翼と3つの禁忌
「…ねえ、キリアン。あの、その……翼、仕舞ったり出来ないかな。」
私の声は少しだけ遠慮がちだった。だって、あの翼は彼のシンボルであり、プライドであり、何より――めちゃくちゃ目立つのだ。
片方が漆黒の堕天の翼、もう片方が純白の天使の翼。完全にファンタジーの世界から出張してきましたという感じで、現実の街中でこんなものを広げて歩いていたら、一瞬で周囲の注目を集めるだろう。いや、注目どころか、間違いなく警察を呼ばれる。
キリアンは私の言葉に眉をひそめた。
「翼を閉じろ、だと?」
その声には不満と驚きが入り混じっていて、私の提案が彼のプライドをどれだけ傷つけたのかが伝わってきた。しまった、言い方を間違えたかもしれない。でも、だからと言って引き下がるわけにはいかない。
「だってさ、目立つでしょ。……ほら、外で歩く時とか、ちょっと普通じゃないっていうか。」
「普通ではないのは俺そのものだろう。」
そう来ると思ったよ、と心の中でため息をつく。
「わかるよ。でも、お願い。翼は部屋の中だけで広げて。外では……その……閉じたままでいてほしいの。」
私が必死に頼むと、キリアンは少しだけ険しい顔をしたまま黙り込んだ。そして、やがて目を閉じると、静かに呟いた。
「……翼は、俺の誇りだ。」
その声には普段の尊大な響きではなく、どこか静かな重みがあった。思わず言葉を飲み込んでしまう。でも、それ以上に、私は言わなきゃいけないことがあった。
「うん……それもわかる。キリアンの翼がどれだけ大事なものか、私だって知ってる。でも、今はさ……お願い。周りに何か言われるのは、私もキリアンも嫌じゃない?」
彼は少しだけ眉をひそめたあと、深く息をついた。そして、翼がゆっくりと消えていくのが見えた。
「……俺にここまで言わせるとはな。妖狐よ、お前の頼み、聞いてやる。」
「ありがとう、キリアン。」
素直にお礼を言ったけれど、彼の表情にはどこかまだ不満が残っている気がした。
――ええい、ついでだ。だから、私は前から思っていたことを聞いてみた。
「そういえば、キリアンってさ、何かやっちゃダメなことってあるの?」
私の問いに、彼は少しだけ驚いたような顔をした。
「やってはならないこと、か……。」
彼はしばらく考え込むように視線を落とした後、ゆっくりと口を開いた。
「まず、俺自身の手で直接他者の命を奪うことは禁じられている。それは、召喚されたこの世界において定められた掟だ。」
「そ、そうなんだ……。」
私はその答えに、少しだけ安心したような気がした。だって、彼がもしその気になれば、この街ひとつ消し去ることもできるだろうし――いや、怖すぎる。
「そして、俺の正体をこの世界の愚民どもに知られることも禁じられている。」
「それはまあ、そりゃそうだよね……。」
彼が「愚民ども」とさらっと言ったことには突っ込みたかったけど、内容には納得せざるを得なかった。だって、彼の正体がバレたら、それこそパニックだ。
「最後に……ヘイヴンのものをこの世界に持ち込むことも禁じられている。俺の領地の物品は、この世界の秩序を乱す危険性があるからな。」
「うわ……それも大事そうだね。」
私は彼の言葉に頷きながら、ふと思った。この三つの制約って、もし破ってしまったら――。
「それを破ればどうなるか、知りたいか?」
心の中を見透かしたような彼の問いに、私は慌てて首を横に振った。
「い、いや、知りたくない。大丈夫。破らないでね。」
「当たり前だ。」
その言葉に、私は少しだけホッとした。そして、同時に思った。この制約を守りながら、キリアンは私の隣でちゃんと「一緒にいてくれている」のだと。




