そういうの興味ありませんから
本日、あと3話投稿します。
お気をつけください。
東京都――新宿駅の直下に、いわゆるダンジョンが生まれたのはいつなのか。
ダンジョンを探索するシーカーが台頭しはじめたのはなぜだったのか。
それを気にする日本人は、もう日本にはいなかった。
☆
革の防具一式と量産品の短剣に丁寧に油を塗りこむ。
整理を終えた装備たちを足の先から順に付けていく。
軍靴のような茶色のブーツのベルトを止める。腰には探索用ポーチつける。
さらにその上にシーカー用の剣帯を履く。
「……うん」
新宿駅のシーカー用更衣室の姿見の前で最終確認をする。
いつも通り、目にかかったストレートミドルの黒髪。睨むような細い目つき。シャツ越しに、引き締まっているとわかる細身。その立ち姿は一目で新人シーカーだと笑われるだろう。だがそれでいい。それが彼にはちょうどいい。
今日も、西乃明良は新宿ダンジョンに挑む。
新宿ダンジョンにダイブするには地下一階のダンジョン行きの改札を抜けなければいけない。秋良はシーカーライセンスをICタッチにかざして改札を通る。ライセンスはシーカー協会が発行する、ダンジョン探索の許可証である。
ダンジョンが発生して以来、新宿駅には新たに地下二階が開発された。そして地下二階はシーカー専門店が立ち並んでいる。通称”シカ地下”と親しまれ、日々多くのシーカーたちで賑わっている。
明良は雑貨屋で体の損傷を回復させる初級ポーションを買い、腰のポーチに収める。
シカチカを進んでいくと、さらに地下に続く階段と改札が見えた。その上には何かのランキングを示す掲示板があり、一から百までの数字とその横に人の名前が並んでいる。
そこに明良が登録した名はない。
受付の改札にはシーカー協会の役員が立っている。明良は役員の女性にライセンスを見せた。
「目的は発掘と攻略。期限は二日。非帰還時の捜索不要で」
牛丼のトッピングでも注文するような声音で、明良は淡々と伝えた。役員はちらとライセンスに目をやり「かしこまりました。どうぞ、Lv2シーカー《ナナシ》様」と明良を通した。
新宿ダンジョンが現れてから、高いと讃えられていた日本の倫理観は消えた。
ダンジョン特需を維持するために。
人の命を金に換えるために。
法律すら変わってしまった。
ただそんなことは、大多数の日本人にとって些末な問題となった。シーカーがダンジョンから発掘する道具が他国に高く売れ、経済は潤い、国民の資産が増えていく。それを拒否できる人間が果たしてどれだけいるのだろう。
否、いるはずもないのだ。
新宿ダンジョン 第1階層 『豊食の草原』
一般人になじみ深い、と言えばこの1階層だろう。広大な面積を誇る、地下でありながら陽が差し、草原が広がるエリアである。TVでも散々紹介されて一般公開されている場所であり、危険度が低いと誤解されているところでもある。
明良はスマホを取り出してダンジョン攻略WIKKIのマップ情報を確認する。マップの総面積、体積は地上の新宿駅を侵食していてもおかしくないほど広大。ダンジョンに天井があるなら、新宿駅はとっくに突き破られて倒壊しているはずだ。しかし、ダンジョンの中は異空間。地下に青空が見えているのがその証明だ。
二階層への道のりを確認したあと、明良は無言でライセンスを首から下げた。それがダンジョンにおける最大の身分証明になるからだ。
しばらく緑の絨毯を踏み荒らしながら進んでいると、半透明のボールが弾むように近寄ってきた。明良の無粋な足取りに怒っているようだ。その愛らしい姿は、某国民的RPGのマスコットキャラを連想させる。
「……スライム」
ダンジョンには一階層ごとに必ず異形の生物がいる。それはメインモンスターと呼ばれている。一階層のメインモンスターは、当然スライム種である。
「……気持ちわるっ」
腰のショートソードを抜く。
刹那、鈍色の刃が閃いた。
「ぴぎっ……!」
ゲル状の体が真っ二つになって、後には赤い結晶が残る。明良は結晶をポーチにしまう。
スライムは子供でも倒せるくらい弱いモンスターだ。斬っても潰しても、なんなら殴った衝撃で飛び散って消えるほどに。だがそれだけでスライム種全体を判断するのはとても愚かなことだ。それはダンジョン深部に潜っていけば自然と覚えていくことだが――
「きゃあああああ!? 誰か助けてぇー!」
浅い階層では、経験不足と知識不足が新人シーカーの命取りになる。
「……はぁ」
重い息を吐いて、明良は声の主の下へと走り出した。シーカー同士は可能なかぎり協力する義務を負っている。もちろん自分の命が最優先だが、少なくとも現場を確認してからでないと後で罰則が待っている。
悲鳴の元に駆け付けると、柔草に尻もちを着いた少女を見つけた。膨大な量のスライムが、今にも少女にとびかかろうとしていた。塵も積もれば、というようにスライムも集まれば人間を圧殺できる。
だが、明良がそうはさせない。
ショートソードを振るってスライムの半数を蹴散らす。瞬時に逆手に持ち替えてもう半分を斬り飛ばす。スライムが次々と赤い結晶石に変わっていく。
ひとまず危険は去ったと判断し、明良は少女を見つめる。少女の腰には護身用の小剣だけがあった。抜剣もされていないところを鑑みるに、数の暴力に気圧されたか。
どちらにせよ、少女は腰を抜かしたようなので明良は手を差し伸べた。
少女はおずおずとその手を取って立ち上がった。
高校卒業してすぐにライセンスを取った明良と同じくらいの歳に見える。つまりほぼ同期の新人シーカー。
少女はほのかに赤面していた。その頬の火照りとよく似た桜色の髪。その下にはすっと通った鼻と丸く縁取られた可愛らしい目元。そんな美少女のパーツを、さらに均整の取れた小顔が縁取っている。
なるほど可愛らしい。とても綺麗な少女だと思う。ダンジョンに吹く風すら少女を美しく彩るように流れている。
「あのぉ、助けてもらってありがとうございますぅ……」
「それほどでもないですよ」
美少女がすすっと寄ってくる。
「強いんですね……凄い剣さばきでしたし、もしかしてこの先の階層が探索メインのシーカーさんですか?」
「そう、なりますかね」
「わあ……凄い! 私、桜庭叶恵っていうんですけど、よければ私とパーティーを組みませんか?」
美少女――叶恵は明良の手を握る。小首を僅かに傾げ、視線を上目にして、熱っぽく視線を絡めてくる。運命的なボーイミーツガール。悲劇の美少女を冴えない青年が救う状況。そして助けた美少女と仲間になってダンジョンを探索する。誰だって特別だと意識してしまうだろう。
「そういうの興味ありませんから」
ただ、悲しいかな。
明良は陰の者ゆえ、美少女の誘いには乗らないのである。