番外編/一等兵の備忘録:問答の末に
足音が壁に反響する。石造りの長い廊下を照らすのは、一定の距離ごとに天井に灯された豆電球のみだ。
遂の後を、腰縄を着けられた鼓、それを持つ一等兵が続く。
*
遡ること数十分。城目前の、検閲部隊の死角の木陰に彼らはいた。
「これが腰縄ってやつですか。自分の人生で巻かれる日が来るなんて思いませんでしたよ。生きてみるもんですね」
「そんな感心するもんじゃないですよ。大概変わってますねあなたも」
呆れながら一等兵が鼓の腰に縄を巻きつける。
──鼓を城内へ入れるための計画だった。本来、捕えた容疑者は主管轄の警備隊にその場で引き渡す決まりのところを、遂の一存で直々に泥棒を取り調べるという名目で自ら城へ連行することになった。遂によると鼓は重要参考人として連れていき、後から調書でどうにでもなるということだった。
「流石ですね」
紛れもなく嫌味だった。のし上がるために否が応でも身についた、本来要らぬ術だ。機嫌は損ね表情にもあからさまに出るが、事実が故に否定はしない。
取調室に入る。置かれているものが違うだけで、広さは独房と大差ない部屋だ。
改めて、目の前の男を見る。擦り切れて汚れた外套と、首元を隠す徳利襟。赤とも橙とも褐色とも言い難い髪色に、翡翠のような瞳。
「鼓。重要参考人として取り調べに協力してもらう。見たところ俺と歳が近いようだが、年齢は?」
「……」
「出身地は」
遂の声だけが部屋に響く。気の短い男を苛立たせるには十分な沈黙である。
「黙秘か」
「……よく、覚えていない、分からないんです」
「赤ん坊が1人でそこまで育つ訳がねえ。覚えてる限りで構わん。ここに来る前は?どこにいた」
「あなたの目的に俺の過去が関係あるんですか?」
「……まあ、ひとまずねえな。じゃあ話を変える」
右の掌を上に向け、肩付近に掲げると、一等兵がすかさず書類の束を差し出した。ぺらりと捲り、滔々と読み上げる。
「○月12日、民家に押し入り強盗。被害者無し。犯人拘束。
○月14日、商店の万引き犯逮捕、金銭的被害無し。
○月15日、女性につきまとう不審者を任意同行。
○月18日、作物泥棒を複数人摘発。
○月23日──」
「何の記録ですか」
「身に覚えは?」
「無いですね」
「もう少し情報を足す」
そう言うと卓上に十数枚の人相書きがばら撒かれた。
「この調書に載っている犯人どもの顔だ。そして目撃者は全員、こいつらを捕えた人物は『身体が光って見えた』と言っている。顔はよく見えなかったが、ボロボロの外套を着ていたという。
もう一度聞く。身に覚えはあるか」
「……。光る人間に興味が?」
「質問しているのはこっちだ。俺には目撃者が話す“正義の味方”がお前だとしか思えないんだが、違うか?」
ひんやりとした薄暗い部屋の中で睨み合いが続き、両者の思惑が読めないまま一等兵には耐え難い時間が流れる。やがて観念したのか、鼓がふうと息をつき、言葉を発した。
「俺のことを話している可能性が高いですね」
「煮え切らねえ答えだな」
「確証はありませんから」
「麟鳳へは何しに来た」
「世話になった方々に勧められました」
「何故」
「…………俺を雇ってくれますか」
部屋は再び無音の空間と化した。今度は互いの思考や腹の探り合いの時間ではなく、一方が虚を突かれたための困惑から成る静寂だった。僅かな期間で市中の保安に数々寄与している男ではあるが、城で働きたいという目的が読めない。
「出稼ぎにでも来たのか」
「今は俺が聞いています」
眉をぴくりとさせたが、感情は喉元で抑え込む。これでも国軍という明確な縦社会で、陰で唾を吐きながら身についたものだ。
「お前の素性と目的による。聞いたところでまともな回答は期待できねえが。万が一他国の諜報員でも雇おうもんなら俺の首が飛ぶどころじゃないもんでな」
元々目つきの鋭い男が凄むと、否応なしに空気は攻撃的になる。そんな空間に居ながら、鼓は怯むことはない。見栄や虚勢とも思えない。
「ここへ来た目的は、生きる理由を探すため。それから、生まれは蓬莱です。ご存知ですか?」
突拍子もないことを言い連ねる輩はいくらでも見てきた。いちいち信じていてはきりがない。しかしこの男は遂が備えてきた冷静さを容易く吹き抜けていく。
「つくならもっとマシな嘘にしろ。ご存知も何も、蓬莱は伝説の地だ。子供でも騙されねえよ」
「なら、これで信じてくれますか」
見開いた遂の目に映ったのは、鼓の手から放たれる、瞳と同じ色をした緑の光だった。
ご無沙汰しています。お読みいただきありがとうございました!
遂はまだ理解しきれていない、と以前書きましたが、鼓や一等兵といると会話が弾むことが分かりました。錦・榮・鼓とはまた別の、バランスの良い3人組です。
想定を超える長さになっている備忘録、あと3〜4話でまとまりそうです。
引き続きバタついているため、次回更新は9月24日(水)予定です。
低頻度に拍車がかかっている中でも、日々読んでくださる方々には感謝しかありません。
1か月空いてしまいますが、またお越しいただけたら嬉しい限りです。




