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第3章 魔王軍の"農地拡大作戦"が始まったんだが!?


 朝の光が薄く差し込む窓辺で、俺は欠伸を噛み殺している。

 部屋の外からはケルベロスの尻尾が地面を叩くドスンドスンという振動が伝わってくるし、遠くのほうではゴブリンが農機具らしきものを運ぶガタガタ音が響いている。どうにか落ち着いて目覚めるにはうるさい環境だが、それでもここ最近に比べればずっとマシだ。

 というのも、夜中に勝手な侵略をしないようきつく言っておいたおかげか、魔王軍が少しは“自重”してくれたらしい。

 少なくとも大きな爆発音や悲鳴は聞こえなかった。


「よし…今日こそは、やっとスローライフを満喫できるかもしれない」


 布団から抜け出して軽く背伸びすると、身体のあちこちがギシギシと軋んでいる。魔王軍が押し寄せてくる前までは、こんな疲労を感じることはなかった。日々畑を耕すだけの暮らしで、寝起きは爽快そのものだったのに。

 まだ眠気が残っている頭を振り払いながら、外へ出るための支度をする。


 扉を開けると、ひんやりした風が頬をかすめる。空は晴れ渡っていて、白い雲がポツポツと浮かんでいる。最高の畑日和だ。

 これはいい一日になりそうだな…と、わずかに期待を抱いて足を踏み出す。


「陛下、おはようございます!」


 ドスン、と大地を揺らしながらケルベロスが走り寄ってくる。相変わらず三つの頭が同時にこっちを向いているせいで迫力がすごい。だが、その大きさに反して毛並みはふさふさで、鼻先で甘えるようにすり寄ってくる姿はちょっと可愛い。問題は声の大きさだ。


「おはよう、って…ああ、散歩か? いや、悪いが今日は俺、畑仕事があるから勘弁してくれ」

「畑仕事なら僕たちに任せてください! 隣国の土地もまるっと農地に変えておきます!」


 ズレた返事が返ってくるから、思わず顔をしかめる。

「おまえら、頼むから“まるっと”とか言わないでくれ。もう十分すぎるくらい広げてるだろ…」


 ケルベロスは首を振って「甘いです、陛下!」と得意げだ。どうやら彼らにとっての“陛下を守る”イコール“農地を限界まで拡張”らしく、既に村を囲むように巨大な農場群が形成されてしまっている。

 早朝から聞こえていた騒音は、どうやらその“拡張作業”のせいだったらしい。


「なあ、ケルベロス。その拡張計画、本気でやろうとしてるのか?」

「もちろんです! 陛下が耕しきれないほどの素晴らしい畑を用意すれば、敵も近寄れないでしょう?」

「なんで敵が近寄らないと畑が増えるのか意味が分からんよ…っていうか、誰も攻めてきてないだろ」


 そう言いかけた瞬間、ゴブリンのミミがウサギ耳をピョコピョコさせながらこちらへ駆けてきた。いつもの愛らしい声で「陛下ー!」と呼びかけるが、内容はまるで可愛くない。


「陛下、東のほうにある隣国の見張り兵を見つけました! あたしの結界で撃退できそうだよ!」

「撃退するな! なに勝手に戦う気満々なんだよ」

「だってあいつら、畑を狙ってるかもしれないじゃん」

「普通に考えたらただの国境警備だろ。何も仕掛けられてないのに先制攻撃するのやめろ!」


 こちらが必死に制止しているというのに、ミミは「うーん…」と困った顔になって首をかしげる。

「でもケルベロスも、『隣国の兵隊がうろついてたら危ない』って」

「誰が危ないって? 少なくとも俺は危害なんて加えられてないぞ」

「えへへ、じゃあ近づいてきたら結界を張ればいいのかな?」


 それでも一応引いてくれたみたいで、ホッとする。

 だが安心したのも束の間、今度はリリスが艶めかしい笑みを浮かべながら歩いてきた。小柄な体形にミニドレスという出で立ちで、朝っぱらから刺激が強すぎる。


「陛下♡ 昨日のうちに隣国の王子様を誘惑してみたんですけど、意外と手ごわくて…♡」

「そこは“誘惑してみた”じゃなくて普通に挨拶してこいよ。何しようとしてたんだよ」

「陛下に協力させるためにちょっと魔法をかけようかと思ったんですけど、あっちも結界を張ってて苦戦したんです」


 あっちも結界? まさか魔王軍が活発化しているという噂を聞きつけて、既に防衛に動いているのか。

 いや、そりゃそうだよな。魔王軍が再結集して世界征服だの農地拡大だのとやらかしているんだから、周辺国が何もしないわけがない。リリスがプイと頬を膨らませているところを見るに、誘惑魔法は上手く効かなかったらしい。良かったといえば良かったが、なんとも複雑な気持ちだ。


「リリス、頼むからそれ以上変な行動はやめてくれ。隣国と仲良くしたいだけなのに、どうして勝手に誘惑して回るんだ」

「だって陛下に歯向かう人がいたら困るでしょ? 全部寝返らせて陛下の農地にしちゃったほうが安全です♡」

「安全? 相手にとっては最悪だろうが」


 歯を食いしばりながら答えると、今度はどこからともなくオークのボルグが現れる。

 いかにもマッチョな体格にイノシシっぽい牙、そして筋骨隆々の腕をぶんぶん振り回していて迫力満点だ。なんだか高揚感あふれる顔をしている。


「陛下、聞いてくれ! 隣国の穀倉がめちゃくちゃでかくて、絶好の肥料材料を見つけたんだ」

「見つけただけならいいけど、まさか勝手に奪ってきてないよな?」

「もちろん取ってきたぜ! 国境付近にいた兵士はケルベロスが軽く追い散らしたし、みんな陛下の農地に運んだ!」

「俺が許可した記憶は一切ないんだけど」


 思わず頭が痛くなる。どうしてこうも皆、躊躇なく他国のものを勝手に持ち帰れるのか。

 平和に暮らしたいどころか、完全に侵略ムーブだろう。ここしばらく、この魔王軍の“農地拡大作戦”が凄まじい勢いで進んでいて、隣国の領土の一部が事実上“アレン領”扱いになってしまっている。

 俺にそんな覚えはないし、むしろ止めてるのにまるで聞いちゃいない。


「これじゃあ本当に戦争が起きるぞ。頼むからやり方を改めろって言ってるのに…」


 ボルグは困惑したように首を傾げる。

「でも陛下、畑は広いほうがいいだろ? それに資源だって豊富なほうが作物も育ちやすい」

「だからって殴って奪ってどうするんだ…交渉とか、もっと穏便な方法があるだろうが」


 魔王軍には“話し合い”という概念がほとんど通じないらしく、すぐに「力が正義」な方針で動いてしまう。俺は何度も口を酸っぱくして止めてるけど、そのたびに「陛下に余計な苦労はさせられない!」と張り切ってしまうのが泣き所だ。


「このままだと周辺国が本気で武力行使してくるぞ。俺は畑仕事だけで十分なんだ。いい加減わかってくれ」


 言葉尻に悲鳴混じりの必死さが出てしまい、周囲の魔王軍が少し黙り込む。かと思えば、ケルベロスが気遣うように尻尾を振り始める。


「陛下、僕たちが確実に片付けますから、安心してください!」

「安心どころか不安しかないよ。敵扱いしないであげてよ、あの人たちにだって生活があるんだ」


 そう訴えている最中、遠くから慌ただしい足音が聞こえてくる。よく見ると、先日ボロボロにされた“勇者パーティ”の一部らしい。まだ回復しきっていないはずなのに、必死の形相でこちらを指差している。

 正直、このタイミングで遭遇するのは気まずいが……逃げるわけにもいかない。


「おまえら…また来ちゃったのか。大丈夫なのか、その怪我」


 声をかけると、戦士が肩を押さえながら噛みつくように叫ぶ。


「おまえの心配はいらない。問題は、これ以上隣国を蹂躙されるわけにはいかないってことだ。許せないんだよ、魔王アレン…!」

「だから、魔王じゃないって…! ちょっとケルベロス、睨むのやめろって」


 ケルベロスが「陛下を侮辱するな!」と低く吠えるものだから、ますます勇者パーティは警戒を強める。いたたまれなくなった俺は、必死に彼らをなだめようと声を張る。


「待て、ここで戦いになると村の人たちが危険だ。ちゃんと話をしよう。隣国の領土を荒らしたのは俺じゃなく、こいつらが勝手にやったことなんだ…!」

「勝手に? そんな都合のいい言い訳が通用するとでも思うのか」


 そりゃあ普通は思わないだろうな。俺のすぐそばには危険度満点の魔王軍が揃っていて、彼らは俺を“陛下”と呼んでいるんだから、客観的に見ればどう考えても俺が親玉だ。


「くっ…! 本当に違うんだよ。俺は畑を守りたいだけ。戦いなんて望んでない。信じてくれ」


 勇者側が迷うような目をするが、そこにリリスが追い打ちをかけるように嗤う。


「何を言っても無駄よ♡ 陛下を倒したいなら、あたしを倒してからにしてもらわないと♡」 「やめろって! そもそも倒したいなんて誰も…ああ、もう!」


 俺が頭を抱えた瞬間、ミミが飛び跳ねながら結界魔法を発動しようとする。ゴブリンのちっこい身体からは想像できないほど強力な魔力が渦巻き、勇者パーティの足元に光の輪が展開されていく。


「陛下の畑に侵入しようとするやつは閉じ込めちゃうもんね!」

「バカ、やめろ! これ以上誤解を深めてどうするんだ!」


 必死で止めようとするが、ミミは耳をピンと立てたままきょとんとしている。その隙に戦士が剣を振り上げ、結界の光を斬ろうとしたが、魔力が強すぎて簡単には破れない。

 見ればリリスが横合いから誘惑魔法をかけてきて、パーティの後衛がぐらりと膝を突く。


「陛下っ、ここで一気に敵を制圧しますよ!」

「ちょっと待ってくれ、俺はそんなこと望んでない!」


 止まらない連鎖反応に、俺は歯ぎしりする。

 結局、勇者たちはまたも返り討ちに近い形で退却を余儀なくされ、その場にはうめき声だけが残った。畑の周りには焦げた土や砕かれた岩が散らばっており、せっかく育てかけていた作物まで巻き添えになって一部が枯れている。


「くそ、また農作物がだいぶ被害を受けちまった…」


 思わずかがんで土を拾い上げる。魔王軍が戦闘するときの余波は凄まじく、辺りの環境がすぐに荒れてしまう。

 俺が求めるのは“畑が広がる”んじゃなくて“平和に畑仕事ができる空間”なのに。

 ギュッと拳を握りしめて悔しさをかみ殺すと、ケルベロスが心配そうに鼻を近づけてくる。


「陛下…落ち込まないでください。敵は殲滅したので、畑は守られましたよ?」

「守るってどこがだよ。これだけボロボロにしておいて…まるで守られてない」


 俺が歯を食いしばって言うと、ケルベロスはしょんぼりと耳を垂らす。三つの頭は口々に「陛下の望みと違うんだろうか」と呟いているような気配がある。そこに、もう一匹の“もふもふ”であるドラゴンのルナがのんびり飛んできて、俺の肩に巻き付こうとする。


「ぷぎゅ…陛下が望むなら、隣国を一瞬で耕せるよ」

「だから耕すなよ。人が暮らしてるんだ。それに焼いて更地にするのは畑を作るんじゃなくて破壊だろ」


 ルナが小首をかしげて「でも誰も陛下に手出しできなくなるよ?」と無邪気に言うものだから、頭が痛い。どうしてこうもコミュニケーションが成り立たないのか。

 こんなやり取りを繰り返しているうちに、結局隣国側が先に折れてしまう。

 ある朝、急に“降伏宣言”を使者がもってきたのだ。


「え? 今なんて言った…?」

「貴国、もとい“魔王アレン様”には逆らいません、と東の王子が…このような詔をお渡しするようにと」

「待て、アレン様だとまだしも、魔王は余計だろ! 俺は魔王じゃないんだって…!」


 使者は震える声で「ですが、こちらから手を出す意思がないのに、何度も集落が襲撃を受け…」と続ける。ああ、間違いなくリリスやオークの仕業だな。相手にしたらたまったもんじゃない。

 力でかなわないなら、もう従うしかないと思うのも無理はない。


「すみません、こちらにも色々…事情があって……」

「どうか慈悲を。わが国を、これ以上荒らさないでいただけるなら、何でもいたします…」


 心底怯えた様子で頭を下げる使者に、俺はいたたまれない気持ちになる。

 一方、後ろから覗き込んでいたリリスは「ほら見ろ、陛下は世界を統べるお方なんですよ♡」と得意げに微笑んでいて、ミミは「よかったね陛下、畑が広がるね!」と無邪気に言う。ケルベロスも「これで陛下の農地が安全になります!」と嬉しそうだし、ボルグはさっそく穀倉の場所を聞き出そうとしている。

 もうカオスだ。


「これが俺の望む平和ってわけじゃないんだよ…」


 小声で呟いても届くわけもない。こうして隣国が正式に“魔王アレン”へと降伏したことが世界中に広まり、次々に周辺国がビクビクしながら降伏か対抗かを迫られることになる。

 結果、俺の名がさらなる誤解のもとに「恐怖の魔王」「世界を焼き尽くす覇者」として知れ渡ってしまう。


「陛下、これで畑を思う存分耕せますね」

「いや、こんなやり方で手に入れた畑で、いったい何を育てて喜べっていうんだ?」


 ケルベロスやリリスたちと話しても、話がかみ合わない。力で蹂躙するか、誘惑や結界で服従させるか、とにかく彼らは“陛下のため”だと思っているから悪気すらないのが厄介だ。

 実際、村人たちは「世界中が陛下にひれ伏してくれたら戦争がなくなる」と言い始めていて、妙な熱気に染まりつつある。


「皆、ひれ伏すだけじゃ平和とは言わないんだけどな…」


 歯がゆい思いを抱えたまま、畑の様子を見に行く。周囲の騒動で地面が荒れているところもあれば、ミミが張った自動化の魔法で一晩で作物が伸びているところもある。何もかもがひどくアンバランスで、俺が思い描いていた「のどかな畑仕事」はどこにも見当たらない。


「やっぱり、ここまで来ると気が滅入るな」


 重いため息をつくと、ルナが背後からひょこっと首を伸ばして俺の腕にしがみついてくる。

 ちょうどぬいぐるみサイズに戻ったらしく、まるで子猫みたいに尻尾を振って甘えている。


「ぷぎゅ…陛下、疲れたの?」

「ああ、疲れた。おまえらが暴れるから…って言ったら怒るか?」

「怒らない。だって陛下は大事な人だもん」


 ルナが満面の笑みを浮かべていると、見かけは本当に可愛い。

 だけど心の中で「この子、ちょっと前に隣国の城を火の海にしかけたよな…」と思うと、素直に撫でていいものか悩む。結局、俺はそっとルナの頭を撫でながら、どうにかしてこの暴走を食い止められないか考える。


「皆の暴走を止めたいのに、俺の声はまともに届いてない。でも諦めるわけにはいかないんだよな」


 このまま放置すれば、さらなる国々が誤解と恐怖で“降伏”という名の屈服を余儀なくされる。

 そんな形で世界をまとめても、誰のためにもならない。そのうえ、俺の仲間たち——元勇者パーティ——は俺を本気で打倒する覚悟を固めてしまうだろう。

 実際、攻め込んでくる頻度が増えているし、彼らに正しく説明する術すらない。

 どこへ行っても「魔王アレン」「魔王アレン」と噂されていて、俺の声はかき消されるばかりだ。


「なんとかしなきゃ…どうにかして、こいつらに俺の本当の願いを伝えたい」


 ただ“畑を耕したい”だけ。

 そのシンプルな思いが、世界征服なんてとんでもない方向へ転がり続けている。それを思うと、悔しいやら悲しいやらで胸の奥がむず痒くなる。

 ルナは俺のそんな気持ちなど知らず、ニコニコしている。ケルベロスやリリス、オークやミミも、みんな悪意があってこうなっているわけじゃないらしいから余計にタチが悪い。


「あー、まったく…これからどうすればいいのかな」


 辺りを見回すと、一見のどかに見える畑の向こう側には、いつ戦いになるとも知れない張り詰めた空気が漂っている。隣国だけでなく、その先の国々も恐らく身構えているだろう。

 何かの拍子で魔王軍が「畑拡大」と称して押し寄せれば、あっという間に陥落してしまうに違いない。


「こんなの、俺がやりたかったスローライフから一番遠い状態じゃないか」


 もう笑うしかない。

 ついこぼれた乾いた笑みが、自分でも驚くほど虚ろに響いている。

 ルナがちょっとだけ心配そうに首をかしげるが、俺は言葉を濁して手を振る。


「平気だよ、なんとかするから」


 そして今、周囲を警戒していた村人たちも、俺を見るたびに「陛下のおかげで侵略者が減った」と言い始めている。

 そりゃ、魔王軍に屈した国はもう下手に攻めてくることはないかもしれない。

 でもそれは本当の平和とは程遠いものだ。


「どいつもこいつも、どうして話を聞いてくれないんだ」


 踏みしめる土の感触だけが、昔ながらの俺の居場所を思い出させる。

 昔はこの土のために、こんなにも頭を抱えることはなかった。雑草を抜いたり水をやったり、たまに虫がついたら駆除したり、その程度のことが俺のすべてだったのに。

 今じゃ虫どころか世界中の国が敵か味方かに分かれて大騒ぎだ。


「もううんざりだよ…」


 それでも、やるしかない。このまま農地拡大という名の侵略が進めば、被害にあう人々が増えるだけだ。俺は自分の畑を守りたいし、誰かの畑を荒らすようなマネをしたくない。何より、余計な争いで世界が焼け野原になるのを見て見ぬふりなんてできない。

 畑が増えるより、まずは本当に穏やかな農業環境を取り戻さなきゃいけないんだ。


「そうだ、絶対に止める。みんなにその意味をわかってもらう」


 頭を振って決意を固めると、俺は改めて周囲の魔王軍の顔ぶれを睨む。

 小さなドラゴンを抱っこしているリリス、尻尾を振っているケルベロス、オークのボルグやゴブリンのミミもこっちを見ている。みんな俺を“魔王”だと信じて疑わない連中だが、やり方を説得すれば、少しはわかってくれるんじゃないか——そんな微かな期待を抱いて、俺は大きく息を吸い込む。


「おまえら、聞いてくれ」


 農具を握りしめながら視線を走らせる。

 もし話を聞いてもらえなければ、また国が陥落してしまうだろう。俺にとっては今が勝負どころかもしれない。


「農地が増えりゃいいってわけじゃない。俺が作りたいのは、みんなが安心して野菜を育てたり食べたりできる世界なんだ」


 ケルベロスの三つ首がこくこくと動く。リリスは「えー、でも…」と物言いたげに唇を尖らせている。周囲に重い空気が流れるが、俺は負けずに続ける。


「戦争なんかで畑を広げても、誰も笑顔にならない。畑は争いを生むためじゃなく、豊かさを分かち合うためにあるんだ」


 果たしてこの想いが伝わるのか——やや不安を覚えつつも、俺は泥だらけの靴をギュッと踏みしめる。どれだけ世界から恐れられても、俺は本気で“争いのないスローライフ”を目指している。それだけは絶対に曲げられない。

 胸の中で小さく燃えるその意志だけを頼りに、魔王軍の面々をねめつけるように見据える。


 どうか、この声が少しでも届いてくれ。

 彼らが俺の言葉に耳を傾けてくれるなら、きっと事態は変わる。

 わずかな期待と途方もない不安がないまぜになりながら、俺はぎゅっと農具の柄を握りしめたまま、次の言葉を紡ぐ準備をする。


 ——しかし、俺の視界の端でケルベロスが再び尻尾を振っているのが見え、さらにオークが「よし、守るためなら仕方ない」と大きな棍棒を構え始める気配がする。リリスが妖艶に笑い、ゴブリンのミミがニコニコして結界の杖を握り締めている様子が目に入り、俺は早くも頭が痛くなってきた。


「…ほんと、簡単にはわかってもらえそうにないな…」


 それでも、諦めずに説得するしかない。何としても、彼らの“農地拡大作戦”を止めなければ。

 このままじゃ世界中が畑になってしまうなんて、さすがに冗談にもほどがある。


「俺はスローライフを守りたいだけなんだ…農作業がしたいだけなんだ!」


 叫ぶ声が青空にむなしく消えていく。畑の風が心なしか冷たく感じられ、遠くから聞こえるのは王国の悲鳴か、それとも魔王軍の歓声か。世界はますます俺を“魔王アレン”と恐れはじめている。それがどれほど不本意でも、現実は待ってくれない。

 だが、一歩ずつでも前に進まなければ。迷っている暇はないんだ。俺が望む本当のスローライフを取り戻すために、もう少しだけ足掻いてみよう。


 内心に湧く焦燥と諦めの狭間で、俺は鍬を振るう腕に少しだけ力を込める。世界のどこかにこの叫びを聞いてくれる人がいると信じながら、今日も俺は畑を耕すしかないんだ。

 そう、スローライフを実現する日はいつになるのか……今のところ、まるで見当もつかないままだけど。

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