Phase473(6)
「ハァ、ハァ……」
その傍ら、狂乱するマザーとの激しい死闘を繰り返していた民藍は片膝をつき息を荒げる。既にカンフースーツはボロボロになり、痛々しい傷口の数々が顔を出す。対し、肥大化した筋肉を纏い、鋼の体と化したマザーはかすり傷の一つさえ負っておらず、唯一の負傷は肥大化する直前に失った左目の視力だけであった。
「グローブをつけた打撃が効かない相手なんて初めてだヨ……」
「フンッ。これガ、私のチカラ。他の紫血鬼ニハ、無イ特別ナ能力」
マザーの女声としゃがれた野太い声がシンクロし、奇妙な発声で言葉が紡がれていく。
「お前モ他のハンターと同ジヨウニ、なすスベなくヒレ伏すがイイッ!!」
溢れ出る怒りを潰す様に拳を握り直すと、腕から浮き出た血管がより膨張し、色が更に濃い紫色に染まった。
そこからの民藍を襲った壮絶なパンチの連打は、威力、速さ、精度、全てを兼ね備えた非の打ち所がない攻撃であった。民藍は負傷している体に鞭を打ち、持ち前の反射神経で攻撃を躱していくも、一向に衰えないマザーのスタミナに反し、徐々に疲弊していった民藍の判断能力が鈍っていき──
ドンッ──
ついに拳が民藍の腹部に直撃すると、口から血反吐を吐きながら高く弧を描くように飛ばされた。
「ぐぷっ……」
最後の止めを刺そうと歩み寄ったマザーは、生まれたての小鹿のように体を震わせながらも立ち上がろうとする民藍の首を片手で掴み、軽々とその体を持ち上げる。
「オ前タチは間違ってイル。ワクチン開発以外ニモ、我々ヲ助ケル方法ガあったハズダ。なのに、お前タチハ、ソノ議論すらシナカッタ」
「っ……」
首を握るマザーの握力は言葉数に比例し、次第に強くなっていく。
「我々ハ、必ずお前タチに復讐スル。自分達ガ間違ってイタと、必ず後悔させテヤルッ!」
「あっ……、あぁぁ、ぁっ」
民藍の悶絶の声と骨が軋む音が重なる。マザーは更に首を締める強さを強める。
何故か、右目から一滴の紫血涙を流しながら。
「!?」
その涙が頬伝い、地面に落ちた刹那。視力を失い、完全に死角となっていた左側から人の気配を感じ視線を向けると、既に眼前に迫り来ていた刀を掲げたポニーテールの女が、奇襲の一撃を民藍を握る腕へ放つ。が、マザーの筋肉の鎧が拒むのは刀さえ例外ではなく、腕に触れた途端、刃は小枝のように折れると、マザーは空いていたもう片方の手で女の胸倉を掴み、その剛腕で遠くに投げ飛ばした。
失敗に終わったとみられた奇襲であったが、その一瞬、僅かに自分から気をそらしたマザーから生まれた隙を見逃さなかった民藍は、掴まれていた手の甲に震えた文字で=slipと書く。するとローションに似た液体がマザーの掌から滲みだし、それによって低減された摩擦を利用し、見事脱出に成功した。
同時にマザーの人差し指を両手で掴み、無理矢理骨ごとへし折り、続けざまに指の根本を掴み全力で引きちぎった。
「……キサマ、一体何ノ真似ダッ!」
普通の人間なら悲鳴を上げる程の激痛。だがマザーは、すぐさま無くなった人差し指の根本を指でつまみ、力づくで止血を完了させる。マザーのほむらが宿った両目には、引きちぎった人差し指を胸の前に突き出し、片足を浮かした構えで待つ民藍が映る。それは、最初の対峙で視力を奪われたときに見せた構えであった。
「ふザけヤがッてッ! 指ノ一本無くナッタ所デ、結果ハ同ジダッ──!」
持ち合わす怒りは全て使い果たしたと思っていたマザーであったが、体の深層部に眠っていた最後の怒りの源泉が沸々とマグマのように煮えたぎる感覚に襲われると、その全ての怒りを原動力に最後の攻撃を開始する。
「集中……」
地面を蹴り出し、数十メートルの距離を僅か一秒足らずで駆け、当たれば最後、確殺のパンチが民藍の顔面を捉える──だが、ほんの一寸。すんでのところで攻撃を躱すと、体を屈めマザーの懐に素早く入り込み、構えていた人差し指を心臓へ──。
「……最強の盾あれば、最強の矛ありネ」
「アっ、アリエナイっ……」
鉄壁だと自負していた自身の鎧が破れた場景を目にしたマザーは、胸部から滴る紫血と共に、これまで積み上げてきた自尊心がこぼれ落ちていくのを感じた。
民藍は、指が突き刺さった胸部から一歩程距離を取り、一点にそこを見つめ狙いを定めると、有り余る全ての力を振り絞り掌底打ちを放ち──衝撃で人差し指がマザーの背中を貫通すると、膝から崩れるようにして巨躯が倒れた。
「……まだ死ねない。父の仇を打つまではネ……」