鼓回顧録/家族
翌朝、誰かの駆け回る足音で目を覚ました。元気にはしゃぐ子供の声も聞こえる。こんなにぐっすり眠ったのは随分と久しぶりだった。身体中に居座る違和感と若干の痛みに、幸か不幸か、己の命が確かに続いていると実感する。
「おう、起きたか。具合は」
天井をぼんやりと眺めていたところへ錦が入ってきて声を掛けられた。
「なんとも、いや、変わりありません」
「なら、飯だな。持ってくるからちょっと待ってろ」
「錦さん」
天井を仰いだまま、呼び止めた。
「なんだ、便所か」
「俺、黙っていたことがあります」
「……そんなのはお互い様だろ。俺らは忍だ。言えないことしかねえ」
「そういうことじゃなくて」
言葉を切った鼓は左手を持ち上げ、右の肩からゆっくり撫で下ろしていく。左手を当てる箇所が光を帯びている。右指の先まで光を当て終えると、今度は右手で同じことを反対の手に施す。右手は腕全体に包帯をしているから分からなかったが、左手からさっきまであったはずの傷が全て消えていた。きっと右手からも消えているのだろう。
右手を何度か結んでは開いて感触を確かめてから、上体を起こす。動揺しながらも手伝おうかと寄る錦を制し、「大丈夫です。右手の骨は今治りましたから」と言った。言葉を失っている彼を傍目に、胸へ、背へ、足へと光を当てていく。最後に爪先から手が離れ、同時に光が消えた。
「これでもう、立って歩くことも走ることもできます」
「すげえ力だな。うちの医者も顔負けだ」
「いえ、あの治療がなければもっと時間がかかるはずでした。俺の力……仙術は基礎体力がないと使えません。そこまで回復させてくれたのはあの医師と、もちろんここでの休息のお陰です。ありがとうございます」
「仙術か。そんなものがあるらしいと小耳に挟んではいたが、初めてお目にかかったな」
「俺も忍術を扱う方々とこんなに会えるとは思ってもいませんでしたよ」
「なぜそんな術を使える」
声が僅かに鋭さを含んでいる。呼応するように、鼓も調子を落として答える。ただしこちらはほんの少し、憂いを帯びて。
「身に着けたんですよ。必要だったから」
包帯を外す鼓に向かって、どこで、どうやって、そう続けようとしたが、「国に重宝されるわけだ」とだけ言った。言いたくなったら自ら打ち明けるだろう。今目の前でやってみせた技のように。
「とりあえず飯だな。うまいぞ、うちの飯は」
「取り押さえたりしないんですか」
「お前、昨日から発言があぶねーぞ」
「いやだから、そういう意味じゃなくて」
「安心しろ。お前が暴れようもんなら全力で殺してやるよ」
茶化すように笑顔で言ってのける豪傑な男の持つ、褐色の目がギラリと光った。冗談と本気の区別の難しい、厄介な芸当だ。
戸を開けると、ほのかに漂ってきていた香ばしいにおいが部屋いっぱいに充満していた。
「あー!つづみ立ってる!」
足元から声が聞こえた。目を真ん丸にした希だ。
「なんでなんで?ほねおれてるって先生言ってたのに」
「すげーやつはすぐに治るんだよ。ほら飯だ、座って。あと2人は?」
「食べていっちゃった」
「食事は全員でって言ってるのにあの野郎どもは」
「だってもう こうぎ始まるもん」
「......ってことはお前もだろ!何のんびりしてんだ、早く食べて行きなさい!母さんは!?」
「2人のことおくってった」
どうやらこの家には子供があと2人いて、鼓と朝食を食べるとごねた希に榮が痺れを切らして置いていったらしい。なんとも意志の強い少女だ。
「ちょっとこいつを学び舎へ送ってくる!ゆっくり食べててくれ。この部屋の書物なら好きに読んでくれてて構わないから、俺が戻るまでここにいろよ!」
いやあーと叫ぶ声が遠くなっていく。親であり夫であり長である錦は、出会ってわずかな時間ながら多様な面を見せてくる。周りを見渡して見つけた蠅帳を、錦の分の食事の上にかけてから、温かい食事を頬張った。
数十分後、夫婦が2人して戻ってきた。希のことで言い合ったようで、若干空気がひりついている。
「朝から見苦しいところ見せてごめんねー。希ってば鼓のこと気に入っちゃったみたいでさー」
「はあ、どうも」
黙って食事を再開した錦から殺気が伝わってくる。暴れなくてもやられるかもしれない。
「お前、これからどうすんだ」
食べながら錦が尋ねる。
「そんな昨日の今日で聞かなくても。好きなだけいたらいいじゃん」
「いや、そういう訳には……。生き長らえたからには俺にはやらなきゃならないことがあって」
「命、狙われながらでもか」
鼓の動きが止まる。昨夜明言は避けたつもりだが、偶然負った怪我ではないことには流石に気付かれていた。それに、何者かによって負わされたものだということにも。
沈黙の間に逡巡し、意を決して口を開いた。
「逃げ続けてるんです。俺の命を狙っている男から、もう長いことずっと」
「逃げるのがやるべきことか」
「いえ。終止符を打つことがひとつ」
「他には」
「取り戻したいものがあります。なんとしてでも」
「俺らが力になれることは?」
そう尋ねた自分自身に、錦が内心一番驚いていた。鼓の語気を強めた言い方に、並々ならぬ決意を感じ、咄嗟に出た言葉だったからだ。
「……そんな大それたことは」
「するしないじゃなくて、あるなら言ってみろ」
「もし、その時が来たら」
「そうか」
両者とも視線を逸らさない。秘めている真実を、見通せない本心を、それぞれ隠し、あるいは読み取ろうとするように。
「ほらもー!陰気臭い顔で会話してないで!食べ終わったなら里の案内でもしてきたら?!帰りにおやつ買ってきて!」
榮に追い出された2人は顔を見合わせて笑い、連れ立って散歩に出掛けた。錦という人物は、警戒心を持ちながらも旧知の仲のような錯覚さえ抱かせる。
忍の里は、山の奥深くに人目に触れることなく存在しているとはいえ、住むには十分な快適さだった。食物を栽培し、学び舎や下町にあるような商店が立ち並び、足りないものは外から仕入れ、生活が循環していた。場所も何も明らかにされていない里がいつの間にか俗世で「理想郷」と呼ばれているというのも納得だ。
「あれ、望じゃねーか」
昨日から何度か耳にしている名前を口にした。残り2人いる子供と思われるうちの1人がしゃがみこんでいる。錦の声に気づき振り向いた望は「父さん」と言って笑顔で駆け寄ってきたが、見知らぬ男を見てたじろいだ。
「そうか、昨日も会ってないもんな。鼓だよ、うちに泊まってただろ。ほら、挨拶して」
「……はじめまして、望です」
「鼓です、よろしく」
「希の双子の弟の方。二卵性だから似てないだろ」
「目の色はおんなじだよ」
「そうだな」
頭をクシャっと撫でられた望は嬉しそうに目を細めた。錦のそれを引き継いだ繊細な髪は銀色にきらめいていて、弟と言われなければ女の子かと思うほど、もしも天使がいるとしたらこんな見目をしていると思わせるほどに可愛らしい子だった。
「授業は?もう終わったのか?」
「まだだけど、しょくぶつのかんさつのほうが楽しいから」
「先生には言った?」
首を横に振った望に、頭を掻いてから話を再開した。
「観察の方が楽しいって思うのは分かる。でも先生は望がいないと心配するし、授業を続けられないかもしれない。そしたら他の子も困るだろ?とりあえず戻ろう。父さんも一緒に行くから。んで、帰ったら何が楽しくて何が楽しくなかったのか、父さんに教えてくれ、な?」
「……わかった」
「よし、いい子だ」もう一度望の頭を撫で、ちょっと送ってくると言い残し、学び舎へと入っていった。我が子の手を引きながら建物の中に消えていく後姿を眺めながら、彼と話したいことがひとつふたつと重なっていくのが分かった。
お読みいただきありがとうございました!
やっと、やっと双子の弟・望が幼少期ながらも本格的に登場です…!!!
物騒な言葉を吐く錦も、父親やってる錦もいいですね。
また怪しい発言してる鼓には私もびっくりです。
希は本当に榮の遺伝を強く受け継いだんだなあと思います。
鼓回顧編はまだまだ続きますが、引き続きご覧いただけたら何よりです。
次話も来週水曜日更新の予定です。