真っ赤なきつねと姫乃宮妖狐
カップうどんにお湯を注ぎ、ふたを閉じた。3分待つ。それだけで完成する手軽な食事。栄養バランスについては特に期待していない。この「手軽さ」こそが、私の日常における小さな救いだった。湯気が立ち上るカップ容器の中に、仕事の疲れや日々の煩雑な考えを少しでも溶かし込めるなら、それで十分だ。
今日の相棒は「真っ赤なきつね」。どこか懐かしさを覚えるパッケージと、その名前の語感にほっとする。蓋を開けるとお出汁が効いたつゆが湯気とともに香りを放ち、揚げの甘じょっぱい香りと一緒に部屋に漂う。それは、ささやかな幸福感をもたらす香りだった。私は箸を手に取り、軽く混ぜる。揚げを一口かじってから、うどんを啜る。熱い。でも美味しい。いつも通りの味。それで十分だった。
だが――。
「……。」
気配を感じた。いや、視線だ。カップうどんを手にした私に、何かが注がれている。視線。それも、非常に強い視線。それはまるで、私の行動を逐一観察するかのように集中していて、無意識に背筋が伸びた。
視線の主は、予想通り、彼だった。
キリアンが、私をじっと見つめている。冷静に、微笑んで――いや、微笑んでいる?その表情には威圧感も冷たさもない。むしろ、どこか柔らかい雰囲気すら漂わせている。それが逆に不気味だった。冷徹な殺戮者が、私がカップうどんを食べる姿をこんなにも穏やかに見守る理由とは一体何なのだろう。
「……なに?」
耐えきれずに声をかける。視線の圧力に負けた形だ。できればスルーしたかったが、これ以上続けられると落ち着いて食事を楽しむどころではなくなる。
キリアンは微笑みを保ったまま答える。
「昔、シエルがこう言っていたな。妖狐の共喰いは、実に興味深いと。」
その言葉が耳に届いた瞬間、私は全身が硬直した。妖狐の共喰い?共喰い、共喰いって――。
「ぶっ!」
反射的にうどんを啜りかけた喉が止まり、つゆが気管に入り込む。咳き込みながらテーブルにカップを置き、口元を押さえる。熱々のつゆが喉を通り抜けるどころか、逆流しているような感覚だった。
「げほっ、げほっ……な、何言ってるのよ!」
何とか声を出すと、キリアンは微動だにせず私を見つめていた。その冷静さがさらに私を追い詰める。咳き込みながら、私は混乱した頭で彼の言葉を振り返る。
妖狐の共喰い。
かつてブラッド・ヘイヴンの領主会談で、キリアンと共に出席した妖狐姫が、お腹が空いたときつねうどんのカップ麺を食べて、星喰いのシエルに狐がきつねを食べるていると揶揄されるシーンがあったな…。
つまり、私が今口にしている「真っ赤なきつね」を、そう解釈したのだろう。
「……ただのカップうどんだよ!別に、共喰いとかじゃないし!」
必死で否定する私に対し、キリアンは相変わらず冷静だった。いや、それどころか少しだけ口元を上げているように見える。その表情が、どこか満足げであることに気づき、私はさらに動揺する。
「そうか。ならば安心だ。」
彼はそう言った。その言葉には特に皮肉もない。ただ、静かに私を受け流すようなトーン。それが逆に、私の胸の中に小さな怒りの火種を生む。いや、怒りというよりも、自分の動揺を見透かされているような悔しさだ。
「……もう、黙っててよ。」
私はカップを持ち直し、再び箸を手に取る。揚げをかじり、つゆを飲む。いつもの味が戻ってきた気がした。でも、その背後で彼がじっと見守っている気配を感じるたびに、私の心は落ち着かないままだった。