【制裁編】退職
校長室のドアの前で、私は一度足を止めた。
「何の用かしら?」
扉の向こうから漏れる低い声に、思わず眉をひそめる。校長室に呼ばれること自体、そうそうあるものではない。まして、校長自ら私を呼び出すとは。
何かの行事の話かしら。年度末に向けての業務連絡?それとも保護者からのクレーム対応?頭の中であれこれ考えながら、ノックをする。軽く、けれど礼儀正しく。
「失礼します。」
ドアを開けて中に入ると、まず目に飛び込んできたのは校長の苦々しい表情だった。隣には品の良さそうなスーツ姿の男性が座っている。何とも言えない空気が室内に満ちていて、私の足が自然と重くなる。
「佐藤先生、お掛けなさい。」
校長の声が硬い。普段の柔らかい物腰とは明らかに違っていて、何か悪い知らせを告げられる予感が背筋を冷やした。
「……失礼します。」
椅子に腰を下ろすと、校長は私をまっすぐに見つめてきた。その視線は、言い訳の余地を一切許さないような強さを帯びていた。
「率直に申し上げます。佐藤先生、今回の件、大変遺憾です。」
「……え?」
思わず声が漏れる。何のことだか分からない。校長はため息をつきながら、机の上の書類を指でトントンと揃えた。
「益川愛梛さんのいじめ問題について、佐藤律子先生が深く関与していたとの指摘がありました。」
その名前を聞いた瞬間、私の心臓が一拍跳ねた。言葉が出ない。どうして、ここで彼女の名前が出てくるのか。
「こちら〇〇ショッピングモールの責任者である方が、益川さんの証言を受けて教師の対応について連絡してくださいました。」
校長は隣の男性をちらりと見た。男性は大きく頷く。
「佐藤先生が、いじめを容認するどころか生徒たちに同調していたという証言が複数出ています。」
「私はただ、生徒たちに寄り添おうと――」
思わず言葉が出たが、校長の冷たい目がそれを封じる。
「寄り添おうとした結果が、彼女を傷つけ、不登校に追い込んだのですね。――佐藤先生、この件だけではありません。」
校長の言葉が、冷えた刃のように私の胸を貫く。
その視線は、まるで私の全てを見透かしているかのように冷たかった。私は硬直したまま、ただその場に座り続けるしかない。隣の責任者と視線を交わした校長は、再び淡々と語り始めた。
「数年前、佐藤先生が担任をしていたクラスでの不適切な言動についても、報告が上がっています。」
数年前――あの時のことが脳裏をよぎる。細かな記憶がぼやけているけれど、確かにいくつか心当たりがあった。
「例えば、生徒が進路相談に来た際、真剣に話を聞かずに『そんなこと、どうでもいいでしょ』と切り捨てたという証言。」
校長は資料を開きながら、淡々と指摘を続ける。
「他にも、クラスのリーダー的存在の生徒に肩入れし、特定の生徒を無視するように示唆していたという話も……」
「それは――」
反射的に否定しようとした言葉は、喉の奥で詰まった。言い訳すらまとまらない。
「さらには、虐められている生徒に対して『あなたみたいな人間は社会でやっていけない』と発言したこともあるそうですね。」
その言葉が投げられた瞬間、全身の血の気が引いた。そんなこと言っただろうか――いや、言ったのかもしれない。焦った心の中に、小さな罪の意識が顔を覗かせる。
「佐藤先生、あなたのような態度の教師が学校という場所にふさわしいと思いますか?」
校長の声が冷え冷えとしていた。視線が私を見ているようで、その実、私を見ていない。突きつけられる言葉の一つ一つが、胸に突き刺さる。
「考える時間はありません。」
校長が静かに言った。
「退職をお願いします。これ以上、学校に留まるのは難しいでしょう。」
退職――その言葉が頭の中で何度も反響する。退職金、再就職、私や夫、子供の将来――すべてが真っ暗な穴に落ちていくような感覚が押し寄せる。
「私は……これから……どうすれば……」
呟いた言葉は、自分でも情けないほど弱々しかった。
校長は何も言わず、ただ机の上の書類を整えるだけだった。隣の男性も、何一つ感情を見せないまま、冷えた視線を私に向けていた。




