決断
振り始めた雨は、しばらくの間ずっと止むことを知らなかった。
最初は小さな雨粒だったそれは、いつの間にか激しい雨となっていた。
そんな冷たい雨が道路を叩き、アスファルトに無数の水たまりが広がって、街灯の光を歪ませていた。
翠は線路の近傍の地面にしゃがみこんだまま、絶えず泣き続けていた。
声を上げて、息が詰まりそうになるほど。
頬を伝う涙も、雨に混ざってもう分からない。
翠の近くに座っていた碧は何も言わず、ただただ翠の傍に寄り添っていた。
服はすっかり濡れ、髪からも水滴が落ちた。
それでも碧は、翠から離れなかった。
時間がどれくらい経ったのか、分からない。
翠の泣き声は、次第に小さくなっていった。
それでもなお、肩が小さく震えている。
そして、碧が口を開いた。
「……とりあえず、あっちで雨宿りしよ」
少し先を指さす。
踏切の近くの公園だった。
大きな屋根の下に、小さなベンチがある。
翠はそのままゆっくりと立ち上がった。
二人は無言のまま歩く。
雨のせいか、公園に人の姿はなかった。
二人はベンチに座り、しばらく沈黙が続いた。
翠は下を向いたまま、両手をぎゅっと握っている。
碧は少し迷うように視線を動かしてから、ぽつりと呟いた。
「……別に無理にとは言わないけどさ、」
碧は若干言葉を選ぶように間を置いたあと、また口を開いた。
「一人で抱え込んで、またさっきみたいなことになるくらいなら、誰かに言った方がいいと思う」
静かな声だった。
責めるような言い方ではなく、ただ事実を言っているような口調。
翠はしばらく黙っていた。
雨の音だけが、二人の間に落ちる。
やがて、翠の口がゆっくりと開いた。
「……花は」
翠の声は、まだかすれていた。
「私の……、幼馴染で、」
碧は何も言わず、ただ翠を見つめている。
その視線に促されるように、翠は話を続けた。
「生まれたときから、ずっと一緒で、」
記憶が、頭の中に浮かぶ。
小さい頃の花。
翠の手を引っ張って走る花。
笑っている顔。
「花は……、」
翠は一度、言葉を詰まらせた。
そして、爪が掌に食い込むほど強く拳を握りしめ、声を震わせながら呟いた。
「お腹……、刺されて、」
翠の言葉に、碧は思わず目を見張った。
「事故じゃない、、」
翠の声が小さくなる。
そして、ぽつりと声を落とした。
「誰かに、殺された」
言葉が空気の中に落ちた。
碧は息を呑み、眉をひそめている。
翠はその事実を改めて理解すると、頭の中が一気にかき乱された気分になった。
(……花がいない。………花のいない世界、、)
胸の奥が、ぽっかりと空いている。
そこには何もない。
(花がいないなら……)
そのときだった。
ふと、翠の頭にある記憶が浮かんだ。
『今日さ、ちょっと寄り道しようと思ってるんだよね』
『だからさ…、一緒に帰れないかも』
花がいなくなる前に言っていた言葉。
(……寄り道)
その瞬間、胸の奥に小さな疑問が浮かんだ。
(そういえば花……、どこに行ってたんだろう)
翠の中で、何かが揺れた。
翠はそっと目を瞑り、ぐるぐると思考を巡らせた。
(誰かに会いに行った…?それで殺された?
だとしたら一体誰が……、、)
翠の目がゆっくりと開かれた。
その瞳から、さっきまでの弱さが消えていく。
代わりに、冷たい何かが宿っていった。
(……花、)
翠は胸の奥で、そっと花の名前を呼んだ。
(私、決めた。)
花を殺した犯人を、警察なんかよりも先に見つけてやる。
そしてーー
(花の代わりに、復讐してあげる。)
その瞬間。
翠の瞳から、最後の光が消えた。
翠は顔を上げ、碧に視線を向ける。
「ごめんね、さっきは取り乱して」
翠はうすら笑みを浮かべたあと、口を開いた。
「ありがとう、もう大丈夫。」
声は落ち着いていた。
まるで、さっきまで泣いていた人とは別人のように。
碧はしばらく翠を見ていた。
何か引っかかるものがあった。
それでも、碧は何も言わなかった。
いや、言えなかったのだ。
雨はまだ降り続いている。
その雨の中でーー
翠の復讐は、静かに始まった。




