人間は労働する葦である
会社に着いて、更衣室にコートとバッグをしまって、自分の席に座って、パソコンの電源を入れる。この一連の動作は、もう何年も繰り返してきたルーティンだ。何度繰り返しても、これが「私の日常」であることに変わりはない。むしろ、この日常から外れることの方が、よっぽど恐ろしい。会社を辞める、転職する、なんて選択肢はもはや夢物語のようにしか思えない。
「おはようございます。」
口の端だけで作り上げた笑顔と挨拶を、デスクの近くを通る人たちに投げる。それに返ってくる挨拶の音も、どこか距離感のあるものばかりだ。いや、私がその距離感を望んでいるのかもしれない。人間関係なんて深くなるほど面倒なものだと、もう知っているから。
パソコンを立ち上げ、目の前のタスクを一つずつ確認する。仕事は膨大ではない。むしろ適度に小さくまとまった業務ばかりだ。だけど、それを処理するたびに感じるのは、自分がこの仕事を「こなしている」という感覚ではなく、「なんとか形にしている」という不安定な感覚だ。
分からないことが出てくるたびに、私は席を立つ。上司の机に向かいながら、胸の中で小さな葛藤が湧く。このくらい自分で解決すべきだったんじゃないか?そう思っても、結局わからないものはわからないのだ。私は手に持った書類を少しだけ握りしめ、上司の背中を見つめた。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
上司は振り返り、私の手元を一瞥して、適当に頷いた。それが優しいのか冷たいのかはもう気にしていない。質問を終えて席に戻るとき、周囲の空気が妙に鮮やかに見える。目をやれば、隣の席では、仕事ができると評判の同僚が次々と電話をこなしている。その動作には迷いがない。声には自信があり、周りからも信頼されているのがわかる。
少し離れたデスクでは、後輩が上司に笑顔で相談しているところだった。上司もにこやかに応じている。彼女は入社して間もないが、すでに「期待の星」として扱われている。周囲からの期待を一身に受け、それに応える努力を惜しまないタイプ。私はそういう人間ではない。
席に戻りながら、ふとぼんやりと思う。
――私は昔から変わらない。
出来ない人間だった。そして、今も出来ない人間だ。
それが何を意味しているのか、私はもう深く考えないことにしている。自分が「出来ない」という事実をどうにもできないのなら、それを受け入れるしかない。それでも、時々この思いが頭をよぎるのは仕方がないことだ。隣の席でスラスラと仕事を進める同僚の動作を見るたび、笑顔で頼られる後輩の姿を見るたびに、この胸の奥にこびりついている感覚がじんわりと広がってくる。
自分は何も変わらない。あの頃から、何一つ。高校生の頃にオリジナルキャラを作って、逃げ込むように現実から目を背けていたあの頃と、結局は何も違わない。夢を見続けて、それに現実を追いつかせられないまま、ここまで来てしまった。
席に戻り、書類に目を落とす。やるべきことはここにある。それを淡々とこなす。それが今の私の日常だ。
だけど、このままでいいのか?という疑問は、もう消え去ったはずなのに、時折小さく芽を出しては私を刺してくる。何度も何度も、まるで諦めの悪い植物のように。