―― 第二十一話 あの娘は ――
穏やかだがすっきりしない曇天の午後、お洒落な女性向け喫茶店にデーモンが居た。
テーブルを挟んで二人の女性と向き合っている。
新進気鋭の中国の演奏家、桃花とそのマネージャーの40代の女性だ。
「桃花さん、それにマネージャーの李さん、本日はお忙しい中、お時間を取って頂き、まことにありがとうございます」
デーモンが満面の笑顔で挨拶するが、桃花は無表情で、マネージャーも完全な社交辞令顔だ。まぁこれはデーモンの笑顔があまりにも胡散臭いせいだが。
「今日はよろしくお願いします。桃花は日本語がわからないので、私が通訳いたします」
李が作り笑顔を浮かべながら答えた。
(この人、どういう人なのかしら……、日本公演でお世話になったプロデューサーが絶対逆らうなと真剣な顔で言ってたけど)
李が怪しむのも当然で、今回のインタビューは日本公演で力添えしてくれた人に懇願されて、突然セッティングされたものなのだ。
「私、桃花さんの演奏を聞いて感激いたしました。あれこそまさに芸術! 天才の演奏としか言えません! 本日はファンのひとりとしてお会いできて光栄です」
『桃花、この人あなたのファンだって言ってるけど、本気にしない方がいいわ、怪しすぎよ』
中国語で桃花に語り掛ける李。
(俺が中国語を喋れること知らないから、好き勝手言ってるなw)
表情を崩さず苦笑いするデーモン。
「………………」
「ごめんなさいね、桃花は言葉がうまく喋れないの」
まるで反応しない桃花を見ながら李が謝った。
「はい、伺っております。なんでも子供の頃にショックな出来事があって記憶喪失になってしまったとか」
「……よくご存知ですね」
「はい、ファンなので調べました」
(……ストーカー?)
デーモンの怪しげな笑顔にちょっと引く李。
「まずは食事を楽しみましょう。この店のサンドイッチは絶妙で、特にこのピーナッツバターを使ったのが最強なんです」
その時、桃花がピクッと反応し表情に変化があった。李は気が付かなかったがデーモンは見逃さなかった。
「それにここのバナナジュースも最高なんですよ」
また桃花がピクッと反応した。それを確認したデーモンはまるで悲しそうにも見える複雑な顔をしていた。
それから食事をして雑談となったが、桃花は無反応なため必然的に李とデーモンとの会話ばかりとなった。
「それでは李さんが桃花さんを見つけたのは、まったくの偶然だったのですか」
「はい、私もある程度楽器が使えるので、たまに地元の障がい者の施設を慰問していました。そこで私がフルート演奏をしていると、突然彼女が立ち上がり近づいてきて、フルートに手を伸ばしてきたんです。すごく真剣な目だったので渡してみたら、その場ですごい演奏始めたんです」
「それは……すごいですね、桃花さんはどんな障がいを?」
「子供の頃にひどい事故にあって、記憶がなくなり言葉もほとんど喋れません」
「それであれだけの演奏が出来るとは……」
「ええ、彼女は本当の天才なのでしょう」
「素晴らしいですね」
そんな取り留めのない話が続いて、李の困惑がさらに深まっていく。
「いやぁ楽しい時間を過ごすことが出来ました、感謝致します」
「満足して頂けたなら良かったです」
(なんなのこの人、結局雑談しただけ?)
笑顔で握手してくるデーモンの行動は、李には理解出来ないものだった。
そうしてみんなが立ち上がりかけたところでデーモンが突然言った。
「おや、桃花さん、耳のところに何か付いて……、あ、アザですか、失礼。珍しいな、まるで桜の花びらみたいだ」
その言葉を聞いたとたん、桃花は完全にビクッとなり固まった。
「ん……!」
そして次の瞬間、頭を押さえてうずくまる。
『どうしたの?! また頭痛?』
李が中国語で叫んだ。
「大変だ、すぐに病院へ!」
「いえ、薬があるので大丈夫です」
李が手早く薬を取り出して飲ませる。どうやらこういう発作がよくあるようだ。
「今日はこれで失礼してよろしいですか?」
しばらくして桃花が落ち着いたのを見て、李が言った。
「はい、本日はありがとうございました」
桃花と李が帰った後、残されたデーモンはしばらくその場を動かず考え込んだ。なぜかその視線は桃花の飲んでいたコップに向けられている。外は雨が降り始めていた。
夕方から降り始めた雨は、夜には台風のような土砂降りとなっていた。
さすがにこの雨では神霊桜の所に来る人はいないだろうと、トノがのんびりと寛いでいる時、モニタールームに侵入者を知らせる警告音が鳴り響いた。
「誰だ、こんな天気のこんな時間に!」
トノが慌ててモニターを確認すると、そこには見知った人物が映っていた。
「デーモン?」
デーモンが傘も刺さず、びしょ濡れで立っている。
あわてて応接室に招き入れタオルを渡したが、明らかに普通ではない。
「いったいどうしたんだ? 何があった?」
「……トノ、何も聞かずにさくらちゃんの部屋へ入れてくれ。さくらちゃんが亡くなってから、あの部屋を封印して誰も入れなくしてるのは知ってる。だが、大事なことなんだ」
そう言うデーモンの顔は真剣そのものだ。いつもの世の中すべてを俯瞰から見ているような態度がまったくない。
「……分かった」
通常と違うデーモンの振る舞いに、トノはとりあえず疑問を口にせず従うことにした。
二階にあるさくらの部屋の前に来たトノとデーモン。
デーモンがドアを少し開けて中を見ると、綺麗に整頓されたベッドと机と本棚があり、ぬいぐるみやポスター等がある。
かわいい絨毯が敷いてあり、一般的な中学生の女の子の部屋っぽいものがほとんどだが、フルートとかの楽器も置いてあった。
ただ窓はカーテンで閉められていて少し埃っぽい。
「すまんがしばらくひとりにしてくれ、理由は後で話す」
白い手袋を取り出しながらデーモンが言った。
「……応接間で待ってる」
トノは何も聞かず、応接室へと歩いて行く。
応接室でしばらく待っていると、手袋を手から外しつつデーモンがやってきた。
テーブルを挟んで向き合って座るふたり。
「……落ち着いて聞いてくれ。いま評判になってる天才フルート演奏家の桃花って知ってるか?」
「いや、最近芸能界は疎くて」
「子供の頃の記憶が無く、言葉もまともに喋れないが楽器の演奏が天才的な女性だ。そして耳の下に……、桜の花びらのようなアザがある」
トノは意味が分からなかった。
「それが……? 何かさくらと関係あるのか? さくらは10年前に死んでいる。遺体も私が確認した」
「あぁ知ってる、だがな……、彼女は中国人で日本語はまったく知らないはずなのに、俺が言った『ピーナッツバター』と『バナナジュース』という言葉に反応した」
これにはトノも反応した。
「『ピーナッツバター』に『バナナジュース』…?」
「あぁ、さくらちゃんの大好物だ」
「……偶然にしか思えん」
突然デーモンがテーブルの上に何か取り出した。
「西急ハンズで買ってきた指紋採取キットだ。今日俺が直に桃花に会い、これで桃花が飲んだコップの指紋を取ってきた。……これがそうだ」
そう言うと、テーブルの上に採取した指紋を置いた。
「そして今、さくらちゃんの部屋にあった楽譜から指紋を取ってきた」
トノはふたつを手に取って見比べた。楽譜から取った方が古いためか少し薄い。
「重ねてみろ」
震える手でふたつの指紋を重ねるトノ。
まったく同じだ。
「なぜこんなことになっているのかまったく分からんが……」
「………………」
「あの娘はさくらちゃんだ」
デーモンの言葉を呆然と聞くトノ。
窓の外を嵐のような雨が打ち付けていた。
コミカライズ版
https://www.pixiv.net/artworks/112542680#1




