―― 第三話 タコヤキ好きか? ――
晩春となり、日がゆっくりと落ち始めた頃、トノは家のパソコンのモニター越しに桜を眺めながら、頭を抱えていた。
トノの家の庭にある桜の木は、様子が以前と大きく変わっていた。そこら中にぬいぐるみや人形が飾ってあるのだ。
最初はよく来る理利という小学生の女の子が持ってきた「くーちゃん」というクマのぬいぐるみだけだった。それが今では多種多様な人形たちに埋め尽くされている。
実は先日うっかりマイクを切り忘れて、誰もいないのに人の声がすると近所でうわさになってしまい、さらに理利の「ここには桜の神様がいるから、寂しくないようにくーちゃんを置いてるの」という言葉で、この木が完全に心霊スポットとして有名になってしまったのだ。
そのため日本人形からアニメやゲームの美少女フィギュアに至るまで近所の人たちが持って来て飾っている。トノとしてはもう頭を抱えるしかなかった。
そして今夜はさらにトノを悩ませる出来事が起こっていた。
もう夜7時を過ぎたというのに、桜の前のベンチに子供が二人、座っている。小学4年生くらいの男の子と、1年生くらいの女の子だ。時間的に普通なら、絶対家に帰っていなければならない年齢だ。しかし二人は動こうとしない。
「お兄ちゃん……」
「んン?」
「おなかすいた」
「ん~~~~……、学校で入れてきた水ならあるよ」
男の子がカバンをしばらく漁っていたが、食べられる物が無かったようだ。水の入ったペットボトルを女の子に手渡す。
どうにもこの兄妹、少し痩せ過ぎている。特に兄が深刻だった。
「ねぇ……、なんでここ、いろいろなお人形がおいてあるの?」
水を飲みながら、女の子が桜の木を見上げて呟いた。
「木の神さんが寂しくないようにって置いてあるんだって聞いたけど」
「ここ、かみさまいるんだ……」
女の子は立ち上がると、手を合わせ目を閉じて、真剣に拝み始めた。
「かみさま……、あたしおなかがと~ってもすいています……、なにかたべものください……」
「ママは9時にお仕事から帰るから、もう少しだよ……」
二人の会話を聞いていたトノは、しばらく悩んだ後どこかに電話をし始めた。
「あっ!」
目を開けた女の子が叫んだ。
「コッポンみっけ!」
「え? マジ?」
桜の木の横に、コッポン(イタドリ)が生えていた。生でも食べることが出来る野草だ。まぁ衛生面を考慮すれば生食はしない方が良いのだが……
「すっぱ~❤」
「うおー、いっぱいあるー!」
二人は大喜びしながら食べ始めた。
「宿題やんなくちゃなぁ……」
しゃくしゃくと音を立てて食べながら、男の子がため息交じりに呟いた。
もう周りは真っ暗だ。二人は石灯籠の明かりを頼りに宿題をやり始めた。
「やっぱりくらいよ、にいちゃん」
「う~ん……」
さすがに暗すぎたようだ。
その時、石灯籠の光が大きくなった。
「あれ?」
「なんか明るくなった?」
気の所為などではない、まるで昼間のようだ。むろんこれはトノがやったことだ。これで宿題も進むだろう。
「うっわ、何だ!」
二人が宿題を再開してしばらく経ったとき、突然大声が響いた。
「今日はヤケに明るいな……」
髭面の大男だ。年齢は60代くらいだろうか。厳つい顔にボティビルダーのような筋肉をしていた。兄妹は驚くというより呆然となってしまっていた。
「お前ら、そんなところで何やってんだ?」
「え? いや……、宿題……です」
かろうじて返事をした男の子は、妹を庇うように後ろに隠した。
「あぁ、そう……じゃなくて……、何で子供がこんな時間に石灯籠の明かり頼りに宿題やってるんだィ?」
今にも襲いかかって来そうな外見だが、言葉は意外に優しかった。
「つまり何だァ……、親は?」
しかし、ギロリと睨みながら話す姿は、やはり怖いものがあった。
「追い出されたのか?」
「ち、違います!」
慌てて否定する男の子。
「……まァいいか」
そう言うと、ベンチにどっかりと座り込む大男。
石灯籠の前の兄妹は、どうしたら良いのか分からず固まっている。
「ところでお前ら、タコヤキぁ好きか?」
「「はへ?」」
兄妹は意味が理解出来ず、変な声を出してしまった。
「タコヤキ好きかって聞いてんだ、どうなんだ?」
突然現れた大男というインパクトが強すぎて今まで気が付かなかったが、大男は手にビニール袋を持っており、その中から美味しそうな匂いがしていた。間違いなくタコヤキだ!
「はぁ……、好き、ですけど……」
「!!」
警戒しながら返事をする兄だったが、妹の方は期待に目を輝かせている。
「おう、そうか。オレぁタコヤキの屋台やってるんだがよ、作りすぎて余らしちまったんだ。晩飯がわりにここで食べようと持って来たんだが、やっぱ多いワ。手伝ってくんねェか?」
「!!!」
この匂いはもう暴力だ。タコヤキとか、何ヶ月ぶりだろう。
「ありがとうございます。でも……、いただけないです」
「!……」
兄が笑顔で答えた。その瞬間、妹は表情を無くした。
そうだった、兄はそういう人だった。近所のおばさんがお菓子をくれそうだった時もすべて断っていた。変な意地とプライドの塊なのだ。これは母親の所為だった。いろんな人に騙された母親が、誰も信用しないようにと教えた悲しい結果なのだ。
「知らない人にモノ貰っちゃダメって言われたか? まぁ悪い大人もいるしなぁ……」
「いえ…………」
兄が顔を背けながら大男に答えたが、これは大男から目をそらしたのではなく、恐ろしい顔で睨みつける妹が怖かったからかもしれない。
「そーかー……、手伝ってもらえねーかー……」
そういうと大男は包みを開け、美味しそうにタコヤキを食べ始めた。この美味しそうな匂いはもう暴力だ。
「ん~~~~? 最近のガキは難しい事習ってやがんなぁ……」
さらにこの大男、もぐもぐと美味しそうに食べながら、兄妹がやっていた宿題を見始めた。当然兄妹の眼の前にタコヤキが来ることとなった。兄の腕を掴んでいた妹の力が強くなる。
「あぁうめぇ、でもお前らが食わねぇんじゃ、残りは捨てるしかねぇか。もったいねぇな~もったいねぇ」
そう言うと、大男は兄妹に背を向けて歩き始めた。
「モッタイネェ……」
「イタイイタイイタイ……」
妹が呻くような声を出した。兄の腕をギリギリと音がするほど握りしめている。
「す~て~る~な~!」
「あっ!」
突然妹が大男を追いかけて走り始めた。
「おぉ?!」
大男が大げさな声を出した。
「モッタイネェー!!」
「うわァもったいないおばけでたー」
大男が野太い悲鳴を上げ、幼女に追いかけられるというシュールにも程がある光景だ。
「ボーズ、助けてくれ! おぢさんはもったいないおばけこわい!」
呆然としていた兄の所に走ってきた大男は、持っていたタコヤキの包みを押し付けると走り去った。
おもわず受け取ってしまった兄の所に、妹がハーハーと息を弾ませながら走り寄ってきた。
「?」
妹は、タコヤキの包みを持ったまま固まっている兄を不思議そうに眺めた。良い匂いが漂っている。
「うぅ……、苦しい……」
胃を押さえる兄。
「ごめん、おにいちゃん……」
「え?」
「おにいちゃん、いっつもおかずくれるから……。あたしよりくるしいよね……」
泣きそうな妹。
『夕美を……、妹を頼むぞ……』
兄はその顔を見たとき、病気で死ぬ直前の父親の言葉を思い出した。
「おじさん!!」
「おぉ?」
「いただきます!!」
「おォ、喰え喰え!」
突然呼ばれて驚いた大男だったが、すぐに笑顔で応えた。
兄妹が食べたタコヤキは、これまで食べたどのタコヤキよりも美味しかった。
「そぉかァ、親父さんが亡くなって、ママさんが一人で頑張っているのか……」
大男が兄妹と一緒にベンチに座り、話を聞き始めた。
「しかしこんな時間にガ……、小学生が外ォうろついてるのは感心しねぇな」
「だって家にいたら、電気代とかいろいろ掛かっちゃうし……。それにママは9時にはお仕事から帰るから……」
聞けば、トイレも近くの公園で済ませているらしい。
「うーん、ならとりあえず、この時間になったらオレの屋台に来い」
「え? またタコヤキたべさせてくれるの?!」
「こら、夕美!」
「ボーズ、まぁ硬く考えるな。作って時間が経った売れ残りは自分で喰うか処分するしかねぇ。捨てるくらいなら、誰かに喰ってもらいてぇんだ。だが秘密にたのむぜ。世の中にゃタダと聞いたらタカって来るめんどくせぇのが居やがるからよ……」
大男と兄が指切りするのを妹が笑顔で見ていた。
「よっしゃ! それじゃあ今からオレの屋台に案内してやるからついて来い!」
「あ! あの……、タコヤキすんげぇ美味しかったです! ありがとうございました!」
「そかぁ~! よっシャ~!!」
ガッツポーズを決める大男。
その時、家のパソコンの前でトノも同じガッツポーズを決めていた。
この大男はトノの中学時代からの親友で、そもそも彼を呼んだのがトノだ。
「よろしくお願いしますね」
兄妹を案内して歩く大男を見ながら呟いた。
「明日から行くところが無い時は、いつでも来な」
胸を張って言う大男。
「おじさん、宿題で分からない所あるんだけど、見てもらえませんか?」
「!!!!!」
……会心の一撃だ。
「………………それはダメ!」
「え? なんで?」
「なんでも……」
「おにいちゃん、ひとにたよっちゃだめだめ~」
「偉いぞ妹ちゃん!」
大男の学生時代の成績を思い出し、吹き出してしまったトノ。
締まらない大男と兄妹の後ろ姿は、まるで仲の良い親子連れのようだった。
コミカライズ版
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