雨滴散布方々・七
※注意※前回に引き続き、集合体が出て来ております。
苦手な方はご注意ください。
ことほぎは走っていた。
怒りと悲しみに任せて走っていた。
上司の独断を止める為に、風を切って切ってひたすら走った。ついでに地区長に収集が掛かったという理由もある。
だが一番は、上司に異を唱え歪みを正す為であった。
そうして辿り着いたは一軒の屋敷。見る度に構造も仕様も装飾もなんなら広さも高さも変わる妙な屋敷に、ことほぎの大切な者が居る。
今日は思わず二度見するくらい見事な左右対称の小綺麗な屋敷となっていた。道を間違えたかと思った。先日、弟の暴走を止めに来た日は、広さはあるが古びた平たい朽ちかけた屋敷であったからだ。
その二ヶ月前には廻廊で囲まれた瓦屋根の重厚な宮風屋敷だった。らいあに「なんかこの屋敷、雅になったね」と言ったら「縁側が廻廊になってしまった」としょぼくれていたので肩を撫でてやったことほぎは思わず己の掌を凝視した。結構筋肉質だったのだ。羨ましい。俺ももっと鍛えないと。
庭に噴水と薔薇園でもありそうな雰囲気だが実際にあるのは、連なった干し柿が干された物干し竿数本と食用のものばかり育つ畑と食用の花ばかり植えられた花壇と食用の実のなる木が数本である。管理者の並々ならぬ食への執ちゃ……ゴホン。愛情を感じる。
壁は白く円い屋根は橙色。木でも煉瓦でも瓦でもなくまっこと不思議なまでのツルツルさの壁と屋根で、決して登れはしないだろう。けれど、屋根が好きな弟ならば登るだろうな。会えたら注意しておかないと。
縦長に四角い白い木枠の窓辺には白や黄の花でも飾りたくなる程優美である。なのに、いつもの場所にはいつもの煤けた茶色い木の縁側があるのが門から見えていた。左右対称なので勿論反対側にも。らいあに配慮したからとは思うが、これほど美意識の高い屋敷でありながらそこは外観と揃えなくて良いのか?謎である。
ことほぎは門の前で急停止して、荒ぶる息を微妙に整えた。――鼻息の荒い姿を、あの、るんるんふわふわな子に見せたくはなかったのである。
例え、るんるんふわふわな子に「また来たるん?」と絶対零度の視線を向けられる日々であろうと、「いや、友ではないぞ。なあ?」と屋敷の主から友認定されていないことに愕然としようと。
何故るんるんな子は冷たいのか――弁明を試みたい。るんるんな子と初めて会った頃のことほぎは、少々図に乗っていた。「おれモテる!」と。いまは勿論乗っていない。謙虚を美徳に邁進する意識だけは高くなっている。
そんな「おれモテる!」な者が「モテ?何を言ってるん?近いるん離れるん」な子に会えばどうなるか。そこへ「え?鎌の錆びになりたいって?」と言う子もやって来て、「なんだ、私の愛し子に用があるのか?」となったらどうなるか。後は皆様のご想像にお任せしたい。
いらぬ閑話休題であったか。
さて、息を整えたことほぎは、門に手を掛けようとして掛けられず前につんのめった。既に開いていたのだ。
話が早いと前向きなことほぎは再び走り出した。目指すはやたらとデカくて重そうな扉の玄関ではなく、いつもの縁側でくつろぐいつもの面々といつもでない面々の所である。
思い切り息を吸い込んだことほぎは叫んだ。思いの丈を、すべてぶつけてやろうと。
「きさらぎちゃあーん! なんでことひらき今日帰って来れないのさあああっ!? なんその腕の目?! 気色悪いんだんけんど!?なんその大量の目?! ええ?! 大丈夫なんのんかことひらき?! お医者さん?! お医者さんとこ行んくん?! 祓い!? 祓い屋に行くんべき!?どっち!?」
驚き恐れ戦き悶えることほぎの耳に、最愛の弟のことひらきときさらぎとの会話が駄菓子屋で流れる民謡の音楽のように入ってきた。
駄菓子屋では皆、手持ちの駄賃でどれだけ買えるのか必死で、民謡の音楽が流れていたと知るのは必死にならなくてよい時――つまり既に手持ちが無くなった時のみである。ということは、ことほぎの耳に二人の会話が入るには大量の目が居なくならねばならない。それはいまの段階では有り得ないため、ことほぎは一人恐れ戦き悶える時をしばらく過ごす事になった。
「ことほぎの方言久しぶりに聞いたねぇ」
「え?兄ちゃん外では方言話してなかったの?なんでん?」
「そりゃあかっこつけてんだよ」
「えー、そんな変わるかなぁ?けどそれじゃー、俺の“変化”ばれちゃっても仕方ないんねん」
「うーん、それだけじゃあないんだよ。あんたの“変化”はたまに見た目だけんなるからねぇ。声があんたなんだよ」
「えっ!?そうだったんのん?!」
「気が抜けるとね」
「あちゃー」
顔を両手で覆っていたことほぎは弟の残念そうな「あちゃー」で、ハッ! と正気を取り戻した。正気だけでなく弟も取り戻しさねばならないのだった。その為に駅から全速力で走って来たのだから。
決意新たに顔を上げたことほぎの目に、腕やら足やらで瞬く幾つかの目を撫でたり声をかけかわいがる知り合い達の姿が。
なんてことだ。あの奇人変じ……もとい、強者達も絆されてしまっているのか?この目はなんなんだ?不可思議な“力”でもあるものなのか?訴えねば。これは摩訶不思議な生き物やも知れぬと。声をあげねば。
「目!!」
焦ることほぎの口から飛び出たのは端的過ぎる単語ただ一つだったが、それ以上に何が言えただろうか。
「元気だねぇ。めめだから大丈夫だよ」
溜め息混じりの返答は慣れたものであることほぎは、めめ、の方に気を向けられた。
「えっ!?まさか、『幸運のめめ』?」
「それそれ」
「へぇー! これが『幸運のめめ』」
最上級の縁起生命体の一つだと聞いたことほぎが改めて目の集まりを見ると、なんだが目達の瞳がキラキラ輝いて見えた。流石最上級の縁起生命体だ、と納得したことほぎは一歩、また一歩とふらふら近付いて行った。
なんと言うことでしょう。瞬きを繰り返すめめ達をよく見れば、睫毛のカール具合にくるりんもすらりも、瞼の一重二重も、吊り目垂れ目もいるではありませんか。思わずことほぎはこう呟いた。
「かわいい……」
瞳の色も様々で、白目も少し青い目と少し黄色い目があった。確か、貧血だったろうか。違ったか?詳しく分からない。取り敢えず、しじょうに診せねばならないかもしれない。
「兄ちゃんお手!」
「え??」
突然のお手に戸惑う前に条件反射で手を出したことほぎ。なんの条件なのかは知ってはいけない、ということもない。弟達がお手にハマった時期を共に乗り越えただけである。
「はいっ!」
「え???おわっ!?きっ、来たっ。かゆい!?」
腕に腕を添わせてきた弟のことひらきから、めめが移動して来た。平たいざるに入れた砂が傾けたら滑り出したように移動して来た。めめが歩いた所が痒い。あの独特な羽音が悩ましい、夏の困った風物詩のアレに刺された時のような。すわ、まさかめめはアレの仲間なのか!?
「痒い?なら、あんたの身体の中に悪いもんが多いらしいよ」
「えーっ! 悪いもの?どうしよ」
「めめが吸ってくれるかもしれないよ」
「そうなの!?めめちゃん、大きい声出してごめんね?まだ死にたくないから悪いの吸ってください! お願いします!」
「お願いします!」
仲の良い元気な兄弟だこと。あたしは急遽決まった地区長会議に溜め息を吐いてるのに。どこからか聞こえてくる風の音を聞き流しながら、ことほぎは瞬くめめ達を見詰め続けた……。
『……兄ちゃん、今日、頭の中の口調とか違ってなんいん?どしたの?』
ことひらきは目で兄に問う。目ですべては分からないのでほぼなんとなくではあるが、兄相手ならなんとかなる。
『ことひらき……人間にはな、カッコつけなければいけない時があるんだよ』
あの目、たぶんそんな感じな事を兄は思っている。
『カッコ……「」?』
手で「」を作ってみる。兄は首を横へと振った。
『違う、それじゃない。格好だよ、格好』
シャキン! と胸を反らしてポーズを取る兄。ことひらきは空を仰いだ。ああ、空、蒼いなあ。
『兄ちゃん……どんまい』
『なんで?』
『兄ちゃんが叫んだの、きっと中に聞こえてる』
ことひらきの手振りに兄の顔色が青くなっていく。
『……他の地区長が来ないのってまさか』
『もう兄ちゃん以外みんな来てるかんらん』
『俺帰るわ』
踵を返す兄の背に手を伸ばす。
『待って兄ちゃん!』
『ことひらき、俺を想ってくれるなら!』
『めめ置いてって!』
『あ、はい』
「……あんたら仲良いねぇ……久しぶりに無言劇見たよ。ほら、行くよ。みんな待ってる」
「はい……」
項垂れて歩く兄の腕で、めめはパチパチと瞬き続けていた。




