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Phase474(10)

ピ──ン、ドスッ。ピ──ン、ドスッ。

 カウンター八席と四人掛けのテーブル席が二つしかないこじんまりとした店内に、二人の心臓を打つ機械音が二度反響する。衝撃で活きのいい魚のように上半身が跳ね上がった直後、矢吹は深い眠りから目を覚ますようにゆっくりと目を開けた。

「……成功か?」

「ちゃんと意識があるならね」

「……一年半ぶりに吸う外の空気がこんなに酒臭いとは思わなかったぜ」

 冗談を交えつつ、ノアから差し出された手を掴みテーブルから体を起こす矢吹。一方、ザイラの応急処置を終えたララは、心拍は取り戻したものの、未だ意識は戻らない御影の容態を心配そうに見つめる。

「約束は守った。早くルナの居場所を教えて」

「わかったよ、ルナちゃんは……」

 ──カランコロンカラン

 そのとき、バーの扉が勢いよく開くと、外で見張りをしていたニーナが切迫した表情で声を放つ。

「──門番の二人が」

 その一言で、緩みかけていた緊張の糸が再び張り詰める。

「マスター、裏口はどこに?」

 その問いかけに、カウンターの裏のバックルームをちらりと見て、視線だけで応える。

「とりあえず、二人を袋の中に」

「もう遅せぇよ」

 低く乾いた声と共に手錠を掛けられたニーナが、二人の前に放り投げられる。

「「──⁉」」

「バレてねぇとでも思ったか?」

 次いで漸を跳び越すように跳ねた羅美は、腰から抜いた刀を矢吹の首へ振り落とし──矢吹は咄嗟に生成したバットを構え、間一髪斬撃に耐える。が、そこへ追い打ちをかけるように炸裂した漸の掌打がバットをへし折ると、そのまま矢吹の首元を掴み、壁へと打ちつけた。

「うッ……」

「ったく、舐められたもんだ。これがどれだけの重罪かわかって……」

「うぷっ──」

 語彙が徐々に強くなり始めたとき、突如として羅美は跪くと、たちまち大量の紫血を吐き始める。同時に漸は矢吹を放し、羅美に駆け寄った。

「大丈夫か羅美っ、しっかりしろッ‼」

 喉奥まで指を入れ、無理矢理吐き出させると共に、生成した蛭を首元につけ紫血を吸い出す。

 その間にララはニーナの手錠を外し、矢吹は咳込みながらノアの後ろへと回る。

「……なぜ、なぜ紫血鬼が人間に助けを乞う⁉」

 理解の範疇を超えた光景に苛立ちを覚えた漸は、怒りを滲ませ矢吹を睨みつける。

「俺はもう紫血鬼じゃねぇ! 角はまだ何でか生えてるけどよ、もうほとんど元に戻ってんだ!」

「……テメェ、俺を馬鹿にするのもいい加減にしろッ‼ ワクチンなしで人間に戻る方法など──」

「あるわ」

 漸の瞳の奥に殺意が滲み始めたとき、完全に意識を回復させた御影の丸い声がそれを汲み取った。

 東京が大疫病に見舞われてから一年半。世の中に数本しか存在しない高価なワクチンを打つ以外に人間に戻るなど不可能だと考えられていた通説が今、打ち砕かれようとしている。その歴史的瞬間に、その場にいた他の者は息を飲み、数秒間だけ、宇宙空間のような沈黙がその場を支配する。

「自分の中にある最も大きい『怒り』を消し去ること。それが私が人間に戻れた理由よ」

 その予想だにしなかった回答に皆、頭上に疑問符を浮かべる。ただその中でノアだけは、「怒り……」と自分にしか聞こえない程の声量で復唱した。

「ふざけるなッ! 第一、あんな化け物たちに感情などあるわけないだろう⁉」

「本当に何もわかってないのね。怒りは紫血鬼たちの核なる原動力。それが体内のウイルスと反応して、人外な機動力を可能にしてる」

「フンッ、あぁそうかい。じゃぁ今すぐ、その怒りとやらで俺を殺して見せろッ!」

 御影の嘲笑が漸の癇に触れると、逆上するように腰から日本刀を引き抜き、剣先を御影の眉間に突き立てた。

「やめなさい」

 そのとき、最奥から鳴った艶美な声色が漸の背中に当たる。

「この世に一つしかない希少な宝石を自ら壊す気?」

「悪いな、死にぞこないの戯言に付き合ってる暇はねぇんだ。俺たちにはもうすぐ国からワクチンが支給される。こんな絵空事、聞くだけ無駄だ」

 振り返る素振りすら見せず、今一度柄を強く握りしめた漸は剣先を天井に向けた。

「このウイルスを治すワクチンは存在しない、って言っても?」

 二度目の背に当たったその言葉は、握力を少しだけ緩ませた。

「……一言だけ聞いてやる。何を知ってる?」

「アメリカの民間研究機関がワクチン開発に成功したっていう声明を信じてるんだろうけど、そんなの全部嘘。そもそも、そんな研究機関すら存在しない」

「えらく詳しいじゃねぇか。だが生憎、どこの国から来たのかもわからねぇ初対面の女に何を言われても、ただの出鱈目にしか聞こえねぇぜ」

「これを見てもかしら」

 そう着ていたキャットスーツのファスナーを胸元まで下げると、谷間から取り出したスマートフォンをバーカウンターに滑らせ、漸へと渡した。

 そこに映し出されていたのは、研究機関が架空の存在である旨が英文で書かれた超国家機密文書であった。

「……お前、一体何者だ?」

「イタリア最大のマフィアの組員。って言っても、こう言った方が分かりやすいかしら。あなた達が捕り逃がした、アニェッリ・ロメロの元部下、ってね」

 その名が漸の鼓膜を打った瞬間、刀を握っていた手が怒りに震え出し、徐々に剣先が降下していく。

「……あぁ。その名前を聞いただけで吐き気がする」

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