召喚
「いつから、こんな自分になってしまったんだろう。」
その問いは、無意識のうちに口から漏れ出た言葉だった。無論、私自身が最もよく知っていることだが、その答えにどれだけの価値があるだろうか。
年々積もる「どうでもいい」の層が、いつの間にか心を覆い尽くし、若かりし頃の期待も夢も全てが「無意味」に塗りつぶされていった。今や私に残されたものは、ただ流れに身を任せるだけの、惰性の毎日。
それなのに、今、私はこの古びたノートの前に立っている。
実家から持ち帰った段ボールを整理している時に見つけた、「ブラッド・ヘイヴン」。厨二病全盛期だった高校時代に、自分なりの世界観を詰め込み、膨らませ、夢中で描き続けた「自分だけの魔導書」。
思わず鼻で笑いそうになった。どれだけ必死だったのか、その滑稽さに対して。
しかし、どうしてか手は止まらなかった。ページを開く指先が、懐かしさと冷めた諦念の入り混じった感情を映し出していた。
そこに書かれているのは、今見ると笑うしかないような「設定」ばかり。
片目が黒、片目が銀の「堕天の殺戮者」、キリアン・フランヴェルジュ・ブラッドレイ。長いプラチナブロンド、片翼は漆黒の堕天使の翼、もう片翼は純白の天使の翼。大鎌を手に、冷酷で美しい魔公爵。まさに当時の「夢の理想」を凝縮させたようなキャラクター。しかし、今の私にとっては、それはただ「痛い過去の象徴」でしかなかった。
それでも、指が勝手に魔法陣をなぞっているのに気づいた時、心がざわめいた。
何も起こらないと分かっている。これがただの落書きでしかないことも。
しかし、当時の私にはこのノートが「全て」だったのだ。
現実では何もできない自分を幻想で埋め合わせるしかなかった。自分と彼らの冒険や愛憎を描くことで、私の空虚な現実を満たしていたのだ。
「アグロン、テタグラム、バイケオン、スティムラマトン、エロハレス…」
「真名での召喚に応じ、血塗られし天獄より来たれ、堕天の殺戮者、キリアン・フランヴェルジュ・ブラッドレイ…」
呪文が、ふと口から漏れた。意味などない言葉の羅列。ただの妄想に過ぎないことも、私が一番よくわかっている。しかし、なぜか呪文を唱える口元が、妙に懐かしく感じたのだ。
あの頃の「私」が、もし私を見たら何と言うだろうか。現実の全てを諦め、夢を嘲笑し、ただ無意味な毎日を過ごす今の私を。
部屋に深い静寂が降りた。
時間が止まったような、息苦しいほどの静けさ。現実は当然、何も変わらない。紙と鉛筆で描かれた魔法陣が何かを生むはずもないし、ましてや幻想のキャラクターが現れるわけもない。すべては虚しい。自分の内から湧き上がるこの期待が、こんなにも馬鹿らしく感じるのは、一体なぜだろう。
「やっぱり、何も起こらないか…」
つぶやいた言葉が空気に溶ける。そこにはいつも通りの、何もない部屋があるだけだ。薄暗い照明、散らかった本に服、そして自分ひとりだけの空間。期待していたのだろうか。私のどこかに、まだ「夢」を求める自分がいるとでも?そんなもの、とうの昔に消え去ったはずだ。なのに、私の中の何かが確かに揺れ動いたのを感じる。
でも、それすらもきっと、気のせいだ。