【一話】乙川さんは転校生です。③
学園に来るとやけに騒がしくて、隣の席の相原にきいてみると、転校生が来るかもしれないという。
「今朝、うちの担任が女子を案内していたんだってさ」
「ふうん」と、鞄から教科書を出しながら相槌をうつ僕に、
「それがな、結構かわいいってよ」と、相原がいう。「見たのは松戸なんだけど」
「松戸には彼女がいなかったか?」
「いるけど、それが?」
それが、じゃないだろうと僕は思うが、同じクラスの鵜飼さんを見ても、転校生が来るといって女子同士で盛りあがってるだけだから、僕が気にしすぎなのかもしれない。
今日の部活動について仙道と話していると、教室の扉が開いて、クラス中がしーんとなった。
「え? なに?」
と目を丸くしながら古谷先生が入ってくるけれど、生徒たちの顔をみてすぐさま察したらしく、
「いいからお前ら、席についてくれ」と、ため息まじりに言う。
わかりやすいものでみんなこういうときばかりは素直で、チャイムが鳴る頃にはきちんと全員着席しているのだ。
「じゃあ、ホームルームを始めるけど、その前に・・・」
「待ってましたぁ!」
松戸がそう叫んで笑いをとろうとするけれど、自重したほうがいいのでは?と僕は思う。
転校生は今、教室の外で先生に呼ばれるのを待っているのだろうが、自分のことでここまで賑やかになっている教室に入る心境とはどういうものなのだろう? 自分に値をつけられる品評会に出るようなものじゃないか。
なんだかわからないけれども自分の預かり知らないところで勝手に期待が高まっているのだから、僕が転校生なのだとしたらたまったものではないし、なんなら逃げ出してしまうかもしれない。
しかし古谷先生に、「じゃあ、入ってきてくれ」と呼ばれると、その転校生はこんなにも入りづらい教室の扉をすんなりと開けるのだ。
そして何という胆力だろう! ちょっと間をおいて入ってきた彼女に、おどおどしたところは微塵もない。
僕は、この転校生は只者ではないなと思ったけれど、こちらを向いて教卓の前に立つその子の容姿を見てすぐに、ああこれは胆力でも度胸でもなく自信なのだな、と思った。
彼女は無表情に立っていた。革靴の踵をぴったりつけて、背筋を伸ばしているので、とてもしっかりした雰囲気なのに、ゆったりと前に組んだ両手で持っている学生鞄が、立ち姿に愛らしさを添えていた。
表情に乏しそうではあるけれど、目元がどことなく優し気で、肩口まですっと降りてくる黒髪が、色白で卵型の輪郭をした顔立ちによく合っていた。
瞬きが少なく、正面を見据えてピクりともしていない目の中の、薄いグレーの虹彩は、教室の蛍光灯の光を反射して、きらきら光っていた。
全体的に、浮世離れした印象の少女だった。
・・・あんまりにも際立った容姿というのは、見る者を圧倒するのだな。
それはいい過ぎかもしれない。
けれど、クラスのお調子者である松戸なんかは、口が半開きになっていて、さっきまで囃し立てていたのがウソみたいだ。教室はすっかり静かになってしまって、時折きこえるとしても、はあ、とそういう感嘆のため息ばかりだ。
僕はどうだろう? やっぱり周囲を観察できるぐらいだから、そんなにではないのでは? と思う。
でも、だけど、普通僕は、そんなに人の外見なんかは気にしない。はっきりいってほとんどの人は同じに見えるんだ。その僕が、たかだか容姿だけでここまで意識しているんだから、少し動揺しているのかもしれないな。
古谷先生は、「なんだお前ら?」と静まり返った教室を不思議そうに見まわしていたけれど、「じゃあ、軽く自己紹介をして」といって促す。するとその転校生は、
「乙川月子です。よろしくおねがいします」と鈴の鳴りそうな声で話すのである。
話すのである、というけれど、簡素で当たり障りのない自己紹介なのだが、それで却ってなんというか、テレビの中のような、遠いところにしかいなそうなこんなにかわいらしい子が、今日から自分たちと同じクラスに所属して、自分たちと同じ立場で、普通に接することのできる相手なのだという実感がふつふつと湧いてきた。
その実感に、僕はかなり意外に思ったけれども、それは他の生徒たちも同じらしくて、そこでようやく、「おおー!」という喚声だか悲鳴だかわからない声が教室中からあがるのだ。
転校生はといえば、初めて戸惑ったというか困ったような表情を浮かべており、スカートの裾をぎゅっと握っている。
やっぱりああいうふうに毅然としていても、すごく緊張していたんだなあと思い、転校生のその、はにかんだ表情を見て、思わず僕は可笑しくなってしまった。