―― 第五話 コンサートやりたいの! ――
高台にあるトノの家へ行くには、急な階段を歩いて上がる道と、だらだらと続く長い上り坂が続く舗装道路が何本かある。
まだ街が朝もやに包まれている頃、その舗装道路を1台の自転車が走っていた。中学生のメガネの男子が息を弾ませながらペダルを漕いでいるのだが、なんと後に同級生と思しき女子を乗せて二人乗りをしている。
「ぅおおォ、りぃぃぃ、ろおぉォ!」
上り坂で必死にペダルを踏む男子が叫んでいる。どうやらラブラブカップルが仲良く乗っている訳ではないようだ。
男子の名前は、上江 貢。
近くにある南原中学の二年生だ。
女子の名前は、春日 鈴美。
二人は同級生で、小学校時代からの幼なじみでもある。
「豚! もう少しよ、漢を見せなさい!」
「豚、言うぅぅ、なぁああぁ!」
豚は、春日が付けた上江のあだ名だ。今は標準的な体型だが、以前かなり太っていたのだ。そしてそのダイエットと称して、春日は毎日待ち伏せして上江の自転車に飛び乗って学校まで運んでもらっている。ただ今日はいつもとコースが違っていた。
「あった! ここよ!」
「ハァッハァッ、ハァッ……、豚、言うな、ゆーのが、分か、らんか、ハァッ……」
文句を言う上江を無視して、どんどん歩いて行く春日。
「ここが……、噂のパワースポット……」
二人の目的地は、やはりトノの家の桜の木だったようだ。
上江は疲れ果てた様子で桜の前のベンチに座り込んでしまった。メガネがズレている。春日の方は枝に置かれた人形たちを不思議そうに見たり、あちこち観察している。
「このベンチの前で桜の木に願い事を言えば、信じられないような奇跡が起きるって噂、知ってるでしょ」
「桜の神様、お願いです、遅刻しませんよーに」
「!! しょーもナイ願い言うな!」
「しょーもなくない! 遅刻のマイナス評価は僕らには痛い」
「桜さん! 今の無効よ!!」
なんだろう……、バカップルというより、夫婦漫才を見ているようだ。
「はぁ……、桜の木の神様なんて、本当に信じてるんですか? 春日さんらしくない……」
「別に……、どーせダメ元だし、けど万が一ってこともあるし、上手く行ったらめっけものじゃない」
どうやら桜の神様に頼みたいことがあるようだが……。
「そんなこと言ってると祟られますよ……」
「大丈夫よ、今いろいろ観察してみたけど、尊敬とか畏怖とかゼンゼン感じないし、本当に神がいたとしても問題無いわ」
「……本当に神様がいたとして、こんな態度の悪いヤツが助け求めても助ける気にならないんじゃ……」
「と・に・か・く! 変な夢を見たり怪しい声が聞こえたりとか、不思議な事が起きるって噂が本当なら、やってみる価値はあるわ!」
「なんかさぁ、学校七不思議とかのよくある都市伝説っぽい……」
「うるさい! とにかくお願いするわよ!」
「…………」
唯我独尊というか猪突猛進というか……、なんとも変わった娘さんのようだ。
「えぇと……、ううううぅぅぅん、桜さん……、なんて言うか……」
春日は真剣な顔をして一生懸命お祈りを始めたが、上江はどこ吹く風だ。
「私たち総合音楽部なんだけどぉ……、ネット放送とかじゃなく、学校で生のコンサートやりたくてオリジナル曲をいっぱい作ったの……。でもガンコな教頭がいて、許可してくんないのよ! あの石頭をなんとかして! お願い……、お願い……、お願い!!」
それにしてもこの春日という女の子、意外に真面目なのだろうか、熱心にお祈りしている。
「平和だねェ……」
朝もやが晴れ、トンビがゆっくり飛ぶ青空を見ながら上江が言った。
「がっ!」
次の瞬間、上江は春日に投げ飛ばされ、頭を地面に押さえつけられる。
「拝・み・な・さ・い! 生贄にされたい?」
良い笑顔で言う春日。上江は押さえられながらも春日を見上げ「白か……」と聞こえないように呟いた。
「もぉ遅刻かな……」
「うっ!」
確かにもう良い時間だ。
「なんの!」
春日は飛び起きると、自転車めがけて走り出した。
「学校まではアタシが漕いであげるわよ! ありがとうは?」
「まて、まて! ここから学校まではずっと下りだろが!!」
なんとも賑やかな二人が去っていった後、トノはパソコンの前でしばらく考え込んだ。
上江や春日が通う南原中学の職員室は、今日も異様な緊張感に包まれている。
その原因は教頭先生だ。顔に大きな傷がいくつも有り、ヤクザ関係者と言われても否定出来ないような迫力があった。
今も書類を提出した新任教師の足が緊張で震えている。
「ふむ……、まぁいいでしょう」
「あ、有難うございます」
心底ほっとした顔の新任教師が席に戻った時、教頭先生のスマホが鳴った。
「私だが……」
見慣れない番号だったため少し警戒しつつ応答する教頭先生だったが……
「ウ! あああその節は! お嬢様の件では大変な御心労を……」
突然立ち上がると、その場で頭を下げ始めた。周りの教師たちがきょとんとしている。
「ハイ……、ィいえ……、…………、え? はぁ…………」
夕暮れとなり遠山が霞む頃、またも二人乗りの自転車がトノの家に……、いや庭の桜の木のところにやって来た。
今朝と同じく、上江は急な上り坂に息も絶え絶えとなっている。春日はそんな上江を残して、桜の木のそばに行くと、真剣な顔で見上げた。
「桜さん! ありえないんだけど! 朝にお願いしたコンサートがもうOKになったわ! あなたがやったの!?」
数時間前、春日や上江たち総合音楽部のメンバー5人は、突然教頭先生に音楽室に集合するよう言われたのだ。
緊張する春日たちの前に現れた教頭先生は、顔の傷もあり魔王のような迫力があった。
「コンサートをやりたいとの事だが……、くだらん演奏に学校の施設を使わせることは出来ません……」
「くだらないですって?! あたしたちの演奏を聴きもしないで!!」
「ふ……、では、キミたちの演奏がくだらないモノでない事を、ここで証明して見せたまえ!」
そう言うと、教頭先生は近くの椅子にどっかりと座った。
「え……、えええ?!」
驚いた春日たちだったが、急遽準備すると最も得意な曲を演奏し始めた。じっと見つめる教頭先生からのプレッシャーは凄まじいものだった。
春日たちは、正直どうせ文句言って却下するんだろうと考えていたのだが……、結果は信じられないほどあっさりと体育館でのコンサートが許可された。
「桜さん! おかしいでしょ! あれだけ何度申請してもボツになってたのに!」
「教頭先生が……ハァッ、音楽室に現れた時は……ハァッ、廃部勧告かと思いましたね……ハァッ」
「それが、こんなにすんなり許可されるなんて、馬の耳に念仏でしょ!」
「……寝耳に水……ハァ……」
この最後のハァは、息が切れているのか、ため息なのか。
「ハァ……、教頭先生って、元は音楽教師だったんですかね……。楽器演奏のこと、ヤケに詳しかったけど……。ギター初心者がミスしやすいコードの練習方法とか教えてくれましたからねぇ」
「…………誰なのよ、あの子って!」
「え?」
「豚、聞いてなかったの?! アタシ達の演奏聴いた直後に教頭は
『やはり……、あの子の足元にも……、いや……、熱意は分かった。体育館の使用を許可しよう』
って言ったの!」
「まぁ許可されたんだから良かったじゃないですか……、あと豚、言うな!」
「あんたムカつかないの? 何よ、足元にもって……。イラつく……」
そう言うと、さらに桜の木に近づいた。
「桜さん、あなたもそう思うでしょ?」
桜の木をしばらく見つめる春日。
「………………ふン。やっぱり教頭の心変わりはただの偶然ね。何も聞こえてこないわ!」
仁王立ち状態で上江の方に振り返る春日。
『ったりめーだ! 桜が喋る訳ねーだろこの真性中二病女!』
と叫びたい上江だったが、もちろんそんな恐ろしいことを出来るはずがない。
「あれっ……? 春日さん、豚君……、ここで何を?」
そんな二人に突然声が掛けられた。
「え……? 胡桃ちゃんじゃない。あなたこそこんな所でどうしたの?」
彼女の名前は、朝平 胡桃。
春日や上江の同級生であり総合音楽部のメンバーだ。
そして優しい性格と中学生と思えない巨大な胸部とスタイルの良さにより、南原中学の男子生徒たちに絶大な人気がある。
ちなみに今、上江は自分の名前ではなく、豚というあだ名で呼ばれたことにショックを受けていた。
「あ……、あたしは……、桜の神様にお礼を……と」
「?」
よく見れば、彼女は手にお菓子とお人形を持っている。
「お礼って何の?」
「ええ~とぉ……、そのぉ~~~~」
困った顔の朝平。
「あ! あぁ!! そぉ言えばぁ!!」
突然春日が悪い顔をして大声を出した。
「最近、家で干してた下着がよく盗まれるって言ってたけどー! その関係?!」
「ちょっ! 何で大声で言うんですかぁぁぁ?」
「なんでも盗まれたパンティってTバックで大事な所に蝶々の刺繍がされたゴージャスな勝負下着で彼氏との決戦に備えた貴重なモノで三日三晩泣き崩れてたとか!」
「……え?」
「きゃあぁ! ウソよ! やめてえぇぇぇ!!」
「ふっ……、豚、アンタ今……、エロいこと想像したわね」
「え?」
「昔からそう、アタシがちょっとそれっぽいこと言ったら、すぐ鼻の下伸ばして。サイテーね」
そう言うと、いきなり上江を押さえつける春日。
「ええええ? これ僕が悪いんです?」
どうやら上江が朝平を見る目が気に入らず、八つ当たりしているようだ。
どうしよう……、本気で春日と上江の会話が、鈍感系主人公のラノベか夫婦どつき漫才にしか見えなくなってきた。
桜の木にお礼のお供えをした後、朝平と春日は街へと続く長い階段を降りていた。ちなみに上江は自転車を担いで少し遅れて歩いている。
「それでね、先週桜の神様に『私の家のベランダはここから見えます、どうか犯人の人を、もう盗らないようにって叱ってください』ってお願いしたの」
「ふ~ん……」
「そしたら今日、犯人が捕まったって連絡があって……」
「まぁ……、偶然ってあるわよね……」
「私、桜の神様が犯人を見つけてくれたとしか思えなくって……」
その時、三人はなんとなく後ろを振り向いた。不思議な視線のようなものを感じた気がした。
しかし後ろには誰も居らず、遠く桜の木があるだけだった。
「『桜』の語源って知ってます?」
上江が呟いた。
「知らない……、どんなの?」
「所説あるんですが……
古代日本で山の神様を祀る『サ神信仰』というのがあり、
当時は神様の御住まいを『クラ』と呼んでいて……、
だからその山の神様が住む木を『サクラ』と
呼んでいたんだそうです……」
「ふっ……、何を語ってンのよ! 知的路線で名誉挽回とかしたいの?」
「ちっ、違います!」
「あんたはエロ豚で決まりなの! そんなことより教頭に一番、演奏チェックされてたのアンタなんだから! 明日から特訓よ!」
「テメェ!」
「こなせなきゃ猛特訓よ!」
「や~~だ~~ね~~」
「朝、フトモモ見たわね?」
「ぐ……」(もっと見えた言うと死ぬな……)
「ま、悪いよーにはしないわキミィ♪」
また漫才を始めた二人を見ながら朝平は、仲が良いなぁ……と少し羨ましく思った。
コミカライズ版
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