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Phase473(7)

 秋葉原メインストリート。その中心の地面から二メートル程離れた高さに黒い穴が生成されると、ノアたちはそこから落ちるようにして秋葉原の地に足を踏み入れた。

 そしてすぐ、道端で朽ちる語創者たちの死体から漂う腐臭がライリーの鼻孔をつくと、咄嗟に鼻を手で覆った。

「酷い臭い……」

「すぐに慣れる」

 ノアは表情一つ変えず、淡々と地面に=bugと書き、一匹の昆虫を生成すると、吸い寄せられるようにネオン煌めく通りへと飛び立った。二人は後を追うようにして道を進んでいると、一軒のネットカフェの看板に止まり、翅の全面に213と刻まれた。

 すると、これまでずっとノアの後ろを付いていたライリーは、見えない何かに突き動かされるようにして歩速を速め、ノアを追い越す。そして入口の前に差し掛かろうとした──その時、突如頭が取れた語創者の死体が通りに向かって投げ飛ばされると、ライリーはその足をピタリと止めた。恐る恐る店内を覗くと、そこには頭部がもぎ取られた人間の首から貪るように血を吸う、紫血鬼の後ろ姿があった。

「……フランク」

 頭上に生えた二本の角に加え、血まみれの露出した上半身には無数の戦傷が残っている。それは常人の格好からは遠くかけ離れた姿であったが、ライリーは幾度となく見てきた広々とした背中を一見しただけで、共に切磋琢磨してきた同僚であるという確信が生まれた。

「ちょっと待っててくれ。見ての通り、今食事中だ。お前たちは後で相手してやる」

 ライリーを一瞥すると、再び語創者の死体を貪る。その行為は、人体を食すというよりも、血を吸いつくすという行為であった。ライリーは再会の喜びも程々に、その警察官として、否、以前に人としてあるまじき行為を前に湧き上がってくる怒りを胸に、震える手で銃口を向けた。

「感情は殺した方がいい。感情に殺される前にね」

 ノアは拳銃の震えを抑えるようにして先端にそっと手を掛ける。

「なってないわ。現に、こっちに気が向いていない今がチャンスなのがわからない?」

「いいえ、弾の無駄遣いになるだけ。二本角相手に素直に弾が当たるとは思えない」

「じゃぁ、どうするって……」

「私に任せて。あなたはワクチンを刺すことだけに集中していればいい」

「……」

 ライリーは渋々拳銃を下ろし、目を伏せるようにしてフランクから視線を切る。ノアは緩みない表情を更に引き締め入り口に近づき地面に創筆を走らせると、その文字は何も生成せず地面に溶けるように消えていった。

 店内に足を踏み入れると、禍々しい戦いの痕が刻まれており、死体となり横たわっていた三体の語創者の内、既に二体は首がもぎ取られ、元は受付であろうカウンターの上に、食べ終わった料理のごとく放置されている。ノアは三体目を貪るフランクに剣先が届く範囲まで近づいても尚、フランクはお構いなしに吸血を続ける。

「敵を前に悠長に食事なんて、よっぽど自分の力に自信があるのね」

「黙ってろ。せっかくの飯が不味くなる」

「……わかったわ。このワクチンを打たせてくれたらすぐに去る」

 ノアはそう言ってライリーから譲り受けたワクチンを懐から取り出す。それを見たフランクは吸血を止め、どこか気だるそうに立ち上がり、血まみれになった口元を舌で舐め取っていく。

「……おい。俺がそんな話を信じる馬鹿に見えるか?」

「……えぇ。とんでもない間抜けに見えるわ」

「……そうかい。じゃぁ、その間抜け面を拝みながら死ぬんだなッ!」

 ノアの挑発の一言で、戦いの火ぶたが切られると、フランクは持っていた死体をノアに向かって投げつけ、距離をつめる。ノアは咄嗟に避けると同時に=whipと書き記し一本鞭を生成すると、迫りくるフランクの上半身を縛り付けるようにして絡ませ、両腕諸共封じることに成功した──と思われたのも束の間、フランクは突如両の前腕から刃のような湾曲を帯びた幾本もの骨を突出させると、絡みついた鞭を易々と裁断してみせた。

「こんなもんで俺を捉えられると思ったか?」

「……!?」

 間髪入れず襲い掛かってくるフランクに対し、ノアはすぐさま生成した刀で応戦する。しかし、凶悪な双剣と化したフランクの両腕から繰り出される壮絶な連打に隙は無く、攻撃を防御することで精一杯であったノアは大きく後退し、店の外へ出て距離を取った。

「中々の剣裁きだ。ちょっとは楽しませてくれそうじゃねぇか!」

 入口を挟んで対峙する二人は相対し、フランクは満足げな表情を浮かべる。

「笑った顔はもっと間抜けね」

「……同じ冗談は笑えねぇぞ。女」

 フランクの顔からふと笑みが消えると、怒りをバネに全速力で駆け出し、再びノアに襲い掛かかる。しかし、その行動を見るや、何故か不敵な笑みを浮かべるノア。

「恐怖で頭でもおかしくなったか、女!」

 気に掛けることなく疾駆を続け、店内を出たその刹那──突如=hook land mineという創語が地面から文字が浮かび上がり、アスファルトから数十本の鉄のワイヤーが延びると、フランクの体を貫通していく。僅か数秒で地面と繋がれたフランクの体は自由を奪われ、一切の身動きを取れなくなった。

「チッ! ふざけた攻撃しやがって!!!」

「今よ!」

 身をよじり必死で抵抗するフランクを片目に合図を送る。それを受けたライリーは苦しむ同僚を前に痛む心をぐっと押し殺し、手を震わせながら取り出したワクチンをその首元へとかざす。

「帰ってきて」

「やめろぉぉぉぉ──!」

 紫血でコーティングされた紫色の針が振り下ろされた──しかしその刹那。フランクの表情が一転し、窮地に立つ人間が浮かべるはずもない不敵な笑みへと急変する。

「なんてな」

 余裕がたんまりと詰まった言葉を漏らし、舌の先端を前歯と直下の中切歯で挟んだかと思えば──グチュ。という生々しい切断音と共にその先端を切り取る。直後、その先端から滴る紫血が瞬時に凝固していき、血の刃を生成すると、迫るライリーの手を迎撃する。

「きゃっ──!」

 想定外の攻撃に一瞬たりとも反応できなかったライリーの手からは血潮が飛散し、手を離れたワクチンが地面に落ち転がる。

 数多くの紫血鬼と対峙してきたノアですら想定できなかった奇襲で計画が失敗に終わるや、ノアは傷口を抑え方膝を付くライリーの頭上を飛び越え、空中で刀を振り落とし──しかし、既にその頃には器用に舌を動かし全てのワイヤーを切断し終えていたフランクは、自由になった腕を盾に突出した骨の部分で斬撃を受け止めると、もう片方の腕から放った突きをノアのがら空きとなった腹部へ直撃させた。

「ぐふっ──」

 常人であれば気を失ってもおかしくない程の激痛がノアの体内を走り、衝撃で宙を舞う。その痛みを裏付けるようにして、幾本のあばらが骨折しているのを感じながら地面を跳ね転がった。

「我ながら名演技だったぜ」

 一気に形勢を逆転させたフランクは、肩で風を切るようにして地面に転がるワクチンに近づき

「……ダメッ!」

 ライリーの悲哀の叫びも虚しく、唯一の頼みの綱を足裏で踏みにじるようにして潰した。

「……お願い、目を覚まして」

「見えねぇか? 目はとっくに開いてるぜ」

 フランクはまともに取り合う素振りすら見せず、片手でライリーの首元を掴み空中へ持ち上げる。

「ウッ……」

「安心しろ、すぐには殺さねぇ。まずは腹ん中の血から吸ってやる」

 悪辣な言葉と同時にもう片方の手の人差し指をライリーの腹に向ける。そして鋭利に尖った黒紫色の爪がライリーの腹の中心へと徐々に伸びていき、もう間もなく衣服を突き破ろうとした。その寸前。

「……」

 ピタリと爪の成長が止まると、突如フランクの顔に動揺の色が滲む。その様子が目に入るや、ライリーは絞められ続ける喉の僅かな隙間から必死に言葉を紡ぐ。

「……私達の、子……よ……」

「子……?」

 フランクは理解に苦しんだ。その言葉の意味も、何故女の腹を貫くことを躊躇しているのかも。

「……」

 痛みに顔を歪めながらも態勢を整えたノアは、完全に戦意を喪失したフランクを捉えるや、思わず固唾を飲み、構えた刀をそっと下ろす。

「俺達の……」

 フランクの両目から落ちた紫血涙が流れ、首を締める力が徐々に弱まっていく。そうして僅かな余裕を取り戻したライリーは、首元のタグ型ネックレスを勢いよく引きちぎり、その裏面をフランクの眼前へと掲げる。

「──」

「……あの日、海の見えるレストランで、言ってくれた……。結婚しようって……」

 フランクの眼に映る幸せそうに肩を取り合うカップルの写真。加え、二人の中だけにあるその記憶を象徴する、ぶつ切りの言葉たちがフランクの鼓膜に響き脳内を跳ね回る。

「うっ……う……わああああああ!!」

 耐え難い頭痛がフランクを襲い──同時にライリーは、殆どの握力が失われた手から抜け落ちるようにして開放されると、激声を上げながら両手で頭を抱え、蹲るフランクへ、泣き叫ぶ子を助けに行く母親のごとく身を寄せる。

「フランク、思い出して! 幸せな家族を作ろうって、抱きしめてくれたあの日のことをッ!」

「うわああああああああ──」

 戦意がないとはいえ、相手は凶悪の殺人鬼。また戦意が戻れば、瞬殺される距離に留まるライリーに近づき、前のめりになったライリーの体を、力づくで引き剝がそうとする。

「ハァハァ……。らい、……りー」

「──」

 荒い息の中に垣間見える棘のない丸い声音。その聞き馴染みある声に、ライリーは絶句し──頭上の二本の角にヒビが入り、先端からポロポロと崩れ落ちていく様子に引き剝がそうとするノアの手が鷹揚と止まる。

「ありえない……」

 これまで絶対的不可能と言われてきた紫血鬼の常人化。それがまさに今二人の目の前で起こっている。その空前絶後の奇跡に、滅多に本性を顕にしないノアでさえ、無意識の内に本心から言葉が漏れ出した。

「……悪かった、心配掛けて」

 腕から吐き出した骨は体内へと収まっていき、頬を流れる紫血涙の淀んだ紫色は徐々に薄まっていき本来の色を取り戻そうとする。

「掛けすぎよ馬鹿っ……」

 浮かべる安堵の表情を隠す様にして顔を俯かせ、手に負った傷口を抑える。

「その傷……。早く治療しないと」

「大丈夫よこれくらい。あなたがいなかったときの痛みに比べれば大したことない」

「でも!」

「かして」

 前のめりになるフランクを遮るようにして二人の間に割って入ったノアは、着ていたシャツの裾の一部を刀で切り、そこへ=bandageと書き記す。切れ端はたちまち包帯へと変化していき、簡易的な処置が行われた。

「ありがとう。こうして人間に戻れたのも君がライリーと一緒に戦ってくれたおかげだ。本当に何て礼を──」

「記憶は全て戻ったの?」

 言葉を言い終える前に、ノアは口を開いた。

「……あ、ああ。ただ、紫血鬼になった後の記憶の方が強くて、鮮明には思い出せない」

 その問いに表情を急転させ悄然としてうつむく。意に反した形ではあるが、何百人という人間を自らの手で殺めてしまったという罪悪感の深さは到底計り知れず。加え、フランクが対極に位置する命を守る側の人間であったことが更に深みを大きくした。

「なにか些細なことでもいい。化ける直前に何か変わったことは?」

「……すまない」

 必死に思い出そうとするも、出てくるのは残忍な記憶ばかりで、辟易するようにして首を横に振った。

「ノア、貴方には感謝してる。だけど、今は気持ちを整理する時間を与えてあげて欲しい」

「……」

 ライリーは矢継ぎ早に問いかけるノアを咎めるように言った。現にフランクは人間化の際に心身共に酷く消耗しており、ノアの詰問に近い質問は、フランクを衰弱させる一方であった。ノアは少々自省しながら諦めるようにして二人に背を向け、現状を書き留めるため懐からノートを取り出すと、クリップで止めていたルナのポロライド写真が衣服に引っ掛かり、ひらひらとフランクの眼前に落ちた。

「……この女」

 その不意に飛び出した言葉を、ノアは地面に着く前に拾い上げる。

「見覚えが?」

「あぁ。坊主頭の男と一緒に歩いているのを見た気がする。でもなぜこの記憶だけ……」

 妹の居場所がわかるかもしれない。突如刺し込んだ一筋の希望の光に照らされたノアの鼓動は一気に加速する。が、ノアは自制を活かし、早まる気持ちをぐっと押し殺し返答を待った。

「そうだ! 日本に着いてそうそう、上司から原宿という街へ行けと連絡があってその後に……ウッ……!」

 脳内で垣間見える紫血鬼となったときの記憶。それを手繰り寄せるようにして手を伸ばしたそのとき、それを阻止するかの如く頭が割れる程の頭痛がフランクを襲い、再び頭上から二本の角が顔を出し始める。

「ぐ……ううっ……ああああ──」

「フランク!」

 掴みかけた希望がするりと指の隙間から落ちていく。それを拾い上げるようにライリーは必死にフランクへ呼び掛けるが、角の成長は一向に留まる気配を見せない。

「嫌っ! いかないでっ!」

 ネオンの光を突き破るように響く嬌声。もう二度と親愛なる人間を手放さんとばかりに、フランクを抱きかかえるライリー。

 その希望と絶望が入り混じる場景に、ふとその二人を自分とルナの姿に照らし合わせたノアの両目は一瞬の逡巡の間を置いた後、決然たるものとなり──出発前にライリーから受け取ったワクチンのキャップを取ると、不気味な光沢を帯びた紫色の針を、悶えるフランクの首元へ突き刺した。

「……」

 血液に乗って体内を駆け巡ると角の成長は止まり、再び呼吸は平常へと戻っていく。その様子に正気を取り戻したライリーの潤んだ瞳がノアに向く。

「これ……」

「ワクチンを使わなくても人間に戻れる術が見つかった以上、まずは彼を助けることが最優先」

「……ありがとう」

 仏を見るようなライリーの眼差しを受け流すようにして地面へと視線を向けたノアは、創筆を握り創語を地面へ書いていく。

「とにかく、もう門が閉まるまで時間がない。早くここから」

 グサッ。

「──?」

 =holと書き終えた辺り。一滴の血が文字の上に落ち、その一部を隠す。

「グルルルル……」

 人肉を貫くなまめかしい音と、猛獣のような喉鳴り音。ノアは顔を上げずとも、その二つの音から、ライリーがどのような状態になっているかが安易に想像できた。しかし、ワクチンを打った直後に何故──いくら思考を張り巡らせても合点がいかないノアは、答えを確認するように顔を上げる。

 だが、その予想は裏切ることはなく──目に飛び込んでくるライリーの心臓に貫通した槍のような骨に先端から滴る鮮血。その凶器の持ち主は言わずもがな、完全な紫血鬼へと変貌したフランクであった。

「グルルルァァァァ」

 両眼にほむらを灯らせ、口元から唾液を垂らし、最初に戦ったときとは比にならない程の骨が全身から突出ことから、凶暴性が増していることが火を見るよりも明らかであり、そうなった理由もまた明快でった。

「逃げ……て……」

 瞳孔を開かせながら絞り出された最後の言葉。その言葉の裏に潜んだ深淵の恐怖がノアに触れたとき、持ち合わせる全ての防衛本能が目を覚まし、乱雑に残りの一文字を刻む。死体となったライリーを挟んだフランクとの距離と、ホールが生成されるまでの数秒。

 逃げられる。

 確信した刹那。フランクの顔面がノアの瞳を埋め尽くす。

「──⁉」

 死体を保持していないもう片方の腕から放たれる強撃。本来なら直撃してもおかしくないそれを、呼び覚まされた防衛本能により超反応で躱す。が、無理に躱した為に崩れた態勢へ、蹴りの追撃が腹部へ飛び──直撃した脛の衝撃はノアの体をボールの如く吹き飛ばし、背後にあったビルの窓ガラスぶち破ると、そのままフロアの壁に強く体を打ちつけ床へ落ちた。

「グルルララララアアアア──」

 秋葉原の街に響く激声。それは勝利の雄叫びか、はたまた強大な力を手に入れたことへの歓喜の叫びか。どちらであれ、語創者側にとっては絶望を与えるものでしかなかった。

 フランクは吹き飛んだノアを追う素振りは見せず、腹いっぱいに息を吸う。そして全てのあばらを一斉に突出させると、胸骨と十二本のそれを分離させ、それぞれの先端部分を地面に着けるようにして体を地面と水平にする。その人間離れした異様な姿に、人情で溢れていたフランクの面影は影もなく、ただ節足動物のような挙動であばらを動かし、夜の街へと消えていったのであった。


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