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星幽体(アストラル・ボディ)

なんで、なんで誰も気づかないの?


電車が揺れるたび、目の前にいる「異形」が微かに動く。その大きな漆黒の翼と白い天使の翼が、座席と吊り革の空間を不気味なほど自然に埋め尽くしている。けれど、隣に座る若い女性はイヤホンを耳に差し込んだままスマホを凝視しているし、目の前で新聞を広げている中年男性はページをめくる手を止めることもない。周囲の誰一人として、この場違いで異常すぎる存在に気づいていない。


私の目の前には、間違いなく「堕天の殺戮者:キリアン・フランヴェルジュ・ブラッドレイ」が立っているというのに。


普通なら、いや普通じゃなくても、こんな異様な光景に遭遇したら誰だって驚くはずだ。悲鳴が上がり、誰かがスマホで動画を撮り始め、SNSで拡散されて大混乱になる――そういう展開があって然るべきだ。でも現実は、周りの乗客たちは全くの無反応。まるでキリアンの存在が「無かったこと」にでもなっているように、彼らの視界には一切映り込んでいないようだった。


どういうこと?


パニックに陥った私は、頭の中で自問自答を繰り返す。いや、考えても仕方ない。目の前にいるのは妄想の産物、黒歴史そのもの、でも今はどう見ても「現実に存在している」彼なのだ。彼が現実であるなら、この異常な状況にも何かしらの「現実的な理由」があるはずだ。必死に口を開き、なんとか声を絞り出す。


「な、なんで…誰も、騒いでないの…?」


私の声はかすれていて、自分でも聞き取れるかどうか怪しい。それでも、目の前のキリアンはその言葉を拾い上げた。冷たく鋭いオッドアイがわずかに細まり、口元に薄く微笑を浮かべる。その微笑みがどこか悪戯めいていて、私は背筋がぞくりとした。


「当然だろう。」


当然――?どういうこと?


「今の俺は、星幽体アストラル・ボディだ。」

「つまり、この世界の愚民どもには視えない存在というわけだ。」


その言葉が私の頭の中で反響する。星幽体?アストラル・ボディ?愚民ども?えっ、何?いや、それよりも――視えない、って?彼が堂々と立っているのに、周りの人たちは彼を全く認識していないということ?


「星幽体って、何…」


呟くように聞き返した私に、彼は満足げな表情を浮かべ、さらに続ける。


「物質的な世界に干渉することなく、精神体として存在する状態だ。俺ほどの存在になれば、己を必要に応じて具現化させることなど造作もないが…今は、お前にしか視えない。それで十分だろう。」


その冷静な口調と自信に満ちた言葉を聞きながら、脳内の奥深くに埋め込まれた記憶が、じわじわと蘇ってきた。そうだ――確かに私は、そんな設定を作ったことがあった。


星幽体アストラル・ボディ」。それは、私が高校生の頃、夢中で作り上げた「ブラッド・ヘイヴン」の設定の一部だった。キリアンは物質界と精神界を自在に行き来できる存在で、戦闘時には肉体を具現化させるが、普段は精神体であることで敵に発見されずに動き回ることができる――なんて、やたらと都合のいい能力を与えていたっけ。


「…ああ、やっちゃったな、昔の私…」


思い出した瞬間、恥ずかしさが全身を駆け巡る。なぜこんな設定を入れたのか。いや、当時の私はその設定が「格好良い」と本気で思っていたのだろう。「星幽体」なんて言葉を考えついて、それっぽい響きに満足していた自分が確かにいた。敵に気づかれずに颯爽と現れるキリアン――そのシーンを妄想しては、悦に入っていたあの頃の自分が恥ずかしくて仕方ない。


でも、それが現実になった今、恥ずかしいどころの話ではない。彼が私にしか視えない理由が、まさか私自身の設定だったなんて。


キリアンが再び冷たい視線を向けてくる。「何を驚いている?この程度のことで取り乱すのは、お前らしくないな、妖狐。」


「お前らしくない」――そう言われても、私はもう頭がぐるぐるしてまともに反応できない。自分が作った設定が現実として動き出し、その設定通りの台詞を吐かれるという、この異様すぎる状況。現実が、私の過去を次々と暴き立てていく。逃げ出したい気持ちを必死で押し込めながら、ただ目を伏せるしかなかった。

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