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Phase474(7)

 数年前。とある薬物の取引で莫大な資金を得て、一躍日本最大のヤクザ組織となった戸津沼組は、数十年来の付き合いがあるチャイニーズマフィアと巨大な取引を行った。それは一度で一年間の取引量に匹敵するもので、信頼関係がある仲だからこそだからこそ実現した取引であった。組長の戸津沼は世代交代を託す意味も込め、当時最も信頼し、次期組長候補としていた若頭に取引を任せた。指定された場所に行き、指定された金と物を交換する。量は変われど、やることは変わらない取引は、難なく終わるはずであった。

 若頭の反逆さえなければ。

 バンッ。襖を蹴破る猛々しい音に反応し目を目を開き、視線を移す。

「やっと、見つけたネ」

 少し息を荒げた民藍は、眉間を貫くかの如く鋭い眼差しで御影を見つめる。

「誰?」

「お前たちに嵌められた仲間の生き残りネ」

「そう。で、殺しに来たの?」

「遊びに来たように見えるカ?」

 両手に装着した=gloveの根本を掴み、今一度しっかりと装着できていることを確認するや、床を強く蹴り出し、勢いそのままに殴り掛かる。が、御影は一切動じることなく、すっと、片手を掲げ──そこへ吸い込まれるように放たれた民藍の拳は、パンっ、と破裂音に似た音を立てピシャリと止まる。

 マザーのように体躯が肥大化しているわけでもない、ただ矮躯な少女にあっさりと止められたという事実に、動揺した民藍は、咄嗟に息が詰まり、マザーとの戦いの記憶が目の前の強烈な事実に塗り替えられる。

 しかし、数年来の憎しみが直ちに民藍のひるみかけた心を立て直すと、即座に態勢を崩し、握られた拳を視点に迅速の蹴りを顔面に見舞い──側面をドンピシャで捉えられ、さすがに衝撃を負った御影は、どこか不思議な感情に襲われると共に拳を離し、距離を取った。

「これで、ちょっとは目が覚めたネ?」

「……あなただったら、思い出せる気がする」

 これまで虫を潰す様に何百と屠ってきた語創者たち。目の前にいる人間もまた特段の脅威を感じられない、ただの肉塊だろうと高を括っていた御影の胸中は、これまで感じたことのない妙なざわめきに襲われていた。

「だから、あともう少しだけ、頑張って」

 右口角から、つーと流れる紫血を甲で拭うと、その血を人差し指に取り、床にばつ印を書いた。すると印を裂くようにひびが入り、床が割れ──やがて姿を現したのは、全身を紫血で染め上げた一体の骸骨であった。

「これ。もしかしたら、あなたの仲間かも」

「──ッ‼」

 そう骸骨を指差しながら露骨に売られた挑発を買った民藍は、沸点に達した怒りに身を任せ、近くにあった書斎机へ拳を落とし、真っ二つにへし折った。

「……すぐに同じ姿にしてやるネ」

 頭に血を登らせ、闘志滾らせる今の民藍に、眼前の得体の知れない物体を分析する思考の余裕などあるはずもなく──感情のままふりかざした右拳は人体の中で最も脆く、且つ急所であるとされている鼻へ放たれ。

 ガンッ。

 人と車がぶつかったときのような鈍い音が証明する、文句なしのクリティカルヒット。通常の人間であれば粉砕は確実である程の威力であった。が、骸骨の鼻骨は一本のひびも入らず──逆に触れたグローブは即融解し拳が露になると、続けて鼻骨と接した部分の拳は、音も痛みもなく、ただ自然の摂理に則るかの如く皮膚が溶け、白骨化した。

「あ……」

 その光景を目の当たりにし、頭に登っていた血が一気に引く。冷静さを取り戻させられた民藍は、すぐさま後退し二人と距離を取る。

「……」

 今一度、確かめるように拳に視線を落とす。触れた部分は甲の第三関節部分のみであったにも拘らず、白骨化は皮膚を浸食していくように、徐々に手全体に広がり始める。

 このままだと時期に全身に広がり息絶えることが確実であった民藍の頭に、二つの選択肢が過る。

 ──切り落とすか。共に朽ち果てるか。

 判断はすぐに下った。

 覚悟の眼差しを向けた民藍は、まだ辛うじて動く右手を強く握り込み、その甲に=airと書き殴る。

 切り落としてしまえば、遠距離戦に比べ、まだ一縷の望みがある戦い慣れた接近戦での勝機が低くなるということと、幸いそれほど速くない白骨化のスピードを鑑みた結果であった。

「……皆が味わった苦しみを受けるネ」

 自分にしか聞こえない声量でそう呟き、獲物を狩る虎のように御影に襲い掛かる。

 そこへ当然のように割って入り盾となる骸骨。が、民藍は一瞬も恐れることなく突き進み、拳が胸骨に触れようとした寸前──拳の先に空気の塊が生成されると、それが触れた衝撃で両者の間に凄まじい反発が起こり、骸骨は窓ガラスを突き破り屋外へと吹き飛んだ。

 不可解な現象に一瞬視線を奪われる御影。その隙を見逃さんとばかりに、懐に入り込んだ民藍はすぐさま左拳に=powerと書き記す。そして、人差し指と中指を合した両手の指で、首の側面にある視覚に繋がるツボを突く。

「──⁉」

 先程までいたはずの部屋から一転、何も見えない暗黒の世界へと隔絶された御影は、ただその場で茫然と立ち尽くし──次いで徐々に失われていく平衡感覚に耐え兼ね仰向けに倒れると、そこへ追い打ちをかけられるように、絶え間なく頭部に衝撃が走る。

「一族の恨みを全部受けるまで、死んじゃだめヨ」

 それは馬乗りになった民藍が放つ、無慈悲な鉄拳制裁。

 ゴンッ──ゴンッ──ゴンッ──ゴンッ──

 真っ暗な視界。肉と肉がぶつかり合う鈍い音。

 ゴンッ──ゴンッ──ゴンッ──ゴンッ──

 一発一発を喰らう度、心に溜まった紫血の沼の深層部に沈んでいた記憶の塊が刺激され、徐々に浮上していく。


「ハァ、ハァ……、組長!」

 息を切らし、組長室に駆け込んで来た部下は青ざめた表情で戸津沼に視線を向ける。

「……若頭と下っ端たちがっ、取引の途中で相手を撃ちやがりましたっ!」

「「「──⁉」」」

 室内にいた幹部たちが一斉にざわめき、顔を合わせる。その中でも唯一、いつもの頑とした表情を保ち続ける戸津沼は、その場を制止するように重たい口を開く。

「何人死んだ?」

「おそらく数百人規模だと……」

 怒りを滲ませ、頭を抱える中、戸津沼は徐に立ち上がり、棚に飾られた日本刀を手に取る。

「組長、どこへ⁉」

「ケジメをつけにいく」

 一切の迷いがなく、凛然の熱を帯びたその声が幹部たちの鼓膜を打つと、感化されるように一人、また一人と立ち上がり、戸津沼の後ろに連なる。

 そんな部下たちにも目もくれず、力強く襖を開けると、そこには全員分のお茶が載ったお盆を持った御影が、顔を俯けながら立ち尽くしていた。

「……行かないで」

 言葉と共に溢れ出てきそうな涙をぐっと飲み込む。

「母さんといつもの場所に隠れてなさい」

 そうとだけ言い横切ろうとした父親の手を掴み、涙を噛み殺して顔を上げる。

「──」

 御影が捉えたのは虚空を映し出す鏡の如く無が渦巻く黒い瞳。あまりにも膨大で受け止めきれない程の暗冥に、気圧されるように手を放す。

「──許してくれ」

「……え」

 父親の口から初めて聞くその六文字に咄嗟に瞠目した瞬間。

 パンッ──! パリンッ──!

 銃声と同時にお盆の上の湯飲みが割れる。「伏せろッ────‼」直後、戸津沼の怒号に似た激声が響き渡ると、皆一斉に伏せ、なだれ込むように屋内へと戻った。

「怪我は⁉」

 何が起こったのか理解できないまま、強引に手を引っ張られ屋内に引きずり込まれた御影は、ただ茫然としながら首を横に振る。

「あの机の裏に隠れてろ。何があっても、絶対に出てくるんじゃないぞ!」

 もうこれが父親との最後の会話になるということが、直感で理解できた。引き止める気力すら残っていなかった御影は、言われるがままに指示に従った。

「……」

 そこで膝を抱え縮こまった御影は、唱えるように心の中で一つの言葉を反芻し続ける。

 どうして。

 屋敷に押し掛けた数十人のチャイニーズマフィアたちは、なりふり構わず、組員たちに襲い掛かる。

 どうして、普通の家庭に生まれてこれなかったの。どうして、こんな抗争に巻き込まれているの。どうして、こんな思いをしなきゃならないの。

 幼少期から心の中に芽吹いていたやりきれない感情の芽は、徐々に怒りへと姿を変えていき──絶え間なく鳴り響く数多の銃声と、肉と肉がぶつかり合う音が御影の中に蠢くそれを増大させていった。

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