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消毒の匂い

それから、どれくらいの時間が経ったのか分からない。

すいは布団の中で、ずっと目を閉じていた。

だが、眠れてはいない。

時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえていた。

カチ、カチ、カチ。

静かな夜の中で、その音だけが部屋に響いている。

翠はゆっくりと目を開けた。

部屋は暗いまま。

スマホを手に取り、画面を見る。

それでも、なんの通知も来ていなかった。


(……まだ帰ってないのかな、、)


胸の奥がざわつく。

はなは、こんな時間まで外にいるタイプではない。

友達と遊ぶことはあっても、必ず夜ご飯の前には家に帰るような子だ。

翠は布団の中で体を丸めた。

昼休みのことが、ふと頭に浮かぶ。

花がスマホを見たときの顔。

ほんの一瞬だけ、動きが止まったあの瞬間。


『今日さ、ちょっと寄り道しようと思ってるんだよね』


どこか引っかかる。


(……誰かと会う予定だったのかな?)


でも花は、特に何も言っていなかった。

翠には大体のことを話すはずだ。

それなのに。


(……いや、、)


翠は頭を振った。

考えすぎだ。

ただ帰りが遅くなっているだけかもしれない。

そう思おうとするのに、胸の奥のざわつきは消えない。

そのとき、部屋のドアが静かに開いた。


「翠、起きてる?」


母の声だった。

翠はすぐに体を起こす。


「うん……」


母は少しだけ困ったような顔をしながら、そっと口を開いた。


「花ちゃん……、まだ見つかってないみたい、、」


その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。

母はそれ以上言葉を続けずに、翠の部屋を出ていった。

部屋の中に、重い沈黙が落ちる。

翠は膝を抱えた。

頭の中に、花の笑顔が浮かぶ。


『また明日ね!パフェ楽しみ!!』


その声が、やけに鮮明に思い出された。

外では風が強くなっていた。

窓ガラスが、カタカタと小さく揺れている。

胸の奥のざわつきは、もう消えなかった。

理由は分からない。

どうしても、嫌な予感がする。

まるで……何かが確実に壊れていくような、そんな予感。



それからも、翠はほとんど眠れなかった。

布団の中で目を閉じていても、意識はずっと覚めたまま。

時計の秒針の音。

外で鳴く鳥の声。

遠くを走る車の音。

時間が進むたびに、夜の静けさが少しずつ変わっていく。

気づけば、窓の外の空がほんのりと明るくなり始めていた。

スマホを開くと、もう午前五時すぎになっていた。

すると、翠の部屋のドアが静かに開いた。


「翠」


母の声だった。

翠はゆっくり顔を上げる。

母は少し疲れた顔をしていたが、どこか決意したような表情だった。


「……探しに行ってみようか」


その言葉に、翠の胸がドクンと鳴る。


「外、もう明るくなってきたし」


翠はしばらく黙っていた。

でも、すぐに小さく頷いた。


「うん、、」


二人は簡単に上着を羽織り、家を出た。

外の空気はひんやりしていた。

夜と朝の間の、静かな時間。

街はまだほとんど眠っている。

遠くで新聞配達のバイクの音が聞こえるくらいだった。

翠と母は並んで歩く。

どちらもあまり話さない。

ただ、足音だけが静かな住宅街に響いていた。


「花ちゃーん!」

母が声を上げる。


「花ー!!!」

翠も腹の底から声を出して、花の名前を呼んだ。


だが返事はない。

公園、コンビニの前、駅へ続く道。

二人は思いつく場所を回っていった。


「花ー!!!」


翠は何度も花の名前を呼んだ。

でも、どこにもいない。

胸の奥のざわつきが、どんどん大きくなっていく。


そのとき、突然母のスマホが鳴った。

電話の着信音が、静かな朝の空気を切り裂く。

画面を見た瞬間、母の顔色が変わった。

花の母親、亜美あみの名前があった。


「もしもし、亜美?」


翠は母の傍にいき、その様子を見ていた。

すると、電話の向こうから、かすかに泣き声が聞こえてきた。

翠の胸が強く締め付けられる。

母の顔から、みるみる血の気が引いていった


「……うそでしょ……、、」


その声は、かすれていた。

翠は思わず近づく。


「お母さん?」


母はゆっくりとスマホを耳から離した。

その手は震えていた。

そして、翠を見る。

何かを言おうとしているのに、言葉が出てこないようだった。


「……どうしたの?」


母は唇を震わせながら、口を開いた。


「花ちゃんが……、、」


一度言葉が途切れる。

そして、やっと絞り出すように続けた。


「刺されて……、見つかったって……、、、」



「……は?」



翠の思考が止まった。

母の声の震えは収まる気配がない。


「お腹を、何箇所も刺されて……血だらけで……、、」


世界の音が、遠くなる。


「……今、病院に運ばれたって……」


翠はただ、母の顔を見ていた。

何を言われているのか、理解できない。

頭の中が、ただただ真っ白だった。


すると、母は翠の腕を軽く引き、小さく呟いた。


「急ごう」


翠は頷いたのかどうか、自分でもよく分からなかった。

ただ、母に連れられるまま歩き出す。

朝の空気は冷たかった。

でも、寒さはほとんど感じない。

道路には朝の車が少しずつ増えてきていた。

信号機の音、遠くで鳴る犬の声。

そんな日常の音が、妙に遠く感じた。

母がタクシーを止め、ふたりは急いで乗り込んだ。


元谷病院もとやびょういんまでお願いします」


母の声に、運転手が「はい」と短く答え、車は走り出した。

窓の外の景色が流れていく。

コンビニ。、信号、通学途中の学生。

全部、いつもと同じはずなのに、どこか違う世界みたいだった。

翠は手をぎゅっと握りしめる。


(花……、、)


心の中で、何度も名前を呼ぶ。

お願い。

お願いだから。


(無事でいて……!!!!)


それだけを、ずっと祈っていた。

タクシーが病院の前で止まる。

二人は急いで降りた。

自動ドアが開くと、消毒液の匂いが微かに鼻についた。

白い壁に静かな廊下。

花の病室を見つけ、大慌てしながら中に入った。

すると、見慣れた人影があった。

その人こそ、斎藤亜美さいとうあみ

花の母親だ。

髪は乱れていて、顔は涙でぐしゃぐしゃ。

翠たちを見ると、亜美は立ち上がった。


景子けいこ……、すいちゃん……、、」


その声は震えていた。


「花は……!?」


翠は居ても立ってもいられず、声を荒げた。

亜美の後ろに、ベットに横たわっている花の姿がみえた。 

亜美は大粒の涙を零して、呟いた。




「……亡くなった…、」



その瞬間、近くにいた医者が、花の顔に白い布をかぶせた。

翠はその場で崩れ落ちてしまった。

何も考えられない。

何も理解できない。

ただ、花の顔だけが頭に浮かんだ。

笑っている顔。

怒っている顔。

ふざけている顔。


『また明日ね!』


その声が、何度も何度も頭の中で響いていた。

もう、返事は返ってこない。

それなのに。


病院の廊下はやけに静かだった。

朝の光が、窓から差し込んでいる。

その光の中で、翠はただただ呆然としていた。

ーー花が死んだ。

その事実を、まだ心が理解できないままで。

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