでしょ」
「えっ! い、いや、そんなこと思ってないよ? ただ、その……その缶、懐かしいなって思って……」
彼女は疑わしげに「ふーん」と上目使いをしてきた。どうしていつもこういう時だけカンが鋭いのだろう……。
「それ、千歳に貰ったイチゴのゴーフルが入ってたやつだろ? 一年の最初の頃にもらったやつ」
「そ。デザインがかわいいから気に入ってるの。結構入るしね」
そう言って彼女は缶の蓋を開けてみせた。プラスチックの仕切りもそのままに、ネックレスやイヤリングなどのアクセサリーがきちんと並べられている。
「お? 中はちゃんとお片付けできてるじゃん」
「失礼ね。ネックレスは絡まったらなかなかほどけないし、イヤリングは片方なくしたら付けられなくなっちゃうでしょ? それに……」
「それに?」
「全部茉莉花に貰った物だし……」
ぼくの口角がにんまり上がりきる前に、彼女は慌てて下を向いた。彼女にとっての『失言』は、ぼくにとってはご褒美だ。
「ねぇ汐音。その中で、ぼくが一番最初にあげた物覚えてる?」
缶の蓋を閉めかけた彼女が手を止めた。
「え? この中で? んっと……」
プレゼントはアクセサリー以外にも、洋服やらヘアピンやらポーチやらをあげている。決まって『いらない』と首を振る彼女だが、ぼくはついつい『もう買っちゃったから』と強引に渡してきた。おじいちゃんがかわいい孫に買い与えたくなってしまう気持ちに似ているのかもしれない。
「これは一年の夏休みに水族館で買ってくれたやつでしょ? こっちはクリスマスだし、こっちはえっと……あぁ、遊びに行った先でかわいいの見つけたからとかで買ってきてくれたやつ。……確か、合唱コンの後だったかな? だからぁ……」
正解の物以外、ぶっちゃけぼく的には「そうだっけ?」が喉元まで込み上げている。言われて思い出した物もあれば、あげたのは覚えていてもいつかなんてピンとこない物もあった。
一つ一つ、思い出を遡りながら、彼女はこれはあの時、こっちはあの時……」と指を指す。
「あれ? ってことは……」
「お? やっと分かった?」
「うん、分かってはいるんだけど……」
彼女の顔色が見る見る青ざめていく。もう一度確認するように「これは違うし、こっちも違う……」と手を早める。
「えー、嘘だろー? 汐音ってばもしかして……」
「ち、違うわよっ。なくしてないし!」
焦りが表情にも声にも現れている。こりゃ明らかになくしたなー……と冷静にジンジャーエールを飲み干す自分がいた。
「まぁいいけど。あげた物がなんだったかは覚えてくれてたみたいだし」
「お、覚えてるわよっ。なくしたって決まってないのに、過去形で言わないでよね!」
口調こそ強きでも、やはり気まずさに目を泳がせている彼女。何度かき回しても見つからないらしく、「あ、あっちかなー……」と別の缶を開けだした。
ぼくもよく覚えている。彼女に初めてあげたアクセサリーは、十六歳のバースデープレゼント。ハートをモチーフにしたピンクゴールドのリングだ。
アクセサリーはヘアピンやシュシュくらいしか持っていなかった彼女は、ベルベットの小箱を開けた瞬間目を丸くしていた。そのお間抜けな表情までもよく覚えている。
寝入った彼女の薬指にそっとヒモを巻き、こっそりサイズを計った夜のことも。ジュエリーショップで一人、うろうろと二時間悩んだことも。隠し場所に困って挙動不審になり、彼女に怪しまれケンカになりそうになったことも……。
どれも全部含めて、思い出のリングだったんだけれど……。
「また買ってあげるよ。時間ないから片付けなきゃ終わんないぞ? さっ、ぼくももうひと頑張りしなきゃな」
言ってぼくは空になったペットボトルをゴミ箱へ放り入れる。彼女はぼくの発言に気まずさが増したらしく、そっと缶の蓋を閉じた。
「あ……机の引き出しかな? こっち終わったら探しつつ片付けなきゃね」
独り言のようなアピールのようなつぶやきを一つし、彼女は再び片付けを始めた。側近に置かれたジンジャーエールの粟がぷつぷつと弾けていく。
西日が差し込んできた頃、ぼくはようやく梱包を終えた。段ボールが余ったという同級生から分けてもらい、大小合わせて六つの箱に収めることができた。
彼女のほうはというと、すっかり殺風景になったぼくのテリトリーとは裏腹で、相変わらず物が散乱している。少しずつ片付いているような気もするが、五時には到底間に合いそうもない。
「こっちは捨てていいやつだろ? 捨てるのと洋服畳むのはぼくがやるよ」
目度の立たないイラ立ちが表情に表れているが、さすがに観念し「じゃあお願い……」と段ボールを一つ差し出してきた。ちなみに中は空っぽである。
てきぱきと洋服たちを畳むぼくの手元が、横目で見られているのを感じる。ぼくはそれに気付かないふりをし、せっせと段ボールに収めていく。途中、毛玉だらけのニットや襟の伸びきったTシャツを「これはさよならするよ?」と許可を得、なんとか二箱に収めることができた。
彼女の左側にあったいらない物たちをゴミ袋にまとめ、山になっているぼくのゴミ袋の上にうんしょと乗せる。捨てる物と洋服を片付けただけで、だいぶ彼女のテリトリーがすっきりしてきた。
ようやく彼女の左側が空いたので、ぼくは隣にしゃがんだ。ほこりで鼻をくすぐられたのか、「へっくしょん!」と一つくしゃみが出た。
「服、ありがと。さすが茉莉花は器用ね」
「器用でもないよ。服に関してだけだね。あとは? 文房具とか洗面用具とかまとめようか?」
「ううん、あとは自分でやる。でも疲れたなぁ……はー」
どさっとベッドにもたれかかり、天井を仰ぐ彼女。苦笑いしながら見つめるぼくは、ふとある物が目に入った。
「汐音。もしあのリングが運び出しまでに見つからなかったらどうする?」
「な、なくしてないんだから見つからないわけないでしょ?」
「だからもしもだよ、もしも。例えば、毎日ラブコールして『好き』って言ってくれるとかさ」
「やーよ! なにその罰ゲーム」
「おいこらっ、どこが罰ゲームだ! 毎日当たり前のように一緒にいたんだぞ? 寂しがり屋のぼくが心配じゃないのか?」
口を尖らすぼくに、彼女は冷ややかな視線を刺してくる。大好きなお姉さんと暮らせる彼女はちっとも寂しくないのかもしれないが、退寮するこの日が永遠に来なければいいのにと願い続けたぼくが寂しくないわけがないのに……。
「電話、できる時はするけど……バイトも掛け持ちするつもりだし、専門学校も時間割とかまだ分かんないし。約束はできないわよ」
深いため息をまた吐き、彼女は「もういいやっ」と右側に並べていた物たちを段ボールに無造作に放り込みだした。整理整頓が苦手な彼女の悪いくせだ。荷ほどきにまた苦労するぞと制止するぼくの忠告も聞かず、一色単に投げ込まれていく。
若干締まりきっていない段ボールに無理矢理蓋をし、べりべりとガムテープを貼り終わったのは午後四時半。実にお迎えぎりぎりである。なのに彼女はドヤ顔で「余裕だったわね」とご満足の様子。。
「んで、あった? リング」
「え……! あれは……」
「えー、まさか探すの忘れてたわけじゃないだろーなぁ?」
ぼくがにやにやを隠しきれないままツッコむと、彼女はたじたじで上目使いをしてきた。かわいい。
「荷ほどきしたら絶対出て来るわよ……。あんな大切な物、あたしがなくすわけないでしょ? あんたと付き合って初めての誕生日にもらったリングだもん……」
若干の切なさが混じっているところがまたかわいくて、ぼくは頬が緩んでしまうのを必死に堪える。今日何度目かのため息のあと、ぼくの肩にもたれかかってきた。
「分かってる。汐音は何をあげても大切にしてくれるし、あのごちゃごちゃした中に入ってるよ、きっと」
「ごちゃごちゃって……言い方ぁ」
「雑だけど、ぼくのこともちゃんと大切に思ってくれてんのも分かってるしさ!」
言うと彼女は照れくさくなったのか、「調子にのるな」と脇に肘鉄をくらわしてきた。思わず「ぐふっ」と声が漏れる。
間もなく彼女のスマホがピロンと鳴った。お姉さんから『早めに着けそう』とメッセージがきたらしい。いよいよその時が来てしまった。
「掃除機はぼくがかけて寮母さんにチェックもらっておくから、夏音呼んで運び出し手伝ってもらいな?」
「うん。茉莉花、最後までありがとね……。三年間楽しかった……」
スマホを握りしめたまま、彼女がぼくの背に腕を回してきた。鼻の奥がつんと痛い。高く結った赤毛を優しく鋤く。しばらくこのぬくもりを感じられないのかと思うと抱きしめる腕に力が入ってしまう。
「最後とか言うなよ……。余計に寂しくなるじゃんか……」
「寮生活では最後ってこと。時間ある時はちゃんと電話するから、あんたこそ大学で新しい恋人作ったりしないでよ?」
「当たり前だろ。こんなにぼくを大切に思ってくれる汐音以外を好きになるわけないじゃん……」
囁いて、後れ毛の残る首元にそっと口付ける。大切にしすぎて忘れてしまったのだろう。愛おしさが溢れてくる。「どーだかね」とくすくす笑う彼女は、まだ気付いていない……。
その首元のチェーンの先で、捜し物のリングが揺れていることを……。