03.魔法使い
夏も終わりに近づいたある日、王家主催の舞踏会の招待状が私に届いた。
第一王子であるレンドール様の、婚約者を決める大事な舞踏会なのだそう。
レンドール様はもう十八歳。婚約者を決めなければいけない時期なんだ。
この国の貴族で婚約者のいない十五歳から十八歳までの独身女性全員に、招待状が出されているらしい。
私も庶民聖女とはいえ、聖女になった時に騎士爵と同じ位をもらっているので招待状が来た。
でもこんなのはきっと、形だけだろう。婚約者はもうすでに内定しているに違いない。
どんな人がレンドール様の婚約者になるんだろう。
ニコレット様かもしれないなと私は思った。
家柄的にも外見的にも不足なく、この国の聖女という存在。
他には考えられない。
ニコレット様がレンドール様の隣に立つ姿なんて、見たくもない。
けど……行かないわけないはいかないんだろうな。
これは、国の命令だから。嫌だから行きたくないなんて理由は成り立たない。
自室でため息を吐いていると、チチチッとセラフィーナが入ってきた。
《どうしたの、ヴェシィ。ため息なんか吐いて。あら、それなんのお手紙?》
「舞踏会の招待状よ……レン様の婚約者を決めるためのね」
《舞踏会! 素敵ね!》
「……そうね」
《その割には、嬉しそうじゃないのね》
「私には服も靴もないわ。行ったところできっと門前払いね」
《行きたくないの?》
セラフィーナに問われて、私は黙ってしまった。
私は行きたくないはずなのに。行ったところで惨めになるのはわかっているから。
なのに心は、ありもしない僅かな可能性に賭けてしまっている。
だから招待状をもらっていても門前払いされることにショックを受けているんだと気づき、喉から嗚咽が漏れそうになった。
《行きたいのね?》
ぐしっと涙を拭きながらこくんと頷くと、セラフィーナはバサッと飛び上がった。
《大丈夫よ、きっと行けるわ》
そう言って、セラフィーナは窓の外へと出ていってしまった。
残された私の前に、二匹の白いネズミがやってきて私に話しかけてくれる。
《ドレスがないといけないのかー?》
「そうよ」
《買えばいいだろー!》
「そうね……買えればいいんだけど……」
そんなお金はもとよりない。
わぁっと泣き出してしまった私に、二匹のネズミたちは《泣くなー》《泣くなよー》と慰めてくれていた。
舞踏会当日。
私は汚れの少ない庶民聖女の衣装を身につける。
これが一番ましな格好だけど、ドレスコードに引っかかることは間違いなかった。
「嫌だわ。ドレスコードもわからない虫ケラが、王子殿下の婚約者を選ぶ舞踏会に出席しようとしているなんて」
寮を出る前、相変わらずの見下した目で、ニコレット様が私を侮蔑する。
「自分が選ばれるとでも思っているのかしら」
「図々しいにもほどがありますわね」
「身の程を知らない小蝿ですわ!」
「蠅は蠅らしく、残飯にでもたかっていればよろしいのよ」
ニコレット様の取り巻き令嬢四人組が、次々に言葉を発して笑っている。
悔しいけれど、誰も彼も素晴らしく綺麗に着飾っていた。
美しく華やかなドレス。キラキラ光る宝石類。肌には色気溢れる化粧が施されていて。
私にはなにもない。自分との違いに惨めになるばかりだ。
うふふおほほと令嬢が迎えの馬車に乗り込む中、私は自室へと戻った。
行ったところで会場に入れるわけがない。
入れたとして、レンドール様に恥をかかせてしまうことになりかねない。
私は、行かない方がいいんだわ……
「う……うう、うああああああ!!」
わかっていても、どうにも涙が止まらない。
心に浮かんでくるのは、レンドール様のことばかりで。
少しぶっきらぼうに見えるレンドール様が好きだった。
動物たちに……そして私にも優しく瞳を向けてくれるレンドール様が。
忙しいだろうのに、私が閉じ込められるたびに律儀に助けに来てくれて。
『大丈夫か』と差し出してくれる手は温かくて。
私がレン様と呼ぶたびに、嬉しそうに笑ってくれるそのお顔が──大好きだった。
わかってる。舞踏会に行ったところで、私が選ばれるわけがないってことくらい。
それでも、それでも……
私も美しく着飾って、レンドール様に見てもらいたかった。
綺麗だって一言もらえたなら、レンドール様が誰と結婚しても、私は思い出を胸に生きていけるから。
どれだけ虐げられても、仕事が激務であろうとも、がんばれる。
なのに、そんな小さな夢すら叶えられない──
床に膝をついてぼたぼたと床に涙を落としていると、二匹のネズミがチュウチュウと声を上げて私を慰めてくれた。
《ヴェシィ、泣くなよー》
《もうすぐ来るよ。ほらそこに!》
なにを言っているのだろうかと顔を上げた瞬間、目の前の扉が開かれて誰かが入ってきた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃったわ」
私はぽかんとその人を見上げる。
空色の長い髪に、黒くつぶらな瞳。手には淡い桃色のドレス。
「……誰?!」
知らない人だった。
いきなりこの人は許可もなく入ってきて、なんなの??
「ヴェシィったら、泣いてたの? ほら、ちゃんと拭いて。急いで準備をしましょ」
でもなぜだか安心できる声。
どこかで聞いたことがあるような。
「ほら、素敵なドレスでしょう。レンちゃんがヴェシィのためにってオーダーしてくれたのよ」
「レン様が……」
「ほら、着替えて。私が化粧してあげる」
そう言ったかと思うと、謎の女性は私を着替えさせて宝石で彩り、今までしたことのなかった化粧をしてくれた。
鏡を見せられると、自分じゃないみたいで……
私も他の令嬢にも負けないくらい綺麗になれるんだって思うと、泣けてくる。
「あ、涙はだめよ! せっかく綺麗になったんだから、泣くのは禁止ね」
「ええ、ありがとう。こんなに素敵にしてもらえるなんて……あなた、魔法使いみたいだわ」
「私もヴェシィが綺麗になってくれて嬉しいわ!」
だけど、にっこりと微笑む彼女とは裏腹に、私の心は沈む。
「でも今から歩いて行ってたんじゃ、間に合わないわ……残念だけど」
「大丈夫よ」
「大丈夫って……この子たちを馬にでも変えてくれるの?」
私は足元で《綺麗だぜ、ヴェシィ!》《馬にだってなんだってなるよ!》と騒いでいる二匹のネズミを見た。
「残念ながら、私にそんな力はないの。でも外を見て」
「え?」
言われるがまま外を見ると、そこには立派な馬車が一台止まっている。
「これもレンちゃんが用意してくれたのよ。さあ、急いで乗って」
全部、レンドール様が。
その気遣いが、私の胸を、光いっぱい吸い込んだように暖かくしてくれる。
《行ってこいー、ヴェシィ!》
《がんばってー!》
「うん、行ってくる!」
急いでドアを開けようとして、お礼を言っていなかったと振り返る。
「ありが……」
だけど、振り向いたそこには誰もいなかった。
微かにパサパサッという、鳥の羽の音だけを残して。
「ありがとう、セラフィーナ……」
私はその言葉を置いて外に出ると、馬車へと乗り込んだ。