雨滴散布方々・一
一本もネジを使わずに作られた棚―――そう聞いて、君はどんな棚を思い浮かべる?
溝のある板同士を組み合わせる、岩や丸太をくり貫く、型に金属を流し固める……。方法に素材、質、色、要素まで含めれば、答えは無限に有るだろう。
日常のほとんどの問いと答えはそれと同じだと、私は考えている。
例えば。
ある日、野菜屋へ野菜を注文するのに、私は手紙鳥型注文書を利用した。
るるが買い物時に貰って来た、手紙鳥になっている注文書に必要な野菜を書いて送ると配達される販売方法だ。
用紙には、『希望配達時間に丸をつけてください――朝・昼・夕方』とあった。
私は『朝は七時から八時くらいだろうか?』と思い、朝に丸を打った。配達される野菜は『野菜屋の選んだ詰め合わせ・中袋』を選んだ。『中身は季節からして、長葱と菁と菜物だろうか』と考えていた。
次の日の朝、朝の六時に誰かが戸を叩いた。「野菜屋でーす!」と元気に呼ぶ声に私は「早く着いてしまったのだろうか?」と首を傾げながら戸を開く。
すると、青いつばあり帽の野菜屋は「すみません、遅くなりました」と謝り私を驚かせた。
そして、野菜屋から渡された紙袋は想像よりも大きく重たかった。開けば、キャベツと人参と馬鈴薯だった。
「長葱や葉物は自分で育てている人が多いもんでね。ゴロゴロしてる重いものを配達して欲しい声が多いんです」
需要と供給の綱渡しの末のキャベツと人参と馬鈴薯であった。
配達時間と袋の中身を書かないのもあえてだったそうだ。
「細かく時間指定しちゃうとね、怒る人が増えるんですよ。多少は前後しますと注意書きしていても、一秒でも遅れると『訴えるぞ!』ってね。そういう人には時間厳守タイプの手紙鳥で送るんですけど、そうなると今度は『芋が小さい』やら『人参の色が薄い』やら来ちゃってねぇ……。こっちが営業妨害で訴えたくなりましたけど、まぁ、そこは穏やかにしたいので堪えましたがねぇ。けどね、私や店員が直接行って話すとなんでか不思議なことに落ち着いてねぇ。それからも会っていましたら、いまでは一番買ってくれるお客さんになりましてねぇ。やっぱり、人は人と会うことも必要なんだと思いました。いままでは全配達を手紙鳥で送っていましたけど、それ以来は初めての方は私自身が、何度も買ってくださっている方は三から五回に一回は私か店員が顔を見せる事にしたんです。詰め合わせは、ちょっとしたお楽しみになればと思って中身を書かなくしました。本当に欲しいものは皆さん個別で頼まれるものだからねぇ。……どうでしょう?こんな野菜屋ですけど、次回もお買い求めいただけます?」
手紙鳥型注文書をペラリと差し出しながら、野菜屋は八の字眉でへらりと笑って言った。
……何を言いたいか伝えるのに随分遠回りをした。つまり、この一幕だけでもかなりの数の相互の違いが方々であり、その組み合わせも変えていけば無限に近いものになり得ると言いたかった。
それを私達は朝から晩まで細かな事から細かでない事まで自分、もしくは他人や事物、時間等と相対している。時には一難となり反目や衝突するであろうが、大抵は確認、認知、理解の末に消化、容認、拒絶等へと至る。もしくは至ったフリをして続く事もある。
こんな風に。
「鬼はそとおおおおー!」
「あんたは何をやってんだい」
「これ効かないんだんけんどおおおー?!」
乾燥させた豆をぱらぱら散らばしながら走り去ることひらきの背を黙って見ていたきーは、つーっと真顔をこちらへ向け、人差し指で私を指した。
バレているわい。
ちなみにことひらきは何故かきーの足元の影に全力で豆を投げつけていた。
……いや、こうなるとは思わなんだぞ。私は逆だと思うておってな。
きーの冷ややかな視線に首筋と背中に冷や汗をうっすらかきながら、私はるるが入れてくれた茶を啜った。
うまい。我が子の茶はわりと大きめな茶殻が五つ六つ浮いていようとうまい。
「きーに心を許すな。――――あれは鬼だ」
地下からの帰り際、私はそう言った。顔色を悪くしたのは確かにだいちの方だった。
だいちはきーをこちら側だと見ていたらしい。
ことひらきは訳分からんとポッカーンと口を開いていただけだった。るるとてんは己が主観以外なぞを気にする様子など欠片も無く、さららと愛子の先祖は面白がっている気配だった。
一夜して。
「らららららいあおはよう! 豆! 豆ある?!乾いた豆! 茹でたのでも良いけんどん! 駄目かな?やっぱり乾いた豆!」
縁側で朝のひんやりと清らかな空気を吸っていた私に飛びついて来たことひらき。
私の前で羽を膨らませて丸くなり座っていた雀の群れと、餌を奪わぬかと警戒して雀へガンつけていたこけーここがバサバサ逃げた。土埃は舞わない。私が“力”で土を抑えつけているからだ。
豆?どうした急に?種類を問わなければ何かはあるぞ。
それにしてもことひらきよ、昨日お前がことほぎでないと分かった時にも思うたがな。何故そんなに私に気安い?嫌ではないぞ。ただただ不思議なだけだ。昨日初めて会うたよな?まるで以前よりの知り合いのような気安さだな?
おかげで、熱が無事下がり帰宅することほぎに「弟が思ってたより無茶苦茶で肝が冷えたけど、らいあと知り合いなら安心だ。いつの間に知り合いになったのか知らないけど、ありがとう。済まん。ことひらきを頼む」と頭を下げられたぞ。あんな真顔なことほぎはこの十年で初めて見た。
私が言うのもなんだがな、あやつの真顔、怖いな。へらへらと笑うておるあやつを見慣れておるとかそういう話でのうてな。失礼な事を言うがなんというか、造形が真顔に適しておらんのだろうか?案外、いつも笑ろうておるあやつは己の顔の性質を深く知っておるのやもしれんな。
思考が逸れた。豆だったか。
「おはよう。何かの豆はあるぞ」
「ほんと!?あー、でももったいないかぁ。食べないのない?」
「食べない豆?うーむ、乾きすぎてちいと固くなってまったものは粉して食うでなぁ。……ああ、まつごろうだ」
「まつごろう?」
「まつごろうが飛び込んだ豆が一袋ある。“洗浄”や“清浄”は掛けたが、ほれ、まつごろうは絵の具のにおいがするだろう?一旦はにおいがついたからな。聞いたら食いとうないと思う者もおるだろうて。少し困っておったところだった」
「それもらっていい?一皿分くらい」
「良い。蔵にある。おや、おはよう、だいち。丁度良い。ことひらきと蔵へ行ってくれんか?」
「おはようございます。蔵へ?」
だいちはだいちで一晩で大きく変化しており、なんぞもかんぞも吹っ切れ切った顔だった。
短時間でもよう深こう寝たんだろうな。心なしか肌まで艶やかだわ。流石、あの先代を翻弄し続けた者。切り替えの質と早さは群を抜いておるな。
「おはようだいちさん! 蔵へ急ごう! 鬼が来ちゃう!」
「鬼、ですか?」
だいちは私をちらと見た。
ああ、ピンと来たぞ。自分にとっての鬼がおる故、他人を鬼と言うても怖ないと言うことか。昨日は圧に押されたが離れてみたらそうでもないと考え直したのだろう。
「はい、けれど、鍵は」
「ほれ、持っていけ」
鈍色の蔵の鍵を一つ、下から放り投げる。パンッ! と両手で挟んで鍵を受け取ったことひらきは、「ありがと! 行こうだいちさん!」とだいちの腕を引いた。
だいちの目が困り目になる。
「私も呼び捨てしてくれません?」
「ええ?でもだいちさんはだいちさんだんかんら」
「うーん……けれど、距離感ありません?」
首を傾けるだいち。頼み方を変えて来たか。強かなやつめ。まぁ、その程度は小さな事だ。昨日、愛子の先祖直々にこの“力”溜まりの後継者へ指名され、尚且つ、我が愛し子るる直々に告白されたというのに、十八土炉の家を“力”で収納して持って村の外へ出ようと真夜中に協力者へ相談に行ったなんて、ほんに強かで傲慢だ。なぁ?だいちよ。まあ、私が言える事ではこれっぽっちも無いがな。
「あー、そっかぁ。じゃあ、だいち?」
「ええ、それで」
「よし! 行こう! だいち?……あれ?だいち?うーん、だいち?あれ?なんかはてな付いちゃうんだんけんど」
「ふふふっ、行きましょう」
「あっ、待ってよー! だいち?あれ?なんでんー?!」
ふふふふおかしそうに笑うだいちと、何故か疑問系でしか呼べない事を不思議がることひらきが遠ざかって行く。
「だいちさん、帰って来ていたるんね」
……るる、気配を消して背後に立つのは控えてくれんか。うっかり“力”を使いそうになったわい。お前の成長は嬉しいんだがな。
「だいちちゃまはなにをおいやなのでしょうかなぁ?」
……てん、気配を消して更に透明になって膝に乗るのは止めてくれ。うっかり茶を掛けそうになったわい。すでに温いが、るるの好みの少し渋い茶なんだ。口に入ったら渋々するぞ。
「いずれにしても、こちらが早う囲めばよいだけなのな」
……さらら、お前とは気が合うな。ふむ、これを機に学塔街へ遊びに行くのもよいな。
さららはおずおずといった体で横から私を覗き込んで来た。
「らいあ、あのな、連れて来たい子っこが二人おるのな」
「良いぞ」
「早いのな」
そう警戒するでない。あ、温かかったのに、てんを持って行かれた。さらら、私を何だと思って……るるが乗って来たから良しとしよう。るんるん歌っておるのか。ご機嫌だなぁ、るる。だいちと会えてそんなに嬉しいか?よしよし。頬を手に擦り寄せてくるなぞ、なんてかわいかろう。大丈夫だぞ。だいちとは緻密な話し合いを重ねに重ねてゆくからな。我が子を渡すんだ。それくらいしてもよかろうて。なぁ?まさ、お前もそうするだろう?




