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―― 第七話 ネコ ――

 抜けるような青空の下で、トノの家の庭ではまた新たな電気工事が始まっていた。


 今回は桜の木の横にある灯籠型スピーカーのさらに横に、街路灯のような外灯を設置している。脚立の上で作業する電気屋の青年をトノが見上げていると、髭面の大男がビニール袋を下げてやって来た。



「おう、注文のタコ焼き持って来たぜ」


「あ、いつもわざわざ届けてもらってすみません」


「許さん、今度飲みに付き合え」


「丁重にお断りします。あなたに付き合うと長すぎる」


 タコ焼き屋の名前は、路傍埼ろぼうざき 一石かずし

かつてトノと一緒にバンドをやっていた人物で、愛称は「ロボ」。

中学からの元同級生だ。

近所に住んでいるためタコ焼きの配達をやってくれるのだが、ボティビルダーのような体格しているくせに絡み酒に近い泣き上戸だったりする。



「しかし最近連日のように工事やってるが、今回は何なんだ?」


「夜間の視界が悪いので電灯を点けようと思いまして……」


「あぁ、例の兄妹が来た時、言ってたヤツか」

少し前に母子家庭の兄妹がやって来たのだが、夜で光量が足りずカメラにはっきり映らなかったのだ。



「ちょっと休憩にしましょう」

脚立の上の電気屋の青年を見上げながらトノが言った。この電気屋は近くの商店街に店舗があり、桜の木の周りの音響システムや防犯カメラの設置等もやっている馴染みの店だ。



 ベンチに座って、桜の木を見ながらトノと電気屋が食べ始めた。ロボも「昼休憩だ」とか言いながら、昼間から缶ビールを飲み始めている。


「なんだかものすごいことになっちゃってますね……」

電気屋の青年が少し唖然とした顔で言った。


「なんだあのしめ縄は?」

ロボも呆れたように言った。


 元々人形やぬいぐるみが飾られていた桜の木だが、今はさらに数が増え、お供え物やお賽銭やしめ縄まで張られている。


「あのしめ縄は近所のお婆さんが勝手に巻いて行ったんですが……。お孫さんの悩みを解決してくれたお礼で自作したとかで……。一応お賽銭は纏めて近所の神社のお賽銭箱に入れてます」


「お、おう……、もう完全なご神木状態だな」


「そう言えば、あの兄妹は最近どうなんですか?」


「毎晩オレの屋台に来て、元気にタコ焼き食ってンぞw」


「あの子たちが食べた代金は以前のように私が払いますから、請求してください」


「いらねぇよ、しょおもない事言うな。あいつら店の前でタコヤキ食わせると売り上げが上がるンだ。実に美味そうに食うからな。金のことは気にするんじゃねぇ」


「そうなんですよね、食べる姿がハムスターみたいでカワイイとか評判で、今ではウチの商店街のアイドルみたいになってますからねぇ」

あの兄妹、なんとか地域に馴染んでいるようだ。



「あぁそうだ、例の下着ドロですが、他に万引きとかも常習犯だったようで商店街の会長がお礼したいと言ってましたよ」


 電気屋の青年が言っているのは、先日朝平(あさひら)胡桃くるみがお願いしてきた件だ。


 家で干してた下着がよく盗まれるため、困った彼女が桜の木に『私の家のベランダはここから見えます、どうか犯人の人を、もう盗らないようにって叱ってください』とお願いしてきたのだ。


 そこで超望遠の防犯カメラを新設して犯人を特定したのだが、どうやら余罪がたくさんあったらしい。


「いや、お気遣いなく、とお伝えください」

そう言って笑うトノだったが、内心ではかなり困惑していた。軽い気持ちで設置した音響設備や防犯カメラが、予想外の効果を生み出していたからだ。



「それにしてもこの庭の設備、ホントにいろいろ増えましたねぇ」


「最初はただ庭で音楽を聴きたいだけだったのに、こんなことになるとは……、なんとも不思議な……」


 3人は、なんとなく桜の木を見上げた。


 しめ縄や人形で飾られた木は、何かを語っているように風になびいてザザザと音を立てていた。




 その日の夜、トノは室内のモニター群の前に座り、コーヒーを飲んでいた。この部屋も以前と大きく変わっている。


 元はトノが作曲するときに使っていた作業部屋なのだが、今では桜の木の周りにある監視カメラの映像を映すモニターがいくつも並び、ちょっとした企業のコンピュータールームのようになっていた。



「全方位センサーに超望遠カメラにマイク……。確かに庭にこんなのそろえてる一般家庭なんて、まずないでしょうねぇ」

苦笑いしながら呟くトノ。



 その時「ピーピー」と警告音が鳴り響いた。


「こんな時間にセンサー反応ですか……。また酔った方が迷って来たのでしょうか……」

一見すると高台にある公園にも見えるトノの家の庭は、よく人が迷い込んでくるのだ。



「おや? 今夜のお客さんは、いつもと違うようですね……」

モニターに写った侵入者の映像は、どう見ても人ではなかった。


「仔猫?」

モニターを操作しズームしてみると、ガリガリに痩せ、毛はボロボロで泥だらけの仔猫だった。


 後ろ足を引きずりながら、なんとか桜の木の根元まで歩いた仔猫は、そのまま倒れ込んで動かなくなった。


 トノは反射的に走り出した。




「生後すぐに親猫が死ぬか、はぐれてしまったようで、極度の栄養失調です。仔猫の血管確保は無理なので、皮下点滴で輸液補給しているのですが、厳しい状態ですね。今夜が峠だと思われます」

動物病院でトノは残酷な現実を聞かされた。


「もし生き延びたとしても、おそらく下半身にマヒが残り、最悪このまま一生歩けないかもしれません……。安楽死も考慮されておいてください」

トノは仔猫を絶望した目で見つめた。



「小さな侵入者君……、出会ったばかりなのに、もう私を残して行っちゃうのかい?」


 この時トノの脳裏に、遠い昔のヒメや娘の顔が浮かんで来た。



「そうだ……、生きるとは、残されること……」


「長く生きれば生きるほど、たくさんの別れがある……」


「私はずっと残されてきた……」



いとしい家族を作ることは、それを失う哀しみと恐れを背負うこと」


「こんなに苦しむくらいなら、もう家族など……」



 その時、ヒューヒューと苦しそうな呼吸をしていた仔猫が、目を開けた。そして点滴のチューブを付けたまま、懸命に立ち上がろうとする。



 仔猫とトノの目が合った。



 強い目だった。


 理屈などではなく、ただ生きることに全力な目だ。


 トノには眩しすぎる瞳だ。





 仔猫は生き延びた。



 後ろ足は動かなかったが、元気に這い回るようになっていた。




「ふふ……、私がこんな寂しがり屋だったなんて、自分で驚いてしまったよ」

桜の木の前のベンチに座ったトノは、仔猫を膝に乗せ呟いた。


 仔猫の後ろ足は明らかに曲がり引きずっているが、モフモフの毛並みですごく元気だ。



「ん……」

トノは子猫を抱き上げ、桜を見上げた。


「桜くん、私の新しい家族を紹介するよ」


 その時風が吹き、桜が枝を揺らしザザザザと音を立てた。


 その音は、喜んでいるかのようにも、悲しんでいるかのようにも聞こえた。



「あ……、ひょっとして……」

トノは不思議なことを考えた。



「君は……、私なんぞよりずっと前からここにいて……、どれだけのモノを見て、どれだけのモノと別れ、残されてきたんだい……?」



挿絵(By みてみん)

コミカライズ版

https://www.pixiv.net/artworks/77693149#1

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