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森の中

 やや湿気を含んだ空気に混じって、微かな笛の音が聴こえてくる。忍として生まれた者に贈られるというその“呼び合いの笛”を、(のぞみ)は幼い頃から(しるし)の前では滅多に吹くことがなかった。


 久しぶりに耳にした、今にも消え入りそうな音のする方へ進んでいくと、小川の流れるすぐ傍に、月明かりに照らされて輝く金色の髪が靡いていた。声を掛けようか迷っていると、音が止まった。身を隠す隙を失いたじろぐ瑞の方へ顔を向けた希がいたずらっぽく笑って言った。

「覗き?」

「ちげーよ。笛が聴こえたから。……ひとり?」

 あたりを見回しながら隣に座る。

「さっきまでミナトがいたけど。先に戻ったよ」

「そっか」

 まずは1つ、安心した。気になり心配もしていたが、会話を聞くつもりはなかったからだ。


「笛、吹かねーの?」

「んー、もういいや」

「俺に気遣ってんならいいから」

「そうじゃなくて。瑞に届いて、瑞が来たからいいの」

「犬か、俺は」

 あははと笑う希を見て、夜で良かったと思ったのが、2つ。波打つ鼓動が希に聴こえていなければ、3つ目の安心を得られるのだが。


「ミナトと何話してたか聞かないの?」

「……聞いてもいいなら」

 物静かな場所に年頃の男女が連れ立ってくるなんて、大方の予想はつく。そして希の反応も。


「今日、改めて思ったの。やっぱり今は(のぞむ)のことが一番優先だなって。(わだち)って奴に負わされた怪我なら、なおさらちゃんとしないと、私は前に進めない。──里のこともある」

「軌を、討つってことか」

「……分からない。でも、もっと強くなりたい。ならなくちゃいけないって思ってる。

 ってことで、ミナトには私より強くなったらねーって言っちゃった」

 後半は重い雰囲気を取っ払うかのようにおちゃらけながら話してはいたが、希の顔に、瞳に、瑞が恐れていたものを感じた。おそらく、否、きっと鼓も最も避けたかったものが、憎しみが、宿っている。対象を捉えた負の感情が結びつくのは、まさにこれから対峙するであろう軌の如く攻撃性だ。


「希、俺たちが常若(とこわか)で大切にしてるのは」

「それは分かってる。負の連鎖を断ち切ること。忘れたことなんてない」

 遠くを見つめる瞳が、瑞にはギラギラと光っているように見えた。親、仲間、故郷を奪われ、唯一の肉親である双子の弟に重傷を負わせた相手の存在を知れば、恨むなという方が無理難題だということも、瑞には想像がつく。


「けど、もしも、私が軌に復讐するって言っても、きっと(つづみ)はそんなこと望んでないと思う。悲しませるかもしれない。それだけは絶対に嫌なの。でも私にも忍として貫きたいものがあって、どうしたらいいのか分からなくて、だから強くなるしかなくて」

「今日1日で色々知ったんだ。すぐに整理できるもんじゃない」

 これまでの行き場のなかったやるせなさが希の中で蠢いている。そこから生まれるどす黒い感情に飲まれまいと必死で押さえ込みながら。鼓が彼女に対して真実を明かしてこなかったことにも理由があると信じ、込み上げてくる感情を鎮めるため、膝を抱え込んだ腕の中に顔をうずめた。



 希とミナトが交わした会話は、瑞に伝えたものとは異なっていた。

「ごめん、嬉しいけど、ミナトの気持ちには応えられない」

「やっぱり、瑞?」

「……」

「羨ましいな、あいつが」

 言葉を探す希を庇うように、一陣の風が吹いた。月光を帯びて流れる髪の合間からの希の表情は、困ったような、悲しげな顔にも見えた。



 何も、答えられなかった。いや、私はずっと応えてなんかない。痛いほど瑞の想いが伝わってくるのに。自分の未熟さを言い訳に、彼からの決定的な言葉を避け続けている。私、狡いんだよ。瑞はさ、こんな私からだって離れていかないって思ってるんだよ。でもこんな狡い私のことなんか、もう──。


「希が今何を考えて、これからどんな選択をするとしても、隣にいることが許されるなら、俺はいなくなったりしない」

「……知ってる」くぐもった声で答える。

「ならいいよ、それだけで」

「でも、狡いじゃん、こんなの」

 何も返せないのに、支えてもらってばっかりで。

「俺を拒絶するんだったらもう退くけど」

「拒絶なんかしない」

 できるわけがない。

「じゃあ少しは必要だろ、俺のこと。それでいいんだよ」

「なんであんたはさ、そんななの」

 いつの間にそんなに強くなったの?

「どういう意味」

「いっつも真っ直ぐで、ぶれなくて」

 その瞳に映るもの全部を受け入れているみたいに。

「希と出逢えたから。それが俺の全てだから」

 事もなげに言う。憧憬さえ覚える率直な彼に幾度となく支えられてきたのも事実だ。気恥ずかしさのあまり滅入っていた気分が軽減される。これでいいのかという迷いは残るが、失いたくない拠り所でもある。甘えてもいいのかもしれない。何もかもを許せなくなる時が来るまでは。


「あと、お前が強いのは分かってるけど、あんまり煽るような言い方は危ないから。今回は何もなかったけど時と場合と人によっては……」

「分かってますーう」

 過剰にも思える心配ぶりを受け、いつもの調子に戻ってきた希を見て瑞がはにかんだ。

「戻ろう。鼓が待ってる。希に嫌われることがあいつにとって一番の打撃だから」


 立ち上がり、塔へと戻っていく。横並びで進み、時折現れる狭い小道で何度か後ろ姿の瑞を目にした希が呟いた。

「背」

「ん?」

「また背高くなったなって思ったけど、背中も広くなったね」

「自分じゃよく分かんねえけど」

「鼓の身長も超すかもね」

「それは絶対」


 他愛もない会話だが、瑞は内心ドキリとしていた。当然のように希にあらゆることを伝え共有してきた彼にも、唯一打ち明けていないことがある。10年前に鼓と交わした約束であるそれは、「決して背中を希に見せないこと」。


 その背には、左の手の甲に刻まれたものとは別の印を負っている。そして刻印を背に負う限り、彼に課せられた制約は、もう1つ──。

お読みいただきありがとうございました。

お陰様で1,400PV達成いたしました!!


私の中で瑞の株がぐんぐん上がっており、執筆前には予想もしていなかった状況です。


希が登場しない時(鼓回顧編や前話など)、私の中で彼女がしきりに「私主人公なんですけど」という顔をします。


希と瑞を今後もゆっくり見守っていけたらと思います。

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