Phase475(1)
Phase475
「なぜ私に逆らった?」
フロア一面に敷き詰められた高価な研究機材にぶつかる不穏な声。
ドームが形成されて以降、昼夜の概念が消え、ここ都庁北展望台から終日見ることができるようになった都内の夜景。それをバックに、白衣を着た猿金尊はルナの首を掴み、片手の膂力だけで軽々と持ち上げた。
「……っ」
「何が不満だった? 黙ってるだけじゃわからないよ、ルナ」
穏やかな口調の中に孕む冷たい殺気がルナの頬を撫でると共に、もう一方の手に握っていた、頭部のみとなったソヒョンのポニーテールを強く握り直す。
「……ごめんなさい」
「私の命を狙っておいて、それだけで済むと?」
「あ……ッ……」
締め付ける強さが増すごとに、握った手の甲に紫色をした血管が浮かび上がっていく。ルナは二本の角が生えた頭を小刻みに震わせ、その度徐々に意識が遠ざかっていく感覚に襲われる。
「只今戻りました父上」
そのとき、フロアの出入り口から静の声が聞こえると、尊はその握力を弱め、ルナを床へと落とした。
どこか冴えない表情を浮かべ、一歩ずつ近づいてくる静の手には、生々しく肘の辺りから切断された一本の腕が握られていた。
「これだけか?」
静は肩をすくめ頷くと、尊はその腕を手に取り、明後日の方向へ投げつけた。
「すみません」
「次はやれるね、静」
不気味な微笑みを見せ、徐に人差し指を突き出した。
「はい、必ず……え」
突如伸びた指は静の右肩を貫くと、走る激痛に床に突っ伏した。
「傷が塞がったらルナを閉じ込めておいてくれ」
「はい……」
痛みに顔を歪ませながらも、忠誠心を見せつけるように顔を上げ、震える声で返事をした。
「相変わらず、スパルタ教育ですねぇ」
そこへまた一人。一部始終を影で見ていたロメロが尊へと歩み寄って行く。
「君か」
「今週分の死体も、例の場所に置いておきました」
「あぁ、助かる。報酬は作業台の上に置いてある。心して使うように」
言われるままに作業台へ向かい、置いてあったアタッシュケースを開け、その中に等間隔に並べられた注射器を一本ずつ手に取り確かめていく。
「確かに、頂きました。よければ、これから外の世界で一杯どうですか?」
「遠慮しておく。少し気を乱しすぎた。一人になれる場所に籠る」
ぶつ切りの言葉と共に不愛想を全身から滲みださせ、机上に散らばった資料を束ね始めると、視界の端で監視カメラの映像を映すモニターの異変を捉えた。
「なぜこんな時間に」
モニターに映る複数の語創者を睨む尊の後ろで、静に手首を縛られながらモニターに視線をやったルナは息を飲んだ。
「姉さん……」
御影だけをバーに残し、都庁に足を踏み入れた一同がまず目にしたのは、フロアのあちこちに散乱する動物と人間の死体。そのどれもが原型をとどめておらず、中には合成獣のような区別すらつかないものもあった。
都庁に入ってくる際に見えた南北の二つの展望台の明かりより、どちらかにロメロがいるのではないかという憶測を立てた一同は、充満する腐臭を防ぐように腕で鼻を覆い隠し、エレベーターへと進む。
「ひどい匂いね……」
「ったく、悪趣味な野郎だな、てめぇのボスは」
「やめて。もうあんな奴とは何の関係もない。それに、多分これはあいつの仕業じゃない」
「なぜわかる?」
「あいつはスーツに埃一つさえ付くことを許せない潔癖症よ。こんな奴ら、目にするだけで虫唾が走るに決まってる」
「じゃぁ、誰がこんなこと」
「おそらく、この建物内にあいつ以外の誰かが存在する。生物の命をゴミ同然に捉えている、マッドサイエンティストがね」
ザイラの鋭い推理が終わった頃、先頭を歩いていたニーナがエレベーターのボタンを押すも、一向に起動する気配を見せない。
「駄目、電源が入ってない。どこかに非常用電源があるはずだけど」
「既知。それなら、入り口横の管理室にある」
大疫病が流行する前、一度公務で来たことがあった羅美は、来た道を戻り、非常用電源を作動させた。
「復旧までに少し時間がかかる」
戻って来た羅美が皆にそう告げると、漸の視線が徐にノアと矢吹の方を向く。
「じゃぁその間に、さっきの続きでも話してもらおうか。お前たちの関係と目的のな」
その言葉を瞼で頷き返したノアは、ドーム内で行方不明になっている妹を探しているということ、またその道中で妹の情報を握っている矢吹に会い、行動を共にしているということなど端的に話していった。
「なるほどな。妹と会いたい一心で、一年半も生き残り続けてるってわけか」
「……一年半なんて、一言も言った覚えないけど」
「そりゃ、嫌でも覚えるぜ。この制度が導入された当初から毎回生きて還ってきてんのは、お前とあの婆ぐらいだからな」
その婆とは誰なのかを聞き返そうとしたノアであったが、既に漸の口は矢吹に向かい開かれていた。
「で、めでたく外の世界に出られたおめぇが、なんで俺たちについてきた?」
「俺も、もう一度ルナちゃんに会う必要がある。そうすれば、この角も取れるはずなんだ」
「じゃぁお前は、その女に対して怒ってるってことか?」
「いいや、違う。俺の怒りは……」
頑として首を横に振りながら俯いたと同時に、南展望に直通するエレベーターの扉が開いた。
「まぁ、どうでもいいか。俺たちは先に行かせてもらうぜ」
そう言い残し、漸、羅美、ザイラの三人はエレベーターに乗り込んだ。残った一同は、対角にある北展望台に直通するエレベーターへ歩き始めた。そのとき。
「待って。何かいる……」
先頭を歩いていたララの肩をニーナが掴み制止させる。一気に緊迫した空気に変わる中、一同はその微かに聞こえる喉鳴り声に耳を澄ませ──それは徐々に確実に大きくなっていく。
「鳴りやんだ……」
ニーナがぼそっと言葉をこぼした頃、矢吹は体内に残る僅かな紫血が沸騰するように騒ぎ出す感覚に襲われ、恐る恐る頭上を見上げた、その刹那。
「グララララアアアア──!」
重々しい唸り声と共に巨大な人の形をした物体が、凄まじい速さで落ちてくる。
「上だッ!」
それにいち早く気づいた矢吹の叫び声により、間一髪、避けることに成功した一同は素早く距離を取り、目の前に現れたそれをまじまじと見つめる。
「なんだこいつ……」
黒い獣毛に包まれた筋骨隆々の体はゴリラのそれ。しかし、猫の耳、犬の鼻、虎の牙、梟の眼が散りばめられた顔面。加え、左手から語創者と同じ創筆をぶら下げるその姿は、本来のそれとは遠くかけ離れ、異様な空気を醸し出していた。
「合獣なんて、空想上の生き物だと思ってたけど」
ララは苦笑いを浮かべながら、=assault rifleを両手に生成し、ニーナは=gatling gunを生成する。
「ここは私たちに任せて」
「何言ってんだ。四人で戦った方が断然有利じゃねぇか」
「あなたもこいつと同じ血が流れてるんだったら、薄々気づいてるでしょ。こいつは他の奴等とは違う。四人で戦っても、正直、勝てるかわからない。だったらここで全員共倒れになるより、ウイルスの手掛かりを掴める可能性に賭けるのが妥当でしょ。それに、妹さんに会えるチャンスを逃される方が、後々呪われそうで怖いから」
ララに一瞥されたノアは、逡巡する矢吹の手を取り、北展望台エレベーターへと向かう。それを阻止しようと駆け出した合獣は、その巨体からは想像もできないスピードで二人の背後へ襲い掛かった。が、その初動をいち早く察したニーナは=stun grenadeを投げると、合獣の視聴覚を奪い、足止めに成功し、無事二人はエレベーターへと乗り込んだ。
「で、何か作戦は?」
ララの隣に並んだニーナは凛然と問う。
「死ぬまで撃ちまくる。好きでしょ、そういうの」
「えぇ。そうやってこれまで戦ってきたからね」
二人は不敵な笑みを浮かべ、一斉に引き金を引く。問答無用に撃ち続けられる銃弾。そのほとんどを浴びた合獣であったが、あたかも被弾していないかのように平然と立ち尽くし二人を凝視し続ける。そして、弾が撃ち込まれた体の部分からは何故か、人間と同じ赤い血が流れ出していた。
「血が赤い……?」
困惑するララをよそに、合獣は創筆を手に取ると、床に二人が生成した同じ銃の創語を書き記し、片手ずつ持ち構えた。
「グルルルラララアアア──」
猛々しい咆哮と共に引き金を引くと、二人は咄嗟に柱の裏に隠れ被弾を防ぐ。
赤い血、創筆、合獣。ララはそれぞれの単語を頭の中で駆け巡らせ、やがてある結論にたどり着く。
「あいつはただの化け物じゃない。人間と同じ知能がある」
「どうやら、一筋縄ではいかなそうね」
「ええ。とにかく策を練り直さないと」
銃声が止み、相手の状況を確認するため、ニーナは柱から外を覗いた。
カランッ。
「しまっ──」
そのときを狙っていたかのように投げ込まれるフラググレネード。その瞬間、二人共爆発に巻き込まれることを悟ったニーナは、脊髄反射のように拾い、明後日の方向へ投げた。が、僅か三メートル先で爆発すると、けたたましい爆風で吹き飛び、強く体を地面に打ちつけ倒れた。
叫ぶ間もなく駆け寄るララ。そこへ追い打ちを掛けるように迫り来る合獣に対し、ララは咄嗟の判断で天井の照明を次々銃で撃ち抜いていき、フロアを暗闇へと変える。視覚を奪われた合獣であったが、犬と同等の嗅覚で、爆発で出血したニーナの血の匂いを元に、太い腕を薙ぎ襲撃を試みる。が、既にその場から立ち去っており、攻撃は空振りに終わった。
ララは音を出さないように、負傷したニーナの抉れた腹部の応急処置を進めると同時に、脳を捻り打開策を考える。二人がいる場所は元にいた場所からそれほど離れておらず、運ぶ際に滴り落ちた血で、今の位置がばれるのも時間の問題であった。先程の被弾した体の頑丈さを見るに、暗視ゴーグルを装着し、奇襲を仕掛けたところで、決定的な損傷を与えらる相手ではないことは明白であり、ニーナを抱えて逃げるとしても、出口までの距離を考えると、到底無事に成し遂げることは不可能であった。
考えを巡らせていると、いつかの上官の言葉が頭を過る。
『己の技量不足のせいで、仲間を失うのはどんな気持ちだ?』
まだ軍を指揮するようになり日が浅かった頃、武装集団無力化の任務にあたっていた部隊は、事前の情報にはなかった敵に包囲され、絶体絶命の状況を迎えた。
『俺を囮に使え』
『しかし』
『囮は、囮でいられる内に使え。ただの屍になる前にな』
無線越しから聞こえた部隊長の迷いのない声は、唯一の失敗として記憶の深層部に深く刻まれた。
「囮……」
その言葉が手を差し伸べるように蘇ると、そこから合獣を倒すまでのプランが湧き出るように思いつき、咄嗟に地面へ創筆を走らせる。
合獣は血の匂いを嗅ぎ徐々にニーナの方へと近づいていき──その最中、匂いとは別の方向で物音と新たな血の匂いを感じ取る。
「ここよ」
乾いた声と共に焚かれる発煙筒。それを掲げるララの右手からは大量の鮮血が流れ落ちていた。
その挑発的な姿に激情した合獣は、咄嗟に進路を変え、一目散にララへ突撃する。その人外の脚力で一瞬で距離を詰めた合獣は、スピードをそのままに轢き殺すかのごとく飛び掛かった。寸前、ララは地面に書き記していた創語の末尾にdと記し──完成させた= giant swordという創語からは、文字通り巨大な剣が地面から生えるように伸びる。
「──グルッ⁉」
合獣は自身の強大な推進力を止められるはずもなく──そのままの勢いで突撃した体は、真っ二つに切り裂かれた。




