堕天の殺戮者は紳士である
「遅刻する、遅刻する、もうこんな時間!」
ベッドから飛び起き、時間を確認しながら会社に出勤する準備を始める。やばい、余計な時間を使いすぎた。こんなに慌てている自分を見るのは久しぶりだ。昨日の出来事が現実なのかどうかも分からない。いや、できれば現実であってほしくない――だって、私の創作の産物である「堕天の殺戮者キリアン」が、目の前で動き回り、話し、むくれたりしているのだから。けれど、今のところ重要なのは、会社に行く準備を急ぐことだけだ。
洗面台に向かおうと、慌てて着替えを手に取ったその時。ふと視界の端に、黒いシルエットが目に入る。キリアンが、こちらに背を向けたまま立っていた。大きな翼は、その場の空気を変えてしまうかのように、異質な存在感を放っている。――私の部屋で、彼が「背を向けて立っている」こと自体、どこか現実離れした光景だけど。
キリアンは、背を向けたまま、無造作に呟いた。
「昨日はいきなり妖狐が倒れたから、俺がベッドまで運んでやったんだぞ。感謝しろよ。」
感謝しろ、と言われても、思考は一瞬で止まり、目を見開くばかりだった。倒れた――倒れた?いや、それはそうだ。昨日の出来事を思い返すだけで、恥ずかしさと混乱が交互に襲い掛かってくる。私の全てが凍りつき、黒歴史が蘇ってきて、それに耐えきれずに膝から崩れ落ちてしまったことまでは覚えている。でも、その後…彼が、私をこのベッドまで運んだとは。
「な、何それ…!どうして…」
あまりに唐突な事実を突きつけられて、言葉が途切れる。そんな着替え中の私の困惑に気づくこともなく、彼は悠然とした姿勢を崩さず、静かに背中で語る。その姿に、ふと過去の設定を思い出す。そういえば、キリアンは「レディファースト」で紳士的という設定があったような…?
不意に、頭の中にかつての記憶が思い出される。あぁ、そうだった、確かに私は、彼を「完璧な貴公子」として描いたのだ。着替え中の女性を覗くなどという低俗な行為をするはずもなく、どんな場面でも冷静さを崩さない、貴公子の中の貴公子。私の中で、彼はただの妄想上のキャラクターではなく、理想の全てを詰め込んだ存在だったはず。女性に優しく、けれど絶対に下品なことはしない。私が想像する「最高の男性」――それが「堕天の殺戮者キリアン」だった。
あぁ、こんな時にそれを思い出すなんて。