Phase475(4)
都庁を出た三人は、麓にある都民広場へと向かった。一見何の変哲もない石畳が広がる広場であったが、ルナはその中心部にある一枚の石畳を手際よく剝がすと、不自然に備え付けられていた赤いボタンを押した。すると、その前方の石畳が沈み階段のようになり、その先に現れたのは、地下研究所へ繋がる隠しエレベーターだった。
「まだ変わってなくてよかった」
安堵の溜息を漏らしながら階段を下るルナに、後を追うようにノアと弥生が続き、三人はエレベーターへと乗り込んだ。
その中で、ルナはノアが知らない空白の一年半のことを端的に話していった。
エレベーターの扉が開いた先にあったのは、南展望台のような機械やモニターがずらりと並ぶような研究室ではなく、実験用のベッドとモニターが一台ずつ設置された質素なものであった。
「見させてもらっていたよ。素晴らしい姉妹愛だった」
手をパンパンパンと叩きながら、ゆったりと振り返り見せたその顔は、喜と哀がないまぜになった不気味なものであった。
「第一声がそれ? 子のことは何も思わないの⁉ あなたのせいで死んだのよ⁉」
ルナの怒声が研究室に響く。
「愛情などない。あいつのせいで、妻は死んだのだから」
「違うの。静のせいではない。お前さんがウイルスを投与したせいじゃ」
穏やかな言葉の裏に確固たる怒りが籠った弥生の声は、尊の抑揚のない感情を煽り立てる。
「黙れっ! ウイルスを投与しなければ、どのみち妻は死んでいた!」
「なぜそう言い切れるのじゃ! ウイルスがなくとも、耐えられた可能性はあったはずじゃ。お前さんはその可能性に賭けようともしなかった!」
「当たり前だッ! その不確定要素を科学で排除するのが、我々研究者なのだからな!」
鼻息荒くし、高揚する尊。それは、長年共に連れ添い育ててきた弥生ですら初めて見る姿であった。
「一つだけ聞かせて。なぜ、ルナを被験者に選んだの?」
自分の最愛の妹を私利私欲のために弄んだ相手を前に、ノアは爆発寸前の怒りを辛うじて抑え問う。
「別に誰でもよかった。たまたま都合よく被検者が手に入っただけにすぎない」
「どういうこと?」
脊髄反射のようにルナが声を漏らす。
「君の手術を行った執刀医が私の友人でね。手術に失敗し、脳死状態の患者がいるから、君のウイルスどうにかして欲しいと言ってきたんだよ。
「そんな……」
「信じられるかい? 君は一度死んでるんだ。彼は焦ってたね。自分の名前に泥を塗りたくないって何度も言い続けていたよ。そこで莫大なお金と引き換えに君を引き取り、試作品を投与した」
ルナはただ茫然と首を横に振る。
「そして、紫血鬼として君は息を吹き返した。だが、その瞬間君は泣き出し、すぐに試作品は失敗だと悟った。すぐにでも殺そうか迷った。だけど、どうせなら駒として使い果たしてから殺そうと思ったんだ。そうしたら、今日のようなことが起きた。非常に残念だったよ」
白衣のポケットから一本の注射器を取り出す。
「だが、そんな長く苦しかった日々も今日で終わる」
嫌な予感が一同の頭を過る。同時に、=speedと靴に書き、駆け出したノアであったが、とても間に合う距離ではない。
「私はこれで神になる。さらばだ、愚かな人間たちよ」
針が首に触れようとしたまさにその瞬間、開いたエレベーターの扉から放たれた一筋の弾丸が注射器を弾き、尊の手元から注射器を落とす。
「させるか、馬鹿」
漸の乾いた言葉を背に、ノアは床に落ちた注射器を回収し皆の所へと素早く戻った。
「助かった」
「礼はいらねぇ。俺は自分のためにやったまでだ」
そう吐き捨てながら、エレベーターから下りた漸は、皆の前に立ち、拳銃を構えた。
「一緒に俺と来い。お前にはやってもらわなきゃならねぇ、仕事がある」
「……ふざけやがって。お前に頼まれる筋合いなどない!」
「いいや、ある。証人になれ。この腐ったシステムをぶっ潰すためにお前の言葉が必要だ」
その言葉を聞いた尊は怒りに満ちた顔から一転、破顔し、笑い声をまき散らす。
「ハハハハハッ。笑わせるなッ! 相手は法を通じて裁ける相手ではない。だから、私一人の力で裁いてやるのだッ!」
怒りに身を任せるまま、再度ポケットからウイルスを取り出した尊は、素早く首に刺し込んだ。
途端、赤鬼のごとく肌が赤く染まっていき、背中からは数十本の触手が放射線状に生え。
「一瞬デ終ワラセテヤルっ‼」
高速で伸びた触手は、一瞬にして皆の体に絡みつき、行動不能にさせた。
「サァ、女ヨ。先程ノ注射器ヲ返シテモラオウカ」
一切の身動きが取れないまま、ノアの体は尊へと吸い寄せられていく。
「姉さんッ!」
「サァ、早ク渡セッ!」
「これのことかの」
割って入った弥生は、首元に刺さった注射器を強調するように尊へと見せる。それは、絡まれる直前、弥生がノアの手から咄嗟に引き抜き、自ら刺したものであった。
「己ッ!」
完全無欠の紫血鬼の力を手に入れた弥生は、急速に発達した咬合力で触手を噛みちぎり、尊へと迫り──が、すぐさま伸びた数本の触手が再び弥生の体へ絡みつく。
「子供ノ頃カラ、オ前タチハイツモ、俺ノ邪魔バカリしやガッテ。ヤハリ、アイツニ頼ムノデハナク、自分ノ手デ殺シテオクベキダッタ!」
怒号と共に、余った触手全ての尖った先端を弥生の首に突きつける。
「ペンは剣よりも強し。本当の意味を知っとるか?」
絶体絶命のピンチにも拘わらず、不気味なほど冷静な弥生に眉をひそめる。
「コノ期ニ及ンデ、何ガ言イタイ⁉」
「下位にいる人間がどんなに腕っぷしが強かろうと、上位の人間のパワーにはかなわないってことじゃ……。果たして、本当にそうかのぉ……」
違和感を察した尊は先程噛みちぎられた触手に目を向け──その瞬間、その触手を起点に全ての触手が凍りついていくのを目の当たりにするや、絶望の表情を浮かべ。
「──」
「今じゃっ……!」
有り余る全ての力で触手を割ったノアは、凍る触手を踏み台に尊に詰め寄り──その額に=forgiveと書きなぐった。




