第6章 勇者としての力 VS 魔王軍の暴走
まだ薄暗い朝の空気を肺いっぱいに吸い込みながら、俺は畑の真ん中で腰に手を当てている。
視界には、もはやどこまでが村でどこからが“魔王アレン領”なのか分からないほど広大に広がる農地。世界の半分を覆い尽くした畑の景色は、ぱっと見は平和そのものに映る。
けれど、そこかしこでくすぶっている衝突の火種を考えると、手放しで喜んでいられないのが現状だ。
「ふう…もうこれ以上、好き勝手にやられちゃたまらない」
思わず独り言が漏れる。いつまでもグダグダ迷ってはいられない、と腹をくくった。
ここまで散々暴走を許してしまったが、俺が本気を出すしかない。
かつて“勇者アレン”と呼ばれていたころの力を封印していたのは、穏やかな暮らしを望んでいたから。でも、このまま放っておけば侵略による痛ましい被害がさらに積み重なるだろう。それこそ、俺の大切な畑を守るどころか、世界中が焼け野原に変わる可能性すらある。
「……やるしかないか」
額に汗がにじむ。正直、勇者としての力を使うなんて気が進まない。だけど、魔王軍が好戦的に暴れ回り、俺の“やめろ”が耳に入っていない状況では、ただ口先で説得するだけじゃ足りないのも確かだ。
どこかで一度、はっきりと“本気”を見せなければならない。
いわば魔王軍に対する目覚ましというか、強制的なストップが必要だと思っている。
「陛下、おはようございます!」
背後でケルベロスの陽気な声が響く。三つの頭が左右同時に振られているから、尻尾の動きもやたらに豪快だ。昨日までさんざん「もう征服はやめろ」と説教したはずなのに、彼の目は相変わらずキラキラしていて、危機感はあまり伝わっていないのかもしれない。
「ケルベロス、少し話がある。畑を守るのはいいが、余計な侵攻は今日から厳禁だ。分かってるよな?」
「はい! 陛下がそうおっしゃるなら、侵攻は控えます。とはいえ、敵から攻めてきたらどうしますか?」
「まずは対話だ。それでも駄目なら、俺がなんとかする」
その言葉にケルベロスは大きく首を傾げる。彼にしてみれば、“話し合いで解決”という手段がいまだにピンとこないんだろう。“力で殲滅すれば万事解決”くらいの認識をもっているから。そこをねじ曲げてもらわなきゃいけない。
「分かりました。もし敵が襲ってきても、陛下が本気を出せば一瞬ですよね!」
「いや、一瞬とかじゃなくて、まず穏便に……はあ、まあいい。あとでちゃんと説明する」
ケルベロスを一旦黙らせようとしたところに、やたら艶やかな笑い声が響く。振り向けば、サキュバスのリリスがツインテールを揺らしながら歩いてくる。いつもの小悪魔的な微笑を浮かべて、俺の腕にしなだれかかってくるから、あまりに距離が近くてドキリとする。
「陛下♡ 昨日は眠れましたか? ここ最近ずっとお疲れですものね♡」
「まあ、いろいろ考え事があってな。っていうか、おまえには言っておきたいことが山積みなんだ」
「ふふっ、あたしが魔力で国を落とすのを控えろってことですよね? 分かってますよ、陛下の方針は…でも、もし強硬策が必要になったら呼んでくださいね♡」
彼女はあっさり理解したフリをしているが、その裏で「誘惑魔法はいつでも撃てますよ」というオーラを隠そうともしない。
本当に止める気があるのか疑問しかわかないが、ともあれ今は衝突を回避しているだけマシだろう。
「他の連中はどこにいる? オークのボルグやミミ、ルナなんかも呼んでくれないか。皆にちゃんと話をしたい」
「分かりました♡」
リリスが軽く指を鳴らすと、少し離れた場所からバタバタと足音がする。見ると、オークのボルグとゴブリンのミミが並んでやってきた。さらに、空のほうからはドラゴンのルナが小さな姿で羽ばたきながら降りてくる。いつもの魔王軍メンバー全員集合、というわけだ。
「陛下、おれたちを呼んだのか?」
「うん。これから大事な話をする。絶対に聞き流すなよ」
気合いを入れるため、俺は大きく息を吸い込む。そして、自分の足もとをぐっと踏みしめながら、彼らを順番に見回す。
「おまえらは“俺を守る”という名目で、ずいぶん激しく暴れた。世界の半分が畑になったけど、その裏で多くの町や国が滅茶苦茶になってる。俺のせいだよな、これは。俺がうまく止められなかったから、こんな事態になってる」
「陛下のせいなんかじゃありません! 全部、陛下を傷つけようとする輩が悪いんです!」
ケルベロスが即座に吼えるが、俺は首を振る。
「違う。俺がもっと強く言わなかったから、あるいは強制的に止める行動を取らなかったから、こんな被害が広がったんだ。だから今こそ、本気で止める。もしおまえらが俺の言うことを聞かないなら…俺は“勇者”だったころの力を解放する」
宣言すると、さしもの魔王軍もその場で息を呑んだように黙り込む。
オークのボルグが腕を組んで「へえ」と低くうなり、リリスは赤い瞳を丸くして俺を見つめている。ルナは小首をかしげて「ぷぎゅ…勇者の力…?」と小さく呟く。
「俺はもともと、魔王を倒した勇者だった。あれから剣を置いて、二度と戦いたくないと思ってきたけど、ここまできたら仕方ない。もしおまえたちがこれ以上暴走するなら、俺はその力で戦わなきゃならない。…おまえらを倒すためじゃない。止めるためだ」
静寂が落ちる。ボルグが低い声で「倒す…だと?」と疑念を含んだ視線を向けてくるし、リリスは少し浮かない顔で「陛下が私たちを…?」と眉をひそめる。ケルベロスはそわそわして三つ首を左右に動かしている。
「いや、俺は正直、おまえたちと戦いたくない。特に個人的な恨みがあるわけじゃないし、むしろ苦労だって分かってる。でもそれより犠牲が大きくなるなら、黙っていられない。世界の人々が怯えているのに、のんびり畑を耕すのは耐えられないんだよ」
思いをぶつけても、すぐには賛同してもらえそうにない空気だ。それでも言葉を止める気にはなれない。ここで中途半端にしては意味がない。
「もしおまえらが一方的な侵略を今すぐやめて、対話を受け入れてくれるなら、俺も剣は抜かない。おまえらを傷つける気もない。ただ、これ以上、間違った形で“陛下のため”を突き通すなら、力尽くでもストップをかけるしかない」
俺の拳が軽く震えているのが自分でも分かる。嫌なんだ。もう仲間が増えたと言われても、一緒にただ殴り合うだけの未来なんて。
だけど、世界の混乱を放置してスローライフなんか語れないのも事実。
自分の都合で目をそらし続ければ、一生後悔するだろう。
「……陛下は本気なんですね」
口を開いたのはリリス。彼女はツインテールを揺らしながら、まるで今まで見せたことのない真面目な表情で俺を見上げる。
「あたしは、陛下がそこまで嫌がるなら無理強いはしたくないです。でも、外の国々が陛下を害そうと狙っているかもしれない。そんな状況で話し合いなんて成り立つんでしょうか?」
リリスの問いはもっともだ。実際、誤解も多い。俺が本当に“魔王”になったと信じている人も大勢いるし、勇者パーティでさえ俺の動向を疑っている。だけど、このまま世界の勢力が魔王軍に蹂躙されていくよりは、少しでも言葉を尽くすべきだと思っている。
「やってみなきゃ分からない。少なくとも、相手も俺を本気で倒すつもりなら、もう既に攻めてきてるはずだ。でもそうなっていないのは、まだ希望があるってことだろ?」
「うーん…分かりました。あたしも陛下を苦しめるのは本意じゃないですし、少し様子を見ますね♡」
リリスが溜息まじりにそう返すと、ボルグが「ったく面倒だな」と呟く。オークらしいごつい腕を組んだまま、こちらを睨むような目つきをする。
「俺は戦いそのものが大好きなわけじゃないが、敵が絡んできたらぶっ潰すのが手っ取り早いと思ってた。陛下がそういうなら、一応従うけどよ、めんどくせえことになっても知らねえぞ?」
「めんどくさいだろうが、俺がどうしても譲れないんだ」
ボルグは鼻を鳴らして黙り、ゴブリンのミミはウサギ耳をピコピコさせながら困惑している様子だ。
ルナは空を見上げたまま、「ぷぎゅ…陛下、本当に戦うの? あたしたちを傷つけるの?」と小さく尋ねる。
「傷つけたいわけじゃない。でも、もしおまえらが止まらないなら、それが唯一の方法になる。俺はそんな対決を望んでいないが、畑を守るためにも世界を守るためにも、ここでケリをつける覚悟はある」
正直、胸の中は張り裂けそうなくらい緊張している。
ケルベロスもやたらソワソワしていて、「陛下がそんな怖い顔をするなんて…」と三つ首で囁いているのが聞こえる。さすがに彼らも“陛下と戦う”という発想はほとんどなかったのだろう。
「それだけ、今回の件は重大なんだ。畑を壊す敵も大事だけど、身内が暴走して世界を壊すのはもっと困る。分かってくれ」
「……はい。陛下がそこまで言うなら、僕たち、ちゃんと話を聞きます」
ケルベロスの小さな声に続いて、ボルグやリリスも無言で頷く。ミミがパタパタと尻尾を振りながら、「どうすればいい?」と聞きたそうにこっちを見る。
「まずは、勝手に侵略している拠点を全部回収……というか、一度引き揚げさせるんだ。いきなり完全撤退は難しくても、少なくとも破壊行為を一切やめるよう指示してくれ。今はそれが先決だ」
「分かりました♡」
リリスが軽く微笑んで、魅了魔法の力で部下たちへ遠隔指示を送る。
たちまち、あちこちからザワザワと戸惑う気配が伝わってくるが、少なくとも進軍を止める意思表示はできそうだ。俺はほんの少しだけ肩の力が抜けた気がする。
これで無意味な破壊の勢いが弱まるなら、大きな前進だ。
ところが、その矢先。畑の向こう側から猛烈な魔力の波動がこちらに迫ってくる。
嫌な予感しかしない。何だ? まさか他国の軍勢か? あるいは勇者パーティが再び——
「陛下、何か来ます!」
ケルベロスが警戒の声を上げる。三つ首が一斉に吼えそうになるので、とっさに俺はその頭を押さえる。「まだ分からないだろ!」と必死に制止するが、空気がビリビリ震えるほどの殺気と魔力が漂っているのは間違いない。
風を切ってやってきたのは、かつて共に魔王を倒した勇者パーティのリーダー格である魔法使い。周りには大量の兵士らしき人影がちらほら見える。
どうやら後ろには精鋭部隊が控えているのかもしれない。その魔法使いは、杖を片手にグッとこちらをにらむ。
「アレン……ついに世界の半分を支配したのか。おまえが本気で魔王になるなんて、情けない話だな」
「待ってくれ、俺は魔王になったつもりなんかない。って言うか、誤解を解きたいんだ」
「どの口が言う! あちこちでおまえの兵が暴れている事実は覆せない」
言い分はもっともだ。けれど、今日は俺も譲らない。
ビリビリと魔力が迸る空気の中で、俺は鍬を放り投げて足元に剣を呼び寄せる。
かつて使っていた“勇者の剣”だ。抜き放つと、青白い光が周囲を照らす。
「あんたには何度も言いたかったけど、俺は魔王なんかじゃない。むしろ魔王軍を止めたい。だから——」
「ならば、その軍勢を一瞬で消し去れ! おまえならできるはずだ。だがそうしないなら、おまえも同罪だ」
魔法使いが杖を振ると、激しい風圧と雷光が畑を抉る。周囲の作物が激しく揺さぶられ、土が宙を舞う。ケルベロスが唸り声を上げ、リリスは半ば反射的に魔力を込めている。
おいおい、また大乱闘になるのか?
「待て! 戦わなくていいって言ったばかりだろ!」
「ですが陛下、彼らが先に攻撃を…!」
「いや、俺が受け止める」
急いで勇者の剣を構え、前面に回って風と雷の魔法を真正面から受け止める。
剣の刃が青白い輝きを放ち、攻撃のエネルギーが火花を散らしながら消えていく。必殺級の魔法だけど、今の俺には“勇者”としての力が戻っている。
戦闘に慣れたくはないが、抵抗できる状態にはあるわけだ。
「ちっ、やっぱりおまえは昔のままの怪物じみた強さが残ってるってわけか」
「違う! 俺だって戦いは望んでないけど、やむを得ないなら受けて立つしかない。…だから頼むから冷静に話を——」
最後まで言い切る前に、再度強烈な魔法が放たれる。今度は火炎の嵐。畑の一角に燃え広がりそうだが、ドラゴンのルナが咄嗟に水の魔力を放出して火を消し止める。周囲がシューッと白い蒸気を立てている。
「ぷぎゅ…陛下、ここで暴れさせるの? あたしが一撃で黙らせちゃおうか?」
「やめろ。誰も黙らせる必要なんかない。余計に誤解が深まるだけだ!」
叫ぶ声がむなしく響く。魔王軍と勇者パーティが、一触即発のまま対峙している。
俺が勇者の剣を握っているせいか、敵も本気でこちらを倒すつもりらしい。ここで下手に手出しすれば大惨事になるのは目に見えている。
「陛下、彼らは聞く耳を持たなそうですよ」
リリスが小声でささやく。でも俺は諦めない。二度と大規模な流血沙汰なんか見たくない。
だからこそ、今ここで、俺が勇者としての力を振るって“魔王軍を止められる”と示す必要がある。あいつらに“思いどおりにはならない”と知ってもらうためには、ある程度の示威が必要かもしれない。
「分かった。少しだけ暴れる。だけど、殺すつもりはないから、絶対に手加減してくれよ」
魔王軍にそう告げると、ケルベロスは尻尾を振りながら「了解です、陛下!」と吼える。ボルグやリリス、ミミ、ルナも一斉に構えを取った。すると、魔法使いを含む勇者パーティ側も兵を呼び寄せ、攻撃態勢を強化している。
やめてくれと言いたいが、それすらもう通じないところまで来ている雰囲気だ。
「なら、せめて俺が先陣を切って彼らとぶつかる。おまえらは絶対に殺すなよ。分かったか?」
「もちろんです、陛下!」
正直、内心ではめちゃくちゃ複雑だ。だけど、ここで俺が本気を出して彼らを圧倒し、“和解”の糸口を掴むしかないと感じている。
魔王軍をも制御できる力があると示すことで、勇者パーティも俺の話を聞く余地が生まれるかもしれない。逆に言えば、それくらいの荒療治がなければ双方の暴走が止まらない。
「いくぞ…!」
息を吸い込むと、勇者の剣に微かな光が宿る。この感覚は本当に久しぶりだ。当時は魔王を倒すために振るっていた力。まさか今さら、魔王軍を止めるために再び使うことになるなんて想像もしなかった。
「アレン、来い! 俺たちはもう、おまえを倒す以外に道はないと思ってる!」
「悪いけど、俺は自分を倒させるつもりはない! かといって、おまえらを倒す気もないんだよ!」
激しい魔力のうねりが再度ぶつかり合う。地面が大きく揺れ、草や土が舞い上がる。
後方でケルベロスがブレスを吐きそうになるのを確認して、俺は思い切り声を上げる。
「やめろ! ブレスなんか放ったら、畑が全部吹き飛ぶぞ!」
「わ、分かりました…!」
ケルベロスはかろうじて踏みとどまり、代わりに素早い動きで勇者たちの兵を翻弄する。火炎や雷を出さずに格闘だけで押しやる姿は、さすがの身体能力だ。これなら大量の死傷者を出さずに済むかもしれない。リリスやボルグもほぼ同じ方針で、相手を殺さない程度の手加減をしているようだ。
「えっ、いつもの勢いがない…? どこかおかしいぞ!」
「くそっ、やっぱりアレンが本気で指示してるのか……!?」
勇者パーティの魔法使いや兵が狼狽しているのが見える。一方で俺も剣を振るいながら相手の攻撃を受け流し、わずかな隙で地面を打ち鳴らす。すると光の衝撃波が走り、周囲の敵を弾き飛ばすが、致命傷は与えないよう抑えている。
「アレン、どうして本当に殺さない…? こんなの、勝負でも何でもないじゃないか!」
「俺は勝負をしたいわけじゃない! ただおまえらに、俺の意思を分かってもらいたいんだ!」
何とか必死に声を張り上げる。互いの攻撃が交錯する中、畑がズタズタになっていくのを目の当たりにすると、胸が苦しくなる。でもここで怯んではだめだ。最小限の破壊で済ませて、なおかつ相手の戦意をそぐためには、多少の荒療治が必要。それが今の“勇者としての力”の役目なんだろう。
「もうやめてくれ! これ以上やってもおまえらには勝ち目がない。魔王軍も、俺の合図があるまで本気を出すな!」
「……分かりました、陛下!」
魔王軍が俺の指示で動きを止めると、勇者パーティのほうが大きく動揺する。まるで「どうして止まる?」と混乱しているみたいだ。畑の上に転がった兵士たちも、ただ唖然とこちらを見つめている。
「アレン…おまえは何が狙いなんだ? 世界を征服しておいて、戦いを止める意味が分からない」
「だから征服なんて望んでないんだよ。おまえらもいい加減気付いてくれ。俺は……」
言葉を探しているうちに、体の奥から熱が込み上げるような感覚に襲われる。
久しぶりに“勇者”の力を使い続けているせいか、負荷が大きいのかもしれない。呼吸が荒くなっていくが、何とか踏み止まる。
「…俺はただ、畑を耕して平和に暮らしたかっただけだ。だけど、こいつらが暴走して世界がめちゃくちゃになるのも耐えられない。おまえらが俺を倒そうとするのも誤解でしかない。だから止める。全部止めて、話をするんだ」
沈黙が場を包む。魔王軍と勇者パーティが相対したまま、微妙に距離を空けて動きを止めている。辺りには生温い風が吹き、砕けた土や作物の匂いが鼻を刺す。さっきまでの火と雷の残滓が漂い、のどかな畑の景色が痛々しく荒れている。
「……おまえがそこまで言うなら、俺たちはどうすればいい?」
勇者パーティの魔法使いが杖を下げたまま尋ねる。勝ち目がないと悟ったのか、それとも俺の本気にほだされたのか、以前の険しさはだいぶ薄れている。
「そっちも兵を引け。魔王軍も侵略を一旦ストップする。そしたら落ち着いて話し合いだ。おまえらが望む平和と、俺たちが目指すスローライフが両立できるかどうか、ちゃんと議論しよう」
自分で言っていて複雑だけど、これが最善の一歩だと思う。もしこれすらできないなら、本当に大きな戦争に発展するし、俺は最悪の形で力を振るわなきゃいけなくなるかもしれない。それだけは絶対に避けたいんだ。
「分かった。とりあえず引く。…ただし絶対に裏切るなよ、アレン」
「信じてくれとは言わないが、できるだけ誠意を見せる。俺は本気で、争いをなくしたいんだ」
そう告げると、魔法使いは周囲の兵士に撤退を命じ、魔王軍もこちらを見て「いいのか?」という顔をしている。俺が頷くと、ケルベロスは息を吐き、リリスは呆れたように肩をすくめる。ボルグは「戦い足りねえなあ」と苦い顔で、ミミは申し訳なさそうに目を伏せる。ドラゴンのルナは上空に小さく舞いながら、空気の変化を見守っている。
「さて…やっと衝突を止められたが、これで全てが解決するわけじゃない。むしろここからが本番だ」
ぶつぶつとつぶやく俺の耳に、自分の鼓動が大きく響いている。はっきり言って、どう収拾をつければいいかなんて分からない。今はただ、“勇者としての力”を使ってまででも暴走を止めたい一心で動いた。まだ息が上がっているし、剣を握る腕が微妙に震えている。
けれど、それでもやらなきゃならない。スローライフを取り戻すには、まずすべての暴走を止め、誤解を解き、話し合いの場を設けるしかない。魔王軍と勇者パーティがいがみ合う現状を打破できるのは、たぶん俺だけだ。
「よし、まずは散らばった兵や魔物たちを呼び戻すところからだな。皆が納得できる方法を探さなきゃ」
血で血を洗う戦いは一旦回避できた。魔王軍も勇者パーティも、万全に引き下がったわけじゃないが、大衝突は免れた。この先どう転ぶか分からないけど、俺は覚悟を決める。
戦う力を封印してきた自分が矛盾しているのは承知だが、それでも今はこうする以外に道がない。
大切なのは、誰もが笑って畑を耕せる世界を作ることだ。
「……俺はもう逃げない。絶対に、ここで終わらせるんだ」
低くつぶやきながら、勇者の剣を背に回して収める。うっすらと汗ばんだ額を拭うと、かすかに吹き抜ける風が涼しい。あちこちで煙がくすぶっているが、大規模な火事は回避できたらしい。
農地が修復できる範囲なら、何とか再生できるはずだ。
そして遠巻きに見えていた勇者パーティが引き際を模索しているのを横目で確認しながら、俺は魔王軍にもう一度目を向ける。彼らの表情には困惑も戸惑いも混じっているが、少なくとも俺の“強い意志”を感じてくれた様子だ。
「陛下…本当に、俺たちに力を振るう気だったんですか?」
ケルベロスが震えた声を上げる。
「ああ、止まらないならやるつもりだった。ギリギリで思いとどまってくれたから助かったよ。ありがとうな」
「陛下がそこまで…ううっ、僕はどうすればいいんでしょう…」
「まずは、一緒に考えてくれ。世界の人々が納得できる道を。力じゃなく、話し合いでどうにかする方法を探そう。俺たちの畑を守るためにも」
ケルベロスは三つの頭をしょんぼり垂れ下げるが、その奥にはほんの少しの安堵が見える。リリスも複雑そうな顔で俺の袖をぎゅっと掴んでくる。
「あたし…陛下がそこまで苦しいなら、できるだけ協力します。正直、面倒ですけど…」
「面倒でもやってくれ。俺の願いなんだ」
うなだれるリリスに短くそう返すと、ボルグやミミ、ルナもゆっくりと息を吐き、それぞれに表情を変える。誰もが納得づくでの合意ってわけではないだろうが、とりあえずは衝突を避けて動いてくれそうだ。
「さあ、まずは被害を見て回って、必要があれば修復に取りかかる。話し合いの場をどこで作るか、そのあたりも考えないと」
「はーい、陛下♡」
これでいったん、大規模な戦いは避けられた。もちろん、火種はまだ残っているし、勇者パーティとの関係だって修復できたわけじゃない。世界の半分が農地になったままの現実もある。
それでも俺は、勇者としての力を使って魔王軍に「絶対に言うことを聞かせられる」と示したことで、彼らが本気で暴走し続ける事態は避けられるはずだ。
「よし…次は俺たちがどう動くか、ちゃんと形にしていこう」
内心の決意をかみしめながら、あちこちで散らばった兵や魔物たちの混乱を収拾しに向かう。畑には焦げ跡や砕かれた土が残っていて、農地としてはひどい状態だが、きっと修復できるはずだ。
なにせ世界最強クラスの魔王軍がいるんだから、その力を破壊じゃなく再生に使えれば、誰も傷つかない道を探れるかもしれない。
「農業と平和を両立させる。こんなに大変だなんて思ってもいなかったけど……絶対に諦めない」
肩に背負った剣の重みがずしりと胸にのしかかる。封印していた力を解放した以上、後戻りはできない。でも、腹はくくった。もしこの道が正しいのなら、最後まで歩き抜こう。嫌でも、勇者としての役割を果たすしかない。
それが俺の思う“本当の平和”なんだから。
遠くではケルベロスが、勇者パーティの兵の相手をしながらも決定的な衝突を避けているのが見える。いつもならあっという間にブレスで焼き払うくせに、頑張って体当たりだけで制圧しているらしい。リリスも誘惑魔法を使わずに、兵の動きを封じる手段を模索しているっぽい。
小さな変化だけど、それが嬉しい。
「……あとは、みんながちゃんと話し合いに応じてくれるかどうか、だよな」
そう呟く俺の声は、焼け焦げた土に染み込んでいく。
でも希望はある。俺が決して嘘をついていないと分かってもらえれば、きっと道は開けるはずだ。
「じゃあ、行くか。次は全力で“本当の平和”を掴むための戦いだ」
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