イッツミー!
本文の内容説明→お嬢さまに転生した人の話
**********************************************************
目が覚めたら見知らぬ天井。薄衣で覆われたベッドの中にいた。
はてさてこれはと辺りを見回し、はたしてしかしてこれが例のアレかと得心した。
そう、転生ものである。
目が覚める前の自分の意識はせんべい布団の中であったし、何よりこんな白魚の手を持ち合わせているような身分ではなかった。
深夜営業、午前様、休日出勤はお手のもの。肩周りの重さがない時はこんなであったかと感心しきりのこの今、思考はするすると巡っていく。
ごっそりと疲労の抜けたこの可憐そうな肉体はどう考えても自分のものではない。
であれば私は誰だろう。
そこまで考えた頃、ドアのノック音が聞こえた。
それからはあれよあれよとこの肉体の生活環境が開示されていった。
第一発見村人、いやこの館の使用人がいうことには私はなんたら公爵家のお嬢様であり、この国の王太子の婚約者だとか。
記憶喪失と触れ込み、周囲を混乱に陥れながら自分のプロフィールを手に入れた結果である。
であれば次、自分の立ち位置と方針の決定だ。
追加情報によれば、私は見た目は良くても中身がアレとの評判らしい。
いわゆる悪役令嬢もののはしりといった段階だろうか?
悪役令嬢の萌芽たるこの子を導く?
ここはまあ今ひかれているレールから脱線しないよう粛々と、時によっては三十六計を胸に刻んで参りましょうか。
そう、決めたのだ。決めてしまったのだ。
そして私はボッチになった。
いやあ、ね?王太子妃になる人間だというからお勉強頑張ったんですよ。
それなりに。
ただ頑張れば頑張るほど、周囲の人間は遠ざかっていた。
まず初めはお兄様。そして両親。家族に見向きされなくなるに従い、使用人の皆様。
友人たちは、友人と呼ぶなと去っていった。
皆、私の振る舞いを見るたびに苦しそうな顔をした。何かに縋るような目も向けてきた。
それがどんどんと頻度が減って会わなくなっていった。
婚約者?彼とは垣間見えたことすらない。
何がいけないのかと、どうしてなのかと追いすがりもした。
それがわからないことこそが答えだ、と彼らは言った。
そうやって関わりはなくなれども彼らは私に生活の場を提供し続けた。
でも、腹は満たされども心の凍る毎日に耐えかねて家を出ようと、出させてくださいと頼んだのだ。
返ってきた答えはこうだ。
あなたは私たちから奪うことしかしないのか。気が済んだのなら娘、妹、お嬢様を返してくれ、と。
私は彼女じゃない。でもこの器は彼女のものだ。
この体に入った経緯を考えもしていなかったことに思い至った。
これからのことはこれからだ、と。過去を検分しようとも思わなかった。
彼らは言う。
この体の前の持ち主は大層おてんばで、困らせることも多いがそれだけ人を救うことも多かったのだとか。
末っ子ならではの甘え上手だった。
街に降りては世直しと称して騒ぎを起こしていた。
気がつけば居なくなっているかと思いきや、山の幸をどっさり抱えて家のものに振る舞った。
前の生では長女、争いごとは避けて通るべし、インドア最高の私とはなんともまあ正反対なことだ。
この家の人たちにとって、以前の彼女の尻拭いをする生活はおそらく大変だったろう。
しかしそれが彼女なのだと家族は受け入れ、愛していたのだ。
決して私は求められていなかった。唯一できることはこの体を返す方法を探ることだったのだ。
なんてことだろう。
家族を悲しませ、周囲を惑わせ、1人の女性の運命を狂わせてしまった。
悪役令嬢は私だったのだ。
全てが三文芝居で他人事のよう。
私の中に彼女はいるのだろうか。それは確かに考えねばならない案件だった。
ぼんやりとしたまま私室に戻り今後の軌道修正を考える。
記憶喪失になった人間が前の自分と比べられてすったもんだする話は創作物で読んだ。
ああいう時は何かきっかけやその直前の出来事を再現するのがよいのだとか。
……よし、寝よう。
寝た。
さあ、素晴らしいあさが来た。ぜつぼうの朝である。
何も変わらない自分の様子にううむと唸る。
こうなっては自分1人の手に余る。使用人を呼び出すことにした。
「いかがしましたか」
いかがも何もこれしか選択肢はないだろうとキレそうになるカルシウム低めな自分を抑えた。落ち着け。今までやろうともしなかった彼女の自我復活作戦の参謀にしようとしているだなんて彼も思わないだろう。
「昨日の案件で。私に残されている選択肢は元に戻ることしかないようでしたから。何か思いつくことはあります?」
「もう試しました」
……彼は既に参謀、いや実働部隊に所属していたらしい。私が動かずとも周りは色々とやっていたようだ。
「では試したことを教えてください。まだやっていなさそうなものを考えてみます」
「そうですね……まずは今のあなたになる前の1日をトレースさせました」
ほうほう定石通りはやったみたいだ。
「次は前のお嬢様の好きな方をお招きいたしました。ご友人、仕事仲間、狩仲間、王太子など」
えっ王太子会ってたの。
しかも好きな人たちの中に入ってるって。え。ちゃんと恋愛してたのかな。うっわー居心地悪。
「あとは前のお嬢様がしそうなことへ誘導したりですかね」
うーん。緑深い山奥にピクニックセット持たされて連れて行かれた時のことかな。森林浴ーってのんびりしてたら周りの空気がどんどん重くなってたな。
なるほど。弓矢を持って野山を駆け回ることを期待されていたらしい。
ほほうほほう。うーーんあとは生命の危機に晒されるとか?死なない加減難しそう。
「瀕死状態になっていただこうかとも思っていましたが」
もうやってた!仕事早い!いや私が着手するのが遅すぎたのか!?
「驚異的な察知能力で悉く防がれました。さすがはお嬢様です」
高性能なこの肉体がオートで避けてくれていたらしい。ありがとうお嬢様。
物騒なお嬢様奪還隊員の聴取を終え、お引き取り願った。
とりあえず現段階は、引き金は引いてるのに弾が出ない感じなのかな?
そもそもお嬢様はこの体のスロットに装填されているのだろうか。
ないことを証明するのは難しいので、あると仮定して反証していくしかない?
それにはいつまでかかることだろう。
その悪魔の証明が終わるのは?周りが諦めた時?
ちょっと証明終わっていい?なんかお通夜ムードで周りが諦めかけてるし。
この体頂戴?ダメ???
恐らく周囲は私がこの体に入った時のように、ふっと彼女が戻る日を待ち侘びているのだろう。
かといって今の私には用はない。
そしてこの針の筵状態。
何という双方救われない話だろう。
いや、待てよ?この体、とっても高性能。この世界には冒険者ギルドあり。
ならば許可を取らずに出奔して、冒険者ギルドで身を立てればよろしいのでは。
命の危険すら無意識に避けられるのなら一人暮らしだって目じゃないのでは。
よしよし。
数日後、私は金目のもの数点と数日分のご飯をかき集め出奔した。
置き手紙は書いた。
戻ったら戻る、以上である。
「自由な空気おいしい!」
顔を見るたびに残念そうな顔をしてくる人はここにはいない。
頭のドリルを捨て、服装も平民仕様にした私は街に埋没する平民だ。ちょっとまだ育ちの良さが出ている気がしなくもないが、慣れれば個性として受け流されるのではないかと期待する。
そんな自由闊達独立ライフが軌道に乗った頃、まあ来るだろうと予想していたこの体のお兄様なる人がおいでになってこう言った。
今の私が新しい人生を歩むことは妹を殺すこと、妹を上書きする行為だ、と。
まあ?一理あるような?
かと言ってあの重苦しい雰囲気の家に閉じ込められたらこの体も死んでしまうことだろう。彼女がやりそうなこと以外は行動が制限されるなんて冗談じゃない。戻らないのなら縛り付けておく?うむ。断固拒否である。
彼女の自我復活に必要だというのならまず環境を整えろ。
そう言い放ってこの体の運動神経に頼った背負い投げで追い返した。
いまさらなぜ、どうして。そんな呟きが放心状態のお兄様()から聞こえたが、よくわからなかった。
そうやって館に戻そうとするものを投げ返しつつ、私は市井に混じって生活を続けた。
新しい友もでき、良き隣人に恵まれ、まあ、好きな人もできた。
冒険者ギルドでは街中のクエストだけ受けており、目下スーパーメイドに近い評価を頂いている。家事手伝い、子守り、代筆などなど、はては護衛……いや、これは不可抗力のオプションなのだけれど、何でもこなすと謳われている。何でもはできないのだが。
私がどの私なのか。今ではもうわからない。
ここに来たばかりの私だって今の私じゃあない。
この体の実家に帰ることはあるだろうか?それはまだ何とも言えない。
でも、まあ……このお腹の子が出てきた後くらいの私なら、また違うことを言うのだろう。
記憶喪失もの+転生もの混ぜてみました。
某小説を読んで心が死んだので、自分が変容しても受け入れてくれる場所があったらいいなあって思いながら書きました。