【制裁編】破滅
「美兎、入院したらしいよ。」
そんな噂話が耳に飛び込んできたのは、家から一歩も出られない生活が始まって数日後のことだった。
机の上に転がったスマホを眺めながら、私はその画面に映る文字を呆然と見つめていた。噂の主は、グループの親友だった美兎。彼女は私たちの中でも一番言葉に切れ味があったし、先生や他の生徒をからかう時の率先力もピカイチだった。
だけど、その美兎が学校で突然「うざい!」と叫びながら教室の窓を叩き割ったという。それが原因で今は心療内科に入院しているらしい。
「嘘でしょ……」
自然と声が漏れる。あの美兎がそんな風になるなんて。
さらに話は続く。他の子もみんなおかしくなっている、と。
真由は授業中に突然立ち上がって笑い出し、止めようとする先生の声すら耳に入らないまま廊下に走り去ったとか。別の子は誰にも触れられないのに「痛い、痛い!」と涙を流し続け、保健室に運ばれたとか。
確かに最近、連絡が少なくなっていた。でも、まさかこんな風になっていたなんて。
自分は違う、そう信じたい
「でも、私は大丈夫。」
自分にそう言い聞かせる。何度も。声に出しても足りないくらいに繰り返す。
だって私は、彼女たちとは違う。私は冷静だし、強いし、状況だってきちんと判断できている。彼女たちみたいに急に笑い出したり泣き叫んだりすることはない。私はちゃんと、正常でいられてる。
――それでも、胸の奥底にある小さな不安がじわじわと広がる感覚は止められない。
「みんながおかしくなったのはたまたま。偶然。」
そう自分に言い聞かせながらも、指先がじんわりと汗ばむ。なんでこんなに怖いんだろう。美兎たちの末路が、どこか遠い場所の出来事みたいに思えないからだろうか。
いや、そんなはずはない。私は、あんな風にはならない。
だって私は、そう、私は何も間違ってない。
それでも、美兎たちの話を聞くたびに背筋が寒くなる。彼女たちの姿が頭の中に浮かぶたび、自分の心臓が小さく震えるのがわかる。いやだ。そんなの認めたくない。私は大丈夫なんだ。
でも……もし私もあんな風になったら?
考えたくないのに、そのイメージは不意に浮かび上がる。叫んで暴れて、人目を引いて、誰も近寄らなくなって、最後には……。
「……やめて。」
震える声が、自分の耳に届く。誰に向けたものでもない。その言葉が届く相手なんて最初からいないのだから。
スマホを握りしめた手が汗で滑る。美兎のように、他の子たちのように、私も――。
いや、私は大丈夫。私はあんな風にはならない。絶対に。
◆◆◆
気分転換に訪れたショッピングモールのエスカレーターを降りた瞬間、胸の奥がざわついた。
この場所。何だろう、何かが引っかかる。懐かしいような、それでいて嫌悪感を覚えるような――そんな、なんとも言えない感覚。
「ここだ。」
口から小さく言葉が漏れる。私はこの場所を知っている。何か、何かがあった。でも、それが何だったのかが思い出せない。
振り返り、見回してみる。エスカレーターを降りてすぐの広場。目の前には洋服のショップや雑貨店が並び、子供連れの家族が笑顔で歩いている。何も変わったところなんてない。ごく普通のショッピングモールの景色がそこにあるだけ。
けれど、何かが――。
胸の奥で何かがざわめく。
「どうして?」
私は思わず自分の胸元を掴んだ。息苦しいわけじゃない。ただ、何かが胸の中でうごめいているのがわかる。モヤモヤとした感覚。それはじわじわと私を侵食していく。
原因なんてわからない。考えようとしても、何も浮かばない。ただ、ここに来たことで何かが変わる気がした。いや、変わらなければならないと、そう思ったのかもしれない。
それなのに、何も変わらない。私は何も思い出せない。ただ、ここが――。
「ここが何だって言うのよ。」
呟いた声が震えている。嫌な予感が全身を包む。それが何なのかがわからないからこそ、余計に怖い。まるで、目隠しをされたまま狭い通路を歩かされているような感覚だ。
その時だった。頭の中に突然、言葉が響き渡った。
「キモい。」
気がつけば、それを口にしていた。いや、口にするどころか、叫んでいた。
「キモい!キモいキモいキモい!」
次から次へと溢れ出す言葉。まるで私の意思なんて存在しないかのように。抑えようとしても止められない。口を手で押さえてみても、言葉は喉の奥から湧き出てきて、暴れ出す。
「なんで……なんでこんな……!」
涙が滲む。わけがわからない。私は何をしているんだ?なんでこんなことを?どうして止められないんだ?
人々の視線が突き刺さる。周囲のざわめきが耳に届く。誰かが立ち止まり、私を指差して何かを言っている。目の前の景色が霞んで見えた。
走らなければ。そう思った時には、私はすでに駆け出していた。
「キモい、キモい!」
足音が響く。通路を全力で走り抜ける。次々に人々が道を開け、私の後ろでざわつきの輪が広がるのがわかる。それでも私は走り続けるしかなかった。止まれば、何かが私を壊してしまいそうで。
「やめてよ……!」
心の中で叫ぶ。でも声にはならない。代わりに出てくるのは「キモい」という言葉ばかり。頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。自分の思考すら自分のものではなくなっていくような感覚。
――私は、どうなってしまうんだろう。
心の中で問いかける。でもその答えは、誰にもわからない。
気がつけば、遠くから警備員の声が聞こえてきた。それすらも聞きたくないかのように、私はただ、目の前に続く通路を必死で駆け抜けるしかなかった。




