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雨と涙

それからの時間の流れを、すいはほとんど覚えていない。

感覚がないまま時が過ぎ、気づけばもう、斎藤花さいとうはなのお通夜に居た。

花のお通夜には、何人もの人が集まっていた。

静かな話し声、すすり泣く声。

その中で、線香の匂いが流れてきている。

奥には、花の遺影が置かれていた。

写真の中の花は、いつも通りの笑顔だった。

明るくて、楽しそうで、まるで今にも話しかけてきそうな顔。

でも、その前には白い花がたくさん並んでいた。

線香の煙が、ゆっくりと上へ昇っている。

その光景を、翠はぼんやりと見ていた。

現実感がない。

まるで夢を見ているみたいだった。


お通夜に来ていた人の中には、クラスメイトの姿もあった。

制服姿の生徒たち。泣いている女子もいる。

目を赤くしている男子もいた。

小さな声で話しているグループもある。


「信じられないよね……」

「昨日まで普通に学校いたのに……」


そんな声が聞こえてくる。

その中に、一人の男子が目についた。

高岡誠太たかおかせいた

花が好きだった人である。

誠太は、花の遺影の前で立ち尽くしていた。

唇を強く噛みしめている。

目は真っ赤で、今にも泣き出しそうなのを必死に堪えているようだった。


(……………。)


翠はその様子を、ただぼんやりと見ていた。

そのとき、近くの女子たちの声が聞こえてきた。


「ねぇ……」

「水瀬くん来てる……」

「え、ほんとだ……」


小さくざわつく声。

そちらを見ると、そこには黒い喪服姿の水瀬碧みなせあおがいた。

整った顔立ちは、こんな場所でも目立っていた。

すると、女子たちは小声で話し始めた。


「こんなときに思うのも変だけど……、」

「やっぱかっこいいよね……」

「ほんとそれ……!」


その声を聞いても、翠は何とも思わなかった。

悲しいとか、怒りとか、

そういう感情が何一つ湧いてこない。

まるで、心のどこかが壊れてしまったみたいに。


しばらくして、クラスメイトたちは帰っていった。

葬式は、親族と限られた人だけで行うらしい。

そして、翠と翠の両親は残ることになった。

部屋の中は、少し静かになった。

それでも、親族たちの泣き声が聞こえてくる。

花の母親は、ずっと泣いていた。

花の父親も、何度も顔を覆っている。

その光景を見ても、翠の心は動かなかった。


(……花、死んだの?)


その言葉が、頭の中をぐるぐる回る。

理解できない。

実感がない。

まるで、自分だけ別の世界にいるみたいに、線香の煙が静かに揺れていた。



翌日。

空は、昨日よりもずっと暗かった。

厚い雲が空を覆っていて、太陽の光はほとんど見えない。

まるで、世界そのものが静かに沈んでいるみたいだった。

静かな泣き声が、あちこちから聞こえてきた。

翠は、花の遺影の前に並んでいる白い花を、ただぼんやりと見つめていた。

頭の中が、ずっと静かだった。

そんな翠を置いて、葬式は進んでいく。

僧侶の低い声、木魚の音、親族たちのすすり泣き。

そのすべてが、遠くの出来事みたいに聞こえる。


やがて、花に最後の花を供える時間になった。

白い花を一輪手に取ると、翠は花の眠る棺の前へ

ゆっくりと歩いた。

中には、綺麗な顔をしている花が横たわっている。

洗練に整えられていて、まるで眠っているみたいだ。

でも、動かない。

翠は花の顔をじっと見つめた。

常に一緒だった幼馴染。

生まれた頃から、ずっと。

笑って、喧嘩して、ふざけて、たくさんの時間を一緒に過ごしてきた。


今の自分の気持ちが、よく分からない。

悲しいのかすらも、よく分からなかった。

ただ、花をそっと置いた。

周りでは、たくさんの人が泣いている。

花の母親は、声を荒げて泣いていた。


「花ぁあぁ……!!!!」


その声は、胸が裂けそうなくらい痛かった。

花の父親も、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。

親族たちも、みんな泣いている。

翠の母親も、涙でいっぱいだった。


でも、翠だけは何も感じていなかった。

ただ、ぼんやりと立っているだけ。


そのまま、花の火葬の時間になった。

棺が、ゆっくりと運ばれていく。

その瞬間、花の母親が叫んだ。


「花ぁぁぁぁ!!!!!嫌ぁあぁあぁ!!!!」


その声は絶叫だった。

崩れるように泣き叫ぶ花の母親を、周りの人たちが支えている。

でも翠は、ただ立っているだけだった。


すべてが終わったあと。

親族たちは、花の母親の周りに集まっていた。

抱き合って、ずっと泣いている。

翠は少し離れた場所で立っていた。

その様子を、ただただじっと見ていた。


「翠」


母が、優しく声をかけた。

翠はゆっくりと顔を上げる。

母は翠の顔を見て、少しだけ悲しそうに微笑んだ。


「気持ちの整理のためにも、先に帰ってなさい」

「……。」

「お母さん、もう少しここにいるから」


翠は小さく頷いた。



外の空気は、少しだけ冷たかった。

空はまだ曇っている。

翠は一歩ずつ前を歩く。

どこへ向かっているのか、自分でも分からない。

ただ足が前に進んでいく。

世界は、静かだった。

車の音も、人の声も、何もかもが遠く感じる。

まるで、自分だけ別の世界にいるみたいだった。

翠はただ、歩き続けた。

ぼんやりと、何も考えずに。

 


カン、カン、カン、カン


踏切の警報音が鳴っていた。

赤いランプが、暗い空の下で点滅している。

何も考えないまま歩いていたら、いつの間にかこの踏切の前に立っていた。

 


カン、カン、カン、カン


踏切の警報音が、頭の中に響く。

遮断機はもう下りていた。

踏切の向こう側には、誰もいない。

道路も静かだった。

翠は、ぼんやりと線路の方を見ていた。

遠くから、低い音が聞こえてくる。



ゴォオォオォ


電車の音だった。

線路の奥のほうに、小さな光が見える。

電車が近づいてきていた。

それなのに、翠の頭はまだぼんやりしている。


(……花、)


頭の中に、花の顔が浮かんだ。

笑っている顔。

『翠〜!』って呼ぶ声。

目の前が眩しくて、翠はゆっくりと目を瞑った。


そのときだった。



「危ない!!!!!!!」


突然、後ろから大きな声が聞こえた。

その声と共に、ぐっと体を強く引っ張られる。


「っ!?!?」


翠の体が、後ろによろけた。

その直後。



ドォオォオォォオォオォォオォオォン!!!!!


すぐ目の前を、電車がものすごい勢いで通り過ぎていった。

強い風が吹きつける。髪が大きく揺れる。

服もばたばたと音を立てた。


ガタンゴトン、ガタンゴトン……


大きな音が体に響く。

翠は目を見開いたまま地面に座っていた。

心臓が、ドクドクと大きく鳴っている。

ゆっくり振り向くと、そこに座っていたのは見覚えのある顔だった。

かなり急いで走ってきたのか、肩で息をしていた。

腕はまだ翠の体を強く引き寄せている。

それから、少し怒ったような声で言った。



「……何してんだよ!!」

 


その人こそ、同じクラスの水瀬碧みなせあおだった。


碧の言葉に、翠は何も答えられなかった。

自分でも分からなかったからだ。

電車はまだ通り過ぎている。


ガタンゴトン……


その音が、少しずつ遠ざかっていった。

やがて電車が完全に通り過ぎていく。

さっきまでうるさかった場所が、急に静かになった。

その静けさの中で、翠の胸の奥にあったものが急に重くなった。

そのとき、碧の頬に冷たいものが落ちた。

上を向くと、暗くなった雲から雨が降ってきていた。

雨が少しずつ強くなる。


「とりあえず、雨防げる場所行こ」


それだけ口にし、翠の手を引っ張った。

けれど、翠は動かなかった。


「……ちょ、行くよ」


翠には、碧の声が聞こえにくかった。

全部、一気に思い出してしまったのだ。

棺桶に入っている、花の動かない体。

花の母親の泣き声。


「……花が、」


思わず小さな声が溢れる。

そのタイミングで、雨が容赦なく降ってきた。


「花が……死んだ、、?」


その言葉を、やっと理解した。

そしてやっと、胸の奥に押し込めていたものが、一気に溢れてきた。

その瞬間、涙が止まらなくなってしまった。

息がうまくできない。

翠は一生懸命声を抑えながら、止まらない涙をポロポロと落とし続けた。

さらに強くなった、止まない雨と共に。


そんな翠の姿を見て、碧は放っておくにもおけなくなってしまい、小さなため息をついた。

それから碧は、何も言わず、翠の傍に座った。

土砂降りの中で、二人はしばらくそこから動かなかった。

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