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第8章 俺はただ畑を耕したいだけなのに、世界が平和になったんだが!?


「陛下、ここは土が痩せてますね。建物を壊した残骸を慌てて埋めたから、養分が足りないみたいです」 


 ケルベロスが三つの頭を左右に振りながら、鼻先で土をクンクン嗅いでいる。

 一見いかつい魔獣だが、最近は畑の土いじりに熱心で、カマボコ板のようにでかい舌で地面をペロリと舐めて“栄養バランス”をチェックするという謎スキルを身に着けたらしい。

 おかげで荒地化していた部分の土壌改良が進んでいるのだから驚きだ。 


「さすがだな。いや、最初は焼き払うとか言ってたおまえが、今や土を気にするようになるなんて思いもしなかったよ」 

「陛下に褒めていただけるなんて光栄です! でも、もっと改良が必要ですね。オークのボルグやゴブリンのミミを呼んで、瓦礫を取り除かないと作物が根付かないと思います」 


 俺がケルベロスと話していると、離れた場所でボルグとミミが何か言い争っているのが見える。オークとゴブリンという異種族同士のやり取りは不安しかないが、ここしばらく大喧嘩はしていない。ただ、声のボリュームと仕草だけは物騒だから、村の人が最初に見たら悲鳴を上げるかもしれない。 


「おーい、ボルグ、ミミ、手が足りないなら呼べよ。ここにでかい瓦礫が埋まってるらしいから、力を貸してくれ」 

「おう、任せろ陛下! このぶっとい腕でガチガチのコンクリも砕いてやる」 

「ぼくも魔法で結界を張って、石とかを浮かせて運んじゃうよ!」 


 あいかわらずパワフルな二人だが、今日は破壊目的じゃなく“再生”や“修復”に力を使っている。その変化がうれしくて、思わず笑みがこぼれる。

 彼らはスローライフという言葉をきちんと理解してはいないだろうが、自分が壊したものを自分で片づけ、畑を整えていく作業に意外と手応えを感じているみたいだ。 


「ほんっと、最初のころはどうなることかと思ったけど、だいぶ平和になったよな」 


 ぼそりと呟くと、背後から小さな翼をパタパタさせる音が聞こえる。ドラゴンのルナだ。ぬいぐるみサイズでふわふわと浮きながら、俺の肩のあたりにちょこんと乗ってくる。 


「ぷぎゅ…陛下、瓦礫を焼いちゃえばすぐですよ」 

「だーめだ。何でもかんでも焼くのはナシだろ? 必要な素材まで灰にしちまったら意味ないしな。あと、周囲の作物が丸焦げになったら元も子もない」 

「むぅ…焼くのが一番早いと思うんだけど…」 


 ルナは不満げだが、ここ最近は我慢して大規模ブレスを封印してくれている。彼女もやはり、長く生きてきたドラゴンの矜持があるのだろう。戦い以外の用途を見出すのは難しいようだが、少なくとも“やめろ”と言えば踏みとどまってくれる。その変化が本当に大きい。 


 そんなこんなで、朝から瓦礫の撤去や土壌改良を黙々と続けていると、遠くのほうからリリスの華やかな声が聞こえてきた。サキュバスの彼女は、今日も人間界との交渉を手伝ってくれている。以前なら誘惑魔法で一瞬だったろうに、今は禁じ手らしく「普通に会話するだけ」というスタイルを模索中だ。 


「陛下♡ ちょっとこちらに来てもらえませんか?」 

「おお、どうしたリリス。何か大問題か?」 

「大問題というか…ちょっと困った人がいるんですよ。あたしには説得しきれなくて」 


 リリスの後ろで、ひとりの老婆が険しい顔をして立っている。いかにも頑固そうで、まるで鬼のような視線をこっちに向けてくるから肝が冷える。 


「あんたが魔王アレンとかいう奴かい? あたしの畑を勝手に拡張して、家まで壊してくれたんだってねぇ!」 

「え、えっと…正確には俺じゃなくて、うちの部下――というか魔王軍が…」 

「同じことだよ! あたしゃ五十年、あの土地で暮らしてきたんだよ。なのに急に“畑にします!”ってごり押しされて、家も小屋も潰されて、作物だって根こそぎ刈られちまった。いったいどう責任を取ってくれるんだい!」 


 老婆の怒りは当然だ。俺は何度も謝罪の言葉を述べ、具体的な補償や家の再建を申し出る。リリスも手伝って「わたしが誘惑…じゃなくて資金援助や人手を確保しますから」などとフォローするが、老婆の表情は依然として険しいまま。 


「家や畑を戻すって言われたって、あの土地はもう昔の姿じゃない。瓦礫が混ざってるし、嫌な匂いが染みついてる。あたしがそこでのんびり老後を過ごせると思うのかい?」 

「それは…ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。俺たちがめちゃくちゃに壊してしまったんだから、元通りには…」 

「分かってるなら、もっと早く止めなさいよ! 勇者なんでしょ? 魔王軍なんか、さっさと倒してくれればよかったのに!」 


 胸に痛みが走る。俺が曖昧にしていた時期が長かったせいで、この人の暮らしは取り返しのつかないほど崩れたのだ。謝って済む問題ではないが、謝ることから始めるしかない。

 うつむく俺に、老婆は吐き捨てるように言う。 


「…あんたがどんなにいい人面しても、あたしは簡単に許せないよ。でも、その家を再建するって言うなら手伝いはさせてもらうよ。どうせ何もしないよりマシだからね」 

「もちろん、喜んで協力する。俺も魔王軍も総出で家の修理や土地の整備をやらせてもらうから……ちょっと時間はかかるかもしれないけど、ちゃんと動くよ。契約書でも何でも書く」 


 老婆は舌打ちしながらも「なら期待してるよ」とだけ言い残し、リリスに導かれて去っていく。俺は背中からどっと汗が噴き出す。謝って済むなら安いものだが、全員がそう簡単に納得してくれるわけじゃない。まだまだ先は長い。 


「どうだった?」 

 リリスが戻ってきて小声で尋ねる。 


「正直、申し訳なさすぎて何も言えなかった。こんなの、当たり前の報いだよな。俺が“本気で止める”のを遅れたせいで、ああいう人が山ほどいるんだ」 

「ふうん。あたしも誘惑魔法で強引に解決してしまえば楽だけど、それじゃ陛下が望む形じゃないですもんね」 

「そうだ。俺はもう嘘偽りで縛りたくないし、戦いもしたくない。だから、こういう道を選んでるわけだ。時間はかかるけど、一歩ずつ進むしかない」 


 リリスが珍しく真面目な顔で頷く。元々、彼女は人の心を操るのが得意だが、それを捨てて話し合いをするのはストレスだろう。しかし、今は文句を言わず協力してくれているのがありがたい。 


「まあ、うまくいかないことだらけですけどね♡ たとえば、今日は隣国の王子が『侵略されていないのは逆に怪しい』とか言い出して、わざわざこちらに宣戦布告してきましたよ」 

「宣戦布告? どうしてまた…」 

「『魔王アレンが手を緩めたのは策だ。いずれ大軍を送り込んで国を奪うつもりに違いない』って疑ってるみたい。こっちが侵略してきても対抗できるように、先に攻撃したいんですって」 


 頭を抱えたくなる。いまだに“魔王アレン”がいつ大暴れするか分からないと思っている国は多い。実際、こちらの方針転換など知らない人々から見たら、いきなり魔王軍が攻めてきて領土を奪ったあと手を止めている状況は不気味だろう。強敵が身構えているようにしか見えないのだ。 


「しょうがないな。だったら俺が直接行って、彼らに誤解を解くしかない。交渉が決裂しそうになったら少し力を示す程度で済ませたいけど、まさか大戦争にならないだろうな…」 

「陛下が本気を出せば一瞬で終わるから大丈夫ですよ♡」 

「違う違う、できるだけ誰も傷つけたくないんだよ。最悪の場合だけだ、力を使うのは」 

「分かってますって。じゃあ、行ってみます? 一緒に行けば、お得意のカリスマ(というか勇者の迫力?)を見せられるでしょうし」 


 リリスがウインクするので、俺は苦笑いを漏らす。まったく、一難去ってまた一難という感じだ。

 畑を修復しながら、同時に隣国や各地の住民と話し合い、さらには不安定な勇者パーティの動向にも気を配らなきゃならない。スローライフどころじゃないが、これが俺のやるべきことだろう。

 俺たちが散々引っかき回した後始末を、投げ出すわけにはいかない。 


「よし、じゃあ明日あたりに隣国へ行こう。ケルベロスやボルグも連れて、ちゃんと俺の意思を伝えてくる。戦う気はないし、侵略も終わったんだって」  「りょーかいです♡ あと、夕方には勇者パーティから“話がしたい”って連絡がきてますよ。どうします?」  「そっちも大事だな。分かった。今日の作業は早めに切り上げて、夕方に会いに行くか。相手は俺をまだ疑ってるかもしれないけど、ここで逃げるわけにもいかない」 


 そうして、夕方。村の広場に勇者パーティが集まっているという報せを受け、俺は魔王軍の主だったメンバーを伴って向かう。広場といっても、半ば畑が浸食しているせいであまり人が集まる余地はないが、昔ながらの小さな噴水とベンチがあるスペースがかろうじて残っている。

 そこに、かつて一緒に冒険をした仲間――今は俺を「裏切った勇者」として疑っている連中が、居心地悪そうに待ち構えていた。 


「…よく来たな、アレン」 

 リーダー格の剣士が低い声で口を開く。以前ほどの殺気は感じないが、まだ警戒しているのが手に取るように分かる。周囲にも仲間たちが数人いて、こちらの動向をうかがっているようだ。 


「久しぶりだな。最近はどうしてた? そっちも大変だったろう」 

「当たり前だ。世界の半分があっという間におまえの領土になって、俺たちはずっと警戒態勢だったんだからな。でも…」 

 剣士はそこで言葉を切り、俺の背後を見やる。ケルベロスやリリス、ボルグ、ミミ、ルナといった魔王軍のメンバーがぞろぞろと同行しているのだから、相手からすれば圧迫感満点だろう。 


「これだけの連中を連れてきて、ここで何をするつもりだ?」 

「何もしない。話がしたいだけだよ。攻める気なら、いまごろこの村は火の海だろ?」 

「…それは、そうかもしれないが……」 

「実際、魔王軍の暴走を止めたのは俺だ。力づくで止める羽目になったけど、今は彼らも戦わずに畑を守る道を模索してる。俺が監視してるのもあるけど、気持ちとしては本気で反省してるやつもいる。だから、そろそろおまえらとも和解したいんだ」 


 剣士は怪訝そうに眉をひそめる。後ろの魔法使いが「でも、どこまで信用できる?」と小声で囁き、神官らしき女性が「ここまでの被害を考えれば、そう簡単には受け入れられない」と冷ややかに言うのが聞こえる。 


「まあ、そうだよな。いまさら“反省したから仲良くしよう”なんて言われても、納得いかないだろう。けど、俺にできることは全部やる。おまえらが許してくれるかどうかは別としても、畑を元に戻す手伝いだって、住民への補償だってできる限りするつもりだ」 

「おまえらが征服した国々はどうする? 本当に手を引くのか?」 

「手を引く。まあ、一部の人間は“魔王アレン領”のほうが安心できるという妙な層もいるみたいだが、基本的には自由に選んでもらうつもりだ。そこで暮らしたい人がいるなら、引き止めもしないし、強要もしない」 


 剣士はしばらく黙り込む。魔法使いや神官が何か耳打ちしているようだが、最終的に剣士が深いため息を吐いて口を開く。 


「アレン、正直に言うが、今でもおまえのことを完全には信用していない。だが、魔王軍がここまで大人しくしているのも事実なんだな。もし本当に世界の再建に力を尽くすつもりなら、俺たちも協力する」 

「ありがとう。助かるよ。昔、一緒に戦った仲間だったし、またこうやって並んで行動できるのは…正直、うれしい」 

「勘違いするなよ。まだ仲直りしたわけじゃない。ただ、世界を救うのがおまえの本懐なら、この先もちゃんと見届けてやろうってだけだ」 


 ツンケンした剣士の態度に、俺は苦笑いする。

 かつての冒険仲間と和やかに再会できる日が来るかどうか分からないが、とりあえず今は同じ目的を共有できそうだ。前みたいに共に旅をしたり、酒を酌み交わしたりする関係には戻れなくても、これだけでかなり進歩だろう。 


 すると、ボルグがぽりぽり頭をかきながら前に出る。がっしりした腕を組み、剣士を正面から見据える姿はちょっと迫力があるが、今日は本気で反省している。 


「ええと、すまなかったな。オレはもともと力押ししか頭になくて、散々おまえらを痛めつけた。陛下が“戦わない”と決めてから目が覚めたというか、実際やってみるとそっちのほうが楽しいんだよな。瓦礫を片づけるとか、家を直すとか、そういうの」 

「……おまえ、あの時容赦なく俺たちをボコボコにしたくせに」 

「わ、悪かったって! ほんと勘弁してくれ。こっちも陛下に叱られたんだ」 

「ふん…まあ、今すぐ殴り返そうとは思わないが、これからどれだけやれるか見せてもらうぞ」 


 ギリギリのところで衝突を回避できたようだ。

 ケルベロスは三つの頭をペコペコ下げて詫びているし、リリスも一応神官に頭を下げて何やら言い訳じみたことをしている。ミミが「これからは畑の結界で人を助けるんだよ!」と張り切っているのを見た勇者パーティの一部が顔をしかめつつも興味を示しているのが分かる。 


「よし、これで最低限、一緒に動けそうだな」 


 俺は胸をなでおろしながら、剣士と軽く言葉を交わす。世界が二分されかねなかった状態からは大きく前進だ。もちろん、今後もトラブルは絶えないだろうが、“魔王軍を倒すしかない”と誤解していた勇者パーティが、少なくとも一緒に再建に動くと決めてくれたのは大きい。 


 しばらくの会話のあと、勇者パーティは「これから他国へも声をかけて、関係者を招集する」と言い残して去っていく。すべてが終わったわけじゃないが、俺は心から安堵している。

 下手をすればここで再度の大乱闘になりかねなかったから。ケルベロスは三つの頭を見合わせ、しっぽをゆらゆら振っている。ボルグやリリスたちもまるで肩の荷が下りたかのような表情だ。 


「陛下、少しずつだけどいい方向に進んでますね♡」 

「本当にそう思う。まだまだ険しい道だけど、とりあえず戦わずに済んでるし、話ができる相手が増えてきたのは大きいな」 

「これでまた、陛下のスローライフに近づきましたね!」 


 ゴブリンのミミがけなげに言うので、俺は「ああ、そうだといいな」と苦笑する。実際には、まだ世界中の畑を元通りにしたり、新しい秩序を作ったりするには時間がかかる。中には「魔王軍を完全に排除しろ」と主張する声もあるだろうし、魔王軍側の中にも「どうせなら完全征服を成し遂げよう」という過激派が残っているかもしれない。 


「でも、それでも一歩一歩やるしかない。俺が戦わずにみんなとスローライフを送りたいって願ってるのは、本気だからな」 

「ぷぎゅ…陛下、大丈夫だよ。わたしたちもどんどん学習中だもん!」 

 ルナが小さい声で励ましてくれる。

 ブレスではなく、水の魔力や防御魔法を習得してきたらしく、被災地での消火や応急処置に活躍しているという噂だ。 


 こうして少しずつ、魔王軍が世界を修復し、勇者パーティや各国と和解に向けて歩む日々が続いていく。決して平坦ではなく、俺が何度も走り回って「待ってくれ、力づくはやめろ!」と止めに入ることもあるし、人間側の暴走をケルベロスやボルグが受け止める場面も出てくる。

 お互い、数えきれないほど火種があるから、一朝一夕で解決するわけがない。


 けれど、そんな大変な合間にも、ほんの少しだけ俺の夢見たスローライフが顔を出してくれる瞬間がある。夜明けとともに畑へ出て、土の匂いを嗅ぎ、育つ野菜の葉をなでてやるとき。魔王軍の連中と軽い掛け合いをしながら、それぞれの怪力や魔力を農作業に活かしていくとき。 


「うわあ、昨日まいた種、もう芽が出てる! ルナの水魔法とミミの結界がうまい具合に働いてるんだな」 

「陛下に褒めてもらえるなんて最高です! 僕、もっと畑を守りますね!」 


 ケルベロスが三つの頭で大喜びしている横で、ボルグが「おれは家の修理に行ってくる。畑はケルベロスに任せるぞ」と言い残して荒れた街道へ向かっていく。

 リリスは「今日は勇者パーティと一緒に領主様のとこへ行くから、夕飯は遅くなるかも」と笑い、ミミは「うさぎ耳でご近所回りしてくる!」と跳ね回っている。 


 まったく、おかしな光景だ。かつては世界を蹂躙しようと躍起になっていた彼らが、今や俺の畑や各地の復興のために力を注いでいるなんて。

 もちろん誰もが素直に受け入れてくれるわけじゃないが、少なくとも「敵意しかなかった頃」と比べれば、想像もできないほど平和に近づいている。 


 夜が更け、村の空気がひんやりと冷たくなるころ、俺は久々に畑の小屋へ戻ってくる。

 かつては物置同然だったここが、今では簡単な寝床や調理道具まで揃った俺の“拠点”になった。

 村の人々が「陛下」呼ばわりするのにはいまだに慣れないが、最近は「アレンさん」と呼びかけてくれる人も徐々に増えてきたから、うれしい限りだ。 


「ふう、今日も疲れた。まさか王族の説得から畑の肥料づくりまでやるはめになるなんて、あのころの勇者業より忙しいんじゃないか?」 


 そうぼやきながら小屋で簡単な食事をとっていると、リリスがすっと扉を開けて入ってくる。どうやら用事が済んで戻ってきたようだ。 


「陛下、お疲れさまです♡ ああ、いい匂い。何か作ってるんですか?」 

「野菜の煮込みだよ。といってもあり合わせだけどな。食うか?」 

「食べます♡ 今日はずっと人間相手に交渉してて、誘惑魔法なしで話すっていうのも疲れちゃいました」 


 リリスが向かいに腰掛け、俺が取り分けたスープをふうふう冷ましながら口に運ぶ。味見すると、畑で採れた野菜だけなのに、ほっとする優しい旨味が広がっている。

 こういう小さな幸せが俺の目指すスローライフそのものだ。

 もっとも、まだ世界の問題は山積みだけど……それでも一歩ずつ前進している手応えはある。 


「そういえば、勇者パーティはなんて言ってた?」 

「うん、『なんだかんだ言って、アレンはやっぱり昔のままのお人よしだな』って呆れてましたよ。でも、一応は協力してくれるみたい。表向きは“世界の復興のため”だって言ってるけど、あの人たちなりに陛下を本気で信じたい気持ちもあるんじゃないですか?」 

「そっか。それはよかった」 


 俺は小さく笑って、ぼそりと「そうだといいな」とつぶやく。

 何だかんだ言って、昔の仲間たちにはもう一度心から笑って再会したいと思っている。それが実現するのが明日か来月か一年後か分からないけれど、きっと今の俺なら近づけるはずだ。 


 スープを飲み干して、ゆっくりと外の空気を吸い込む。

 夜風が肌に冷たいが、星空はきれいに輝いていて、かすかにケルベロスの寝息が聞こえる。たぶん小屋の裏でまるまって寝ているのだろう。ルナやミミもどこかで休んでいるのか、今日の農作業と復興支援で相当疲れただろう。 


「こうして考えるとさ、本当に落ち着いたよな。ちょっと前まで隣国がブレスで焼かれかけたり、勇者パーティが血眼で攻め込んできたりしてたのにさ」 

「ですね♡ あたしも今のほうが楽しいかも。誘惑とか破壊とか、確かに手っ取り早い手段だけど、それじゃ陛下の喜ぶ顔が見られないですもん」 

「そりゃよかった。正直、俺はおまえらがここまで変わってくれるとは思わなかった。ありがとうな」 


 リリスはほんのり頬を染めて微笑み、「ま、あたしも陛下が好きだからやってるだけですよ♡」と軽い口調で返す。彼女の好意がどこまで本気かは分からないけれど、魔王軍が“農業”に肩入れしてくれているのは事実だ。 


「いずれ世界が完全に安定したら、俺は本当に畑でのんびり暮らすつもりだ。豪邸とかはいらない。おまえらも好きにしていいんだぞ? 他の国へ行くもよし、ずっと俺とここにいるもよし、どっちでも構わない」 

「ふふ、そのときはあたしの色仕掛けで陛下をがんじがらめにしてやるんだから♡」 

「あはは、まあ、その頃には“色仕掛け禁止”令を忘れてるかもしれないけど、ほどほどにな」 


 俺たちが笑い合っていると、ガタガタっと扉が開いてボルグが顔を出す。

 どうやら外で話し声が聞こえたから様子を見に来たらしい。 


「陛下、まだ起きてたのか? オレも一息ついたところだ。家の修理とやらもなかなか面白いな。分厚い壁を立てたり、梁を組んだりするのは戦いより骨が折れるが、終わったときの達成感は悪くねえ」  「そうか。よかったな。俺も家づくりの経験なんてほとんどないが、今度一緒にやってみるのも悪くないかもしれない」 

「おう、ぜひな。よし、じゃあオレは今日は寝るぜ。明日も早いんだろ?」 

「そうだな。おやすみ」 


 ボルグが出ていき、リリスも軽く手を振って「おやすみなさい」と言いながら小屋を出ていく。

 窓の向こうには月明かりが差し込んで、畑の土が銀色に照らされている。遠くからケルベロスの寝息、あるいはミミが何か寝言で「うさぎ…畑…」などと呟いている声が微かに聞こえる。

 世界を震撼させたはずの魔王軍が、今やこうして畑仕事の合間に眠っているなんて、本当に不思議だ。 


 思えば長かった。

 世界を救った勇者として華々しい未来があったはずなのに、戦いに疲れて辺境でひっそりと農業を始めたら、まさか“新たな魔王”認定されてしまうなんて。

 可愛いケルベロスやサキュバスたちが「陛下~!」と押しかけてきて、隣国をどんどん征服していく姿は、正直言って悪夢みたいだった。だが、今こうして落ち着いて振り返ると、彼らの中にも思いやりや情が芽生えはじめていて、俺たちが向かう先に光が差している気がする。 


「世界を征服する必要なんてない。畑を耕して、みんなが笑顔で暮らせるなら、それが一番幸せじゃないか」 


 まさにそう思う。

 もちろん、まだ課題は多い。畑が増えすぎて管理が追いつかない問題や、征服された国の人々の不満、勇者パーティや他国の誤解も完全には解けていない。でも、俺と魔王軍が“戦わない選択”を貫き、誠実に行動していけば、いずれは真のスローライフにたどり着けると信じたい。 


「いや、たどり着くんだ。俺が諦めなければ、きっと…」 


 そう独りごちて、寝床に身を沈める。明日はまた朝から土をいじったり、隣国の誤解を解くために出張したり、頭を悩ませることだらけだろう。だがそれでも、闇雲に戦っていたころと比べれば、はるかに前向きな苦労じゃないか。

 夜風が窓からそよいで、汗ばんだ身体を冷やしてくれる。 


 瞼が重くなってきて、意識がぼんやりする。思えば、こうして素直に眠りにつける夜が増えただけでも、大きな一歩だ。かつてはいつケルベロスの火炎ブレスが飛んでくるか、いつ隣国の兵士が討伐にくるか分からない状況で、まともに眠れなかった。今の騒動が落ち着いたら、俺は本当にスローライフを満喫するんだ。

 きっと、愛らしい魔王軍の面々も、そのころには“力を振るうだけが能じゃない”と胸を張って笑っているはずだ。 


「俺はただ、畑を耕したいだけ…だけど、それで世界が平和になるなら悪くないよな…」 


 最後にそう呟いて、俺はゆっくりと目を閉じる。

 外ではかすかな虫の声と、ケルベロスの寝息が重なって心地よい子守唄のようになっている。サキュバスのリリスやオークのボルグ、ゴブリンのミミ、ドラゴンのルナ。それぞれがどんな夢を見ているのか分からないが、きっと明日はまた笑顔で協力し合いながら、面倒な問題に立ち向かっていくだろう。 


 戦わないで畑を守る。

 征服よりずっと難しいかもしれないが、その分だけ多くの人を救えるはずだ。

 世界の隅々まで見回して、ひとりでも困っているやつを放っておかない――それこそが、本当の勇者の役目かもしれない。思えばこれまでの道は散々だったが、この先はきっと笑顔が増えていくと信じたい。


「…よし、明日からまた頑張ろう」 


 そんな決意を胸に抱きながら、俺は眠りに落ちる。

 外では優しい月光が畑を照らし、どこかからケルベロスの「…ワン…」という寝言が聞こえる。あれほど恐れられた魔王軍と、かつての勇者が肩を並べて世界を再建する。

 この奇妙な共存こそが、新しいスローライフなのかもしれない。 




 ――こうして、魔王軍との奇妙な同居は続く。

 そしてその日々こそが、俺の求めていた“のんびりスローライフ”に繋がるのだと、俺は信じている。戦うよりずっと険しい道のりかもしれないが、誰もが笑って畑で休める世界を夢見て、俺は明日も鍬を握るのだ。戦わない勇者、そして魔王軍もふもふが作り上げる奇妙で可愛い帝国。

 そんな新しい世界が、今日もゆっくりと動き始める――。


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