【二話】乙川さんは使用人です。③
時刻を見ると20時を回っていた。
僕はさすがに空腹を覚えて、「何か食べていく? 僕が作るものでよければさ」と誘った。すると乙川さんは、「ありがとうございます」と頷くので、僕は席を立ちあがり、台所に向かう。
なんだか深刻な話をきいたばかりだというのに腹は空くのだな、と妙に感慨深くなりながら、簡単な料理を作っていく。料理は冷蔵庫にあった材料を見てチャーハンとした。長ネギをみじん切りにし、卵をフライパンで炒めたところにごはんを投入、強火でさっと炒める。まあ何の衒いもない普通のチャーハンなのだけれど、中学から数えて四年作り続けただけあって、男友達には結構評判の一品なのだ。
ところが皿に移す段になって、これを乙川さんに出すのは一体どうなのだろう?と思い当たった。具はネギと卵だけのチャーハンなのである。別にそれが悪いとは言わないけれども、我が家の台所事情というか、僕の普段の不摂生な食事生活がバレてしまうような気がして、なんとなく恥ずかしくなってしまったのだ。
まあそれでも二人分は作ってしまったしと腹に決めて、僕は皿を乙川さんの席に並べた。すると乙川さん、「こんなに美味しそうなチャーハンは見たことがありません」と、大げさに喜んでくれる。
さすがにお世辞が過ぎるよと苦笑したけれど、いざ食べ始めると、彼女は本当に美味しそうな姿を見せてくれるのである。
なんというか、表情はそんなに変わらないのだけれど、パクつく速度に勢いがあって、食欲旺盛という感じなのだ。まだ湯気がたちのぼっているごはんを一掬い、口に運んだかと思うともう一掬い、それが途切れることなく続いて、あっという間に完食してしまった。
たまに家に遊びにくる友達にふるまうことはあっても、普段自分で食べるために作ることが多いことからすると、ここまで喜んで食べてくれるというのは、作り甲斐があって嬉しいものなのだな、と僕は思った。
そういえば、今日の昼食でもあんなに山盛りだったパンや弁当のおかずを、全部平らげてしまっていたのだから、もしかしたら単なる食いしん坊なのかもしれないけれど・・・。
外見はいかにも食が細そうなのにな、と意外に思っていると乙川さんは、
「ごちそうさまでした。とても美味しくて・・・。陽太郎さまは料理人を目指されて・・・いえ、すでに立派な料理人ですね!」と、言ってくれる。僕は写真のことがあるのに、「料理か・・・それもいいかもしれないね」とつい乗っかってしまった。
その後はもくもくと皿に残ったチャーハンを食べていたのだけれど、しばらく経ってから、乙川さんが、「あ!」と声をあげた。彼女は口元に手をあてて、空になった皿を見つめると、
「わたしったら、いけない! わたしが作ってさしあげなければいけなかったのに!」
と言うのである。そういえば使用人とか言っていたな・・・と先ほどの話を思い出しながら僕は、低頭に謝り始める彼女に対して、
「いや、いいんだよ・・・。料理を作るのは好きだしさ」と言った。けれども乙川さんは、
「そんな・・・。わたし本当に気が付かなくて・・・。オーナにふるまってもらうなんて、何様のつもりだったのでしょう・・・」
と、肩を落とす。僕はなにか気のきいた言葉はないかと思ったけれど、やっぱりというか何も思いつかなくて、
「あのね、そんなに気にしなくていいよ。だけど、乙川さんの作った料理も今度食べてみたいな」と本音を言った。
すると乙川さんは、バッと顔をあげて、「はい、もちろんです!」と何度も頷くのである。
僕は使用人とかよくわかっていないのに、なんだか認めてしまったような発言だったんじゃないだろうか? と思ったけれど、彼女が落ち着いてくれたからとりあえずそれで良しとした。
しかし、チャーハンをすべて食べ終わった僕が、皿を回収して台所に洗いに行こうとすると、乙川さんも席を立ちあがって、「わたしにやらせてください」と言う。
「そんなことはさせられないよ」と返す僕に、「いえ、これはわたしの役目です」と彼女はなかなか引き下がらなかったが、僕としても役目という理由では任せられない。結局、二人で台所に行くことになった。
一軒家とはいえ二人が横並びになって使うには手狭な洗い場で一緒に皿洗いをしていると、乙川さんが、
「わたし、陽太郎さまのお役に立ちたいんです・・・」と呟く。
僕は、うん、と返すけれども、「そんなこと、あんまり考えなくていいよ」と言った。
乙川さんは、「はい・・・」と言って、黙々と皿洗いを続けている。
聞こえようによっては冷たい返事をしてしまったかもしれないなと反省した。
狭いシンクの中で時折手が触れあうと、彼女は「すみません」とたびたび謝るのだ。
思うに僕は、父が彼女を買ったという事実を、何かまだ受け止めがたい気持ちでいるのだろう。
だけど、今日初めて会った子に、役に立ちたいと言われて僕は、いったい何と返事をするのが正解なのだろう?
彼女がここにいるという事実を、そういう理由ではない、まったく別の理由にしてしまいたい気持ちがあるのは確かだと思う。
しかし仮にそうだとしても僕は、いきなり使用人としてやってきた彼女のことを、ああそうなんだと都合よく使える人間にはなりたくない。
僕が彼女のために考えなければならないことは、今ここにいない父の代理になって、僕にできる責任をとらなくてはならないということだけなのだ。
だから僕は続けて、自分の好きなことだけやればいいんだよ、と言おうとした。けれども言わなかった。
そんなことを乙川さんに言っても、また恐縮するだけだろう。もしくは、僕に仕えることが好きなことなのだと言うだけだろう。
そんなことあるはずもないのに。
「陽太郎さま・・・」
気が付くと、乙川さんがこちらを心配そうに見ている。
僕は気を取り直して、
「いや、なんでもない」
と言って、「そういえば、もう夜も遅いね。時間は大丈夫なの?」と続けた。さすがに帰る時間なのではないかと思ったのである。
ところが乙川さんは、「そうですね・・・」と顎に指をあてて、「そろそろ、荷物を運ばないと・・・」と不穏なことを言っている。
僕はさすがに聞き流せないことだと思って、「荷物って・・・?」と訊いた。
すると彼女は、「はい!今日からお世話になります」と快活な声で言うのである。
僕は信じられない思いになったけれど、「不束者ではありますが・・・」とどこかできいたような口上を述べる彼女の声を聞きながら、この子は案外打たれ強いのかもしれないなとぼんやり思った。




