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ニコラス

 

「ねえニコラス。本当に向こうでは歌ったことなかったの?」


 カラオケからの帰り道、アパートの近くの花屋の前で、蘭が俺を振り返って聞いてきた。

 俺はどことなく、こそばゆいような気分に頬が熱くなるのを感じながら、わざと大きな動きで頭を掻く。


「いや本当にないな! だから俺でもびっくりだ!」



 この言葉に嘘はない。

 自分自身でも驚いているのだ。


 これまで、剣だけを握って生きてきた。

 それが当然だと思っていた。


 けれど、それ以上に心躍ることがあるなんて、思ってもみなかったんだ。





 俺はセロシア伯爵家の長男として生まれた。

 姉と妹が一人ずついるが、男は俺一人。

 故に俺が後継者となるのは、当然の流れだった。


 セロシア家は代々続く、由緒正しい騎士の家系だ。

 当主は皆、近衛騎士団長を務めるか、国王陛下の側近として支えてきた。

 国への忠誠と功績によって、現在の伯爵位から陞爵しないかとかつての国王陛下から打診を受けたことも、一度や二度ではないらしい。

 けれど『王の忠実なる剣』としての役目を全うするため、身軽に動く事が出来て守るものが少なくあるよう、陞爵を辞退して更に領地さえも持っていない。

 代わりに、騎士を育成するためのフロース王国唯一の機関を有し、運営している。

 そんな特殊な家だ。


 領地も持たない伯爵家に過ぎないセロシア家は、それでも国の中で一目を置かれている。そんな我が家のことを俺は誇りに思っていたし、騎士になること以外、一切考えたこともなかった。

 剣を振ることは楽しかったし、家の名に恥じないほどの才能と実力が俺にはあった。だから何一つ、悩むことも葛藤することもなく、ここまで来た。

 離れて見てみれば、いっそ不自然なほどに。




 音楽は元々好きな方だ。

 けれど向こうの世界の音楽というものは、正装した上でホールで聞くもので、もちろんそれも面白い。

 しかし演じる方をしてみたいとは、思わなかった。

 演奏する方に回るということは、当然ながら長い期間をかけて訓練をする必要がある。セロシア家の長男である俺が、そんなことをするなんて全くイメージが湧かない。

 それに向こうでは、歌にしてもピアノにしても、音楽をするというのは「女の嗜み」もしくは「下級貴族や裕福な庶民がやるもの」と言われる節があって、余計に機会がなかったと思う。


 けれど思い返してみれば、歌いたいと思ったことがない訳ではなかった。

 あれはもう何年前のことだろうか。

 トラヴィス殿下に付き従って国の領地視察に行った際、とある村で祭りをやっているのを見たことがある。

 広場に村人たちが集まって、円になって皆で歌を歌っていたのだ。


 普段聞いていた音楽とは異なる、洗練された美しさはないが活気に溢れ、何より皆が笑顔で楽しそうにしている。

 あそこまで多くの人々が笑顔になるほど、楽しいことなのか。

 そう思うと、あの輪の中に入ってみたいような、衝動に近い感情を覚えた。

 きっとその感情こそが、『歌ってみたい』という俺の欲求だったのだろう。


 その村は元々ただ通り過ぎただけで、殿下も『活気があっていいな』とだけ言ってすぐに離れてしまった。

 けれどしばらく、あの光景が頭に焼き付いて離れなかった。





 この世界に来て、音楽の多様性に本当に驚いた。

 心に響くものやただ雰囲気で流すもの、静かな曲から元の世界では考えられないほどに激しい曲まで、ありとあらゆるものがこの世界にはあった。


 なんて自由なんだ。

 音楽とは、ここまで自由になれるものなのか。


 蘭にヘッドフォンというのを買ってもらったら、時間を気にせずいつまでも聞いていられた。

 いくら聞いても、新たな発見があった。

 そしてごく自然と、俺は歌を口ずさんでいた。


 楽しい!

 歌を歌うって、なんて楽しいんだ!


 剣を振るのも楽しい。

 けれどそれは、俺がやりたくて自ら始めたものじゃない。セロシア家の長男として生まれたからには、当然のこととして始めたことだ。

 もしも他のことに目を向けて騎士としての鍛錬が疎かになったとしたら、俺には価値がない。それならば、ただ剣だけを振り続ければいい。

 もしかしたら俺自身、そう暗示に近いものをかけていたのかもしれない。

 だからこそ、一切葛藤もなかったのだろう。




 クローディア嬢にとって、そんな俺はいかに奇妙に映ったのだろう。

 まだ幼い頃、クローディア嬢が殿下に会いによく王城に来ていた頃のことだ。

 その頃からクローディア嬢のことを嫌っていた殿下は、わざと二人のお茶の席に俺とウォルトも呼んで、男3人で話していた。

 本当に幼かったけれど、今思えば幼稚な行いだな。その時の俺も、何とも思っていなかったけれど。


 それで俺が剣の鍛錬の話をしていると、クローディア嬢がこう言ったのだ。

『セロシア様は、剣以外にやりたいことはないのですか?』と。

 今なら、それは本当に単純に、言葉通りの意味だったのだと分かる。

 彼女は、この世界を知っていたから。

 何も一つのことだけしか出来ない訳じゃない。俺の好きなあの歌手は、俳優もしているし絵も描いている。一つを取るかいくつも取るかは、本人の選択次第だ。

 それが当然だと、彼女は思っていたから。


 けれどその時の俺は、彼女に馬鹿にされたように感じたのだ。

 剣以外に何もない男だと。

 考えてみれば、そう感じたということは、誰よりも自分がそう思っていたということなんだろう。だがその時は、それが俺の誇りで、俺の生き方だと思っていた。それを否定された気がしたのだ。

 それ以来、俺は彼女に嫌悪感を持つようになった。




 彼女を決定的に嫌ったのは、他にも理由がある。

 クローディア嬢がアカデミーに入学した時だ。

 アカデミーでは例年、新入生の胸に上級生が薔薇を付ける風習がある。

 誰が誰に薔薇を付けるかは本当にランダムにくじ引きで決まっており、彼女の胸には地方の男爵家出身の令嬢が花を付けた。

 けれどクローディア嬢は酷く不愉快そうな顔をして、挨拶もそこそこに去っていったのだ。

 薔薇を付けてあげた男爵令嬢は、悲しげな顔をしていた。


 公爵令嬢である自分に、地方のしがない男爵家の娘が花を付けるなど、許せない。

 彼女はそう考えたのだろうと思った。

 実際、毎年そういった傲慢な貴族というのは、少なからず居るものだ。


 たまたまその場面を見ていた俺は、一言言ってやろうと彼女を追いかけた。すると、物陰に隠れたクローディア嬢を見つけた。

 声をかけようと一歩踏み出した時、彼女は胸から薔薇をむしり取り、くしゃりと握り潰してその場に捨てて走り去ったのだ。


 俺は心底彼女を軽蔑した。

 そこまで、身分が下の者に付けられたのが不快だったのか。

 胸に薔薇を付けていないことを疑問に思う人々に対して『うっかりどこかに落としてしまった』と嘘をつくクローディア嬢に、俺は激しい不快感を持った。


 だから彼女の悪行が一つ一つ分かっていくと、『ああやはりな』と思うだけだった。


 あの卒業パーティーでは、彼女に対して暴力まで振るった。

 特に良心は痛まなかった。

 彼女は最低な人間だから。


 けれど最低なのは、俺の方だった。

 紳士としてあるまじき行動だ。

 彼女の話など、一切聞いていなかった。



 この世界に来て、初めて彼女の為人を知った。

 彼女の印象は、これまで持っていたものと正反対になった。


 彼女は『無実だ』とずっと訴えていた。

 かつては一切信じていなかったが、今ではそれが事実ではないかと思っている。

 何故なら彼女は、向こうの世界に一切の未練がないようだから。

 もしも身分を振り翳し贅沢の限りを尽くしていたというのなら、何でも自身でやらねばならない今の生活に不満を漏らしているはずだ。



 彼女は、偶然にも異世界に紛れてしまった、哀れな女性だ。

 俺たちは仲間がいる状態なのに、この世界に馴染むのに未だに苦労している。けれど、彼女はたった1人で、味方になってくれる人もおらず、価値観も何もかも違う世界に放り出されたのだ。

 いかに辛かっただろうかと思う。


 この世界に来た当初は、様子を見るためにとあの時のことに触れずただ彼女に従っていたが、今は罪悪感から何も言えないでいる。

 こんなにも小さな男だったのだろうか。俺は。





 しかしあの時、胸に付けた薔薇をむしり取ったのは、一体何が理由なのだろう。

 身分が理由ではなかったはずだ。

 薔薇の棘が刺さったのだろうか。それとも、薔薇が嫌いだったのだろうか。

 だからと言ってあんな風に外すこともないだろう。



 そう言えば、このアパートには花が飾られていない。

 それどころか、花柄のものさえ一切ない。

 今は嫁いで家を出た姉も、来年アカデミーに入学する予定の妹も、小物やドレス、部屋の装飾のあらゆる所に花柄を使っている。

 好みはあるにしても、女性ならば花柄の1つや2つ持っていてもおかしくないように思う。

 街中の人々やテレビを見る限り、この世界でも花柄は一般的なもののようだが……余程好みではないのだろうか。




 俺たちはまだ、彼女のことを知らなすぎる。

 もう少し親しくなれば、知ることができるだろうか。


 そんな過ぎた期待をする自分に気付き、俺は自嘲した。


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