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【制裁編完結】そのノートの名前はルトロヴァイユ・いつかあなた逢えますように

保健室の窓から見える景色は変わらないけど、私は変わった気がする。


久しぶりの校舎の匂い、教室から流れてくる雑談の音、遠くから響くチャイムの音――すべてが、少しずつ遠ざかっていた記憶をそっと呼び戻していくようだった。


「……はぁ。」


思わず小さなため息が漏れた。

隣のベッドで休んでいる生徒がこちらを気にしそうになって、慌てて視線をノートに戻す。


文字はまだまばらで、途中から線が歪んでいるのが自分でもわかった。


自習と言っても、心は落ち着かない。

教室に行かなくていい――その言葉は救いだったけど、同時に呪いみたいでもあった。


保健室で自習している私に声をかけてくれる生徒なんて、もちろんいない。


保健室の先生も気遣ってか、私に話しかけることはほとんどなかった。だから、ドアの開く音がした時は、反射的にびくりと肩をすくめてしまった。


「益川さん、少しいいかな?」


現れたのは、見たことのない先生だった。

年齢は三十代くらいだろうか。スーツがきっちりしていて、言葉にも温かみがある。


「あ……はい。」


声が裏返りそうだったけど、何とか返事をした。先生は優しい笑顔を浮かべたまま、私のそばに腰を下ろす。


「話があるんだ。聞いてくれるかな?」


「……はい。」


何の話だろう――心臓が速くなる。嫌な予感と期待が交じる、いつもの感覚。先生の視線は真っ直ぐで、怖くはなかった。でも、逃げ場がないようにも感じた。


「益川さんにとって、とても重要な話だ。先に言っておくけど、良い報告だよ。」


「良い……報告?」


驚きと疑念の混じる私の言葉に、先生はゆっくりと頷いた。

その瞬間、少し胸が軽くなるのを感じた。


「君を苦しめていた女子たち――例のグループだね。全員、退学が決まった。」


「……退学……?」


信じられなくて、もう一度口にしてしまった。退学という言葉が重たくて、現実味がなくて、どこか遠くの国の話みたいに聞こえた。


「それと……元担任の佐藤先生も、学校を退職されたんだ。」


「……!」


その名前を聞いて、喉が詰まったような気がした。

あの先生の顔を思い出す。いじめていた子たちと一緒に私を笑い者にしていた、あの冷たい視線。


でも今、その人はもうここにはいないんだ。

私はもうあの人たちに怯えなくていいんだ。


「これからは、新しい環境でスタートできると思う。どうだろう、良かったら少しずつ教室に戻ってみないか?」


先生の声はとても穏やかだった。

無理にとは言わず、私の気持ちを一番に考えてくれる――そんな温かさがあった。

心の奥にあった冷たい氷が、少しずつ溶けていくような感覚がした。


「……はい!」


気づけば、私は大きく頷いていた。

いつの間にか溢れそうになっていた涙をこぼさないように、急いでまばたきをした。頬が少し赤くなる。だけど、今だけは周りの視線なんてどうでも良かった。


「……はい、行ってみたいです。」


その声が、ようやく自分の中にある「前に進みたい」という気持ちを言葉にしてくれた。

私の新しい一歩が、今、この保健室から始まったんだと思った。


◆◆◆


「お母さん、私……今度から、クラスに行こうと思う。」


そう告げた時の母の表情は、今でも忘れられない。驚きで目を丸くしたかと思うと、次の瞬間、涙を溜めながら笑顔になった。


「本当?……愛梛、本当に?」


「うん。」


母の声は震えていた。

横にいた父も、無言で頷きながら私の頭を優しく撫でた。あの無口な父が、何も言わずにそっと笑ってくれた。


「やっとだね……本当に、やっと……。」


母が小さな声で呟いた時、心から良かったと思った。ずっと心配をかけてきた母と父に、ようやく安心して貰うことが出来た。


――その夜、私は机に向かってノートを開いた。


大切なデザインノート。


以前はこのノートを開くたびに、心が冷たく縮こまるような思いがした。

「無駄だ」とか、「誰も認めてくれない」とか、そんな言葉ばかりが浮かんできてしまって、ページをめくる勇気すら出なかった。


でも今は違う。


私は新しいページを開き、手元の鉛筆をそっと握る。

そして、一呼吸。


「……うん。」


柔らかい音を立てて、鉛筆が紙を滑る。

まずは、スカートのシルエットを描く。少し広がるAラインにして、裾には小さなレースを。胸元のリボンは細くして、派手になりすぎないように。

「可愛い」だけじゃなくて、「エレガント」も兼ね備えたデザインがいい。

細部のディテールを詰めるたびに、心の中の迷いが少しずつ薄れていく気がする。


頭の中には、あの人の笑顔が浮かんでいた。


ショッピングモールのあの瞬間、優しく微笑んで「素敵な服だね」と言ってくれたお姉さん。

いつか――いつかまた会えたら、その時はこの服を着てもらいたい。

あの時、あの人が勇気をくれたように、今度は私が誰かの背中を押せるデザイナーになりたい。


「……ダメかもしれないけど……挑戦、してみたい。」


思わずつぶやいた声は、夜の静けさの中に溶けていった。

でも、その言葉は確かに私自身の胸に響いていた。


最後に、ノートの表紙にフランス語で「ルトロヴァイユ」と書く。


再会。


その一言に、未来への期待が詰まっているような気がした。


ノートを胸に抱きしめると、不思議だけど温かさが伝わってきた。まるで、未来の自分がそっと励ましてくれているみたいに。


「よし……。」


優しく閉じたノートは、確かな重みを持っていた。


それは「再会」への第一歩。

私の新しい挑戦の始まりだった。

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