プロローグ Phase472
プロローグ Phase472
The pen is mightier than the sword ペンは剣よりも強し
エドワード・ブルワー=リットン卿 戯曲『リシュリュー』より
「この女に見覚えは?」
冷淡な女の声が夜の池袋の街に消える。腰の辺りまで伸びた茶色い髪の表面には、紫血の飛沫が飛び散っており、水色と紫が基調となったネオン街の灯りを受けたそれらは不気味な輝きを孕むと、奇しくも彩を加える装飾の一部として闇に溶け込んだ。
「殺す……、ぜってぇ……」
その女に全身を地面に押し付けられた男の丁度右脳が位置する頭部からは、一本の円錐の形をした角が生え、その角に唯一自由が利く眼球を目一杯寄せるようにして女が持つ写真を睨みつける。
平時であれば、一般市民が通報し警察官が飛んできて仲裁に入る場面であるが、無政府状態と化した今の東京には、警察はおろか、一般市民すらおらず、いるのはただ、無数に蔓延る『紫血鬼』と、それを狩る『語創者』だけであった。
「そう」
静かに呟いた女は、写真を懐にしまいながら、奴隷を見るかのような蔑んだ視線をコンクリートに移す。そして、左手首に装着された髑髏のブレスレットにぶら下がる一本のペンを手に取ると、男が押さえつけられているコンクリートの目と鼻の先に一つの『創語』を書き記した。
=gun
すると、その単語を形成していた紫色の『創血』が一滴、ふわりと重力に逆らうようにして宙に上がっていったかと思えば、それに続くように残りの創血も宙へ上がっていき、それぞれの飛沫が小さな渦となり、徐々に結合していく。やがて、それらは書き記された単語の意味通り、夜の闇に溶け込んでしまいそうなほどの漆黒を帯びた拳銃へと姿を変えると、女は緩慢とグリップを握り、トリガーに指を掛けた。
「───」
「Adiós」
何千、否、何万回と言ってきたのであろうその流暢な言葉と共に銃口から放たれた弾丸は、容赦の欠片もなく男の頭蓋骨を貫き、脳を抉り進む。勢いそのままにこめかみから出た弾丸が地面に突き刺ささると同時に、頭に開いた銃痕から紫色の血飛沫が盛大に吹き出す。
女は顔に幾滴の返り血を浴びるも、一切拭うことなく、亡骸へと変わった男への視線を切り、ネオン煌めく街へと消えていく。
法も秩序もない、殺るか殺られるかの狩場と化した東京の街へ。ただ、一本のペンを携えて。