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シリル

 

 彼女と初めて会った時の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。


 陽の光を一身に浴びたような輝かしい金髪。

 まるで陶器の様に美しい滑らかな肌。

 宝石の様に美しい青い瞳。

 顔の造作は、正直に言えば絶世の美女という程美しい訳ではない。

 けれどなぜか惹かれてしまう、不思議な魅力がある人。


 そんな彼女は、ある日僕の姉になった。




 伯爵家の地位にありながら凡庸極まりないエケベリア家において、僕はとても異端だった。

 生まれた時から魔力量が凄まじく、3歳にして燃え上がる火柱を出現させてしまった僕を、エケベリア家は明らかに持て余していた。

 生家には本当の姉と弟が居る。

 弟は僕が家を出た時にはまだ幼かったから、さして関わりはなかったけれど、姉は違う。

 まだ本当に幼い頃、僕は姉の後ろをついて回った。ただ姉と仲良くしたかった。けれど、姉はいつだって嫌そうな顔をしていた。


『シリルと一緒にいると、いつまた恐ろしいことをするかと怖いの』


 偶然、実の両親に泣きながらそう訴えている姉を見かけてから、もう、後ろをついて回るのを止めた。


 両親は愛してくれなかった訳ではない。

 けれど、確かに彼らも怯えていた。

 エケベリア家には、僕に十分な教育ができるほどの素養がなかった。

 だからオーキッド公爵家から養子の打診があった時、一も二もなく承諾したのだろう。


 僕はオーキッド公爵家の息子になると聞いた時、家族に捨てられたと思った。

 実際、それに近かったと思う。

 けれど今は、それが最善の道だったと分かる。僕の魔力量では、高レベルの教育を受けなければいつか大事故に繋がっただろうし、エケベリア家でそんな教育を受けることは不可能だっただろうから。


 でもその時は、とにかく家族に捨てられた悲しみでいっぱいだった。

 だからオーキッド家に向かう馬車の中では、市場に売られていく家畜になったような気分だった。



 けれど馬車の扉を開けた時、出迎えてくれたオーキッド公爵家の人々の輝かしさに、そんな気分は吹き飛んでしまった。


『いらっしゃい。あなたが来てくれてとても嬉しいわ。弟が欲しかったの』


 そう言って一番に声をかけてくれたのは、姉となるクローディアだった。

 オーキッド公爵と夫人は目が覚めるほどの美しさを持っていたけれど、クローディアはそんなことはなかった。けれど何故か、クローディアから目を離すことができなかった。



 それが一目惚れだというものだと気付いたのは、もっとずっと後になってからだった。



 代々強大な魔力を持つ者が生まれるというオーキッド家の一人娘として生まれながら、クローディアには魔力がほとんどない。

 それなら、きっと僕のことが嫌いになるだろう。虐められるかもしれない。

 最初はそう思っていた。


 でも実際は、そんなことは全くなかった。


 不思議なことに、クローディアは自分に魔力がないことを一切気にしていない様に見えた。

 今にして思えば、異世界から転移した記憶を持つクローディアにとって、魔力がないことは当然のことだと思えたからだと思う。

 クローディアは僕にとても親切に接してくれたし、実の姉以上に可愛がってくれた。

 そして何より、僕のことを怖がっていなかった。自分にはほとんど魔力がないにもかかわらず。

『シリルはとても一生懸命に魔法の勉強をしているでしょう? それなら大丈夫よ。万一何かあれば、この家の人がどうにかしてくれるでしょうし』

 彼女はそう言っていた。

 僕のことを信じてくれることが嬉しいと思うと同時に、何故自分の家のことをそう他人事のように話すのか、不思議でもあった。


 新しい両親となった公爵と夫人は、クローディアのことを心から愛していた。

 彼らは、クローディアに魔力がないことを問題にしていない様だった。

 僕のことを引き取ったのも、オーキッド公爵家のためというよりは、僕の保護が目的だったように思う。

 エケベリア伯爵家は、オーキッド公爵家の傍系に当たる。と言ってもその関係性は非常に遠く、かなり古い時代に遡らねば本流に辿りつかないほどだ。けれど僕の魔力量の多さは当時かなり貴族たちの間で話題になるほどだったから、きちんと僕を扱わないと危険だと判断して引き取ってくれたのだろう。

 公爵は高位貴族には珍しく、とても無欲な人だ。

 冷静沈着であまり感情を表に出すことが少ない人だから、誤解されることもあるけれど、とても慈愛に満ちた人だと思う。

 公爵も夫人も、魔力が少ないことでクローディアが苦しむのではないかと、心配している様に見えた。


 それなのに、ただ1人クローディアだけが、彼らの愛を信じていなかった。

 そんなクローディアに対してどう接していいか分からないのか、2人もクローディアとの距離を詰められないでいるようだった。


 僕はそんな3人をもどかしく思っていたけれど、僕はクローディアにその事実を伝えなかった。



 僕が、クローディアを独り占めしたかったから。



 なんて自分勝手なのだろう。

 なんて後ろ暗い欲求だろう。


 でもクローディアには、僕だけを見て欲しかった。

 だからいつだってクローディアの後ろをついて回ったし、どうしてもクローディアと一緒に寝たくて、僕のお願いにクローディアが弱いことを知った上で、渾身の『お願い』をしてベッドに潜り込んだ。

 クローディアが口を付けた食べ物は本当に美味しそうに見えて、いつも一口貰っていた。何故か全く同じ物を出されても、クローディアが口にした物でないと美味しそうに見えなかった。


 今にして思えば、とんだ変態だ。

 思い返す度に顔が赤くなる。

 あの頃は何も分かっていなかったから、そんなことが出来たのだ。


 成長し、自分がクローディアに抱いているのは姉に対する想いなんかじゃないと気付いてからは、逆に一切近付けなくなってしまった。

 近くに居たら、いつか境界を越えてしまいそうだったから。


 血は繋がっていなくとも、僕はクローディアの弟だ。

 それは紛れもない事実。

 僕が弟でなくなってしまったら、クローディアの側にいることさえ叶わなくなる。

 少し遠い距離でもいい。ただ、クローディアの側に居たかった。



 クローディアの婚約者であるトラヴィスが、クローディアを嫌っていることは知っていた。

 婚約破棄を目論んでいることも。

 クローディアの何を誤解しているのかは知らないけれど、好都合だと思った。クローディアには何の罪もないし、婚約破棄されたとしてもトラヴィス有責なことは間違いない。

 王太子妃なぞになってしまったら、そう簡単に会えなくなってしまう。

 と言うより、クローディアが誰かの妻になるなど、絶対に許せなかった。

 王太子の婚約者だった令嬢に、簡単に結婚を申し込める貴族などそうはいないだろう。クローディアは、オーキッド家にずっと居ればいい。




 自分が結婚できる訳でもないのに、何て自分本位な。



 ただ自分の欲望のためだけに、トラヴィスたちの企みを黙っていた。

 ミシェルが近くに寄ってくるのは煩わしかったけれど、トラヴィスたちの企みを知るためには、近くに居なければならなかった。

 僕の想いは、誰にも気付かれていない自信があった。


 だからまさか、彼らがあえて僕に隠して、衆人環視の中あのような暴挙に出るとは、夢にも思わなかったのだ。



 僕は酷く後悔した。

 自分自身の薄暗い欲望が、結局彼女を傷付けてしまった。

 彼女は、あんな風に膝を突いていい女性ではない。




 大勢の前で恥をかかされているクローディアをその場から連れ出そうと近付いた、その時。




 あの時空の歪みに引き摺り込まれたのだった。




 最初僕は、とても嬉しかった。

 黒髪黒目になってもクローディアは魅力的だったし、あの世界で僕とクローディアは姉弟でも何でもない。

 ただの男と女だ。

 だから、もうこの気持ちを隠す必要はないと思った。



 けれど、違った。

 クローディア……いや、蘭にとって僕は、いつまでも弟でしかなかった。

 そんなものは、ただの僕の勝手な願望だった。


 あの世界で、彼女がどんな人生を送ってきたのか知った。

 何故父さんと母さんを他人のように思うのか、その訳を知った。

 トラヴィスたちが案外いい奴らであることを知った。


 そして、自分の浅ましさを知った。



 僕がやってきたことは、ただ僕だけのためのものだ。

 トラヴィスたちのことも、そしてクローディアのことさえ、何も考えていなかった。

 いかに僕が愚かで浅はかであるか、みんなと一緒に暮らす時間が長くなるにつれ、思い知らされた。


 僕の態度をクローディアがどう思っていたかも、彼女がどれほど孤独だったのかも分かっていなかった。

 何故花をあそこまで怖がるかも知らなかったし、フロース王国が彼女にとってどれほど辛い国であるかも知らなかった。


 僕は知らなかった。

 蘭にとって、フロース王国は、僕たちの世界は、何一つ彼女の未練となるに値しなかったということに。



 もしも、クローディアと両親が互いに分かり合っていれば。

 こちらの世界でもトラヴィスたちと良い関係だったなら。

 ミシェルに近付いていなければ。

 何か一つでも違ったなら、何かが変わっていただろうか。



 僕はこれまで、ただ自分の都合であらゆる問題を取りこぼしてきた。

 見て見ないふりをしてきた。




 だけど、これからは。

 全身全霊で、貴女の為に行動しよう。

 もうこれ以上、貴女が傷付かないように。




 そして僕は、決して狭くないこの部屋中に広がる、書物と魔道具の海に沈んでいったのだった。


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